18 伝統的呪詛

 堀川隼人の家に入った途端、早希の頭が割れるように痛んだ。

 家に入っていきなり、ぎゃっと悲鳴を上げて頭を抱えた早希に、さすがの隼人も仰天する。

「どうした? どこかぶつけたのか?」

 隼人が手を差し伸べてくるが、早希にはその手を取る力も振り払う力もなかった。ただただ頭が痛み、立っていることすら困難を極めた。

 這うようにして、家の敷地外へと出る。すると嘘のように頭痛は引いていった。

 もう一度玄関へと入る。また激痛。たまらず家の外へと飛び出る。

「おい、ここまで来てなにを今さら――」

 隼人が苛立った様子で手を掴んでくる。

 やめろと叫ぶ前に隼人によってまた家の中に立ち入らされる。三度目の激痛。逃げだそうとするが隼人の手がそれを許さない。玄関でばたばたと暴れる早希はそのまま、気づくと室内にまで上がり込んでいた。

 頭痛は引いていた。心配した様子の隼人が大きなペットボトルのジュースとコップを持ってくる。

 早希はおそるおそる、玄関のほうへと近づいていく。三和土が見える位置にまで来ると、途端に頭が痛み出す。

 慌てて足を引っ込めるとまた頭痛は引いていった。

 しかし、いったいなにが原因でこんな頭痛に見舞われるのか。

 早希はつい先日なにかで読んだ記憶をたどる。

 はっと思い出し、鞄に手を突っ込んで中に入っているものを確認する。

 八重から託された『時漏れ』は肌身離さず持っていた。だがこれはほかの誰にも見せてはならないという約束だ。隼人の目がある場所で開くことはできない。

 すぐにでも確認したい内容があった。早希は隼人にトイレを貸してもらえないかと頼んだ。隼人はトイレの場所を伝え、いつでも自由に使ってもらって構わないと付け加える。

 トイレに入って鍵を閉めると、ドアのすぐ前に立ったまま、鞄の中から『時漏れ』を取り出して開く。八重の書いたもの以外にも目を通して、記憶に残った箇所がいくつかあった。


「時漏町呪殺事件 明治の新聞記事に書かれた殺人」


 目当ての項目を見つける。筆者は八重ではないが、かつての郷土史部での活動中に、八重からこの事件について少し聞かされていた。

 明治時代、L――県下どこそこ――現在の時漏町が存在する土地で、不審死が相次いだ。警察が調査に乗り出すも一向に犯人は見つからない。そこで夫の死んだ女が村の太夫というまじない師に相談に行くと、太夫はそれは呪いに違いないと言うことであった。女が自宅の中の太夫に教えられた場所を探ると、怪しげな呪具が隠してあった。呪具を見た途端に頭が痛くなった女が気味悪がって呪具をたたき壊すと、翌日村のもうひとりの太夫が死んでいるのが見つかった。これはまじないによる呪殺であるとして、太夫は警察に捕まった。

 という内容の新聞記事が、実際に明治時代に出ている。この項目もそれを踏まえての論考らしかった。

 まず、明治時代の新聞というものは、眉唾ものの記事が多数紙面を飾ったものである――と前置きがなされ、実地調査を行ったところ記事と符合する事件が実際に起きていたことが書かれている。

 太夫という民間呪術師は戦前まではこの町に残っていたという。この論考を書いた昭和四十八年当時の郷土史部の生徒も、父から太夫について聞かされて育ったと記している。

 この事件で起こったことは、太夫の言う「呪詛返し」に該当するものである。呪いをしかけた側が、呪いを暴かれ、しかけを破られると手痛い反撃に遭う。この場合は呪具を家の中に隠し、それによって家に災いを呼び込むというしかけで、別の太夫によって呪具のありかを言い当てられ、女が呪具をたたき壊すという行為によって、呪詛が呪いをしかけた太夫へと返ってきた。結果、呪いをかけた太夫は死に、呪いを見破った太夫は警察に引っ張られることとなった。

 当時の警察に「呪詛返し」の知識があったわけではなく、女に呪いのことを話した太夫が呪いをかけたと判断することが不審死の辻褄合わせに都合がよかっただけであろう――と論は締められている。

 早希は『時漏れ』を鞄の中にしまうと、トイレを出て隼人のもとに急いだ。

 隼人は居間で缶ビールを開けてテレビを見ていた。早希のために用意したであろうコップにはすでにジュースが注がれていたが、この状況で口にする気にはならない。

「おう、どうだ。飲むか?」

 気安い言葉は無視し、単刀直入に訊く。

「最近、体調が悪かったりしない?」

「なんだよ急に。別になんともないけど……」

「家族は?」

 隼人は少し言葉に詰まった様子だった。ちらちらと早希のほうを見ては言うべきか迷っている。

 間怠っこしいが、せっついても仕方がない。逸る気持ちを抑えて隼人のほうから口を開くのを待つ。

「まあ、その、親父が、ちょっとな」

 隼人によると、最近父親がたびたび倒れているのだという。明らかに体調がおかしいのに、医者に行く様子もなく、なにより当人が怯えているくせにどこか諦めているようだという。

 早希は意を決して、再び玄関へと向かうことにした。

 郷土史部にいたころに発揮された、目当ての資料を拾ってくることのできる山勘に似た感覚があった。八重はこれを霊感と称した。早希はそんなわけがないと真に受けなかったが、今は霊感であってくれ、と願っていた。

 玄関という空間に入ると、またあの頭痛が襲ってくる。激痛に声を上げそうになるも、歯を食い縛って目を見開く。

 早希の勘が当たっているなら、ここに、早希の見ている範囲に、何かがある。

「おい早希、どうしたんだよ。顔真っ青だぞ」

 心配したのか、隼人も玄関へとやってくる。鬱陶しいがちょうどいい。

「ちょっと、このあたりに、見覚えのないもの、ない?」

 荒い呼吸でなんとか言葉を吐き出す。早希の指し示した玄関空間を、隼人はだらだらと検分していた。頭痛に耐えきれなくなるまであまり時間はない。

 花の刺さっていない花瓶。土だけが詰まった植木鉢。ぼろぼろになったどこかの郷土人形。中身が半分ほどなくなった板ガムの箱。

 早希は郷土人形を掴んで隼人に見せる。

「これは」

「それは子供のころ旅行にいったどっかのお土産だよ。もう十年は置いてある」

 違ったか。早希はぐらんぐらんと揺れる視界の中、花瓶の口を真下にひっくり返す。中からは枯れて粉のようになった葉っぱのくずが落ちてきた。

 またハズレ。板ガムの中身を全部引っ張り出したが、ガム以外のものは入っていない。

 となると――植木鉢を抱えて、早希は玄関のドアを開けた。玄関から外に出ても、頭痛は引いていかない。

 凄まじい苦痛だったが、どうやら当たりを引いたらしい。早希は表のアスファルトの端に、植木鉢を叩きつけた。

 派手な音を立てて割れた植木鉢から土が散らばる。この道路は幅が広い割に交通量が少ないが、急いだほうがいいだろう。依然頭痛は引いていない。土の中に躊躇なく手を突っ込んで、なにか入っていないかと探る。やがて指先がかさかさとしたものに触れた。

 取り出すと、丸められた紙だった。開いて見ると、早希は思わず声を上げてしまう。

 古い新聞だった。旧字体や旧仮名遣いばかりで、一見すると読みにくい。だがその内容を知っていた早希は、すぐにこれがなんなのか理解した。

 明治時代の、時漏町呪殺事件の新聞記事。

 内容を読むと、さらに頭痛は増していった。

「マッチか、ライター! すぐに!」

 家の中の隼人に向かって声を張り上げる。混乱した様子の隼人がそれでもマッチを持ってくると、早希は四苦八苦しながら火をつけ、古新聞を燃やす。

 新聞が灰になったころには、すっかり頭痛は治まっていた。

 一気に力が抜けて、早希は玄関の上がりがまちにへたり込んだ。

 この家には呪いがかけられていた。言葉にすると馬鹿げているが、おそらく間違いない。

 呪具をしこむのではなく、過去に起こった事件が記された新聞をしこむ。妙な行為に思えるが、意図するところはなんとなく掴めた。

 この土地に根づいた過去。その文脈を掘り起こす。これはそういう術なのだ。

 時漏町では過去に呪殺事件が起きている。その事件自体の真相はともかく、呪殺として記事になった過去は確かに残っている。

 過去を現在に呼び出す――呪いを再現するために、事件の新聞記事を呪具の代わりに家の中にしかけておく。新聞記事が触媒となり爆弾となり、この家に本当に呪いを招き入れる。

 悪趣味だとは思いつつ、どこか納得してしまう部分があった。

 きっと、八重の姿をずっと見てきたからだ。

 歴史などない町の歴史を編んできた八重は、歴史の重みと危険性を誰よりも知っていた。その気になれば、八重にだって同じことができるのかもしれない。そう考えてしまうほど、この呪いのしかけは郷土史部としての早希に強く訴えてくるものがあった。

 家の前の道路に散らばった植木鉢の欠片を拾い集めていた隼人が、急に背筋を伸ばして身体を起こした。視線が遠くを向いている。

 誰か来たのか。それにしては隼人の反応が妙だ。凍りついたように視線が動かない。

「堀川――」

 早希が表へと出て隼人に声をかけると、すぐ隣に黒い影が立っていた。

 隼人は動かない。動かないことがおかしい。なぜなら隼人のすぐ目の前に、黒い影は立っていたからだ。

 凍りついた視線。それが眼前の影に完全に固定されている。ここまで近寄られているのに、隼人は身じろぎひとつしない。

 すっ、と黒い絹の手袋が早希の顔に迫る。

「危ないところでしたね。あなたに用意された飲み物には睡眠薬が盛られていた。口にしなかったのは賢明でした。その男はどうやらあなたの身体が目当てのようですから、不要に傷つけるのは私の本意ではありません」

 何か抵抗をしようとしたはずが、黒の手袋で視界を覆われるとあっという間に意識が遠のいていった。

「まあ、結果は同じことですが」

 倒れた早希の身体を受け止めた黒ずくめの女――朱鷺沢未来は玄関に早希を寝かせると、彼女の手荷物らしき鞄の中を検める。

 古びた冊子――『時漏れ』を見つけた朱鷺沢は、中に素早く目を走らせる。目当ての一節を見つけると、早希の身体を抱えて家の前で待たせてある車に乗り込んだ。

 これからたっぷり時間をかけて、式を組み立てることになる。

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