レジェンドコンサルタント
久佐馬野景
1 死にゆく町
町は近いうちに死ぬ。
どこを見ても同じである。国の人口は順調に減っている。ようやく生まれた子供たちも、成長すれば町を出て都会へ行く。
残るのは土地に縛られた老人か、やがて老人となる者たちだけ。死んでいく町に残っただけで、ひとはあっという間に老いる。
みな、それを理解している。死にゆく町に残ったところで、益となることなど何もない。だから子供たちが外へ出ていくことを引き留める親はいないし、むしろ外へ出ていって胸を撫で下ろす。
自分たちが「若い衆」などと呼ばれている時点で、もう先はない。
威勢のいいかけ声はない。今日はただ、一年間倉庫の中で眠っていた神輿を神社の境内に迎え入れ、神主が祝詞を上げるだけだ。それが終わればまたすぐに倉庫の中に引き返す。
五十も半ばを超えた新島がしまったと気づいたのは、一人息子が東京の私立大学に進学し、そのまま就職してまったく帰ってこなくなってからだった。
盆にも正月にも顔を見せなければ連絡もよこさない。最初の一年は顔を合わせたら絶対に怒鳴って説教をしてやると日々憤然としていたが、やがてその怒りの炎も消えてしまった。
むしろ息子のほうが正しいと、理解できてしまっていた。
日に日に人口の減っていく町。赤ん坊の泣き声や、幼い子供たちの出す騒音を聞かなくなってどのくらい経っただろう。老人たちは元気に満ちあふれて毎日のように公園で集まっているが、一年で顔ぶれががらっと変わっている。
毎朝町中の細い道路を、何台ものデイケアの送迎車がぐるぐると回っている。公園に行くことができなくなった老人たちは日帰りの施設に集められ、そこで英気を養う。介護を受け持つ職員の中には新島よりも年をとった者が何人もいる。
ゆっくりと、丁寧に、ぞっとするほど穏やかに、町は死んでいっている。
それを少しでも紛らわせるために――今の新島には代々続いてきたこの祭りも、その程度にしか受け取ることができない。
神主――新島の中学時代に一学年上の先輩だった
幣束を振るい、丁重に礼をして早川が下がる。すると無言で「若い衆」たちが神輿を担ぎ、きた道を引き返して倉庫へと神輿をしまいに向かう。
「新島さん、肩、大丈夫っすか?」
無事神輿を安置して倉庫から出た新島に、不必要に明るく、若さを滲ませた声で
そう、心配ではない。ただ軽薄な話をしたいだけだ。新島より二十も若い西原はその年代にしては珍しくこの町に残った広義の若者だった。それでも三十路を越えているのだが、本人としてはまだまだ若いつもりらしく、その言動にはどこか不遜さが出てしまっている。
「ああ。酒を飲んだら元気になるよ」
これから打ち上げとして公民館で宴会が催される。自分たちの支出した組合費から出ているとはいえ、気分的にはタダ酒にありつける。肩の痛みからくる憂鬱さは確かに晴らしてくれるだろう。
「じゃあ、ちょっと話があるんすけど。
「おいおい、
市役所職員の橋本誠也は西原の幼なじみの悪友だ。公務員になって少しはまともになったと安堵されているが、それでも素行の悪さは相変わらずらしい。
「いや、呑みも仕事っしょ? あいつ去年配置換えになって、いま観光課なんすよ」
んじゃあとで――と言って、西原はほかの「若い衆」たちのほうへと駆けていった。
ただ、その分不要な諍いも起きやすい。祭りはどうしても血を騒がせる。むしろそのためにこそ祭りはある。真夏の炎天下、酒を一気飲みしながら神輿を担ぐ男たちは、ほんの些細なきっかけで衝突する。
そう考えると、この公民館での宴会のなんと平和なことだろうか。新島は隣の地区の老人たちに酌をして回りながら、本番もこのくらいの和やかさですめばいいのだがと乾いた笑みをこぼす。
「新島さん、飲んでます?」
西原と橋本のふたりが手酌でひと息吐こうとした新島の両側からやってきて、ビール瓶をひったくると手の中のプラスチックのコップになみなみと泡の多いビールを注いだ。
新島は礼を言ってひとくち飲む。すでにぬるくなっていたが、文句は言わない。
「そういえば、何か話があるとか」
ふたりの話など別にどうでもよかったのだが、こうも絡まれては話題にしないわけにはいかない。
「そうなんすよ。じゃあ公務員、きっちり説明せい」
「うるせえわ。すんません新島さん。俺、去年から観光課に配置換えになったんすけど」
西原から聞いていると頷く。
「時漏町の祭りを、観光資源化したらどうか――って、話が出てるんすよ」
新島は思わず笑ってしまった。
「いやいや、それは無理じゃないか? 確かにこの祭りは俺たちの誇りだよ? でも、特に派手でも珍奇でもない、ありふれたお祭りじゃないか」
それに加えて近年は暴排条例の影響を受け、出店が目に見えて減っており、それを目当てにしていた近隣の町からの人出も減っている。
「それが、そうじゃなくなったとしたら、どうです?」
新島は首を傾げる。
「なんだい。いまさら祭りに手を加えてみるのか? 盛り上がるのならいいが、年寄り連中が承知しないだろう」
橋本は浮ついた笑みのまま、違います違いますと手を横に振った。
「伝統は大切ですよ。伝統こそ、日本の、時漏町の誇りです」
「まあ、長くは続いてる祭りだが――」
それでも遡れて戦前がいいところだろう。新島は中学生のころ、自由研究でこの祭りについて調べたことがあった。
わかったことは、この祭りは時漏町特有のものではなく、同じ県内の有名な祭りから細部を受け継いだ、「借り物」の祭りであるということ。
そしてその歴史が、昭和からのものであるということ。
昭和と聞くと新島は新しいものだと感じてしまうが、それでも昭和元年は九十年以上も昔のことである。だが世間に染みついたイメージはなかなか拭えない。西原や橋本にとっても、昭和は自分の記憶にはないが、歴史的というよりは最近のものだという感覚だろう。
令和になったばかりでは、日本人はまだ昭和に伝統を見出せない。
おかしな話だとは思う。あと百年経てば、現代は百年前になる。そこから始まった文化や流行が、伝統となることを誰も考えもしない。その感覚が延々続いてきているからこそ、昭和は今でもついこの間の出来事となっている。
だが、たとえば三百年の伝統のある祭りがあったとして、それは三百年前のその時に、初めて行われたものであることは間違いないのだ。
その時というのは、当時を生きる人々にとっては紛うことなき現代であったはずなのである。
だけど、この時代を生きる人々は、それを昔話や物語として受け取ってしまう。
言ってしまえば、伝統などというものは十年でも三百年でも、大した差はない。
ただ、目に見えなくなるほどの時間というものが、その事実を覆い隠してしまう。
伝統などという言葉を金科玉条のように掲げるのは、伝統に目がくらんでしまった者でしかない。
だから――新島は橋本の言葉に、いやな予感を覚えた。
「伝統があるんです。この祭りには、伝統が」
酔っているのか――橋本の笑顔に合わせて、西原も笑っている。
「俺たちの知らない伝統は、まだまだあるんですよ。再発見です」
「それは、地域の歴史を調べてみるということかい?」
「ンなめんどいことはしないっすよ。再発見さえできればいいんです。それをやってくれる、先生がいるんです」
橋本はスマートフォンを取り出して、SNSのプロフィール画面を表示した。
プロフィールには様々な著書のタイトルが羅列され、肩書きは「作家」「ライター」「民俗学者」「地方創生アドバイザー」などが並べられていた。
名前――あるいはペンネーム――芸名は、
「いま、『書いて』くれてるところです」
「書くって……なにを?」
橋本は無邪気な顔で笑って、
「この祭りの伝統を、ですよ」
と言った。
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