【短編】3分でスッと読めちゃう短編集
遠見 翔
人生の終わりに
―――あなたが死ぬ時に見たい景色ってどんなもの?
冬のある日。
この日は珍しく冬の寒さを忘れ、春のような日差しが差し込んでいる。
待ち侘びる春の暖かさを思い出すような日だった。
私のお気に入りの場所はこの庭園の中心だ。
円形に色とりどりの花を敷き、その中心に小さなベンチと机を一つ。
感じるものは、太陽と、風と、花の香り。
そして葉っぱ同士がぶつかる音。
五感の全てを総動員して、自身を自然と一体化させる。
―――気持ちがいい
空を仰げば突き抜けるような晴天。
目を瞑り。肺いっぱいに空気を吸い込む。
スッと、春の匂いが鼻腔をくすぐり、体全てが高揚に身を震わせる。
息を吐き、細やかな幸せを堪能する。
「はぁ………」
自然と息が漏れる。
気持ちが落ち着いたところで、紅茶を一口啜る。
アールグレイの仄かな香りと、舌の上を踊る味わいが心をくすぐる。
こんな日常がずっと続けばいいのに。
私はそう願って今日まで生きてきた。
だがそれも今日で終わりなのだ。
私はこの場所を離れなければいけない。
長くて生きてわかったのだが、この世界には絶望も幸福もなかった。
見つけたものは、この庭園から見たものだけ。
私の全てはここにしなかったのだ。
働くことに意味を見出せない。
愛を育むことに慈しみを覚えなかった。
眠ることで自分を変えることはできなかった。
”生きる”ことを放棄していた私だったが、世間は私を必要としていたのだ。
私の仕事をは絵を描くこと。ただ見ている風景を描くだけの画家だ。
我らの母、大海原を紅く燃える日のように表現した。
我らの父、大地の木々を黄金のように表現した。
我らの子、大空を黒く染め濁り切った闇のように表現した。
そんな絵画たちは万民の心を掴んだようだった。
皆、口を揃えて言うのだ。
”命が宿っている”
天才だと。
そんなことはない。
私はただ見たものを、聞いたものを、感じたものをそのまま絵にしただけのだ。
それなのに ”彼が見ている世界はどれも色づいてる” だとか ”輝いてるいる” だの勝手に決めつけている。
はた迷惑な話だ。色を付けただけの紙から私の何を知ったというのか。
”彼は素晴らしい人間だ”
”彼の見ているものを私も見たい”
それなら、私が見ているものを見てみるか? と問いたい。
海の青は真っ赤に染まっている世界が?
山々の緑が黄土色に見える世界が?
広がる空のどす黒さが?
―――なにが素晴らしい世界か。
自分の持っている感性が他人とズレている絶望を知っているのか。
画家になるまでは異端だの、気味が悪いだと言い続けられた。
”違うもの”を排斥しようとする意思は、私を孤独にしていった。
孤独になったものは、どうやって生きていけばいい?
悩み続け、日々は絶望の底の暗闇だった。
その中で一筋の光明をみたのだ。
見たものは、一つの絵。
色使いも、テクニックもない。
ただそれは
―――黒一色で塗りつぶされたものだった。
私はかつてない衝撃を受けた。このようなもので金が得られるのか。
人に認められるのか。
自分を表現できるのか。と。
そうと知った私は、すぐに筆をとった。
まずは、簡単に家の中の物を適当に描いてみた。
私としては、見るに耐えない吐き捨てるような落書きだったのだが、その絵を買いたいという酔狂な人物が現れたのだ。
その人物は”松永”と名乗った。彼は私を認めてくれた初めての人だった。
彼は私の落書きをみて一言、こう言ったのだ。
「―――クソみてーな世界だな」
その一言で私の心は救われた気がしたのだ。
それから松永が生涯の友になるのにそう時間はかからなかった。
松永は私の絵を企業に売ったり、個展を開いたりと、私のサポートに尽くしてくれた。
なぜ私を助けてくれるのかと問いたことがあるが、終ぞ答えは貰えなかった。
そして松永の甲斐あって、私は世界に認められたのだ。
その時は嬉しさのあまり、涙の枯れた眼球から涙が溢れた。
それから少しの間は束の間の幸せを噛み締めた。
しかし、私が画家として成功してから、私を異端だの罵った奴らが掌返してきた。
”お前は大成すると思ってたよ”
”お前はすごいやつだと確信してたんだ”
なので、絵を描いてくれないか? サインをくれないか? お金を貸してくれないか?
私はそれらの言葉を聞いたとき、心の中にどす黒いものが渦巻いたのだ。
黒色の感情は、新たな感性を与えてくれた。
それまでは世界をありのまま描いていたが、それからは世界に感情を投影してみよと勝手に手が動いたのだ。
キャンバスに筆が走る。
私の意思とは無関係に止まることはなかった。
食べることも、眠ることも気にならなかった。
命が削れていく感覚すらも絵に込めた。
そして出来た作品は私の最高傑作として世間が言うのだ。
絵の価値はつけられないと、歴史に名を残した巨匠が現代に産み落とされたのだと。
そのことがきっかけになり、私は生きた国宝として呼ばれ始めた。
絵は飛ぶように売れ、いつしか巨万の富を手に入れていたのだ。
だが、私に富の使い方は分からなかった。
欲しいものなど何もないのだ。
であればと、松永は世界を見てこいと言ったのだ。
世界を知れば、なにか欲しいものが見つかるだろうと。
今まで自分の国から出たことがなかった私は、松永の言葉を信じて世界に足を踏み出したのだ。
訪れた街は数知れず、1年の時間を使い世界中を巡った。
ただどの街を訪れても、どの国を訪れても、私の芯を揺さぶるようなものはなかった。
しかし、最後に訪れた国のある森の中で私は運命と出会ったのだ。
どこだったか、郊外にある寂れた森の中にそれはあった。
木々が織りなす天然の要塞がそれを守り、川の流れがその存在を孤立させている。
その中心には公爵が住んでいるような大きな屋敷があったのだ。
鉄柵はすでに錆て、風と雨に吹かれて所々は風化していた。
門を守ってきた鍵はボロボロで叩けば壊れるような風体だったが、いなくなった主人を待つように未だに堅固にその働きを全うしている。
私はその鍵を壊すことは躊躇った。
なので他に入口はないかと、屋敷の外周を回ってみたところ、使用人ようの入口らしきものがあったのだ。
失敬と一礼して、屋敷へと足を踏み込んだ。
屋敷の中は、手入れする人がいなくなってかなり経つようだった。
ボロボロになった壁に、ひび割れた窓。
至るところには蜘蛛の巣がはられている。
ゆっくりとした足取りで屋敷を散策していると、少し開けた場所に出た。
屋敷の構造上、中庭のようなものがあってそこに繋がる道なんだろうと予想ができたので、その場所へと向かった。
そうすると、木で出来た私の身長より高い門にぶち当たった。
固くなった門を力の限り押してみると、ぎ、ぎ、ぎと音をたてて。少しずつ開いていく。
重たいを門を開け放った先には、輝くような光景が飛び込んできた。
さざめく風が開かれた門を通り抜ける。
風とともに、いままで生きた私を洗い流していくようだった。
風が止み、顔を覆っていた手をどけると、目を凝らし、―――瞬きを忘れた。
息を呑むことすら忘れる衝撃は忘れられない。
色取りの花と、芸銃的なまでの自然との調和。
この世界の美全てがこの中庭にあったのだ。
気がつけば日暮れまで私は立ち尽くしていた。
私は国に帰り、目に焼きついた庭を元に私は、庭園を作り上げた。
得た富を惜しまず使ったがあの庭の全てを再現することはできなかった。
あの日、あそこで見た光景だが私に ”正常” を教えてくれたのだ。
本来の色で、本来の姿で、本来の形で。
空は青く、木々は緑で、花の色の多彩さを。
そして今、この庭園であの忘れ去られた庭を描いてる。
この作品が私の最後のものだろう。
筆を待つ手が震える。内臓はぐちゃぐちゃで活動してる部位を探すのが大変だと医者が言っていた。
この庭も、あの庭のように静かに居なくなった主人を待つのだろうか。
松永もこの世を去って10年が経った。
私も歳だ。寿命だ。
さぁ最後の輝きはこの絵に込めよう。
―――私の人生の全てをここに。
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