第37話「王子様」

 午後の授業も終え、ようやく下校の時間がやってきた。

 結局あれから、トイレへ行く際クラスメイトに少し聞かれた程度で、特に有栖川さんとの事で問題等は起きてはいないのであった。


 だから俺は、今日はさっさと帰るに限るだろうと思い急いで教科書を鞄へしまう。



「有栖川さんも一緒に帰ろうー!」


 そして、やっぱり有栖川さんの事を気にかけてくれているのか、橘さん達が一緒に帰ろうと有栖川さんを誘っていた。

 だから俺は、これなら有栖川さんも大丈夫そうかなと思い、予定通り今日の所はいつも以上にさっさと帰る事にした。


 しかし席を立つと、隣の席の有栖川さんがじーっとこちらを見てきている事に気が付く。

 その視線に振り返ると、そこにはまるで捨てられた子犬のような表情を浮かべながらこっちを見てくる有栖川さんの姿があった。


 ――え、何!?


 その予想外の展開に、俺はただ驚くしか無かった。

 そして俺と視線が合った事で有栖川さんは、更に引き留めるような視線を強めてくる。



「……うん、帰ります」


 だがその視線とは裏腹に、橘さん達の誘いに応じる有栖川さん。

 それから席を立つと、物凄く名残惜しそうにしながら橘さん達の輪へと加わって行ったのであった。


 ――いや、マジで何だったんだ……


 こうして一人残された俺は、そんな有栖川さんの後ろ姿が見えなくなるまで見送るしかなかったのであった――。



 ◇



「なぁ、一色」


 有栖川さんを見送ったあと、とりあえず俺もさっさと帰らなければと思ったその時だった。

 クラスの男子集団が、俺の席を取り囲むようにやってくると声をかけてきた。


 その理由なんて、聞かなくても分かる。

 勿論それは、有栖川さんに関しての事だろう。


 そんな突然訪れた状況に少し驚いたが、俺は積極的に友達と行動を共にしていないだけで、別にクラスで浮いているとかそういうわけでもないし、彼らは全員友達だから変な心配はしていない。



「一色、お前どうやって、その、有栖川さんと仲良くなったんだ?」


 そして、集団を代表して話しかけてくるのは矢田隼人やたはやとだった。

 矢田と言えば、橘さんが女子代表なら矢田は男子代表みたいな皆から人気のある奴である。


 髪は少し茶色に染めており、所属するバレー部では一年の頃からレギュラーという運動神経も良い王子様系イケメンだ。

 でも、そんな矢田は誰に対しても分け隔てなく接してくれる、一言で言えば普通に良い奴というのが俺の中での印象だ。


 だから俺は、そんな矢田までこの輪に加わっている事には少し驚いた。



「いや、街でたまたま会ったんだよ」


 まぁとりあえず、遅かれ早かれこんな事態になる気はしていたため、諦めた俺は素直に答える事にした。

 だって別に、疚しい事なんて一つも無いのだから――いやまぁ、漫画借りにうちへ上がった事がある件については、絶対に言わない方がいいだろうけど。



「いや、あの有栖川さんとたまたま会って仲良くなるってなんだよ!」

「そうだぞ! 俺なんか一年の時声かけただけで拒絶されたんだからな!」

「俺もだ! あの冷たい目で無理ですの一言だったんだぞ! あれはあれで良かった!!」


 しかし当然、俺のそんな説明では納得できないと他の皆から声が上がる。



「待って皆、今は帰ろうとしてる一色を呼び止めてるんだし、俺もこのあと部活があるからそういうのは今は止めて欲しい。……ごめんな、一色」

「いや、まぁ、大丈夫だけど」


 皆から沸き上がる心の叫びを、一言で制してくれた矢田。

 そして、ちゃんと俺に迷惑かけている事を承知してくれてもいるようで少し安心した。


 こんな風に落ち着いて接してくれれば、別に言える範囲では受け答えしようという気にもなる。

 やっぱり矢田は良い奴だよなと思いながら、俺はそんな矢田からの質問を待った。



「街でたまたま会っただけじゃないんだろ?」

「ああ、ちょっと情けない話なんだけどさ」

「うん、聞かせて」

「その、俺って実は小さい頃から犬がめっちゃ苦手だったんだよ。それで、街でたまたま会った有栖川さんは犬の散歩中でさ、しかもその飼い犬が俺に向かっていきなり吠えてきたんだよ。だから俺、めっちゃビビっちゃって変なリアクションしたらさ、それを見た有栖川さんが堪えてた笑いを吹き出したんだ」


 うん、本当にあの時はビビったし、吹き出すように笑われたのは普通に恥ずかしかったな……。


「それがキッカケと?」

「ああ、それがキッカケで、たまたま席も隣だし、いつも一人の有栖川さんが困った事があればフォローするような関係になってたんだ」

「……成る程。まぁ嘘を付くにしても具体的過ぎるし、それはきっと本当なんだろうな。ちょっと信じられないけど」

「信じられないって?」

「だって俺、彼女が笑ったところなんて一度も見た事が無かったからさ」

「でも最近は橘さん達といる間よく笑ってるだろ?」

「そうだな。でも、今の話を聞いて何となく分かったよ」

「分かった?」


「ああ、きっと有栖川さんが変わったのは、お前のおかげなんだろうなって」


 そう言って嬉しそうに笑う矢田は、何ていうかやっぱりイケメンだった。

 それは表情の話だけでなく、有栖川さんが良い方向に変わってきている事を本当に嬉しそうに笑ってくれているからだ。



「正直に言えば、俺や皆は有栖川さんに対して興味がある。勿論、異性的な意味でな? でもそれ以上に、教室で一切笑う事の無かった彼女があんな風に変わっている事に、俺は良かったなって安心してたんだ」

「――そうだったのか」

「ああ、だからさ一色。俺が言うのも変な話なんだけどさ……これからも有栖川さんの事、宜しく頼むよ」


 まぁ話はそれだけだと言って、それから矢田は皆に解散を告げて部活へと向かって行った。


 ――なんだよそれ、どこまでイケメンなんだアイツ……


 そんな矢田の振舞いに、やっぱり天は二物も三物も与えるんだなと素直に感心してしまう自分がいた。


 そして、そんな矢田のイケメン過ぎる振舞いは周囲へも影響し、それ以上俺に対して根掘り葉掘り聞いて来ようとする者はいなかったのであった。


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