第36話「距離感」

 一限の数学が終わった。


 ちなみに有栖川さんはというと、結局近藤さんに課題の答えを大慌てで写させて貰う事で何とか事なきを得ていた。

 一生懸命課題を写す有栖川さんの姿を、三人が楽しそうに見守っていた光景はちょっと面白くて、何だかいいなと思ってしまった。


 そして授業が終わると、やっと終わったとばかりに一度大きく伸びをした有栖川さんは、何だかやり切ったような表情を浮かべていた。

 でもまだ一限だし、課題だって写させて貰っただけで本当は駄目だと思うのだけれど、本人的には完全に戦い抜いたといった様子だった。


 そして、いつもなら難攻不落の仮面をつけたまま大人しくしている有栖川さんなのだが、もうその必要も無いため伸びをし終えるとこっちを振り向いてくる。


 そして、俺の方を向いてニッコリと微笑みながら話しかけてくる。



「一色くん一色くん! 次の授業なんでしたっけ?」


 そして口にした言葉とは、まさかの次の授業が何かの確認であった。

 課題をやっていなければ、次の授業もよく把握していない有栖川さんに、俺は思わず笑ってしまう。


 本当に、教室での自由が利くようになった途端これである。

 しかし、そんな風に今日もマイペースにポンコツをしている有栖川さんを見ていたら、何だか安心してしまっている自分がいる事に気が付く。


 ――うん、まぁこれなら大丈夫そうだな


 そんな有栖川さんを見ていると、有栖川さんのこれからを心配する事自体がただの杞憂だと思えてきた俺は、笑いながら返事をする。



「次は国語だよ。ついでに国語も課題出てたけど覚えてる?」

「ふぇ!? えっ? 本当に!?」


 俺の言葉に、またしても驚く有栖川さん。

 どうやら、数学は忘れていた事を思い出せてはいたようだが、国語に関しては課題が出ている事を全く覚えてもいなかった様子で、どうしようと慌て出す有栖川さん。


 ……まぁそれもそのはず、国語の課題が出ているって話は俺が今考えた嘘だから、知るはずもないのだ。


 慌てた有栖川さんは、教科書を開いて課題が何だったか必死に思い出そうとしていた。

 そんな光景を見ながら、まぁこれで多少は良い薬になったかなと思った俺は、そんな有栖川さんにネタばらしをする事にした。



「嘘だよ。国語は課題出てないよ」

「ふぇ?」

「だから嘘だよ。有栖川さん、もうちょっとちゃんと授業は聞いておこうね」


 俺がネタばらしをすると、有栖川さんは「良かったぁ~」と一言安堵の溜め息をつく。

 そして反省はしているようで、少し項垂れながら首をコクコクと縦に振って応えるのであった。


 本当に、普段は無表情で凛と澄ました雰囲気を放っていても、実態はちゃんと授業を聞いても把握してもいないのだ。

 これはもうギャップなんてレベルじゃないよなと、そんな有栖川さんには悪いけれどやっぱり笑えて来てしまうのであった。



 ◇



 午前の授業が全て終了した。


 終了のチャイムと共に、やっと終わったといった感じで伸びをする隣の席の有栖川さん。

 結局一限から四限まで、毎回こうして伸びをしている。

 そしてやり切った表情を浮かべながら、有栖川さんは嬉しそうに鞄からお弁当を取り出すと、そのまま机の上で広げ出した。


 もうすっかり教室内で弁当を食べるのが当たり前になった有栖川さん。

 そして、もうその事を気に留めるクラスメイトもいなくなっており、気付けばすっかり馴染みの光景になってるよなと思いながら俺も自分の弁当を鞄から取り出した。


 ズズズ――


 そして、俺は俺で疲れた脳へ糖分を送るべく、自分の弁当の蓋を開ける。


 ――お、今日は唐揚げ三つ入ってるじゃんラッキー!



 ズズズ――



 こうして今日も、自分の席で一人弁当を食べながら俺は午前中の出来事を思い出す。

 今日は有栖川さんと、教室内で会話をするという我ながら凄い行動を取って見せたのだが、これと言って周囲からその事を問い詰めるような事にならなかったことに俺は一安心していた。

 よく漫画やアニメだと、こういうヒロインに急接近した主人公がクラスメイトに尋問されるシーンとかを目にするのだが、どうやら現実は思ったよりドライだったようだ。




 ズズズズ――ズズッ




「……えっと、有栖川さん?」

「はい?」

「いや……その、さっきから机……」

「あ、気付きました? 少しずつ近付いてみました!」


 堪らず俺が声をかけると、まるで悪戯がバレた時のように可笑しそうにコロコロと笑い出す有栖川さん。

 そして隣を振り向けば、いつもの距離感に比べて有栖川さんの机が近づいて来ているのであった。


 その距離にしてみて、おおよそ30センチとかそんなものだろうか。

 しかし、その1メートルにも満たない距離の縮まりに、俺は途端に恥ずかしくなってきてしまう。


 だがそれは、有栖川さんのような美少女と近付いた事に対するドキドキとかそういう訳では無かった。

 じゃあ何故かと言えば、俺はきっとこんな風に有栖川さんから距離を縮めて来てくれている事が嬉しくて、そしてその事に対してドキドキしてしまっているのだと自分でも分かった。



「あれー? 今日何だか二人距離近くね?」

「あ、本当だヒューヒュー」

「いやヒューヒューっていつの時代よー」


 そしてそこへ、橘さん達三人もやってくるといつも通り周りの席へと腰掛ける。



「で、有栖川さんはどうして一色くんに近付いちゃったのかにゃ?」


 そして橘さんからの少しおちょくるような質問に、有栖川さんは恥ずかしそうにその頬を赤く染めながら口を開く。



「そ、それはですね……」

「うん、それは?」


「えっと……言われてみると、自分でもよく分かりません……」



 そしてどんな答えをするのかと思えば、理由は分からないと答えた有栖川さん。


 つまりは、自分でも分からないけれど俺に近付いてきたと。

 そんな有栖川さんの回答に、当然俺も分からな過ぎて頭にクエスチョンマークが浮かんでしまう。

 本人が分からないのなら、他人である俺に分かるはずもないのだから。


 しかし橘さん達三人は、そんな有栖川さんの回答に対して何かを悟ったように悪戯な笑みを浮かべているのであった。



「そっかそっか、分からないか。――うん、今日も可愛いね」

「え、あの!」


 そして納得したように、うんうんと頷きながらそんな有栖川さんの頭を可愛がるようになでなでする橘さん。

 そんな橘さんの行動に、有栖川さんは顔を赤くしながらあわあわと慌ててしまっており、そんな二人のやり取りに俺は勝手に尊さみたいなものを感じてしまうのであった。


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