第31話「散歩」

「急なお願いでしたが、有難うございます」

「いや、いいよ。このぐらいお安い御用さ」


 そんな会話をしながら、俺達は近所の通りを一緒に散歩をする。


 何だか照れ臭かった俺は、会話を逸らすように「それにお前も散歩したかったもんな」とケンちゃんに声をかけると、俺の言葉に反応するように一回キャンと嬉しそうに吠えるケンちゃん。


 ――なにこれ、可愛すぎんか……


 そんなケンちゃんの愛くるしい姿に、思わず表情が緩んできてしまう。



「そうだ、一色くんも持ってみます?」

「え?」

「ケンちゃんなら小型犬ですし、お利口さんなので大丈夫ですよ」


 そう言って、手に持つリードを差し出してくる有栖川さん。

 だから俺は、ちょっと戸惑いつつもせっかくだからとそのリードを握ってみる事にした。


 すると、握ったリードからは隣を歩くケンちゃんの振動が伝わってくる。

 その事が、今本当に俺は犬の散歩をしているんだという実感となり、昨日に引き続き俺はまたしても進歩してしまっているのであった。



「……俺、今本当に散歩してるんだよね」

「ええ、散歩してますよ」


 そして、そんな感動する俺の事をフォローするように、一緒に喜んでくれる有栖川さん。

 これはもう、もしかしなくても母さんの言う通り天使に違いない。


 そんな事を思いながら、二人と一匹で人気の無い夜の道を一緒に散歩する。

 しかし、こんな風に有栖川さんと一緒にプライベートを過ごしている状況は何て言うか、もう緊張こそしないもののやっぱり違和感があるというか、昼とは違い涼しい夜風も相まって、今が普段とは違う特別な時間なのだという事を実感させられる。



「あ、そう言えば今日はどうだった? 橘さん達と寄り道したんでしょ?」

「ええ、楽しかったですよ! 皆さん良い人達で、私が困らないようにずっと話しかけてくれました」


 ふと思い出して今日の感想を聞いてみると、有栖川さんはふんわりと微笑みながら楽しかったとその時の出来事を簡単に話してくれた。

 そんな風に、俺の関与していない所でも友達ともう上手くやれている事に、俺は何とも言えない安堵感に満たされる。


 ――この調子でいけば、もう大丈夫そうだな


 有栖川さん自身、本当はこんなに素直で良い子なのだ。

 だからやっぱり、キッカケさえあればあとは時間の問題だろうと思っていたのである。


 ――そうなれば俺も、お役御免かな


 そう、有栖川さんが周囲と上手くやれるようにさえなれば、わざわざ男子の俺があれこれフォローする必要も無くなるのだ。

 だからそうなれば、きっと自然に有栖川さんは離れて行くだろう。


 それが寂しくないと言えば嘘になる。

 今だってこんな風に頼られている事は嬉しいし、こうやって一緒に夜の散歩をするのも正直めちゃくちゃ楽しい。


 ただ、それでも俺は、もう一人で周りに壁を作っている有栖川さんには戻って欲しくは無かった。

 今も隣で微笑んでいる有栖川さんの姿の方が、俺はやっぱり好きだから――。


 だから、私生活の中でもそんな風に笑って過ごして貰いたい。

 そのためなら、俺が身を引くのも構わないと思っている。


 ――でも、せめてその時が来るまでは今のままでいたい


 しかし、そんな事を願ってしまう自分もいるのであった。



「夜風が涼しいですね」

「うん、でももうすぐ暑くなってくるんだろうね」

「そうですね、そしたら夏休みも来ちゃいますね……」

「ん? どうして? 夏休みが嫌なの?」

「いえ、休みは大好きなんですけどね……」


 何故か表情を曇らせる有栖川さん。

 しかし、この世に夏休みが嫌いな人なんているのだろうか?


 それに有栖川さんのその性格上、きっと休みは人一倍大好きだと思っていた。

 けれど、言葉とは裏腹に表情を曇らせてしまった有栖川さんは言葉を続ける。



「……夏休みになったら、一色くんや皆さんに会えなってしまいますから……」



 もじもじと恥ずかしそうに、理由を語ってくれた有栖川さん。


 そっか……そんな風におもってくれてたのか。

 確かに、学校という共通の場所が無くなってしまったら会う機会は減ってしまうだろう。


 けれど、それはあくまでただのクラスメイトの場合の話だ。

 俺や橘さんは、もうそういう域ではない。だってもう、俺達はれっきとした友達だから。


 そして俺は、有栖川さんがそう思ってくれている事がとにかく嬉しかった。

 これまでずっと一人だった有栖川さんが、大好きな休み以上に俺や橘さん達と離れる事の方が嫌だと思ってくれているのだ。


 友達として、こんなに嬉しいことは他にないだろう。

 だから俺は、そんな有栖川さんを安心させるようにすぐに返事をする。



「――大丈夫だよ。別に休みの日だって、こんな風に一緒に散歩したり出来るし、漫画だっていつでも貸すからさ。きっと橘さん達だって同じさ」


 そう俺が返事をすると、嬉しそうにふわりと微笑む有栖川さん。

 その表情だけで、俺の返事を嬉しく思ってくれている事が伝わってくる。



「いいんですか? すぐ借りにいっちゃうかもですよ?」

「いいよ」

「散歩だって、すぐお願いしちゃうかもしれません」

「いいさ、ケンちゃんにも会いたいしね」

「そうですか――」


 俺が全部許容すると、有栖川さんは突然立ち止まった。

 そして振り返ると、そこにははにかむ有栖川さんの姿があった。



「有栖川さん?」

「――一色くん、ではお願いがあります」


 そう言って有栖川さんは、立ち止まる俺の目の前まで距離を詰めてくる――。



「夏休みと言わず、休日も私と遊んで貰えませんか?」



 そして有栖川さんは、ニコッと微笑みながらそんな言葉を口にした。



「――休日も、ですか」

「はい、だって――」

「だって?」

「だって私、もっと色んな漫画読んでみたいんです!」


 一体何を言われるのかと思ったら、理由はまさかの漫画を読みたいからであった。

 そんなまさかの返事に、俺は別に何かを期待していたわけではないが思わず拍子抜けしてしまった。


 ――でも、それでこそ有栖川さんだよな


 うん、だからこれでいい。むしろ、これで良かった。


 そう思った俺は、そんな有栖川さんに笑って返事をする。



「いいよ、まだまだ色々あるからさ」

「本当ですか? やった!」

「にしても、すっかり漫画にハマっちゃったんだね」

「はい! お借りした漫画はどれも本当に面白いです。それに――」

「それに?」



「――それにですね、こうして一色くんの面白いと思っているものを一緒に共有出来ていることが、私すっごく嬉しいんです」



 そう言って、有栖川さんは俺に向かって満面の笑みを向けてくるのであった。


 そして俺は、そんな有栖川さんの言葉と姿にどう反応して良いのか分からず、返事をしようにも上手く言葉が出て来なかった――。



「あっ! ケンちゃんそっちは車道だから出ちゃ駄目だよ!」

「え? ヤバイ!」


 有栖川さんの慌てる声に反応して、俺は咄嗟にリードを引っ張った事で無事ケンちゃんが車道に飛び出すことは無かった。


 安心して、ほっと一息微笑み合う二人。


 まぁ元々車の通りは少ない道だからよっぽど大丈夫なのだが、こうしてケンちゃんのおかげで無事変な空気からも脱したのであった――。

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