ダンクマン

ひまかじま

ダンクマン

ズダン!と、大きな音が体育館に響き渡って、そこに居た皆が、音の鳴る方を見た。

おぉ、と思わず声が出た。だって、「彼」は空中で止まっている様だったから。ジャンプの瞬間に気を取られ、僕は肝心のダンクシュートを見逃してしまった。

いつの間にか体育館は歓声に包まれていた。いつも騒がしい先輩は勿論、寡黙な川井も賞賛の拍手を送っていた。

「西脇、アレが噂のダンクマンだよ。」

と、先輩がまくし立てるように僕に告げた。

ダンクマン。それは「彼」の渾名で、「僕ら」が仲間に引き入れようとしている人物そのものだった。


僕らは陸上部の長距離選手だ。冬の駅伝大会に向けて「ダンクマン」をスカウトする為に、僕らは球技大会のバスケの試合を見ていた。

うちの学校には体力自慢の人が多いけれど、その中でも「ダンクマン」は一際目立つ存在だった。何しろ、彼はバネのように跳び上がる跳躍力を持っているのに、帰宅部だったのだ。

話を聞きつけた先輩が

「ダンクマンを陸上部にスカウトしよう!」

と言い出して、 そして今、正に勧誘の直前だった。いつもの事だけど、先輩にはもう少し考えてから行動して欲しいと思う。

試合が終わったコートにズカズカと入り、先輩はダンクマンに話しかけた。

おっかなくて、僕はこういうのは苦手だ。川井は隣でずっと仏頂面だし、どうしていいか分からない。

ダンクマンと一言二言会話を交わして、先輩はすぐにこっちに帰ってきた。僕と川井を見る先輩の表情は、珍しく曇っていた。

「ダメだった。」

と、先輩は力なく呟いた。なんだかいよいよらしくなくて、僕は

「意外とすんなり諦めるんですね······。」

と言ってしまった。僕の一言を特に気にする素振りも見せず、先輩は続けた。

「母子家庭なんだそうだ。放課後は妹の世話をしなきゃいけないから、部活をする余裕はないらしい。」

僕は、パズルのピースがハマったように、或いは撃ち抜かれたように心がスっと空になり、少ししてから落胆した。


現実って全然劇的じゃない。そりゃあ、僕はスカウトには消極的だったかもしれないけど、もしもダンクマンが陸上部に入ってくれたら、という気持ちが少しも無いわけじゃなかった。

でも世の中は非情だ。あんな断り方をされたんじゃ、僕らにはどうする事もできないじゃないか。

「まいったな…。」

と、まるで愚痴るように零してしまった。

すると川井が

「なんでお前がまいるんだよ。」

と面白くなさそうに答える。川井はそのまま続けた。

「やる気がない奴なんか誘っても皆のモチベーションが落ちるし、家庭の事情なら尚更だろ。元々人数は足りてんだから、俺らで勝ちゃあ良いんだよ。」

とっととアップ行くぞ、と言いながら、川井は部室を出ていった。あの勧誘の後、特に何事も無く部活動の時間になってしまった。

あの後、先輩はずっとバツが悪そうな顔をしていた。顔に出る人だなと思ってたけど、他人事では無いのかも知れない。川井がピリピリしていたのは僕のせいでもあるのだろうか。

川井は部のエースで、学校では当然1番速く、県内でも指折りの選手だ。誰よりも早くにウォームアップを始めて、最後までクールダウンをしている努力家でもある。そんなやつだから、恐らくはトレーニングをしておらず、恵まれた身体能力だけで目立つダンクマンが気に入らないんだろうと思っていた。

でも、川井は勧誘が失敗してからの方がイラついてるように見えた。エースとしてのプライドみたいなものなのか。

こういうのを考えるのは僕の性分じゃない事は分かってる。けれど僕の頭の中は、先輩が言った「母子家庭」という言葉を中心にずっとぐるぐるして止まらない。

父親が居ないって、大変なんだろうか。アップをしながら、僕は素朴な疑問を自分自身に投げかけた。

良く分からないけど、大変に決まってる。現にダンクマンは、ろくに部活をする時間もないじゃないか。僕や川井や先輩が走ってる時、ダンクマンは球技大会の時みたいに空を飛んでなんかなく、地上で妹の世話をしている。僕らもダンクマンも、一生懸命なのはきっと同じだ。でも、同じ一生懸命って思って良いんだろうか。だって僕らは、自分で選んでキツい練習をしてるだけだ。一緒だなんで言ったら、ダンクマンは怒るかもしれない。

とりとめのない考えが僕の頭をグワーッと支配する。真面目が取り柄なのに、練習に身が入ってない。川井が見たら怒るだろうな、と思っていたら、体育館から破裂するような音が聞こえた。

僕は無性に気になって、音のなる方へ向かった。バスケ部は今日は休みだし、こんなに早い時間から大きな音が聞こえることは普段はない。もしや······と思ってしまったら、もう抑えが効かなかった。


体育館にはやっぱりダンクマンが居た。まだ誰も居ない体育館で独り、ダンクシュートをしていた。何度見てもジャンプの姿勢が綺麗で、あたかも空中で止まっているかのように錯覚させられる。

きっとダンクシュートができる中学生は他にもいるし、もっと高く飛べる人もいるかもしれない。でも彼のダンクは何と言うか芸術的で、人を惹きつけるものがあるんじゃないかと思う。僕はどうしてももっと近くで見たくなって、思い切って体育館の中へ入った。

「誰?バスケ部は今日は休みじゃなかったっけ。」

入ってすぐ、ダンクマンが声をかけてきた。目立つ人って、初対面の相手でも全然物怖じしない。川井や先輩もそうだけど、ダンクマンは2人に比べて幾らか無機質な感じの声色だった。

だから僕はどう話して良いか分からなくて、

「あの、えっと、バスケ部じゃなくて。」

と、たどたどしい返答になってしまった。ダンクマンは心配そうな表情でこちらに向かってくる。分かっていたけど、同学年とは思えないほど、彼は背が高く、筋肉もガッシリしていた。

「あぁ、お前陸上部の西脇か!」

ダンクマンは少し驚いたように言った。あまり関わりがないタイプなのに知っていたのは、僕が川井と一緒に朝礼で表彰されたりしているからだろう。

「うん、そう、西脇。今日ウチの先輩がキミの事勧誘したでしょ?なんか、大変みたいなのにゴメンね。」

焦ってまくし立てる僕とは対照的に、ダンクマンは冷静に答えた。

「俺、姫川。部活の事はいいよ。慣れてるし。」

そういえば、今日の球技大会でも、シュートだヒメ、ナイスヒメ、とか言われてたっけ。失礼かもしれないけど、見かけによらず可愛らしい渾名なんだなと思った。

話してみるとダンクマンはとても良い奴だった。それにカリスマ性みたいなものがあるし、人気者なのも頷ける。

僕とは全然違うタイプなのに、変に見下したりもしなかった。

だからか、少し調子に乗って、僕は変な事を言ってしまった。

「姫川は偉いなぁ。こんなにバスケが上手いのに、妹の世話してて帰宅部だなんて。」

直後、ダンクマンから表情が消えた。

「それってどういう意味?」

「へ?いや、変な意味じゃなくて」

「変な意味じゃないって何?なんで妹の世話すんのが偉いの?バスケが上手いのに帰宅部なのが偉いわけ?」

「いや、そうじゃなくて······。」

焦る僕にダンクマンが一言告げた。

「帰ってくれ。」

一刀両断。僕はもうどうする事もできなくて、ごめん、とだけ呟いて出ていった。


体育館を出て、靴を履こうとした時、なんだか情けなくて涙が出た。僕はダンクマンの事を何も知らないじゃないか。なのに、どうして「偉い」だなんて上から目線で言えるんだ。僕は勝手に他人を自分の物差しで測ったんだ。

いても立っても居られなくて、体育館に戻った。怪訝そうなダンクマンが何かを言おうとしていたが、僕は遮るように大声で叫んだ!

「勝手に決めつけるようなこと言ってゴメン!」

大きな音の後の一瞬の静寂って少し息が詰まる。あのダンクシュートの時みたいだ。

少ししてダンクマンは吹き出した。

「西脇、お前面白いな。」

ダンクマンはひとしきり笑うと

「良いよ。俺も悪かったよ。」

と許してくれた。

「ゴメンな。家の事でアレコレ言われるの嫌になっちゃってて、お前に八つ当たりしちゃった。」

と、ダンクマンは続けて謝った。だから僕は、

「いや、ホント僕が悪いから。」

と否定するしか無かった。


少しして、ダンクマンは帰る準備を始めた。彼は僕にお礼を言ってくれた。ダンクシュートの練習中に会話してくれた事、本音で話せた事。ダンクマンにとっては凄く充実した時間だったらしい。

「それと、実は俺、バスケが好きなわけじゃないんだ。」

えっ、と僕は間抜けな声を出してしまった。じゃあどうしてダンクを、と聞いたら、

「ストレス発散。」

と答えながら体育館を出ていった。去り際の姫川の背中は、最初の印象よりこじんまりとしていて、僕はそれが無性に嬉しかった。


翌日の部活で、先輩に姫川と話した事と、やっぱり勧誘は出来なかった事を伝えた。先輩は悔しそうに

「そっかァ。」

と呟いたので、僕は

「しょうがないですよ。」

とだけ告げた。

川井が驚いたような表情でこちらを見ていたのが凄く印象的だった。


やっぱり現実は劇的じゃない。あのできごと以降も僕の生活は今まで通りだけど、一つだけ変わったことがある。

それは、1週間に1回、アップのジョギング中だけ、体育館から大きな音が聞こえるようになった事だ。

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ダンクマン ひまかじま @skyrunner1997

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