今日も飛行機は青空を飛ぶ

櫻井千姫

第1話

 408/800点。306人中184位。これが高三の一学期、現時点でのあたしのポジション。


 あくまで学校内でのこと、単にテストの点数じゃんといっちゃあそれまでだけど、今はちゃんと未来に続いていって、今やってることが将来の結果に繋がるんだって、もうなんとなくあたしもわかってるから、ウツになる。


あたしは一生306人中184位のレベルで生きてかなきゃいけないってことか。昔ラグビーをやってたっていう、マウンテンゴリラみたいなゴツい風貌の担任は四月の進路ガイダンスで、たかだか十七年生きたくらいで自分の限界を決めるな、君たちにはまだ無限の可能性が眠っているんだなんてアツく語ってたけど、十七歳はそんなにバカじゃない。あたしがこれからの人生でハリウッド女優になれる確率も石油王と結婚する確率も宇宙飛行士や総理大臣になれる確率も、交通事故で死ぬ確率の何千分の一とかに決まってる。


 別になりたかないけどね、戦争してる国の総理なんて。


 ピンクのラメがテカテカしている指が首の後ろからすうっと伸びてきて、中間テストの結果表を奪っていく。芽衣美は紙をひらひらさせながらつけ睫毛を二枚重ねた目を細め、おーすげぇーとわざとらしい声を出す。


「すげぇー。数学42点とか、めっちゃ高得点じゃん。まなか、頭いいー」

「嫌味なの、それ」

「全然。ほら、あたしの見てよ。かなりありえなくない?この点数」


 芽衣美が自分から差し出した結果表にはおそろしい数字が印刷してあって、あたしの口からもすげぇー、が漏れてしまった。芽衣美がグロスをまとった唇の間から真っ黒い虫歯を覗かせ、エヘヘと笑う。まるで他人事。


 HR中で中間テストの結果表が配られていて、教室は蜂の巣を突っついたような大騒ぎ。マウンテンゴリラ風の担任は返す時、一人一人と頭を寄せ合ってご丁寧なコメントをくれるもんだから、憂鬱な時間はなかなか終わらない。あたしは「まだ五月だもんな、大丈夫、これからいくらでも取り返せるぞ。


先生だって高三の初めはこんなもんで、でもちゃんと国立行けたんだから」だなんて、長ったらしい励ましをもらった。国立大つったって、日本海側の田舎の名前すら忘れられがちな県の、国立でも三流の大学なくせに。だいたい、いくら励ましてもらったって408点が708点に化けるわけじゃない。


 あたしの前に座ってるバスケ部だかバレー部だかに入ってるスポーツ刈りの男は、結果表を折って紙飛行機なんか作っちゃって、「全然勉強してねぇ、マジやべー」ってさっきからそればっか繰り返している。隣に座ってるおとなしそうな彼の友だちは、迷惑顔で相槌を打っていた。バカだと思うけど、ここにいる連中、みんな似たようなもんだ。


こんな小さい紙の上、たかがテストの点数で自分の能力を測られ、競争させられふるいにかけられ、いざ実社会に出た時のポジションまで決まってしまうなんて、ふざけてるしアホらしい。だけどあたしたちはまだ十七の子どもで、自分一人じゃ何も決められない、自由も責任もない、単なる親の所有物であって、文句をたれながらも大人が決めたルールに従って生きるしかないのだ。


「あー、ヤバいよこの点、この順位。また落ちたし。親に怒られる」


 三年になってからというものまったくやる気が出ず、ろくに勉強してないんだから順位が落ちるのなんて当たり前なんだけど、言ってみる。ちょっと頑張って通える範囲でトップクラスの高校を受け、マグレで受かってしまったのは昔の話。何かに全力で取り組む気力は、勉強へのやる気は、高校入試の時に使い切ってしまった。芽衣美は相変わらずヘラヘラ笑ってる。この子の笑顔を見ていると深刻になってる自分が急に惨めに思えてくる。


「いいじゃん、それならまだ。184位って、半分よりちょっと下ってことでしょ。うちなんて下から数えてすぐだし」

「あんたも少しは危機感持ったら?その順位じゃ行ける大学ないっしょ。てか留年でしょ」

「留年かぁ。それもいいよね、考えようによっちゃ。あと一年高校生でいれるわけだし」

「何その無理やりなプラス思考。留年なんかしたら将来に響くよ?」

「このご時勢に将来のことなんか考えたって無駄でしょ。どうせどっかの国が核爆弾バーンってやっちゃって地球ごと吹っ飛ぶに決まってんだから」


 なんて言いながら鏡を取り出し、ずれたつけ睫毛を直す。ごおおおおお、と爆音がとどろいて何人かのクラスメイトが顔をしかめ、耳を塞ぐ。窓の外からあたしたちを見下ろす空は見事な五月晴れで、幼稚園児がクレヨンで塗りたくったみたいな青色をバックに、銀色に光る飛行機が隊列を組んで飛ぶ。銀色の、ドリルのように頭を尖らせた小さな飛行機。戦地へ向かう飛行機。


 ここ日本では戦争のない平和な状態が第二次世界大戦後百年以上も続いてきたけれど、開戦で世界中が大騒ぎになった十年前に平和憲法は改正され、七年前から日本も世界大戦に参戦している。戦う目的も、戦って手に入れようとしているものも、戦う相手すらも、高校生のあたしにはよくわからない大戦争だ。


敵は最初は中国やロシアだって言われてたけど、やがて韓国だ、フランスだ、ドイツだ、いやアメリカだなんて話も出てきて、何がなんだかわからないことになっている。とにかく世界中敵だらけで、誰も信用出来ませんよってことらしい。


 しかし戦地になっているのはどこか遠い他の国で、あたしたち一般市民の日常に影響が出ることはなく、時折戦争の是非について考えるテレビをやってたり、街頭で戦争反対と訴えかける人を見るぐらいで、日本はまだまだじゅうぶん平和だ。モノも、娯楽も、いちゃつくカップルたちも、相変わらず世の中に溢れてる。そして受験生の日常は戦争してようがしてまいが関係なく、だらだら続いてく。


「知ってる?今度さ、連合国が新型爆弾開発したんだって。今朝のニュースでやってて、親がチョー真剣に見てた」


 芽衣美の軽い口調は、事の重大さをまったく無視している。キラキラした爪はシュシュで髪を束ね直していた。あたしだって、新型爆弾が出来ようが新型生物兵器が出来ようが遠くの国で捕虜がなぶり殺されてようが、どうでもいい。現実にちゃんと存在しているものでも、自分の目で見るまでは信じられない。自分の生活をおびやかされない以上は関係ないと決め付ける。きっと万人共通の心理だ。渇いた言葉が出る。


「それ落ちて、学校ぶっ壊してくんないかな」

「あっそれサイコー」

「ついでに大学もぶっ壊してほしい、受験なくなるし。てか日本まるごと崩壊してほしい」

「そんなんじゃうちらも死ぬっしょ」

「別にいいよ」

「マジで言ってる?」

「半分ぐらい」


 頬杖をついて窓の外に目を滑らせ、少しずつ遠ざかっていく飛行機の隊列を見つめながら言うと、芽衣美が目をパチパチさせてこの子にしてはちょっと真面目な顔になった。


「まなかさ、近頃ウツ入ってない?真面目にやるからいけないの。あたしぐらい適当に生きたらいいのに」


 将来に備えることなんて無意味だと判断した芽衣美は早々に受験戦争から戦線離脱し、遊びまくっている。これはあたしにだけこっそり打ち明けてくれたことだけど、エンコーもしているらしい。


写メで見せてもらった芽衣美のパパはキモいオヤジじゃなくて、とある往年の二枚目俳優に似た白髪交じりのナイスミドルだった。芽衣美はナイスミドルに二週間にいっぺん会うだけで、月十万の「お手当て」をもらっている。だから洋服もメイクもCDもマンガも買い放題、人生で一番楽しいらしい時代をエンジョイし放題だ。


 実はあたしはそんな芽衣美を少しばかり尊敬している。だって芽衣美は、あたしがしたくて、でも絶対出来ないことをしているから。あたしは将来を捨てる勇気もなく、「戦争が終わろうが終わるまいが大学出ないことには人生どうにもならないんだから」と繰り返す親に逆らう根性もない。


対して芽衣美はきっぱり自分に見切りをつけて、まともな大人になることから逃げてしまった。逃げることはたしかに弱いのかもしれないけれど、本当に弱いのは逃げることも出来ずにただ我慢しているだけで、不満は一人前にこぼしながら状況を変える努力を一切しない人間だ。つまり、あたし。


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