君がいなくなった日を思ふ。

月緋

第1話 2月7日

 その日は2月の7日で、日曜日だった。前日は仕事があったため、昼の間は寝なくてはいけなかったから、「遅くなるよ」と言った母さんと一緒に行くのは遠慮しておいた。

 仕事は早番で、早めに片付いたからその日は早く帰った。とても、とても眠かったのを覚えている。危うくそらのところへ行けなくなるところだった。

 ーー少しだけ、ゆっくりとした時間の面会だった。確か、11時を過ぎた頃。

 そらは、もう何ヶ月も前から病魔に侵されていて、何度も手術を繰り返して、それでもなお生き続けた本当に、強い子だった。

 本当は前日にも会いたかった。いつ、いなくなるかわからないから、後悔したくなくて。

 クリニックのカウンターに母さんが受付をして、ほどなくしてそらのいる場所へと案内された。

 ーー以前の手術のときと、同じ場所だっただろうか。彼女はそこに横たわり、眠っているようだった。ゆっくりと、落ち着いた呼吸に合わせてガリガリに痩せ細った身体が上下している。

 母さんが耳元で呼びかけると、来たことに気付いたのかゆっくりと頭をもたげた。母さんに撫でられ、声をかけられているのを、少しだけ後ろから眺めていた。

 この日、俺は実に一週間ぶりくらいにそらに会ったので正直なところ、すぐにでも触れてあげたかった。

「俺も触りたい」

 大切な家族に早く触れてあげたかった。何より、その小さな命の灯火をそっと抱きしめてあげたかったのだ。

 母さんと場所を変わってそらの頭を撫でる。

「来たよ、がんばっているね」

 なんて声をかけたのか、正直なところ覚えていないが、自分が来たことを教えてあげるように声をかけたのは覚えている。

 そらは、少しだけ目を開けて俺を見た、と思う。身体はほとんど動かすことはなく、ずうっと横たわっていた。

 その後、院長先生とお話をして、翌日退院できるとのことだった。

 点滴をしてあげさえすれば大丈夫らしい。

 この先生にはたくさんお世話になっている。そらのために、最善を尽くして、なんとか彼女を生かせるように、帰してあげられるようにと手を尽くしてくれていた。

 母さんは、点滴に不安を覚えながらも、そらが帰ってくることを本当に喜んでいるようだった。

 そらが、それを聞いていたのかはわからない。もう耳も遠かったし、ほとんど眠っているような状態だったから。

 先生との話がひとしきり終わった後、俺はそらの顔の下へ手を滑り込ませた。

 そらは、抵抗することもなく俺の手へと頭を委ねてくれた。

 ーー本当に、嬉しかった。

 そして、指の間に鼻を押し当ててはにおいを嗅いで、そのうち穏やかな寝息を立て始めた。

 この時俺は指で彼女の鼻に触れたり、鼻から目にかけての部分を撫でたりして、いつもの俺がそこにいることを認識してもらえるようにしていた。

 おもむろに、そらは顔をこちらへ向けた。今日、初めて正面から見るそらの顔だった。しかも寝顔だ。

 ーー写真を撮ろう。

 ここに来てようやく思い立って、何枚か、その穏やかな寝顔を写真に収めた。

 後何度会えるかわからないから、撮れるうちに撮っておきたかったのだ。本当に。

 ほどなくして、眠っているのを邪魔するのも良くないと思い、手を退けそっと頭を撫でた。

「明日には帰って来れるから、ゆっくり休んで、帰っておいで」

 そう声をかけて俺は母さんにその場を譲った。

 退院が決まっていたのもあったし、そらが眠ってしまったのもあって、それから少しだけ彼女を見つめた後、俺と母さんはその場を後にした。


ーーそれが、生きているそらを見る最後の機会になるなんて、俺も母さんも思ってもみなかったんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

君がいなくなった日を思ふ。 月緋 @tsukihi-kiseki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ