第24話 フリードリヒ・デア・グラッセ

フリードリヒ・デア・グラッセ


 目視では至近なのだが、FDGの主砲は、いまだ敵母船への射程距離に達していなかった。地上に展開している部隊にも無線は届かず、偵察に出たグラーフツエッペリン搭載のフォッケウルフも燃料が尽きる時間になっても帰還しなかった。地上部隊は全滅したのか、フォッケウルフは撃墜されたのか、不明な状態というのはその先の戦闘の計画を立てることに影響する。かといってこれ以上、数少ない戦闘機を失うことは何としても避けなければならなかった。

残る選択肢の一つは、艦隊による威力偵察。装甲の厚い戦艦ならばそう簡単に撃沈されることはないという判断である。本来ならば、狂気の沙汰もしくは愚か者の選択というほかなかった。が、今回はこの無鉄砲な行動が功を奏することになった。僚艦の空母GTは残し、無線が通じなくなってからは発光信号で連絡を取り合う。詳細な打ち合わせには虎の子の回転翼機を使用する。それだけを打ち合わせしてFDGは出撃した。

GTのパイロットたちは未だ帰らざる仲間の帰還を待ち続けていた。第二次世界大戦初頭に連戦連勝を続けてきた彼らはほとんど仲間を失うことなく戦闘に勝利し続け、バトルオブブリテンの激戦を経験することなく南極に配属された。そんな彼らにとって数年ぶりに戦闘で同僚を失うことは少なからずの動揺を与えた。これから戦闘に入れば、ここにいる仲間のうちいくらか、あるいは大半が、もしかしたら全員が生きて帰ってくることができないかもしれない。その事実をあらためて全員の心に刻みつけたのだ。

 ドイツ軍南極艦隊司令官グランス・フェシアンは有能とはいえざる人物だった。士官学校への入学も代々軍人だった家系へのいわば褒美のようなものだった。戦術、戦略に関する成績は劣悪、親のコネクションを気にした教授陣の気遣いでなんとか留年を避けられたようなものだったし、昇進も先任者の戦死、ヒトラーによる上官の粛清によるところが大であった。

唯一の救いどころは周囲に対して寛容である、ということだった。これが教師や医師であるならば美徳といえ、高い評価の一点となったかもしれないが、軍では無用の才能であった。鍛え抜かれた戦略眼、確固とした意志、統率力こそが求められるものであって、他人の意見に容易に賛同する必要などないのである。だからこそ、一部の参謀からだされた艦隊による威力偵察などという無謀な作戦を選択できるのである。

そしてFDGは元ロシア皇帝という厄介者も積み込んでいる。

「皇帝」。司令官と国家にとって、もはや不要な要人。そういう人物を押し付けられた火星人との戦闘に回された兵は、ドイツ軍にとってもやはり捨て駒だったのだ。

FDGは島ほどもある葉巻状飛行体の至近まで接近しても攻撃されることはなかった。 観察すれば海上を埋め尽くしていた輸送船やタンカーが吸い上げられるように飛行体の中に積み込まれているところだった。船底から水がしたたり落ち、ゆっくりと海面から浮き上がり開かれたドアへ飛ぶように運び込まれていた。敵はクレーンも何も使わず、ただ船を浮かび上がらせるという地球人にはにわかには信じられない技術で運び込んでいた。

その光景を見たグランス・フェシアンは思わず席から立ち上がっていた。そのドイツ軍の能力では開発どころか、こんなことが可能だと思いつくことすらできない技術に感動を覚えていた。冷静に考えれば、資源を略奪されているわけであり、地球に対する敵対行為である。だが、あまりの摩訶不思議な光景に見とれてしまっていた。これが、同レベルの敵との戦闘であれば、命取りにもなりかねない空白の時間だったが、相手はFDGの戸惑いに何の反応も示さなかった。グランス・フェシアンをはじめとしたFDG司令部の沈黙を打ち破ったのは突然艦橋に上がってきた元ロシア皇帝ニコライだった。

無関係な者が発令をする司令部にいることがどんなに邪魔になることか、気にも留めずいつも突然現れるこの男に神経を逆なでされていた司令部の面々であったが、この後のニコライの言葉には怒りを通り越して心底あきれ果てた。

「あれを撃て」

ニコライは島ほどもある飛行物体を指さしてそういったのだ。

最初何を言われたのか理解できなかった面々はニコライの顔を振り返ることとなった。

「余は、我が星の富を吸い上げる敵を撃てといった。聞こえなかったのか」

ニコライの眼には、子供のような無邪気さだけが宿っていた。本人には悪意などまるでなく、純粋に心の中に宿った思いを口にしたにすぎないのだろう。確かに核心は突いている。

いずれは撃破しなければならない相手ではある。が、戦争というものを何も知らないにしてもあまりにも無茶な話であった。敵の戦力、戦術、おかれた状況を知らずして戦端を開いた時の結果の恐ろしさを考えれば、簡単にはこちら側から攻撃するということは無謀なだけである。だれもがそれがどれほど無謀なことか、どこから説明すれば良いのかわからなかった。

周りにいる軍人の反応から元皇帝は自分の発言がいかに場にそぐわないものか察することはできた。が、皇帝であったときの態度や癖やプライドは簡単に変えることも捨てることもできはしない。

「なぜ、余の言うことを聞かぬ。あの巨大さを見て諸君らは臆したのかね。名だたるプロイセン軍人魂はどこへ消えたのか」

ナチス政権によって左遷されたプロイセン時代の生き残りの軍人にとっては痛烈なひとことであった。ヒトラーに疎まれ左遷された彼らにとって、その一言は生き残りのプロイセン軍人の心を奮起することではなく、反感を生んだだけであった。彼らのプライドを傷つけただけであった。唯一グランス・フェシアンだけが皇帝に対応した。

「陛下、これは我々の戦争です。戦術戦法は我々にお任せになって、陛下は戦後の戦争、つまりはいかにしてロマノフ王朝を復活させるか、それだけを考えてくださればよろしいかと」

もはやロマノフ王朝の復活などあり得ないことはここにいる誰もが、当のニコライですらわかっていた。むしろ生き残ることが可能かどうかすらわからない状態であることも承知していた。それをわかっていてグランス・フェシアンはあえて言っている。それは能力ではなくコネと偶然の力で出世した彼が、軍官僚やヒトラーお気に入りの上官の間を立ち回るうちに身に着けた処世術によるところが大きい。力のある者の意味のない意見は否定するのではなく、躱す、方向を変える、つまりは誤魔化せば問題なく事は解決するのである。

 今までの偵察機がもたらした地上戦の情報を分析すれば、敵はあちらから積極的に攻撃してくることはなかった。彼らは攻撃を受けた際の反撃として、そして作業の邪魔になる場合のみ攻撃していた。先ほどの偵察機が帰ってこないのはその暗黙のルールに反したのだろうと司令部は推測した。それが事実であるならば、このままFDGが威力偵察を続けることは決して無謀すぎる事態ではなかった。である以上、FDGから攻撃を仕掛けることは無益に戦闘を早めることになるだけであり、今は戦闘を有利に進めるために情報を収集することを優先すべきである。そういう通常であれば無謀な判断をグランス・フェシアンは下し、この厄介なひんきゃく賓客に対応したのだ。

その結果、形だけでもひご庇護されているドイツ軍人から王朝の復活をほのめかされればニコライとしてもそれ以上のことは言えなかった。その様子を見ていた司令部の面々も今迄馬鹿にしていた司令官を少し見直した。

 FDGはその後は順調な航海を続けた。出撃から1時間、ようやく主砲の射程距離に敵母船をとらえたが、陸上の戦場の様子は未だつかめていない。しかし、この距離まで近づくと兵の中に動揺が生まれてきていた。いつ、あの巨大な母船に攻撃を受けるのではないかという恐怖感が生まれるのは当然のことであった。手を出さなければ攻撃を受けない、と判断した司令部もその不安や恐怖を抑えるのに必死だった。人はただ大きいというだけでそれに感動し、そして恐怖を覚えるのである。

艦橋から敵母船を見れば、あいかわらず付近に停泊している輸送船がゆっくりと空中に浮かび、母船に吸い込まれていく様子が見える。その船を吸い上げる力がどの範囲まで及んでいるのか、その見極めが難しく、自然と艦の運航も慎重にならざるを得ない。

いつでも退避できるように速度をそのままに舵を切り、母船を回り込むように地上の様子を伺える位置まで進行する。あちこちから白煙や炎が上がっているのが見える。戦闘が始まっているのは明白だった。グランスはここにきて虎の子の回転翼機を偵察に出すことを決意した。ここまで攻撃を受け無かったという事実がその判断を下させたのである。

艦尾に配置されたエレベーターから回転翼機が運び上げられてくる。実戦には投入されてはいるものの、いまだ研究開発段階であるこの兵器は垂直の上昇下降が可能な極めて機動性と運用法の高い新兵器である。

今までは小型船を使わなければ行き来の難しかった艦と艦の移動も容易にスピーディに行うことができる。そして一定のポイントに滞空できるという戦術を大幅に変える可能性を秘めていた。

フレットナーFI282「コリブリ」B2型。開発時の機体を改良し飛行距離、飛行速度を大幅に向上させたものだ。偵察、連絡など多目的の使用を想定して製造された回転翼機は、本来の任務を果たすべく、ゆっくりと上昇を開始した。エンジンの発する熱を帯びた気流が甲板員の顔に吹き付けられた。航海中の訓練飛行の際には不快にしか感じられなかったそれは、いざ実戦の空へ飛び立つ今、戦う覚悟を決めた彼らにとって潮の香りを運ぶ心地よい海風のようにしか感じられなかった。が、その不快感も海風の印象も生きているからこそ感じられることだった。死んだものには感じることはできない。甲板員にも見え始めた地上の戦闘の様子は、そこで今死んでいく同胞がいることを容易に想像させた。そこで死んでいく同胞には、死の国に向かっていることだろう、そんな哲学的なことを一瞬考えてしまった甲板員の一人は思わず帽子を手に取り、飛び立つ回転翼機に無事の帰還を祈り大きく振っていた。

 そして戦場に突然現れたその超大型巨人兵器は、先ほどまでの敵巨人兵器との戦闘で疲弊した地上部隊には、もはや絶望や死を形にしたものににしか見えなかった。

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