第三話 慎治の決断
俺のやるべき事が判った。それはアダムと言う研究を終わらせ、その藤宮詩乃さんって人を解放すれば、もう何も起こらない様な気がした。まあ、俺の考えはそれだけじゃないんだけど。
でも、巨大化したその研究をどうやって止めるか、小市民の俺が簡単にできる事じゃない。俺は十二月第一週目を家でごろごろしている時もパートで喫茶店トマトへ出向いている時でも悩んでいた。そして、俺はある人の言葉を思い出す。今はその人を利用する事になるかもしれない。しかし、これからちゃんとすればいいさ・・・。俺は自分の中で帰結した決意を高める為に今回は一人分の供華だけを携え龍鳳寺を訪れていた。
俺の知る者達が眠る墓石が並ぶその中央に俺は立ち、その家名を確認した。
『藤原家・先祖代々』
そう書かれた下に一緒に埋葬されている俺の親友。俺は地面の方を一回見てからまた正面を見据えていた。花を添え、線香へ火を焼(く)べる。隼瀬家の方を目だけ向け、俺自身の過去の想いに蹴りを付けると、正面を向いて目を瞑り、拝みながら、俺は天の向こう側に居る貴斗へ心内で語っていた。
『今は目的の為に翔子先生を利用する事になっちまう・・・、けど、全て方が付いたら、ちゃんと翔子さんって呼べるように努力するから・・・、・・・・、・・・・・、翔子先生を・・・、・・・・、・・・、・・・、・・・、俺にくれ』
貴斗が本当に俺の前に居たら地平の彼方までブッ飛ばされそうな事を、先生を尊敬している藤宮が聴いたら往復無限びんたされそうな事を、隼瀬だったらしめ殺されそうな事を、俺は今、言っていた。でも、俺の考えが正しければ、こうするのが最もの近道なんだ。
黙祷を終えて、一度空を見上げてから、最後にまた隼瀬家の墓を見て、皆が眠る場所を去る事にした。
寺の門を出た時に左腕に付けている時計を見た。今はデジタルな電波時計が流行りだけど、俺の使っているのは全自動螺子巻き式の針が規則正しく回転するアナログ式のものだった。父さんから大学入学祝に貰った物で、今も時間ずれなく時を刻んでくれていた。時刻はお昼を五分過ぎた処だった。
翔子先生、今、昼食をあの場所に居るだろうな・・・。先生は独りで昼食を摂る事が多いみたいで、大抵同じ店に居る。
会社も大きく、その連結企業の多い藤原科学重工の現医療部門総括。平たく言うと社長。回りの不況和音や摩擦に耐え不景気の中でも業績を落とさずに地道に頑張っているのを知っていた。そんな先生だから、独りになりたい時もあるんだろう、昼食の時くらい。そんな先生の隠れた食事処、天神原の庵へ俺は足を運んだ。
俺が先生の処へ到着した頃は丁度、主食を食べ終えて、少し大きめのパフェを嬉しそうな表情で突きながら、一口一口丁寧に口に運んでいた。その仕草や表情がとても可愛らしく俺に写っているけど、俺の今思った事をけして本人の前で口にしない方がよさそうだ。
先生の事を先生と口にしない様に注意を払いながら、先生の処へ近づき、
「美味しそうですねぇ、翔子さん」
俺の言葉にスプーンを加えたまま振り向く貴斗の姉。見られたくない処を見られて、目を点にして、頬の色を急激に紅くさせて行く、そんな先生もまた堪らなく可愛く見えた。容姿も人柄も家柄もとびっきりなお嬢様なのに何故、今でもどんな男も言い寄らないのか不思議でしょうがない人。まあ、その理由を大凡知っている俺は頭の中で頭を掻きながら、
「翔子さん、そんなに恥ずかしがる事ないんじゃないですか、自分の好きな物を食べる事に?」
「どっ、どのようにして、しっしししぃし、慎治君がこちらで、わたくしがお食事をしているのをお知りになっているのですか」
冷静さを取り戻しつつある先生の口調が大分、何時もの優しい声になっていた。
「せぇんぐぅ・・・、翔子さんも知っているでしょう、俺の情報ツウ。とっても大事なお話がありましてね、翔子さんが独りでいる時を考えたんですよ。で、俺の持っている情報からここだって思い出したんです」
先生は俺が『大事な』って言葉にすると姿勢と目の色が変わり、
「慎治君もお立ちになったままになさらないで、どうぞおかけ下さい・・・、何かお飲みになられます」
「んじゃ、コーヒーをお願いしますかね」
座りながらそう答えると、先生は声を出して、ウェイトレス・・・、ここでは給仕って呼んだ方が良さそうな格好をした女の子が歩み寄って先生はその子へ俺が頼んだ飲み物を注文してくれた。今これからする話、夏美ちゃんがいたら頭に角生やしそうだよな・・・
「慎治君、大事なお話とはこの前、わたくしのお願いしました件ですね」
今から俺の口にする事は先生にとって良い事だと思い込んでいる風に晴れやかに嬉しそうな顔を俺に見せてくれながら、そう語りかけてきた。何とも上昇志向な先生だ。俺が高校時代、たった一年しかお世話になっていないけど、その頃から、先生のそんな前向きな考え方を知っていたし、そう振る舞う先生が生徒から人気があった理由の一つ。
「それも、含めてとても大事な話です。笑わず、真剣に聞いてください。俺がFHTD(フィズ)に入るのに一つ条件をのんでもらいたいんですけど」
「どのような事でしょう、今の私の権限で出来る範囲の事なのでしょうか?」
「権限とかそんなの関係ないです、でも、翔子さんにしか出来ない事」
「一体どのような事でしょう?私にしか出来ない事とは」
翔子先生は俺の意図を考える様に人差し指を顎に当て悩むしぐさを造っていた。
「翔子さん、俺と結婚前提で付き合ってください」と言いだすと、先生は何を俺が言いたすのかと飲みかけのお茶を吹き出しそうになり、それを手で押さえる。俺が言った事で噎せ、涙目になりながら、ナプキンで口元を覆っていた。
「いいぃぃぃいぃっ一体何を言い出すのですか」とかなり困惑した表情の翔子先生は写真に収めておきたいくらい愛らしい。ってそんな事を想っている暇はない。
何故、俺はそんな条件を出したのか。仮にも翔子先生の番いになろうって事は経営の実権を握る事は出来なくても大きな発言は出しやすくなるし、先生が俺の考えを受け入れてくれるなら、先生自身が今持っている権限で研究を中止する事も可能かもしれないと思っての考えだった。
「翔子さん、俺は本気ですよ。翔子さんが独り身だなんて勿体なさすぎる。世の中の男どもの目が腐っているんじゃないかって思えて仕方がない。なら、俺なんか翔子さんには相応しく無い男かもしれないけど、それでも相応しくなれる様に最善は尽くしていこうって思っています。それに俺と一緒になるって事は佐京姉貴が翔子さんの義理の姉貴になるって、とっても美味しい特典つき」
先生の目が輝く、くらいつくのはそっちかよ・・・。まあ、いいけど。
「そっ、それはとても、とても魅力的な提案です。わたくしを慎治君の好きなようにしてください」
なんだかなぁ、この代わり様は・・・。と暴走する翔子先生の頭を撫で、大人しくさせた。先生は己が身の暴走に気が付きまた、顔を真っ赤にして小さく肩を落とす、そんな先生を暫らく眺めていた。しょぼしょぼとパフェを食べ、それが終わった頃に、小さめの溜息が二、三度先生から洩れ、上げた顔が冷静になっていた。
「わたくしをカラカワナイで、慎治君の本意をお聞かせ下さいますか?」
「先生の彼氏になる事を条件にフィズに入るって事は本気さ」
つい、先生と言ってしまった為にやっぱり睨まれてしまった。
「慎治君、仮に慎治くんが私の彼氏になってくださり、貴方に一体どのような利益があると云うのです」
「利益とかそんなんじゃない。翔子さんを好きになるのに損得なんか考えていないさ。寧ろ、今後、フィズにとっては不利益になる事かも知れない。でも、それでも翔子さんの事も、姉貴の事もアダムに関係している連中を守る為にもどうしても、翔子さんの力が必要なんだ」
「わたくしの身を?京ちゃんの事も?一体なぜです」
完全に冷静さを取り戻した先生から説明を求められた。先生にはどうしても動いて貰わないといけない。だから、俺の計画を偽りなく話した。
「研究自体を停めなくたっていい。藤原詩乃さんって方をその研究から外して、解放して上げるだけでもいいんです。もう十分に藤宮の叔母さんはその研究に貢献してきたんだろう?多く良い成果がえら獲れたんだろう?これまでの積み重ねてきた研究で今後は彼女なしでも続けられるなら、もうその人は必要としなくてもいいんじゃないかって俺は思っているんだけどな。どうだろう?」
「・・・、・・・、・・・、そこまでお考えになられるのですか、慎治君は。矢張り、あなたは私が拝見します世間よりももっと広い処に視点を置く事が出来るのですね・・・」
先生は自分を自嘲する表情と一緒に小さな溜息を漏らす。
「判りました。藤原総合医科学研究所の運営権は今わたくしが持っています。慎治君のお考えになられた通りにしましょう。それを交換条件にわたくし共の処へ来て下さるのですね?」
「一つ条件が足りてないって、翔子さんの彼氏にしてくれってのが」
「また、その様なご冗談な事をお言いになられるのですか、わっ、わたくしをこれ以上からかって面白がらないでください」
「面白がってないってぇの、俺マジで、本気なんだけどな」
「だって、だって、わたくし、もう三十を過ぎたおばさんなのに、到底、慎治君とおつり合いするとは思いません」
「そんな事ないって、先生まだまだ、大学生と同じ服を着ていりゃ、まんま、学生に見えるくらい若いって。それに今俺だって四捨五入したら、三十路になるし、翔子さんが翔子さんの事をおばさん、だなんって口にしたら世間の奴ら何ぞ四、五十それ以上に見えちまうよ。そういう思いは他の人を貶している事になるから、気を付けた方がいいと思うな。それに家の姉貴だって先生と同じ年じゃないか」
「きょっ、京ちゃんは特別です。それにもうわたくしは先生ではありませんと何回も申しているでしょう?」
「それは判っているけど、翔子さんが俺の数学の教師だった事も事実だろう?・・・」
「本当に口が達者なのですからあなたは・・・」
「で、翔子さんは俺の言葉を受け入れてくれるの?」
「そっ、それは・・・、わっ、わかりました。このようなわたくしですが、わたくしの方がよろしくお願いいたします・・・。フゥ、一時の教え子で、わたくしの親友の愛弟の慎治君に告白されてしまうなんて・・・、わたくし・・・」
それ以上先生の言葉はなかったけど、嬉しいのか、恥ずかしいのかまた、真紅にした顔を両手で覆って隠していた。
先生が今何を思って恥ずかしがっているのか大体予想できるけど、それをあえて、先生に対して突っ込みを入れなかった。多分、姉貴の事でだろう。まあ、今はそれでもいいさ。
これで翔子先生が動いてくれたからって、本当にアダムって研究から藤宮の叔母さんを外す事が出来るか判らない。でも、今俺が出来るのはその流れを造る事だけだ。藤宮詩乃さんを解放して、・・・、れば、もうこれ以上の悲劇は起きないそんな確信を俺の胸の中に抱いていた。
そう、クリスマス・キャロルが流れる頃にはきっと全ての答えが出ているだろうよ。
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