あと一夜

ソラ

 

 こんな夢を見た。

 ふたり掛けのソファの片隅に腰を落ち着け、木製の肘かけに頬杖をついたまま本を読んでいるとがちゃりと玄関の鍵が開く音がし、しばらくするとリビングの扉が開けられた。

「お帰り、北斗」

「……ただいま」

 本から視線をあげると、北斗があくびをかみ殺しながら上着を脱ぎ捨てているところだった。こら、脱ぎっぱなしにしない、と口を開きかけたが少しうるんだ瞳を瞬かせるのが目に入り、開いていたページにしおりを挟んだ。

 本を脇に置き、こっちにおいで、と促すと北斗は数瞬何かを考えるように動きを止めたがいそいそと隣に座った。膝にかけていたブランケットをそっと細い肩にかけてやると、少しだけ北斗の表情が和らぐ。ふわりとかすかな汗のにおいがした。

 今日はどこに行ってきたんだいという問いかけに、半分ほどまぶたを閉じていた北斗はひとつ瞬きをした。

「街を一回りしてきた。隣の駅にある広い公園にも行ってきたんだ」

 事もなげに言う北斗に、それは遠くまで行ったねと少し目を見開く。疲れたろう? と聞けば、北斗はゆるゆると首を横に振った。

「公園に大きな犬を連れた人がいたから、少し触らせてもらって……駅を使う人たちとかバスとかを見てたら、遅くなっちゃって……」

 ごめんなさい、とかすかな声が言った。

 ちゃんと帰ってきてくれればいいんだよ、と頭をなでてやればぷいっと顔を背けられてしまった。無愛想にも見えるが、これは北斗なりの照れ隠しなのだと今ならわかる。

 軽く相づちを打ちながら聞いていたが、唐突に確かな重さが寄りかかってきた。今日のできごとを報告してくれていた声も寝息に変わっている。

 寝ちゃったか、と苦笑いを浮かべて壁にかけた時計を見る。そろそろ夕飯の準備をしなければ。

 成人よりも高い体温を名残惜しく思いながらそっと立ち上がろうとすると、くん、と裾を引かれる。驚いてそちらを見ると、すぅすぅと眠る北斗に服の裾を握られていた。その表情は前髪で隠れて見えないが幸福な夢は見ていないのだろう。

 すがるような白い手を振りほどいてしまうほど非情になれない自分に、ため息をついた。

 浮かしかけた腰をソファに下ろす。そっと細い背中に手を回して抱き寄せた。

 無防備にゆだねられた体重と温かさを脳裏に刻みつけながら、確かめるように北斗の頭をなでた。

 この子が本当の子どもだったらよかったのに、と何度思ったことか。

 明日、北斗の実の親が引き取りに来る。自分はただの育ての親。北斗が自分の子どもになることは決してない。

 これが現実じゃなければいいのに。

 見たいのはこんな夢じゃない。

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