第十話 最も恐れていた懸念

 二〇一一年十二月二十一日、水曜日。藤原龍一氏が藤原医研のあるシンガポールへ飛ぶ一日前。私の印度の知人が報せてくれた事があった。

 隣国の宗教国家が藤原医研の研究に目を付け、施設の圧制を計画していると。入手したての情報ですが、何と決行日が明日。

 情報の信憑性も裏もはっきりとした段階でないと云うその知人。しかし、私はそれを信じる事にして、その対策を考えた。

 相手は小さいなりにも国、国家的な動き。なら出てくるのは国際問題にならない様に隠密でも行動可能な小規模の軍隊だろう。

 昔からあの地域には古来の日本で言う忍者に近い、諜報暗殺部隊なる者の存在、アサシンが囁かれていた。

 歴史上では一二五〇年頃、外蒙古によって滅ぼされた事になっていた。だが、史実と真実が常に同じでないのは何処の国にもある事だろう。なら、現代にもアサシンが居ても消して可笑しい事ではない。

 そのような輩が出向くとしたら、こちらもそれに対応できる者等でないと勝ち目はなく、研究所が圧制されてしまう。国際調査機関、確かUNIOへ調査を要求しても、信憑性が全くない事へ動いてはくれまいが、予防策として、そちらへ情報をながすことにしました。

 国際機関ですか・・・、私は思い出す。日本にはなく海外の主要国家には普通に在り、その実力も軍隊宛らと言っても間違いでなない要人護衛会社が。

 私はその中で取り分け実力のある処を捜し、通常の何倍もの価格で研究所を守ってほしいと云う要請を出しました。私の持つ会社の資金を回すと、重役会議の時に質問攻めにあう事は判り切っていた。もう残り少ない私個人の全額使い切ってしまう。でも、それだけ藤原医研を守る価値、この世で最も大切に思う詩乃さんを守るのは私、いや僕にとって至極当然の行為でした。

 翌日、実時間で護衛会社の現地へ派遣された隊長から連絡がありました。

 確かに正体不明の軽武装兵が襲撃してきたとの事。詳細ははっきりとしないが今の処判っている不明部隊の大凡の規模は一小隊位だそうです。最小単位で三十、多くて五十人程度。私がお願いした人数は一小隊分の最小数の三十。正体不明側が他国へ干渉するのに大部隊を送り込んだら戦争になるだろうと思い地域の暴動程度と思える位しか雇いませんでした。数が五分五分なら、後は力量が勝敗を決める。護衛会社の実力を信頼するしかありません。それから、私の周りを流れる時が重々しく、進みがゆっくりの様に思えた。私は社長室の電話を眺めながら、不安げな表情で部屋を行ったり来たりする行動をとってしまっていた。相手が三十人程度でしたら、私一人でもどうにか出来たかも知れません。しかし、今頃現地に渡った処で遅すぎます。眉間に皺を寄せ、渋い顔を造り、また電話の受話器を眺めたが、連絡が来る気配がない。

 溜息を何度も吐き、また、何往復も部屋の行き来を繰り返していた。

 数え切れないほどの溜息の後に電話の呼び出し音が鳴り始めた。私が連絡を受けたのは午後十二時過ぎ。現状の報告後すぐ切れてしまいました。次に掛けてくる時は携帯電話の方へ掛けて下さる様にお願いしました。

 私は衛星回線専用の携帯電話を握りしめながら、やるべき仕事を忘れ祈る様に連絡を待ち続けました。それから、更に四時間後。

 誰とも判らない数名の加勢があり、無事に研究所を守りきった連絡が入り、安堵をおぼえる瞬間を得ました。通話が切れると同時に私は胸を撫で降ろす仕草を取りました。

 通常回線の携帯で向こうへ忍び込ませたアームより生まれし子、諜報員として育てた子へ連絡を入れ研究所の様子を探らせる。

 通話後しばらく経たない裡に私は頭を抱えてしまっていた。最も恐れていた事が現実になっていたとはっきりと電話越しに聞かされ、そのすぐ後に電子メールでその場の写真が送られてきました。

 私が知っていた頃よりも大型化した培養槽。弱い照明の中に置かれた硝子張りの聖櫃を満たす濃い青磁色をした液体で満たされていました。画像には本来その液体に包まれその中に納められている人物の姿が、何処にも映っていませんでした。あるべき存在、それは藤宮詩乃さん。彼女がその中に居ない。護衛部隊が戦った相手は囮で、詩乃さんは既に連れ去られてしまっていた?

 私は錯乱し、現地に向かわせた者へ、詩乃さんの探索をお願いしました。その方から『了解』返信が戻り、追記の内容として護衛部隊に加勢したのがUNIOだと判明しました。更にその中には藤原龍一が参加していたとの事です。

 私は電話を切り、また頭を抱える。

 私自身、シンガポールへ出向き、詩乃さん探しを行いたかった。だが、明後日二十四日には外せない重役会議があり、それを欠席する事は不可能。予定もずらす事が出来なかった。しかし、せめて一日くらいなら、私は槙林を呼び、明日二十三日の予定を全て取り消す様にお願いして、彼女と調査に向きそうなアダム・アームの子達を数名連れ、現地へ向かいました。

 二十二日の間にシンガポールへ到着した私達一行。私以外の者達はその日は休ませ、単独で詩乃さんの捜索に当たりました。

 国同士が隣接する大陸。そう簡単に旅券なしで国境越えは簡単じゃない。私はそれを考慮して、シンガポール一人で探せる範囲を移動する。

 翌日、連れてきた他の者達も独自の裁量に任せ、行動させました。不眠不休で彼女を捜すも、髪の毛一本すらその手掛かりが見つかりません。

 しかし、時は瞬く間に過ぎて、探索の成果は全く上げられず、日本への帰国が迫った。私は掌で隠した顔の地を苦渋に歪めていました。私はその表情のまま日本へ向かう旅客機の入り口と搭乗橋の境を越えました。

 上昇してゆく飛行機。窓際に居た私は離れ行くシンガポールの街を見えなくなるまで眺めていた。

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