第三話 我の意を通す事の出来なかった弱さ
僕は生家のある日本の駿河へ帰郷していました。僕が戻って来た事を喜ぶ妹の華月。
「お兄様、お帰りなさいませ」
「華月を褒めるのも兄莫迦かも知れませんが一段と美しくなりましたね」
「有難うございます、お兄様。ですが、その言葉はお兄様の事を表す事になりますのよ。華月も太陽お兄様も顔のつくりはご一緒なのですから、クスッ」
妹は僕が一番気にしている事を言いきると悪意のない笑みを浮かべます。そう、僕達は双子。性別は違いますから体のつくり、体格は同じではないですけど、顔の造りに差異見出すのは難しいです。僕は女性風の相貌の僕が嫌いでした。それで同性などにからかわれることもしばしばありましたから。
「お兄様、また少しお痩せになられたのでは?ふぅ・・・、よくご生活不精なお兄様が彼の遠く離れた地、異郷で生き長らえましたのか不思議にございます」
華月の表情が急に不満そうになるが、妹の気遣いが隠れている事など判ってあげられるはずもなく、
「僕の事はどうでもいいのです。それよりも、母上の容態は?」
妹は僕の返答へ表情を曇らせ、顔を横へ振る。
「そうですか・・・、母上の寝室へは入らせてもらえるのかい?」
「はい・・・、智鶴お母様に今のお兄様の元気なお姿を見せてあげてくださいませ」
母の離れにあります寝室へ向かう事を華月に示すと一度僕は妹のそばから遠のきました。
中で寝ていると思われる母へ一声かけてから四枚襖中央左の引手に指を掛け、横へ半分ずらし、一礼してから母のもとへ歩み寄り、膝を折りました。
僕の気配に気がついたのでしょう母が瞼をゆっくり上げ、視線を僕へ送ってきました。僕の到来に半身を起こそうとする母の背を支えるための手を伸ばす。
「太陽、健やかで在らせられました様ですね。わたくしの方は見ての通りです。太陽、貴方をこちらへ呼ばせて頂きました理由を御理解している事でしょう」
「はい、承知しております、母上」
母は僕の言葉を耳にすると笑みを浮かべていますが、何処となしに真剣さも含んでいました。僕の方へ差し出される母の右掌。その母の手に僕も同じ方の掌を重ねました。今から行う儀式みたいなものが何故、人である僕等に出来るのか理解できませんが、そう出来てしまうのも事実。
それは目を背けられない真実。母が父、銀河から受け継いだ現世(うつしよ)に在らざる力とそれを行使せねばならぬ理由と僕等の先祖がたどってきた記憶、歴史が母と重なる手を伝い僕へと流れ込んできました。千年程もの月日の情報が僕へと流れ込み、その膨大な情報量が僕の今の記憶を消してしまわんばかりの勢いで脳裏に刻まれてゆく。最後に刻まれて記憶は母が床に伏せねばならない事の原因でした。事が終わり、母の口が動き、
「理由は判りませんが華月ではこの力を受け継いでもらえませんでした。故、太陽に戻ってきていただいた次第です。本義に則りました継承ではありませんので太陽に負担を掛けさせてしまいましたが、その所為で記憶が無くなる事はなかったようですね」
「大丈夫の様です。ですが、母上が申す通り、本当に記憶が飛ぶかと思いました」
「御免なさいね、太陽・・・。太陽、もう少し近くで貴方の御顔をお見せくださいまし」
母は言い寝衣の袖が揺れない様に掴み、腕が伸び、その手が僕の頬を触れ撫でました。微笑む母へ、僕もそれを返すと、
「太陽・・・」
「はい、何ようでございましょう、母上」
「わたくし、太陽へ力をお渡しした事で少々疲れてしまったようです。せっかく戻ってきてくださったのに、もう少し貴方とお話をしたいのですが、休ませていただきたく思います」
「ええ、無理をなさらぬよう、母上」
僕は再び、母の背に手を添えゆっくりと寝かしつけました。最後、母は瞳を瞼で覆う前に僕へ微笑みかけ、それを閉じる。そして、それが母との今生の別れ、以降母が目を覚ます事はありませんでした。
僕は母と握っていた手を眺めながら、開いたり、閉じたりを繰り返していました。代々継承されしその力とは何か?それは皇の命に従いこの現世(うつしよ)に悪意を齎し、民の心を蝕む瘴気を振りまく人成ざる姿を持つ人外魔性、化生を討つ。それが僕の先祖が血を絶やす事を許されず存命し続ける理由でした。そして、藤原を筆頭とする、藤宮、隼瀬の三家は僕の家を補佐する事を始まりの時代から約束してくださり、現在もその誓いを守り続けてくださる系譜でもありました。
深い眠りに就いた母を残し、離れの寝室から出て、母屋へ戻る。玄関前に佇む妹、華月。不安に満ちた妹の表情。
「お兄様・・・」
それ以上の言葉は妹の口から出ませんでした。その後に続く言葉がどのようなものであるか判らない筈がなく、肯定するように僕は頭を縦に振る。
不安を浮かべていた華月の顔が更に崩れ、両手で顔を覆うと、屈んで嗚咽を始めてしまう。僕はそんな妹の肩を抱き、立たせると更に強く抱きしめていました。
特異な家柄上、一般家庭的な葬儀はとり行えません。宮内庁特別部、通称、裡宮(りきゅう)から派遣された神官が神道に則り密やかに葬儀が行われました。僕は母の死を悲しむ暇もなく、本来僕が十五の時に継承しなければならなかった道。その肩代わりをしてくださっていた母に代わり、僕はその身をゆだねる。
母は家宝の伝長円の薄翡翠(すすみどり)を取り、魔性と戦っていたようですが、僕はまだそれを扱ってよい程の腕もなく、人外魔性と戦うのに先祖伝来の何か決まった武具などを受け継ぐ訳ではありませんでした。
裡宮に頼みまして、腕の良い刀匠を紹介していただくとそこで三尺の大太刀、一分刻鞘(いちぶんきざみざや)と呼ばれる鞘の装飾、笹波組の下緒で結びが大名結、鍔はなく、柄の握りは蛇腹巻き仕上げをお願いしました。それと投擲用の装飾なし小柄を十二本。
大急ぎで武具を拵えて貰う事をお願いしましたが、それでも二週間は掛るとのことで、その間、藤原洸大氏に僕が源縁の物であると示す時に見せました短刀、三条宗近(さんじょうむねちか)‐今剣小狐(いまつるぎこぎつね)で人外魔性討ちを開始しました。
それら、化生が徘徊するのは夜だけだという認識は間違いで昼夜問わず人里の中を活動していました。ただ、夜間に比べますと日中の方が活発ではないし、人の眼に認識できる程の瘴気をため込み実体化した人外魔性がその頃に行動するのは稀であるのは確かです。故、日中の多くは武具を遣う事なく、術札や言術などで対処する事が主です。
昼に浄化させる瘴気は数知れず、夜に討つ魔性は一日一体程度。
十五体目を討った翌日、依頼していました刀が完成し、僕へと届けられました。大凡の人外魔性に物理的な打撃はほぼ皆無。
覇魔を武具の打撃部で覆う故に刀身の有無は意味をなしませんが、それでも武具として短く決め手に欠ける今剣小狐よりも、太刀、大太刀の方が扱いやすいのは言うまでもないでしょう。
この度、渡されました刀の名は龍門(りゅうもん)‐千手院不破(せんじゅいんふわ)でした。その刀が僕の手に馴染むようになるのに大凡三つ月。
実体化した人外魔性を累計九十九体目討った夜の事です。岬に続く松林の中腹で化生との戦いの疲れを癒すのに地に座り樹木に寄りかかり、息を整えていました。今日まで討ってきました相手の中で一番苦戦を強いられてしまいました化生。
僕の身長の半分以上は雄に越し、巨体でありながらもその敏捷性は見た目に似つかわしく、その巨体から駆る打の破壊力は今、僕が凭れている松の木を撃ち抜き倒すほどの物でした。周囲を見回すと、その化生との戦いの傷痕が痛ましく、終わりを迎えました場に残っていました。酷いありさまに僕は戦う場を間違えてしまったのだと後悔する。一度小さく溜息をして、夜空を見上げ、雲が幽かによっている月を眺めました。
暫らく天を見上げていると低木に群れる葉々が掠れる音がしました。風はありません。それに気配を感じた訳でもありませんが、警戒の為にそちらを向きました。矢張り、そこには何もなく・・・、僅かに上空から風を切る音が僕の耳へ入り、直ぐにそちらを見ると、月を背に急降下してくる黒い物体が僕へ迫って来たのです。
体力の回復も完全でないまま、地を蹴って黒い物体から退避する。物体が地と接触する衝撃音は聞こえませんでしたが、『サクッ』と刃物を地に刺した風の軽い音だけが静寂な空間に漂う。
上から真向に降下してきた物体は常識的に考えられない速度で垂直から水平、直角的な軌道を描き、再び僕へ迫ってきました。その際、月光がその物体の何かを照らし、金属的な銀色の閃光を放ち僕へ示す。瞬時にそれが刃物だと悟りました僕は納刀していた千手院不破を鞘から抜き、応戦の姿勢を構えたのです。刃と刃が混じり、金切音が数回、同じ場所で打ち鳴らされました。
月の光しか光源のない岬の半場。更に松林が周囲を更に翳らせてしまい相手の色をはっきりと判断きませんでしたけど深い藍色の忍びが着る様な装束に貌下半分を隠す布。両手逆手に・・・、長さ一尺八寸脇差でしょうか?その出立ちは時代劇番組の忍者を想わせる風貌でした。十四、五位の少年?
少年は僕を逃す事を許さず、後退する僕へ瞬時に詰め寄り、双刀を僕の喉元に走らせてきました。不和の峰中腹に右手を添え、それが交差しようとするのを防ぎ二、三後ろへ飛び、更に僕の血が継承し特異な力の一つ天翔を行使しました。
常人が頑張っても垂直飛びで地から離せる足裏の距離は三尺を超える事はありません。ですが天駆ける翼、天翔は僕の体調が万全なら二十四尺、約七メートルも跳躍する事が出来るのです。大きな跳躍は体に掛る負担が大きいのは確かで、通常何回も行使する事を想定した場合は人の頭を飛び越える程度に抑えています。ですが、今は人の体の二倍くらい三メートル程、跳躍して松の木の枝上に飛び乗り、枝上を渡り、その少年から距離を取ろうと考えました。
少年は僕の様な跳躍力は持っていないようでしたが・・・、柔軟性のある足首とでも言うのでしょう。樹木と樹木の間を遡る稲妻のように飛び移り、瞬く間に別の松の木の僕と同じ高さに登っていたのです。僕は舌打ちし、直ぐに別の枝へ移動し相手の動きの様子を伺わせてもらいました。
今日携帯している残り少ない小柄を放ち、少年の動きを鈍らせようと考えるも、少年は当たり前のように少ない動きで投射物を脇差で払い落す。また、それを見て舌打ちをしてしまいました。
僕が戦わなければならないのは同じ人ではないと言うのに、しかも相手は少年。どうして、この刃を向けられようか?僕は岬とは逆の方向に後退しているつもりでした。しかし、まさか追い詰められていたなんて・・・。僕が最後に後退した時に背に松の木はなく、切り立つ広めの岬でした。
場所が広く、踏み外したら即、海へ落下する様な事はありません。しかし、眼前には少年が追い詰めた獲物を見据える様にゆっくりと歩み寄り、僕との距離、足幅十歩程度の処で体を停めて、左手の脇差を無手に構え、右手の脇差を持つ腕を滑らかに僕の目頭あたり上げた途端に襲いかかってきました。
突進してきた少年を僕は最後の小柄を投げて牽制しようとしました。しかし、少年は避ける気配も見せないで詰め寄る。
少年の肩に刺さる僕の小柄と何の躊躇もなく切り上げと、切り下げの動作が同時に行われる少年の脇差。相当な修練を積んできた事が判る動き、僕もためらっていたら、負けるのではなく、殺されてしまう。
何故、少年が僕を狙うのか判らず仕舞いでその少年と戦う事を強いられてしまいました。僕は不和を左手で構え、二つの刀が同時に繰り出されるそれを往なし、少年の頭を飛び越すための天翔をしました。
そこから、先、僕と少年の二人。見守るのは月明かりのみ、その下で幾度となく刃を交え、お互いに手傷を負わせ続けます。少年の忍び装束は致命傷を避けるために躱した痕が何か所も残っていました。僕は何故か、背広の上に白衣姿というちょっと変わった衣装。途中で外套の代わりになる白衣は邪魔になり脱ぎ捨てて今は背広が少年の斬撃により、綻びだらけです。
お互いに息が上がり、肩で呼吸を整えています。私は右目上の表皮を切られその流血が視界を悪くさせていました。少年は初めに僕が投げた小柄で負わせた怪我と先ほど胴を貫こうとした時に寸前でよけられ、その時に掠めた小柄の傷と同じ側の二の腕あたりから血が流れていました。少年は流れる血も、痛みも気にしている風ではない。他にもお互いに小さな傷は多く体力の消耗はお互い限界に近いのかもしれません。
僕は殺される訳にはいかないし、少年を殺したくもないです。どうにか戦えないくらいの致命傷を負わせられないかと思案する。しかし、相手が強すぎる故、僕の手を緩められないのが現状。打開策が見当たりません。
僕は正眼に構えて、少年の次の手を伺いました。一切の表情変化を見せないその少年の足が動く。僕は正眼から平突きの態勢に構え直し、少年の突進を阻止しようと不和を突き出した。
僕は少年の行動に驚くしかなかった。そして、それは僕の甘さと敗因を導く結果でもあった。
僕の平突きは少年の胸中を貫いていました。厳しい鍛錬を積んできた者にとってそれで即死する事はありません。僕の刀の鍔元まで突き刺さった少年と僕の体の距離、それは僕の死の距離でもあったのです。
眼前の少年の目の鈍い輝き。人の感情が見られないその瞳。まるで人形の様。その少年は最後の力で脇差一本を振り上げ、僕の背中から心臓目掛けて突きさす。肋骨と肋骨の間を通すその技、死の間際でそれを行える胆力。甘く見過ぎていました。少年と僕の体はお互いの刃で離れる事はなくそのまま海へ落ちて行く。
その際、はっきりと少年の持つ残りの刀の文様が目に入る。
八つの小さな円で大きな円を囲む紋様。それは日本武尊が退治した八岐大蛇の上に鎮座する情景を模した形。蛇の目九曜紋・・・、草彅・・・、表宮内の手の物か・・・、まさか。
死の寸前で僕は少年の目的を知ってしまう。奴らにとってこの子は使い捨てかっ!僕の最後に心に湧きあがった感情は詩乃さんの事よりも少年に対しての憐れみと憤りでした。
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