第3章 生長

 二〇世紀が終わろうとしていた頃、マリは小学校への入学を目前に父の仕事の都合で台湾の基隆市郊外にある台湾インターナショナルスクールに通うことになった。

 当時、日本や欧米などの外国からの移住者が増えて台湾国内は急速に国際化が進んでいた。その影響でクラス内でいじめがあった際に、マリはいじめられていた子を特殊教育クラスに編入するのはどうかという意見を学校側に提案し、結果的に解決に導いたことがあった。もちろん、そういった対応は子供たちだけでなく親たちにまで波及して意見が対立し、問題を深刻化させることも想定されたが、いちクラスメイトであるマリの純粋な思いを尊重する雰囲気となったのだ。ここで重要だったのは、現行法のように"問題を起こしている側を処罰する"のではなく、"危険にさらされている人を安全な場所に移す"という考え方だった。まだ十歳前後の少女の中に芽生えていた中道的な考え方にリンは感銘を受けた。そして、ひとりの人間として、マリのことを大好きになった。


 中学校に上がるタイミングで父と私は日本に帰国し、親戚の住む奥多摩に移住した。親戚から聞いたところによると、両親の離婚の原因は父の浮気が原因だったようで、交通事故で亡くなったと話している父をはじめ、男性全般への不信感を抱くようになった。以降、父とは本当に口を利かなくなった。

 環境の変化と相まって思春期を迎えたマリだが、田舎の景色が荒ぶる心を癒し、徐々に馴染めるようになった。唯一、男性不信は時を追って重症化していった。高校二年生の時には、床に落としてしまった消しゴムを拾ってくれた男子生徒の手さえも汚らしいものを見るかのような目で見ていた。反面、いじめや不公平なことに黙っていられず口をはさんで疎まれ、どこにいても孤独を感じるようになっていった。


 遊ぶような友達は出来なかったが勉強に精を出したのが報われ、都心にある第一志望校に合格することができた。入学して一人暮らしを始めた。同性の友達もたくさんできた。その中に、高橋美沙がいた。落ち着いていて物知りで、人と分け隔てなく接する姿にリン先生を彷彿とさせられた。ほとんどの授業が同じだったことも後押しして私たちは仲が良くなった。四年生になると国連の平和維持活動を研究するゼミに入った。勉強に加えて遊ぶことの楽しさも知った。時間が経つのは早いもので、就職活動のためのスーツを着るゼミ生をちらほらと見かけるようになった頃、美沙に聞いたことがあった。

 「そういえば、美沙はどうしてこのゼミを選んだの?」

 「わたしは、実は、小さいときに両親から虐待を受けてて、結構辛かったんだけど、それって家族の次元だけじゃなくて、地球規模でも構造は同じなんじゃないかなって考えたことがあったのね。問題を起こす側と安全が脅かされる側のどちらも単独の状態では決して解決できなくて、お互いに手を取り合わないと平和は実現できないんじゃないかなって思ったの。それで、求められるのは間に立って取り繋げてくれる存在だなって思って、国連の活動に興味を持ったんだ。まぁ、わたしの場合はNPO法人の人が仲裁してくれて、時々、両親と買い物くらいには行けるようになったかな。」

 今でこそ、屈託のない笑顔を周囲に振りまいているが、ここにたどり着くまでに壮絶な経験を乗り越えてきたのだろうと思った。

 「マリは卒業後はなにかやりたいこととかあるの?」

 「私は、どうだろう。まだよく分からないかも。」

 「マリは正義感あるし、警察とか市民を守るような仕事が向いてると思う。さすがに警察ってのは危ないからやめてほしいけどね。」

 

 卒業後、美沙は認定NPO法人児童虐待防止協会に就職した。マリは在学中にポリスマガジンを読んだりして情報収集し、警察か刑事で悩んだ結果、悪事には最前線で向き合いたいという理由から警察学校に通って刑事の道を志すことにした。(美沙には心配をかけてしまいそうで申し訳ない)


 マリはこの時、皮肉なことにかつての恩師を追う身となるとは考えさえしなかった。

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