第 四 章 弥 生

第九話 弥生の見た幻燈と秘めた真実

 私は結城弥生。弥生は今、回りが全部灰色に染まった空間、世界に居ました。何処までも縹渺と広がる領域。右も左も、どちらが天で、地かも判らない処。そんな場所で弥生は簡素な折り畳みパイプ椅子?にそろえた足とぴったりと合わせた股の上に重ねた掌を載せた姿勢で座っていました。来ている服は聖稜高校の制服です。弥生も回りの色と同じように色褪せています。

 どこを見ても、眺めても、今見える物が嘘であると思って目をつぶって頭を振ってから、見直しても、私以外、存在していません。そして、弥生はもう一度、瞳を瞼で隠して、どうして、今、弥生がここに居るのか、その前まで弥生は何をしていたのかを思い返してみました。時間の流れも介在していない、こんな世界で、瞬時という言葉がどれだけ速い物なのか判らないですけど、それを思い出し重ねていた手を胸のあたりまで上げると私を支える様な形で身振りしてしまった。

「みぃ~~~ちゃん・・・、ごめん」と何とも弱々しい声で呟いた後に自身を許せなくて下唇を噛み締めていた。涙もほろりと灰色の世界に零れ落ち、小さな波紋を幾つも作っていました。弥生は泣き顔で下に向けていたそれを正面よりやや上へ移すと、潤んだ瞳でぼやける視界の向こうに何かの映像が無音声で流れ始めたのです。不確定に流れていた映像も弥生の涙が乾ききった頃に鮮明になりました。

 映画のスクリーンの様な縦長で幅の狭い視野、白群色の揺らぐ水中の向こうにお医者さんのとは違う白衣や作業服を着た人達が十数人以上いました。見通しが広くなかったからその場に居る方々の鼻下から胸元よりも少し上までしか、見る事ができません。弥生の目がはっきりと開いていないから、そのように中途半端にしか見られない、のかな。そう思い、意識して目を開こうとすると、突然、眼前が真っ暗になり、何も見えなくなってしまう。驚きおたおたしていると今度は真っ黒く流れるコマの中の視野が光を帯びて、映像の中の明瞭ではなかった世界もまた、輪郭を正しく見えていたのです。

 弥生にはそれが何を意味していたのか判らないですけど、白衣、今度はお医者様が着る様なそれを着た方と、菖蒲色の着物を纏っている方の顔の下半分だけが見えていて、その口が動いていました。

 初めの二つは弥生に大きな印象を与える物ではなかったのですけど・・・、次に飛び込んできた映像が弥生を混乱させ、心に痛みを感じてしまいました。その映像とは戦争の爆撃で倒壊した様で血の色に染まった風景の中に鼻より下しか見えない小さな男の子がその子よりも小さい女の子を包む様な姿勢で映っていました。二人ともいっぱい血を流しています。大怪我をしているみたいで、男の子は必死に何かを訴えているみたいなのですけど、無音声だから、何を言っているのか判ってあげられませんし、こちらから何かをしてあげられる訳でもないです。心が軋み、弥生は心臓あたりに両手を重ねて力を込めていました。

 映像の中、その二人に差し伸べられる血が肩から指先まで伝っている腕。その腕の手が男の子に触れた頃、映像がコーヒーに垂らしたミルクの様に渦掻き色が混ざって真っ暗になってしまいました。

 また、新たな映像が流れ、頭上には複眼照明が弥生の方を見ていました。その視線が横にずれると手術台に寝かせられている先ほどの女児を包んでいた男児。回りには手術服に着替えているお医者さん達が居ました。執刀医だと思う女性のお医者さんが、今から行う手術にまだ踏ん切りができておらず逡巡している様な顔を作っていました。でも、弥生の視線の本来の持ち主が、その女医へ強く訴える目を向けていましたし、その思いが弥生にも伝わってきました。

 視線の持ち主の想いを受け止めた女性のお医者さんは諦めきった様に下唇を軽く噛み締めた表情で顔を左右に振り、躊躇いを振り払い決意した表情に変ってから、弥生の方、視線の持ち主へ微笑みかけていました。その意味を理解した寝台の男児の隣の人物の瞳がゆっくりと閉じられて視界から光が遠ざかって行き、弥生が見る映像もまた真っ暗に変わってしまいました。

 中途半端な内容のまま終わってしまった物語にぎすぎすした想いでいるとまた新しい映像に切り替わり・・・、今度は映像の中には如何にも僕達、不良やっていますって人達が七、八人で一人の男子学生を取り囲んで脅していました。その視点からは翠ちゃんと一緒に通学していた中学の制服を着ている藤宮大先輩も映り込んでいたのです。どんな状況なのか判らないうちに、視線の持ち主が一歩前に出て、その不良たちに何かを訴えるんですけど、その瞬間、不良が遠慮なしに突き飛ばし、画面が揺れ、藤宮大先輩も巻き込まれて地面に倒れ込んでしまいました。もう、ほんとうに厭らしい眼つきで寄ってくる不良AやB・・・、このままでは危ないって思って、逃げてと叫んでも届かないけど、叫んでしまっていました。弥生の叫びが通じたという事はないでしょうけど、背の高い同じ学校の男子制服を着た学生が現れたんです。その男子がこちらを見た時に・・・、直ぐに貴斗さんだって思った。映像で中学生の頃から、藤宮大先輩と頭一つ分以上も身長に差があったんですね、長身だけど、その作る表情がとても年相応の少年ぽくて、可愛らしいとほのぼのしているとスクリーンの中の状況は一変して、その年相応だった顔が無表情に変わっていて、射抜く視線は相手を凍らせてしまうのではと思うほど怖い・・・、道路には意識的に曲げられない方向に折れた手足で気絶している不良達と及び腰でナイフを構える一人と硬直半意識で引きずる様に貴斗さんに掴まれている人と泣き顔で今にも逃げ出そうとしている二人が残っていました。貴斗さんが掴んでいた不良を逃げようとする二人に力任せに投げつけ、貴斗さんが駈け出した処で、ぷっつりと映像が途切れてしまいました。それから・・・。

 唐突に衝撃的な場面が流れ始めていました。高慢な笑み、人を見下したような瞳で私の方を見る中学生くらいの女子と欲望に目をぎらつかせた高校生くらいの男子の二人が高圧で性的な視線を向けて弥生の方へ迫っている処でした。弥生の視線の媒体になっているのは高飛車な表情をしている女の子と同じで汚され、至る所が解れた制服を着ていました。何処かの廃れた工場。その人は尻もちを着いたまま躙り寄る男子から逃れようと後退するけど、背は既に壁に張り付いていて、それ以上裏に進むことはできません。くの字になった両膝の足の裏だけが虚しく床を磨っていた。一人の男子がその足の動きを無理やり抑えて、もう一人がその人のブラウスに隙間に両手の指を入れ、力任せに引き裂きました。弥生がされているような気持ちになって、弥生の胸を両手で隠すけど、映像は続き、背後に無理やり回った男子は露わになる品のある下着に包まれている双峰を乱暴に掴み無作為に動かしていました。

 両足を押さえている男子が片手を開けて、下腹部に腕を伸ばし、女子のブラと同柄のショーツの端に手を掛け、千切る様に引っ張った。両股を大きく横に開き、閉じない様にその中に体を侵入させ、まだ薄く茂る陰唇の周りに指を当て、弄り始めた。その二人の行いに嫌がる様に体や顔を振るけど、男子達を一層煽ってしまう。下をいじる男子は喚くなと言わんばかりの怖い顔をつくるとその女子を思いっきり往復平手にしていた。当たったのは頬じゃなく、彼女の耳当たり。それが後にどのような結果をもたらしたのか、この映像で弥生は知る事が出来ないです。

 手で口をふさぐのを面倒くさがった男子は彼女の穿いていたショーツを口に埋め込み喋れない様にすると続く行為を楽しみ始める。そして、結末は・・・。

 まるで弥生が体験している様な臨場感。でも、こんな事は体験したくもない心の傷を負ってしまうそんな映像です。弥生は流れている映像を直視できる程、無感情な人間ではありません。目を閉じたかったです。でも、弥生にその行為は許されていなかった。出来るのは弥生の表情を苦しみに変える事とそれに耐える様に身を固める事と・・・。更に被害を受ける側の感情を理解してしまう事でした。

 全ての映像が流れ切ると知ってしまう、何方なのかを・・・。れっ、れ・・・イプされた方が弥生の尊敬している大先輩の、藤宮詩織大先輩の身に起こった出来事だと弥生の心に伝わってしまうと、劇中の二プラス一人に明確な殺意を覚えました。今、弥生がこの空間から解き放たれたなら必ず行動に起こしてもいいという程の強い衝動が湧きあがっていました。

 藤宮大先輩と肌を重ねてよいのは・・・、あの方だけなんです・・・、あの方、藤原貴斗さんだけなんです。許せないです・・・。それからまた、また別の映像が暫らく流れました。でも、先ほどの藤宮大先輩の様に誰であるかはっきりと判る様な方は一人も居ません。流れている映像を見せられているだけ・・・。どうして、このような物を見せられているのだろうと考えていると、弥生の知っている大人な貴斗さんよりもまだ、若干、少年めいた貴斗さんが映っていました・・・、唯、荒廃とした部屋に両手に手錠、両足首には太い縄で括られ、淀んだ床に倒れこんでいました。貴斗さんよりも身長も肩幅も大きい男に足で踏まれ、悲壮な顔で涙する貴斗さんが映り込んで来たのです。どうして、そんな顔を作っているのか瞬時には判りませんでしたけど、それも視覚の持ち主に集中すると、その感情が流れ込んできました・・・、・・・、痛い・・・痛いです。苦しいです・・・、貴斗さんのあの泣き顔を見るのは。この映像だけは結末までずっと流れていました。

 どうして、どうして、映像の中の様な責め苦を貴斗さんも視線の持ち主も味わわなければならないのでしょう・・・、憎い・・・、貴斗さん達にこんな事をする人達を粛清してやりたい激情が弥生の中を奔った。

 暫らく何も流れなくなった頃、弥生は心が痛くて身体を卵の様に丸め、膝の中に顔を埋め、ぼろぼろ涙を流す。唇を噛みながら顔を上げ始めると、頭上のスクリーンに映像が流れていました。それは、春香お姉さんが事故に遭う瞬間。あの春香お姉さんが三年間も眠りに落ちてしまった原因の事故が・・・。

 再び、藤宮大先輩の視点で映像が流れ始めた時、弥生の心が酷く軋む。大先輩の崩れかけの心、そんな状態で弥生の知らない人達に凌辱されている光景は悪夢でした。弥生がのうのうと貴斗さんの事を想いながら日々を過ごしている間に大先輩は酷い目に遭っていたというのにそんな大先輩の想いの人を弥生へ振り向いてもらえるように行動していたと思うとなんて弥生は卑しくも浅ましい女の子だろうと蔑んでしまいました。それと同時に藤宮大先輩にあんな酷い事をした男の人達に強い憤りを覚え、誰の手でもなく弥生自身の手でこの世界から消し去りたいです。でも、今の弥生は何処とも判らない世界で流れる映像を眺めるだけしか出来ない存在。

 藤宮大先輩の事実かどうかも判らないその映像終わり、違う映像がまた流れる。場所はどこかの海岸の崖、視線が一度、空を見てから崖の下の海になると急速に海面が近づいていました。視線の持ち主が崖から飛び降りていたのです。岩場がないその場所。視線の持ち主の体を海が包むと荒波で漂う海藻がその人を捕え、海の底へと引きづり込んでしまいました。

 この人は・・・、確か、弥生が藤宮大先輩を尊敬するのと同じくらい翠が尊敬していた人・・・。どうして?どうして、そんな結末を選ばなければならないの?どうして?そんな疑問を抱え始めるとまた場面が移り変わって飛行機の中に居ました。弥生は一度も乗った事がなかったですけど、テレビドラマとかで何度も見た事がありますから、間違いじゃないと思います。

 視線の先には数度しかお会いした事がありませんけど、貴斗さんが親友っていっていました確か・・・、八神慎治さんでよかったかな?その人が映っていたんです。窓に映り込むその方の表情は何か大事な物を亡くした様な悲壮感に満ちていました。その意味が何であるのか弥生には判る様な気がします・・・。そんな事を考えていると突如、視線が大きく揺れ、焦点が定まらない映像になってしまいました。そんな中、慎治さんは慌てるそぶりも見せないで天井を見てから正面に顔を戻し、首を左右に振って何かを諦めきったような表情に変わっていました。そこで、映像が途切れ灰色のスクリーンがその存在を消そうとぼけていました。

 もう終わりなの?と弥生が思うと、出てきた映像に驚き、表情もそうなっていました。

将臣お兄ちゃんがボクシングをやっている映像が流れだしたのです。お兄ちゃん、ボクシング高校で終わりって言っていたのに、今見るお兄ちゃんの姿や回りの観客から、高校の大会の時の物じゃないって直ぐに気が付きました。では、一体、このお兄ちゃんは誰?弥生の本当のお兄ちゃんなの?将臣お兄ちゃんなの?時間の流れが判らない場所に弥生は今いるから映像が本物かどうか、わからないです・・・。私、弥生はどうしてここに居るのでしょうか?そして、最後の映像が流れた時に、弥生は思い出したんです・・・、一番大事な事を、どうして、弥生がこのような非現実な場所に置かれているのかを・・・、弥生の大事な、大事な、親友を巻き込んでしまったあの事を。弥生は生死の境を彷徨っているのかもしれません。それすら、どうかも判らないですけど、翠ちゃんを巻き込んでしまった弥生を許せなかった。でも、今の弥生は翠ちゃんへ謝ることもできません。どんな状態になって居るのかも知る事ができません。弥生がこの峠を越えて、目を覚ました時に翠ちゃんがいなかったらどうしよう・・・。私だけが助かっていて、親友が・・・。陰りの感情が募った時に弥生はその場所から消えてしまっていました。闇の中へと溶け込んでしまったのです。

 弥生は何度も、何度も同じ映像を繰り返し見せつけられていた。いつ、終わりが来るかもわからない果てしない位に何度も弥生を責める様に、咎める様に流れ続けたのです。翠ちゃんがああなってしまったのは弥生の所為だって理解しています。でも、どうして、それが貴斗さんや藤宮大先輩達の辛い映像まで見せつけるのかは納得できないし、理解し難い事です。

 更には将臣お兄ちゃんが度々、危険な目に遭っているという映像も流れていました。判断を誤れば、弥生達と同じ所へ来てしまうようなそんな場面がありました・・・、・・・、・・・、将臣お兄ちゃんが親友と別の女の子と、親しげにしている映像は見なかった事にしてあげましょう・・・、今後の二人の為にも・・・。

 何千回も見せられた映像の最後が今までと違った映像に更新された時、弥生は唐突に現実の目覚めを促されました。そして、飛び跳ね起き、回りを見回していました。そこには弥生と同じように今目覚めたばかりと言わんばかりの親友がいました。そして、泣いていました・・・、弥生も。

 弥生が現実に返ってきた事を何故か、如実に感じていました。そばには親友がいる弥生の所為で弥生と同じ時間だけずっと病院のベッドで眠り続けてしまった親友の翠ちゃん。先生方の話しを聞くと弥生達は六年間も眠り続けていたみたいです。本当にそんなに時間が経ってしまったのかと疑問に思いましたが、特に記憶の混濁はありませんでした。自然にそれだけの時間が過ぎてしまった事を受け入れていたのです。それは巻き込んでしまった親友が無事って言い方はおかしいのでしょうけど、生きていてくれたから、それに事故に巻き込んでしまった事の翠ちゃんへの申し訳なさで心がいっぱいだったからです。

 目覚めた時、長い事会っていなかった将嗣お父さんがお見舞いに来ていました。どれだけ長い月日会っていなくても私はすぐにお父さんだって気付いて上げたのにどうしてか、お父さんはよそよそしい、遠慮がちな顔をしていました。何故、そんな表情を作ったのか理解できません親子なのに・・・。将臣お兄ちゃんも大喜びでお見舞いに来てくれた。本当に弥生の事を心配してくれていたんだって知る事が出来たんだけど、何故か、お兄ちゃんの心の中も複雑な思いでいっぱいだったようです。それは翠ちゃん以外の女の子のこと・・・。でも、弥生はそれを知らないふりで将臣お兄ちゃんの言葉に受け答えていました。

 翠ちゃんや弥生が見ていた夢で泣いていると最後に姿を見せたのは八神慎治さんでした。夢の中の飛行機事故で亡くなってしまっていた方。でもそれはただの空想だったようです・・・。そうでもなかった。親友が泣きながら今までどうしていたのか尋ねたんですけど・・・、その答え、弥生達が見ていたのは正夢?それと親友も弥生が見ていた物と同様の物を見せつけられていたの?と疑問にも思いました。

 大方の事を聞き終え、皆さんが帰った頃。翠ちゃんと弥生が二人きりになった頃、親友に対する申し訳なさが再び膨れ上がり、

「ねぇ、みぃ~ちゃん。その・・・、ごめんね、私があのときへましてしまったせいで六年も無駄にさせちゃって・・・」

「いいって、弥生ちゃん。もっと早く弥生ちゃんに教えていれば、私達、あんな事故に遭わなかったかもしれないし・・・、もう少し、意地張って教えなかったら、こんな風にならなかったのかもしれないから。もしもの話になっちゃったけど。だから、絶対この事を気に病まないでほしいな」

 弥生の親友は眩しい位の笑顔でそう答えてくれた。弥生はとても嬉しかった、翠ちゃんの様な親友を持てた事をこの世界に感謝した・・・、その思いを真摯に受け止め、これからもずっとお友達を続けたいから、

「うん、有難う。弥生、みぃ~ちゃんみたいな子が弥生の親友でよかった。私目覚める瞬間すごく不安だった。嫌な夢を見ていたから・・・、こんなにも近くにみぃ~ちゃんがいたから。でも、それと同時に凄く弥生が許せなかったの」

「だぁ~かぁ~らぁ~、言ったでしょう」

「うん、みぃ~ちゃんがそう言ってくれるから、私がみぃ~ちゃんに負い目を感じることで、みぃ~ちゃんが息苦しくなってもらいたくないから、ちゃんとそのみぃ~ちゃんが言った事を受け入れたい。だからもう一度だけ言わせて・・・、御免なさい、みぃ~ちゃん、そして、有難う・・・、これからも・・・、これからもずっと親友で居てね」と何の迷いもなく口にしたんです。

「はいはい、分かってますよぉ。これからもつつがなくお友達しましょうねぇ」

 弥生の真面目な言いに悪戯な笑みで返す親友。その笑みの中に翠ちゃんが無理をしている感情を読み取れました。それは弥生の事を許してくれるとか、そういう事じゃないけど・・・、何かに悩んでいるのは確かな感覚。

「実感がないけど、もう、六年過ぎてしまったのよね。私たち、これから何をすれば、どうすれば、いいのかな?」

 今弥生に見せた感情を隠す様に天井を見て、そう口にするけど、

「私は弥生ちゃんと違っておバカさんだからそんな事すぐにわかる訳ないじゃん」と率直にいい返し、

「もぉ、そうやって直ぐ、自嘲するんだから。みぃ~ちゃんはみぃ~ちゃんが思っているほど駄目って事ないのに。凄いってこと弥生は知っているのですからね」とせっかく褒めるのに

「はい、はい、そうですかぁ~~~、なら、一番にしなくちゃならないのは弥生ちゃんが私をみぃ~ちゃんって呼ぶのを辞める事ですかねぇ。私は弥生って呼んで、弥生ちゃんは私を翠って呼ぶこと」と意地悪な事を言う。だから、

「うぅ~~~ん、それは無理かも・・・、それじゃ、お休み」と起きていた姿勢を寝かせて、毛布を頭まで掛けて隠れてしまいました。そして、思い眠りに就こうとする、これから弥生が翠ちゃんにできる事はどんな事なのかを。

 身体的に問題ないとみなされた弥生達は翌日に退院を余儀なくされました。本当に普通に体を動かせる事に違和感を抱きつつ、秋人小父様達と一緒に病院の外へ出ていました。将臣お兄ちゃんはお迎えに来てくれているのに将嗣お父さんは来てはくれなかったみたいです。お兄ちゃんの話によるとお父さん、仕事を退職したみたいでこれからはずっと一緒に暮らせるって話してくれました。今までずっと一緒に居られなかったからそれはとても嬉しい事です。二十歳をとうに過ぎた娘が何を甘えた事を言っているのだろうと思うでしょうけど、幼少の頃、それが弥生にできなかったのだから今からそう思ってもおかしなことじゃないと思います・・・、多分。・・・、・・・、・・・、・・・でっ、でもやっぱりいけない事なのでしょうか?

 それから、毎日、弥生の事を気に掛けてくれるように頑張るんですけど、娘の弥生に遠慮がちの態度がはっきりを判ってしまう。お兄ちゃんは節操無いのに、その逆を行く将嗣お父さんが堪らなく可愛らしく思えてしまうのは弥生だけの秘密です。

 二〇一一年四月の終わりごろ、将臣お兄ちゃんが翠ちゃんと弥生を連れて何処かの墓地に連れて行ってくれました。その場所はまだ弥生がきちんとしたお別れを告げていない大切な人達が眠る場所。親友の気持ちを判っていながら、弥生は翠ちゃんへ色々な言葉を掛け、そこに並んでいる方々のお墓を丁寧に掃除しました。綺麗に花を飾り、三人で分けたお線香が崩れない様に慎重に置き、三人並んで手を合わせ拝む。春香お姉さん、その恋人だった柏木さん、翠ちゃんの尊敬していた先輩の隼瀬さん、藤宮大先輩に貴斗さんの冥福を丹念に祈る弥生でした。これから進む、弥生達の未来を照らして呉れる様に、迷わないようにと願いながら・・・。

 その日から、翠ちゃんと私は明確な目標を立てるために大学へ入ろうって決意しました。入学したいところは藤宮大先輩達が過ごした弥生達の母校の上位学校の聖稜大学。正式には私立・聖稜学園大学部って言うみたいなのですけどね。最近は秋からの入学も増えているらしくて、聖稜大もそれを採用していました。秋期入学試験までたったの五カ月しかないけど、可能なら今年からそこで学びたいと大きな目標を立てて親友と一緒に受験に力を注ぐ日々が始まったのです。

 五月の連休に弥生達は今までした事がなかった家族旅行を翠ちゃんの処とそれに八神先生達の処の大所帯で出かける事になったんです、弥生は車中、弥生が眠っていた頃に見ていた明確に思いだせる夢の理由を弥生なりに考えたくて、臨床心理学に関する冊子を読んでみました。でも、その中に求めていた答えは見つかりません。

 燥いでいるように見える親友の翠ちゃん、でもそれが心からの物でないのが見えてしまう。でも、それを口にすると『弥生の癖に』って皮肉られるのは判っているから口にしないけど、いつか、私が好きな翠ちゃんに戻れるように弥生が出来る事を探さなくちゃ・・・。

 そういえば、将臣お兄ちゃんは夢の中の出来事の様にボクシングをやっていたみたいですけど、弥生達が覚醒してからはきっぱりやめてしまって、現在二十四歳無職・・・、ニートな将臣お兄ちゃんは毎日、弥生達と一緒に居てくれて弥生達の勉強を見てくれていました。初めはただ一緒に居てくれているだけなのかと思っていたけど、五月の連休のキャンプから帰ってきてからはどうもその様子が違っていました。

 翠ちゃんはその事に気がつかないくらい懸命に・・・、もちろん弥生だって一生懸命やっていますよっ!でも、それでも、どうしてか、将臣お兄ちゃんの心の内が、お兄ちゃんが無防備の時にはその思いが見えてしまう。同形双生児がもつ共感の様な繋がりを二卵性の弥生達は持っていました。だから、弥生もお兄ちゃんの心が見える時がある様に、お兄ちゃんにも弥生のそれを覗かれてしまう時があります。でも、お互いに判っている事を口に出したりしません。

 ただ、思う。将臣お兄ちゃんが翠ちゃんや弥生の為に頑張ってくれているのなら、支えてくれるのなら、親友と一緒に一生懸命取り組める。

 充実していると時間の流れはとても速く感じられた。数カ月が過ぎ、入学試験の日が訪れる。その日、本当なら将臣お兄ちゃんも一緒のはずなのにそうするそぶりも見せずに、弥生達に気がつかれない様に見送る素振りをしていました。そんなお兄ちゃんを心の中で笑いながら、将臣お兄ちゃんが親友にした行為に対して睨んでいました。

 二日目はもうボクシング辞めちゃったのに朝のトレーニングに出かけるって、弥生達よりも先に家を出ていました。無論それも嘘。弥生達よりも先に試験会場に行くのを隠しているだけです。そんな遠回しの将臣お兄ちゃんの気遣いを感謝し、翠ちゃんと一緒に最後の試験も乗り切りました。

 試験が終わった後、お兄ちゃんが良く頑張って褒めてくれたのに、翠ちゃんの真似をして弥生も笑顔で親友よりも酷い事を口にしてしまいました。お兄ちゃんは弥生達の言葉に莫迦らしいって溜息を吐くだけで、怒る事はしませんでした。将臣お兄ちゃんが怒る事なんて殆どないけど、確実に怒らせる事が出来るのは音楽を聴いている処を邪魔する事、だった。過去形なのは今そうじゃないみたいだからです。六年の内に弥生のお兄ちゃんは、弥生の知っていたお兄ちゃんから少し変わってしまいました。それでも、弥生のお兄ちゃんである事が変わった訳じゃないので誰にも判らない様にひっそりと心内で安堵。

 九月末、弥生達の努力は報われ、合格通知が届く。ただし、一通のみ、弥生の分だけ。弥生なんかよりもよっぽど要領のいい将臣お兄ちゃんが受からないはずがなかった。でも、弥生は知らないふりをしているから聞くにも聞けず仕舞い。翠ちゃんも合格。秋人小父様達も将嗣お父さん、将臣お兄ちゃんもみんなして合格を祝ってくれました。今のお兄ちゃんの心が見えない。将臣お兄ちゃんの試験の是非が判らないです。不安な顔を浮かべる訳にも、心を悟られる訳にも行かず、お祝いの場を崩さないようにするのに必死になってしまいました。

 レストランからの帰り際、お兄ちゃんに頭を掴まれ、

「何、おたおたしてんだよ、弥生?お前の考えくらい丸見えだってぇの。心配んすることなにもねぇよ」と言うと、掴んでいた頭から手を挙げ、軽く数回はたかれました。

「弥生の心勝手にのぞくなんて、将臣お兄ちゃんの変態っ!」と言いつつ、お兄ちゃんから離れると小さく赤目の顔をお兄ちゃんへ見せつけていた。そして、将臣お兄ちゃん鼻で笑われ、将嗣お父さんには、『年頃の娘がはしたない』とため息を吐かれてしまいました。

 聖稜大への入学も決まり、一息付いている頃、弥生達の物語は急展開の片鱗を見せ始めました。それは二〇一一年九月二十九日の木曜日の出来事です。

 まだ大学生になっていないのに大学生気分で聖稜大学から出てきて、近くの喫茶店へ向かっている処でした。

「ねぇ、将臣は本当にこれからどうしたいのよ?」とお兄ちゃんの事を本気で心配している顔で翠ちゃんは尋ねているのに、将臣お兄ちゃんたら、倦怠的な表情で、

「はぁ?」といって誤魔化すしぐさをしていました。

「はぁ?じゃないでしょう、将臣お兄ちゃん」

 余りに締まりのない顔だったので、ちょときつめの言い方をしても、点で堪える様子がありません。

 弥生の言葉なんて無視して、もう目の前の喫茶店『ドレスデン』の扉を開け、弥生達へ中に先に行けって促すそぶりをした。

 お店の中に入り、お気に入りの窓際の席へ移動するとお互い好きな飲み物とケーキを注文していました。

 翠ちゃんは食べながらも、何度も将臣お兄ちゃんへ今後をどうするか、訊ねていました。弥生はその二人のやり取りを面白そうに観察していて、親友が諦めて言葉をあぐねている時、背後から知っている様な声が耳へ届いてきました・・・。弥生の聴き違いじゃない様です。親友もお兄ちゃんも、同じ様にその声を欹てる様な仕草を作ったから。

 その声は八神慎治さんの声でその内容が・・・、信じられない。本当に?居ても立っても居られないというのが表情に出る翠ちゃん。立ち上がって、八神さんの処へ動こうとする処を将臣お兄ちゃんも弥生も寸分違わずに親友の行動を抑え込んでいました。そして、それから、その話の内容を聞き続けます。

「もう少し、内容を聞こうぜ。中途半端に聞いて慎治さんに事実を確かめてもうまく流されちまうのは目に見えている」

「そうです、ちゃんと会話の内容を把握して、八神さんへ、私達がそれを訪ねた時にちゃんと答えてもらえる状況にしなければいけないんですよ。みぃ~~~ちゃん」

 やっぱり将臣お兄ちゃんも同じ考えだったようです。弥生たち兄弟の持つ特技?無意識共感。発動条件は翠ちゃんへの行動を抑えるのに限定です。

 最近、翠ちゃんは私の事を敬称なしで呼ぶのに、弥生は未だに親友を愛称で呼んでしまっています。直さなくちゃとは思っているけど、長年そう呼ばせてもらっているから早々治りそうにないね、これだけは。

 それから、暫らく、弥生達は真剣に八神さんと誰かの会話を聞き続けるんですけど、途中で理解が出来なくて頭の中で整理がつかなくなってきて、眉間にしわを寄せてオロオロです。翠ちゃんも、限界が来ている様で苦い顔をしていました。将臣お兄ちゃんだけが、さも、判った風な顔で真剣に聞き続けています。

 端的に理解したのは八神さんが何かを調べその事実を暴こうとしている事でした、独りで。弥生は大きな事件性を直観的に感じてしまう。弥生達が加わったからって大した手助けになるとは思わないけど、弥生達の考えは一緒でした。真実を知る事で危険が伴う事かもしれない。でも、春香お姉さん、藤宮大先輩や、貴斗さんが事故じゃなくて誰かの故意に起こした殺人かもしれないと聞いたら、行動せずには居られません。それに将嗣お父さんの名前が浮上していた事もとても気になっていました。翠ちゃんが最初に動きだし、何かを真剣に考えている風の八神さんの処へ移動する。それに追従する弥生達兄妹。

「八神さんっ!その話し本当なんですか?私や、弥生が、貴斗さん、詩織先輩たちがっ・・・、じゃなくて」

「そうっすよ、慎治さん。それが本当なら俺達だって協力させてくださいっ!人数が多い方が情報も多くそろうでしょう?」

「弥生も、そう思います。だから、ぜひ弥生たちにも手伝わせてください」

「八神さん、私達、八神さんが思っているほど、馬鹿じゃないんだからね」

「そうですよ、弥生達は、ちゃんと八神さんのお話を聞いて、弥生達が八神さんに協力したら危険な目に遭うかもしれないって事ぐらいしっかりと理解できます」

「こいつらが、こん睡状態だったときに、俺、何度か危険な目にあったけど、慎治さんの話を聞いて納得できた様な気がする。でも、俺はちゃんと無事でいるんですよ。だから、大丈夫ですって。こいつらくらい俺が危険から守って見せますよ。その為に自分を鍛え上げてきたんですから」

 そのお兄ちゃんの言葉が頼もしかったけど、やっぱりあの夢は事実だったの?将臣お兄ちゃんの決め台詞が、渋っていた顔の八神さんの口を割ったようでした。

「ああっ、わかった。わかったよ。俺の負けだ。君達の協力を仰ぐことにする。だけど、俺の支持に従ってくれない場合は認めない、いいな。それと君達は来月から大学何だから、学生である本分を逸脱する行為は許可しない」

「了解ちゃんです」

「はぁ~~~いっ、弥生はちゃんと守ります」

「うっす」

・・・、・・・、・・・???なぜ、そこで八神さんの言葉に返事しちゃうの?翠ちゃんにばれちゃうじゃないですか?とひやっとして、親友を見るけど気付いている様子はなかった。ホッとして心の中で胸をなでおろしていました・・・?ぇぇえ、なんで弥生がそこで安心しなきゃいけないのでしょう?と訳のわからない憤りでまた頭の中が混沌とし始めると、八神さんが苦笑しながら、親友へ答えていました。

「ふぅ、一番、翠ちゃんの言葉が信用ならないのだが・・・、じゃあ、まず、俺と会話の相手の内容聞いていたんだろう?」

「はい、ちゃんと記憶しています」

「なら、まず、結城兄妹、君達にはお父さんがどんな風にプロジェクト・アダムに関わっていたのか。翠ちゃんは両親から、同じようにそのプロジェクトに関して知っている事を聞き出してもらいたい」

「はっはぁ~~~いっ!」

「しかし、内の親父が・・・」と呟くけど、弥生は頭の中がぐるぐるしていて、八神さんへ返事を出来なかった。

「三人とも聞いた内容をちゃんとまとめ俺に知らせてくれ。それから、俺がその時得られた情報から、次の行動、どうするか決めるとしよう。はいっ、時間が惜しいから、解散」と弥生が悩みまっ最中なのに八神さんは逃げる様に行ってしまいました。

 ふぅ、八神さん、将嗣お父さんがアダム・プロジェクトってお仕事をしていたと話していましたが、それと藤宮大先輩達に一体どのような関係があるのでしょうか?それがどのような事件性を秘め、全てがつながるというのでしょう・・・、その前に将嗣お父さん、どんな事を今までしてきたのか、教えてくれるか、非常に難しいところです。簡単に約束してしまった後だから、取り消しはしないですけど、不安でいっぱいになってきました。

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