愛とは

 

「いただきまーす!」


 二人で手を合わせて合掌。私と愛の夕飯の時間。可愛い……その小さいほっぺを膨らませ、小さな身体を上下させ美味しさを表現する愛。


 スーパーで買ってきた惣菜を皿に移し替えて、レンジで温めただけの豪華フルコースだけど、何か?そして、まあ、ほぼ毎日だけど……。


 仕事の後は疲れていて料理なんてする気がしないし、あまり得意な方じゃない。それにこのスーパーの惣菜は美味しい。美味しいのなら愛にとってもいいだろう。なんて都合のいい私……。


 御飯はタイマー予約で家に着く頃に炊き上がるようにしている。愛にとってお袋の味なんてない。たまには何か作ろうかなあと思いつつ、「ママおいしいね」この一言で私はまた明日もスーパーで惣菜を買ってしまうんだ。


 この時間も私の幸せなひと時。愛と一緒にお腹を満たすことで、蒸発していく何かも満たされていく。


 ただ今日に限っては、テレビの中のニュース番組に苛立ちを隠せないでいる。私は唐揚げを喰いちぎり、烏龍茶で流し込んだ。

   

 大物プロデューサーと人気女性歌手の結婚報道だ。夕方のニュース番組はどのチャンネルもこの会見を放送している。


 この二人の噂は週刊誌やワイドショーを常々賑わせていたが、まさか結婚するとは思っていなかった。


 男の方は様々なアーティストに楽曲を提供し、どの曲もオリコン上位に何週も滞在し続け、400万ダウンロードに達したあの曲もコイツの曲だ。


 四十歳近いくせに茶髪のロン毛で、結婚会見なのにサングラス。少し出っ張った腹は年齢を隠せないようだ。


 スカしやがって、お前もただのエロオヤジだろ。

M男丸出しだな。この仕事してりゃ、だいたいわかるんだよ。

 

 それに対して、このオンナ。唄はそこそこ上手いし、顔もスタイルも完璧だ。それもそのはず整形すれば、その顔もその身体も手に入る。心も整形してもらえよ。生意気なサイボーグオンナ! なんだよコイツ、私とタメ歳かよ! 整形代は隣にいるオヤジに全額出してもらったのか? このオンナは生意気キャラだけあって、何かの歌番組でドS宣言してやがったな。なるほどねえ……夜の相性はばっちりってわけかよ。


 会見は進み、女が掌をかえしてガラス細工のような嘘みたいに大きなダイヤモンドを見せつけている。


 カメラのフラッシュの集中放火を受けるダイヤは、無数の閃光を一点に集め、その輝きを増幅させて四方八方に散りばめる。


 きっとこの会見の視聴者達を魅了しているに違いない。私もそのうちの一人だ。


 このキラキラ眩しいだけの石コロに、いったいどれだけの価値があるというのだろう。借金全額返済してもお釣りがくるんだろうな。あんな仕事なんてすぐに辞められる。二度とあの地獄に行かなくて済む。


 私は空いた惣菜のパックに箸を投げ捨て、テレビ画面を睨みつけた。


 会見が終盤にさしかかっているようだが、もう一つ発表することがあるらしい。変態プレイで授かったベイビーか?


 固唾を飲む報道陣……。


 誰もがデキちゃった婚だと思うなか、予想に反した漢字一文字が描かれたCDのジャケットを、女が二人の顔の間に持ってきて言った。


「入籍する日にリリースすることになりました。タイトルは見てのとおり『愛』です」


 するとカメラはプロデューサーに向けられた。


「まあ……作曲家と歌手の結婚ですから……ええと、まあ、愛というものが何なのか表現せずにはいられなかっただけです……」


 鼻の頭を掻きながら、ぼそぼそっと歯が浮くような台詞を言ってのけた。


 冷静になれば、ただの芸能人の記者会見。ただ『愛』という言葉を玩具のように扱い、その『愛』で金儲けを企てている。


 何かムカつく。異常に腹が立って仕方ない……。


 私はテレビ画面の中に入り込み、エロオヤジとサイボーグオンナを押し退けて、全国民に向けて言ってやった。


「いいか、よく聞けよ! 男女間に愛なんて存在しないんだよ! このオヤジはこの女のルックスと結婚するんだ。


 目頭と目尻を限界まで切り開いた目、プロテーゼで尖らした鼻と顎、削り取った頬骨とえら、ボトックスとヒアルロン酸を何本もぶち込んだ肌と乳、それを独り占めしたくて結婚という制度で縛りを与えたいだけなんだよ。


例えばさ、この女が鼻も乳首も溶けて失くなっちゃうくらいの、一生消えないような火傷をしたとするよ……そしたら、このオヤジは100パー婚約破棄するね。ほらっ、何か言ってみろ!


可笑しいねえ……オッサン、『愛』って何ですか?この歌詞カードに書いてある事が愛ですか?


自慢じゃないけど、私も『愛の念仏』唱えてるよ。……だけどさあっ! こんな甘ったるいもんじゃねえんだよ! こんな綺麗なもんじゃねえんだよ! もっとどろどろして生臭いモンなんだよ!」


 私はエロオヤジの尻を蹴飛ばして、フレームアウトさせた。


 「さあ ……次はオマエだ。このクソオンナ。オマエはどうして、このオヤジとの結婚を決めたんだ?見た目とは裏腹にとても誠実な人か? 変態だけど、とても優しい人か? 仮にそうだとしようか。


じゃあ、このオヤジが破産して、作曲能力を失なったとする。オマエはこの金も才能もないただのエロオヤジを、今と変わらず愛せますか? それでもオマエはオヤジと結婚しますか?  その造り物の美貌とそこそこの歌唱力で、明日から一緒に借金返済しますか? 強がりはナシだよ。ちゃんと答えなさいよ!


……やっぱり黙っちゃうよね? 金が大好きです……。金と結婚するんです……。金が無ければただのエロオヤジです……。ほらっ言ってみろ! 言えええええ!」


 私はオンナをオヤジの太鼓腹に投げ付けた。

 

「はいはい、記者会見終了でーす。結局、男と女なんてそんなもんでしょ?


男は中身なんて二の次で顔とスタイルがいい女……見てくれのいい女を飼いたいだけ。


女は金と地位と名誉がある男……いかに楽して何不自由のない贅沢な生活を送れるか、ただ金さえあればどんなオヤジでもいいんだ。


それに男と女が愛を語ってられるのは最初だけでしょ。結局すぐに飽きちゃうんだよ。お互いに付加価値があるかどうか、ただそれだけなんだよ。


テレビをご覧の皆サマ。アナタの隣にいる恋人、あるいは夫、妻を、愛していますか?


長年連れ添ってる夫婦の皆サマ、今も変わらず愛せてますか? どうして一緒にいるのですか?


もしも愛する人が大病や障害をおったとしても、アナタは死ぬまで面倒見れますか?


愛する旦那様が働けなくなったとしても、代わりにアナタが働いて生計をたてることができますか?


愛する人がなにもかも失ったとしても、今と変わらず愛せる保証はありますか?


アナタたちの身体の中に埋まってますか? ……心ってヤツが……。


誰か答えてよ……答えてよ……答えろ……ねえ……ねえ、ねえっ! ねええええええっ! 誰か答え なさいよおおおお!」


「……ねえ、ねえ! ママ……こわいよ……」


 眉をハの字にして瞳を潤ませた愛に膝を揺すられ、私は現実に引き戻された。私ははっとなり、組んでいた足をほどき、愛を膝の上に乗せて抱き寄せた。


「……ご、ごめん……」


 私はいったいどんな顔をしていたのだろう。愛は私の胸に顔を埋めTシャツを強く握りしめている。


 過去の自分に戻ってはいけないのに……愛を産んで愛を知ったのはずなのに……。人は人。私は私。


 今ここに存在している……今この腕の中で息している……この愛だけは私を独りにはしない。絶対に私を裏切らない。


 この愛を奪われたら、私はどうなってしまうのだろうか。そんなことにならないためにも、私は地獄へと足を運んでいるんだ。


 私は愛の華奢で柔らかな背中を優しく叩いた。


「お風呂入ろっか?」


 頷いた愛の頬を大粒の涙が零れ落ちた。


 風呂を上がると最低限の家事を済ませた。先程の私を気にしてなのか、愛は覚束ない手つきで洗濯物を畳んでくれた。まだまだ幼い愛の思いやりが私の心にグングン染み入り、涙が零れないように必死に堪えた。


 その小さな小さなその身体で布団を二枚並べて敷き、シーツの裾をしまい込んだ愛は得意げな顔で言った。


「ママ寝なさい」


「まだ歯磨いてないよ」


「いいから寝なさい!」


 枕を叩いて強い口調で言うので、皺だらけのシーツに身を預けた。愛はタオルケットを不器用に広げ、何故か私の頭まですっぽりと被せた。


 ドタバタと走る愛の足音……。パチッ……と電気が消え、部屋は真っ暗になった。すると愛が私の足元から潜り込み、胸元まで上がってきた。


「疲れた時は早く寝ようねえ……」


 愛は私が普段言っている台詞と口調を真似て言ったのだ。私はいつもそう言って愛の頭を撫でる。でも愛は私の胸に顔を埋める。必死に母親である私を真似しているけれど、そこだけは真似できない小さな子供だった。


 その愛の背伸びした思いやりに、私の中のヒビが一気に裂けて決壊し、両目から止めどなく涙が溢れ出た。


 顔までタオルケットをかけたのは、既に私が泣きそうな顔をしていたのか、辛かったら泣いてもいいよ、という意味なのかどうかは分からないが、そのさりげない思いやりと優しさが、堪らなく嬉しくて、そして、こんなにも小さな子に気遣わせてしまったことが情けなくて、泣き声が漏れないように必死だったが、それが余計に呼吸をおかしくさせた。私は鳴咽を殺しきれず、愛を強く抱きしめた。すると愛はそんな私に応えるようにしがみついてきた。


 愛は私の不規則な呼吸を掻き消すような声をあげ泣き出した。さっきの恐ろしい顔のママに不安を感じていたのだろうか。ただもらい泣きしてるだけなのかはわからない。だけど一番悲しい想いをしたのは愛だとわかった瞬間だった。


「ゴッべンッ、……ごめんっ……なさいっ……」


 私は親としではなく、一人の人間として愛に謝罪した。


 そしてママの初めて発するいびつな『ごめんなさい』に呼応するように、さらに愛の泣き声が大きくなった。


 今だけは愛の好意にあまえさせて……。泣き止んだら強いママに戻るから……。だから今だけは泣いてもいいよね……。私と愛は強く抱きしめ合い、お互いを慰め合った。愛が何を考えているかはわからない。でも、私へ向けられた愛情は言葉よりも鮮明に受け取ることができた。


 初めて自分自身を知った気がする。十八で愛を産み、女手一つで育ててきた私は、愛に涙を見せたことはなかった。泣いて弱音を零したら、愛の母親に戻れなくなってしまう気がしたから……。でも今は違う。愛がいる。愛が支えてくれている。


 親から受けられなかった愛を……昔の男との偽物の愛を……ずっと探していたのだろうか。腕の中の『愛』が答えなのに……。


 もうさっきみたいに人の人生感を否定してはいけない。人は人……私は私……此処に愛が在る。此処に愛が居る。ただそれだけでいいじゃない。


 憎しみは憎しみしか生まない。だけど愛が生み出すものはたくさんある。


大事なことを気付かせてくれて、ありがとう愛……。笑顔をありがとう。幸せをありがとう。私から産まれてくれてありがとう。一緒に生きてくれてありがとう。本当にありがとう。


「もう二度と愛を悲しませたりしないし、ママはもう泣いたりしないからね」


 そっと囁き、いつの間にか泣き疲れて眠っていた愛のおでこにキスをして、離れないように抱き寄せた。

 


 自分の濡らした枕の冷たさで私は目を覚ます。

愛は私に寄り添い、すやすやと寝息をたてていた。

普段の大人びた発言は、ドラマやアニメの真似事だと思っていたけど間違っていたみたいだ。愛は私の知らないうちに私を見て成長していた。愛は思っているよりも大分オトナなんだなと、教えられた出来事だった。


 愛のはだけたパジャマとタオルケットをかけ直し、私は水を飲みながらいつもの癖でテレビをつけた。

  

 時間は23時過ぎ。夜のニュース番組でも夕方に見た結婚記者会見が取り上げられていた。愛のおかげなのか、冷静になって見てみれば何でもなかった。


 ただ、会見直後から流れてるであろう『愛』のCMだけには違和感を感じている。真っ白なバックに淡い赤で『愛』の文字、CDのジャケットとまったく同じデサインだ。小さく右隅に発売日がでているが、あくまで『愛』を強調しているのが誰にでもわかる。


 甘ったるいメロディーでコテコテな歌詞を、それなりに歌い上げた『愛』はミリオンセラーになり、しばらくは聴きたくなくても耳に入ってくるのだろう。


 悔しいが、あのオヤジの創ったメロディラインは耳に残ってしまう。結婚に合わせた発売日、曲、詞、タイトル、プロモーション、ジャケット、全てがととのっている。


 ただ、これが愛……これこそが愛……あの二人こそ愛……まるで、そう言ってるみたいで悔しかった。


 こんなに愛を愛してるのに……この愛への憎悪。このままじゃ私はダメになる。愛を育てていく為にも、自分自身を見つめ直さなければいけないと思った。


 忌まわしきあの過去へと繋がる扉……。一度も開けたことがない錆ついた扉に私は手をかけた。


 予想以上の重さに、その扉から一度離れ、冷蔵庫の扉を開き缶チューハイのロング缶を一気に喉へ流し込むと、さっきまで重かった扉が嘘のように軽く開いた……。

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