愛は今日も愛のために

大堀晴信

プロローグ

愛の名

 

 私のしていることは愛。愛以外のなにものでもない。すべては愛のため。愛が何なのかって、私は知ってるから今も闘ってんだ。

 

 常連も新規も同じ。次に指名をもらえるように努力する。常連なら、他の誰よりも過激なサービスをして浮気をさせない。他に金を落とすぐらいなら、全部私に落としてけ。


 新規は獲物だ。今までに体験したことのないような快楽を与えてやる。また来てくれるかは、初回のプレイ次第。リピーターになりそうな奴はだいたいわかる。当たり前のことだけど、出張でこの辺りに来た清潔感のあるビジネスマンよりも、近場に住む不細工で不潔なオタクの方が上客になり得る。


 いずれにしろインパクトを残すために、普通の恋人達するセックスではしないようなことをする。すべては愛のため。

 

 イケメンもブサイクも同じ。目と鼻と口、それぞれのパーツとバランスが良いか悪いか、ただそれだけ。イケメンが金を持っているのか、ブサイクが金を持っているのか、わからないから差別はしない。


 どちらにしても、男なんてそこら辺にいる野良猫のようにどれも同じように見える。男というモノに興味はない。あるとすれば財布の中身だけ。私はその見えない財布の中身に踊らされている。いや、踊っている。そう、愛のために。 


 汚いのも臭うのも同じ。鼻ではなるべく息をしない。最初から臭わなければ怖いものはない。汚くて臭いならたっぷり唾液を含んでから、それを洗うようにしてくわえ込む。この時ばかりは口が塞がれ臭ってしまうこともある。吐き気が込み上げても、涙目になっても、決して顔にはださない。


 生理的に無理なのもうんざりするほど来るだけど、これは千載一遇のチャンス。外の世界で出会ったならば表情を歪めてしまうことだろうが、此処にいる限り私は全てを受け入れる。受け止めてやる。


 ヤバそうなら事前に教えてもらい、対面する前に心の準備をして完璧な笑顔を絶対に崩さない。こちらの心の内を悟られないように必死だ。そして私はそのコンプレックスを愛撫する。『私の虜になれ』と呪いのように念じながら。


 他で嫌煙されてきたコンプレックスの塊達は、私のサービスに満足している。それはリピート率が証明している。


 臭いのでも汚いのでも何でも来やがれ。そんな奴ほど本指名をくれる。これも徹底して愛のため。


 どれもこれも一緒、やることはだいたい同じ。愛想よくして男と名付けられた肉塊の上を滑りまわり舐めまわし、その後は小刻みに動き回るソレに演技をしてあげる。果てたソレに私は気を抜くことなく、アフターケアを怠らない。時間ギリギリまでする。


 ソレのモノが再び硬くなり、「延長」と言われても、次の客が待っていることを私は知っている。


ソレは肩を落として帰るが、次は予約を入れてくるはずだ。ロングタイムでね。


そして名刺を渡すんだ。私は『また逢いに来てね』なんて社交辞令な内容は絶対に書かない。


いくらかわいこぶったって、所詮は奴らはヌきにきてるだけなんだよ。


だから気持ちよがっていたプレイを思い出すようなフレーズを交えて、愛のメッセージを記す。捨てられてしまう名刺なんて、渡すだけ無駄だ。


そうやって少しの可能性にさえ縋り付くんだ。


私はこうして金を稼ぐ。正しいか間違いかなんて境界線は消えてしまった。


金のためだけど愛のため。私の愛は真実の愛。

 

 

仕事を終えると一目散に向かう場所がある。


「失礼しまーす!」


最後の退出時だけは弾んでしまう。


「お疲れでーす!」


すれ違う男性スタッフに私は斜めに頭を傾ける。出勤時とは対象的な私の笑顔に、男性スタッフはまったく動じない。毎日こうだから日常的な光景なのだろう。


きっと私は二重人格だと思われいてるかもしれない。それくらい出勤時の私は、いろんな意味で最悪だ。


  

何度も肩からズレ落ちるバッグのベルトを何度もかけ直しながら駅まで駆けていく。


風俗街を抜けると、踏み切りが鳴り響き電車が駅に流れ込んできている。


改札に財布をバチン! と当てて、階段を一段飛ばしで駆け上がる。私はこんな仕事をしてるけど、Tシャツにデニムとスニーカーだ。


この電車に間に合うなら、息を切らしても、髪を振り乱しても、汗ばんで化粧が崩れてもかまわない。


やけに長ったらしい発車合図のメロディが、余計に私を急かす。メロディが止み、閉まり出したドアに私はかまわず突進し、狭まるドアの隙間に肩をぶつけながらもギリギリで滑り込んんだ。


こんなことは一度や二度じゃない。身体半分が挟まったことさえある。なにはともあれ電車を待たずに済んだ。


こんな些細なことで喜べるほど、これから向かう先は渇いた心を潤す私にとってのオアシスだ。


口の中の唾液が失くなる以上に心の中の何かが蒸発していることを、最近になってようやく気付いた気がする。


改めて考えると毎日天国と地獄を往復するような生活だ。ただ地獄があるから天国が際立ち、天国があるからこそ地獄に飛び込めることを私は頭ではなく心で理解している気がする。

 


踏み切りを越えると、ゆっくりと速度が落ちていく。この丁寧過ぎるブレーキ操作に若干の苛立ちを覚えながらも、電車が止まるのをじっと待つ。やっと停車して、ドアが開くと、私は改札を一番で駆け抜ける。


 次に向かうのは契約駐輪場だ。走りながら自転車の鍵をバッグの中から引っこ抜き、汚れてグレーに変色したウサギのキーホルダーを揺らしながら走り抜ける。


いびつに歪んだカゴにバッグを放り投げ、年期の入った自転車を漕ぎ出した。


夕暮れ時の商店街は、帰宅する人や買物客が行き交い混雑している。私はそのパイロン達を巧みなハンドル捌きでかわしていく。毎日ここを走ってるうちに自然とうまくなってしまったようだ。


ここを抜ければもうすぐだ……。ペダルを踏み込む足に自然と力が入る。風が気持ちいい……。早く逢いたい……。君に逢いたい……。


突き当たりを曲がり、古ぼけた大きめの二階建ての門の前で力いっぱいブレーキを握りしめる。年期の入った自転車の甲高いブレーキの音は、私の存在を知らせる合図でもあり、歓喜の雄叫びでもあるように思える。


私は鍵もかけずに門の中へ飛び込む。この瞬間が何よりも幸せで、何にもかえられない、私の生きる意味……。私の全てであり、私の愛……。


私のことを待ちわびていたかのように、駆け寄ってくる少女。


「ママー!」


私は腰を落としながら歩み寄り、まるで一年ぶりの恋人の再開のように抱きしめ合う。私は彼女を愛していて、彼女も私を愛してくれている。


嘘偽りのない愛を抱きしめることで、私は母親に戻ることができるんだ。

 


華奢で柔らかい体、くりくりの瞳、ふわふわの猫ッ毛、すべてが愛おしい。


地獄から生還する私は、このオアシスの女神にいつも救われている。


私のしていることが正当化され、汚された心が洗われる瞬間だ。


ただ、この子が私の胸に顔を埋めて言うこの何気ないこの一言には、いつも胸が痛むんだ。


「ママ今日もいい匂い」


……当たり前だ。


私の仕事は泡まみれになっても、汗まみれになることはない。


最後の客を見送ると、身体の隅々までキレイに洗い直す。


客と交わった身体は不潔だ。体液が流れてしまった胃袋は、退勤したあと毎回胃洗浄したいぐらいだ。


この石鹸の匂いのするママが毎日してることを知ったら、この子に軽蔑されるかもしれない。


私は『愛のため』と称して、男から金を吸い上げているだけの魔女なのかもしれない。


無邪気な娘の言葉に追い詰められ、いたたまれない感情を抱いていることを彼女にだけは悟られたくないから、私は笑顔を崩さない。


 肉塊と事を成している最中、心の中で念仏のようにリピートしている『愛のため』。この愛こそが私の娘の名前だ。


私の本名は“清野 舞”

娘の名前は“清野 愛”


私は娘の名前を源氏名として使うことで、自らに枷を与えた。


逃げ出したくなるのは目に見えていた。だってクソ野郎共に、契約された時間、全てを尽くし、そしてこの身体を好き勝手にされるんだからね。


だけど辞めるわけにはいかない。金が必要だ。愛と一緒にいる為に……。金の為……いや、愛のためにやるしかない。


愛する我が子の名を汚すようで厭だったけど、私は地獄で『愛』と名乗ることにしたんだ。


「変える支度してきな」


 妙な含み笑いを浮かべ園内に駆け込む愛の足取りは弾んでいる。


「清野さん、こんにちは」


 男性の声に振り向くと、見慣れた顔があった。


「郁人先生、お疲れ様です」


「だから先生じゃないですって!」


 照れくさそうに言った彼は園長の息子で、暇な時間があると園内の手伝いをしているらしい。こういうことが許されるのも無認可保育園だからなのかもしれない。


 郁人先生は愛の初恋の人であり、『ひわんせ』らしい。私は、まだ小さな女の子の恋バナを聞くのが日課になっており、嬉しそうに楽しそうに幸せそうに、そしてなにより、たまに織り交ぜる大人びた発言をする愛が可笑しくて可愛かった。『フィアンセ』を『ひわんせ』と言い間違えているが、面白いので訂正してはいない。私たちのお茶目な共通言語だ。ちなみに彼のことを『郁人先生』呼ぶのも、そうだ。そのせいもあって彼とはよく話す機会があり、家での愛の発言など話し笑いあう仲だ。


 細身で180ぐらいの慎重に短めの無造作ヘアーが似合っていて、鼻筋の通った顔が笑うと、くしゃっとなるのところが魅力的なのかもしれない。23歳の私より、一つか二つ歳は下だったと思う。


 そんな彼の様子が変だ。何か言おうとしてはいるが、目を泳がせつばを飲み込みこんだり落ち着かないので、私はしびれを切らせた。


「あの……何ですか……?」


 そういうと彼は慌てた様子で早口で何か言った後、逃げるようにして園内に走り去っていった。取り残された私はいったいどうすればいいのだろうか。そして、しばらくすると郁人先生が愛を抱きかかえて駆け寄ってきた。愛は何故か笑っている。


「愛ちゃんとデートさせてください!」


 はあああっ! なに言ってんの! もしかしてロリコン⁈ 私の表情にこれが書いてあったのだろうか。彼は慌てて弁明を始めた。


「ちっ、ちち違うんです。あっ、あっ、愛ちゃんが……こっ、今度の土曜日……誕生日ってきいたので、それで、それで……」


 明らかに取り乱している。そして郁人先生はいきなり愛の顔を覗き込み声を張り上げた。


「そうだよなああああ!」


 なんだ? どういうこと? 私はあきれ果てて愛の様子をうかがった。


「もういいよ! ママにはあいがいうから!」


 膨れっ面で愛がそう言うと彼は、さよなら、とだけ言い残し、園内に逃げ込んでいったのだった。








 

 


 


 

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