金平糖(学生時代)

「……星って……食べたら美味しいのかな……?」


 帰省してきた叔父の明波に勉強を教わっていた黒猫が、窓の外に広がる星空を見て不意にぽつりと呟いた。その隣で古典の参考書を眺めていた明波は、弾かれたように顔を上げて姪の顔をまじまじと見つめる。そうして暫らくした後、盛大に声を上げて笑い出した。


「やだ、くろ、黒猫ちゃんたら、真顔で何を言いだすのかと思ったら……!」

「い、いいじゃないの別に!? 何かきらきら光ってるから、美味しそうだなって思ったの!」

「……だからって……っふふ…可愛い……!」

「笑いすぎ……」


 化粧崩れも気にせず瞳や目尻に薄っすらと涙まで浮かべて笑い倒す叔父を半眼で見つめ、黒猫は一番傍にあった蛍光ペンを指先で転がした。あんまりにも笑い続けるので落書きしてやろうかと思ったぐらいだ。黒猫は得意科目は満点でも苦手意識のある科目は丸きり駄目なので、次のテストに備えて、こうして叔父に教えてもらっている。

 友人の蛍に頼もうかとも思ったのだが、幼馴染みに泣き付かれたのが先らしく、困り顔で断られてしまった。そうじゃなければ絶対頼まなかったのにと未だ笑い続けている叔父を横目に見て、黒猫は心中溜め息を吐いた。視線に気づいた明波が、爆笑を誤魔化すように何度か咳払いをして、普段浮かべる穏やかな笑みを浮かべた。


「アタシはね、黒猫ちゃん。アナタが天使の生まれ変わりじゃないかって、常々思ってるのよ」

「……それ、何かの漢詩?」

「ふふ、天使なんて語が出てくる漢詩、聞いた事ないわよ」


 黒猫は、叔父がとうとう笑いすぎて正気を失ってしまったのだと思った。






 明波が言うには、黒猫は幼い頃も、全く同じ事を言い出したらしい。

 それは、二人が公園で遊んでからの、帰り道の事。その日はいつより多い人数で遊んでいたからか、帰るのがいつもよりも遅くなってしまった。一番星が輝き始める時間帯まで遊ぶのは初めての事で、何だかいけない事をしているような気になり、二人ともどこかドキドキしていた。明波が黒猫の手を引いて帰路を歩いている時に、黒猫が不意に立ち止まった。


「黒猫ちゃん、どうしたの?」


 公園から家へ帰る途中にある、河原の土手は、空がよく見渡せる場所だった。明波より二回り小さい足は立ち止まり、何かを見つけたのか、熱心に上を見上げている。明波もつられて顔を上げるが、橙色から群青色に差し掛かっている、二色グラデーションの空しかない。不思議に思って尋ねたら、黒猫がきらきらとした瞳を空から明波に向けた。


「あのきらきらしたの、あまくておいしい?」


 そう言いながら姪が指差したのは、空の海に浮かんでいる、一つの一等星だった。


「そうね……お砂糖みたいな味がするかも」

「うわあ、うわあ。いいなあ。たべてみたい」

「……黒猫ちゃん、お口あけてみて」

「あーん?」


 素直な姪は、懐いた相手の言う事を基本疑う事はない。すぐに、小さな口を大きく開けた。


「眼も、瞑って」

「うん」


 こっくり頷いてぎゅっと固く目を瞑り、黒猫はもう一度口を開ける。明波は素直な様子に笑って、ポケットに入っていた金平糖を桃色の小さな口内に落とし入れた。


「もういいわよ」

「うわ、あまぁいあじがする!」

「……お星様が、空からふってきたんじゃない?」

「うわあ、うわあ、えへへ、おほしさまおいしいんだねぇ」


 幸せそうに笑う黒猫を見て、明波は嬉しくなって一緒に笑った。






「……あの日から、黒猫ちゃんは実は天使で、いつかアタシの元から離れて行ってしまうんじゃないかって心配してるのよ」

「……今の話で、何をどう考えたらそんな思考に……」


 不意打ちで昔の話を持ち出されてしまい、気恥ずかしさから僅かに頬を染めながらも、黒猫はぼそりと突っ込んだ。叔父の事を常々変人だと思っていたが、それは当たっていたようだ。


「天使って、穢れを知らない純真無垢なイメージがあるでしょ」

「……それは、仕方ないよ。その頃はかなり小さかったんだから」

「黒猫ちゃんは今でも純粋でしょ。純粋すぎて眩しいくらいよ」

「……姐さんが遊びすぎて汚れすぎてるんじゃない……」

「何か言ったかしら、ん?」

「いいえ何も」


 にこりと妙に圧のある笑顔で言われれば、黒猫は引きつった笑みを返して首を振った。叔父の機嫌が悪くなると、対処するのが大変だ。姪の反応に明波は満足げに頷いて、ふと思い出したように鞄を開けた。


「ねえ、黒猫ちゃん。お星様、あげようか」

「は?」


 取り出されたのは半透明の小瓶で、その中から何粒かの金平糖を手に取った。それを黒猫の口元に持って行く。反射的に口を開くと、二粒の金平糖を入れられた。不意打ちの事に驚くと、肩を抱かれて引き寄せられる。


「ん、」

「アタシにも分けてよ」


 明波は囁いて、黒猫の頬に口付けた。甘い甘い金平糖の味は、あの頃とちっとも変わらない。黒猫は視界の端に映る窓の外、きらきらと光る星を見て、これからもきっと全く変わらないんだとぼんやりと思った。

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