4-4
「アンタよく生きていたわね」
「……」
「お医者さん驚いていたわよ。『お嬢さんはよほど頑丈なんですね』って。普通なら一か月は絶対安静なのに傷口治り始めているって。ウチの家系って本当にタフ。お父さんにしろお母さんにしろ碌に寝ないで働けるわけだ」
「……」
「我が妹ながら本当に馬鹿ね。友達のために頑張るのはいいけど漫画じゃないんだから。どうせ良い恰好しようと受けちゃったんでしょ。アンタだから良かったものの私だったらショックで気絶してるわ」
「……お姉ちゃん、それ怪我人に言う言葉?」
「もちろん、親がいない時に妹のバカを叱るのは姉の仕事ですから」
チラチラとタブレット越しに私を見る姉。お見舞いの間も執筆は欠かさないらしく姉のタッチペンは液晶を忙しなくなぞっている。
あの晩から二日、私は病院の個室のベッドの上で安静にしている。アキちゃんの迅速かつ正確な通報のおかげで一之瀬先輩は捕まり、私は一命をとりとめる事が出来た。
家系的に頑丈ではあるものの、それでも異物をねじ込まれてはひとたまりもない。体に穴が開いた私は例に漏れずこうしてベッドの上での安静を命じられている。
個室の、しかもVIP向けの部屋に入れられるなんて流石にやりすぎだと思う。私としては傷が治るなら相部屋でも構わなかったのだけど父曰く「仕事で構ってやれない分しっかりした処置を施してやることが親の務め」だそうだ。先輩の逮捕劇について私の存在は伏せられているけど、万が一マスコミが嗅ぎつけた時にこの手の部屋は使い勝手がいいらしい。そのおかげか、私はこうして治療に専念出来ているわけだけど――
「お姉ちゃん、また漫画持ってきたの?」
「資料ですから」
悪びれずに応える姉。彼女の足元には漫画がぎっしりと詰まった紙袋が二つ。
どうやら姉は入院中の私の世話をがっつり見るつもりらしく――正直それはありがたい。現状私は人の介助が無ければ小用だって出来ない――それと仕事とを同時にこなすために病室を仕事場のように改造し始めていた。本棚はすでに満杯、一角にはすでに漫画が山積みになっていて……たった二日で広々とした病室をここまでに出来るのだから姉だって十分ウチの家系だなと思わざるを得ない。
まぁ、おかげで入院特有の退屈とは無縁でいられるから結果オーライなのだけど……いくらVIPルームだからってやりたい放題である。
「お姉ちゃん、これの続き読みたい」
「うん」
そう言うと姉はタッチペンを止め、おもむろに私に近づいてはその手が頭部に。ヘアゴムを使って私の髪型を普段通りのツインテールにした。
「? 漫画は?」
「お互い漫画は一旦お休み。そろそろお客さんが来るから」
正直横になっている状態でツインテールは頭が不自由になるから困る。寝返りが打てない分、首の稼働だけでもさせたいのに。
それでもあえてこの髪型にしなければいけない理由があるとしたら――
「失礼しまーす! マナセンパイ元気ですか!」
「……げ」
静かな病院に場違いな無駄に元気な声。弱った私がそんなに面白いのかスマホのカメラでフラッシュの洪水を浴びせてくるのは蜷川だった。
「帰れ!」
「いきなり凄い挨拶ですね。まあ、それだけ元気だったら安心ですけど」
蜷川はひとしきり写真を撮ると満足したのか、スマホをしまうとフルーツバスケットを持ち上げた。一応の体裁としてはお見舞いをしに来たつもりらしい。
「で? お見舞いの用事はそれだけ?」
「まあ、そうがっつかないで下さいよ。私は添え物かもしれませんけど、これでも先輩には感謝しているんですから」
そう言って彼女は頬を指差す。あれから傷はすっかり塞がり、今では可愛らしいメイクを乗せている。しおらしい表情をされると……コイツの顔は案外可愛いと思ってしまう。
「改めましてありがとうございます。被害者を代表して、女の敵を倒してくれた事に感謝です」
「別にアンタのためにやった事じゃないわよ。それに……あの人たちのためにやった事でもないし……」
「そんな事言って、あの動画見ましたよ。私の名前出てました。優し過ぎるセンパイの事ですから、きっと色々背負って戦ってくれたんだろうなって――」
言いながら蜷川が近づく。テーブルの上に彼女曰く最低限のメイク道具を広げると手際よく私の顔に施してゆく。
「せっかく意中の人と会うんですから、そんなだらしない顔はNGです。これで貸し借り無しって事でお願いしますね」
こういう所で下手な悪戯を仕掛けて来ない所がコイツのニクい所だ。蜷川の手鏡の中には血色が良くなったように見える私の姿が。痛みでやつれていた表情も柔らかくなったようにも見える。他にも彼女の妙技を上げればきりが無いだろう。
まぁ、これから会う彼女は「顔を認識することが出来ない」のだけど。蜷川らしい素晴らしい気遣いだった。
「こういう所本当にムカつく」
「私もセンパイの素直じゃない所大好きです」
そう、これで貸し借り無し。私達の関係は仲良しコンビとかじゃ無い。お互い都合よくつるむ程度のセンパイ後輩で、これくらいでちょうどいいのだ。
そんな気の利く後輩と、大事な情報を伝えてくれなかった姉は並んで部屋を出た。別に二人ともいてくれて構わないのだけど、これもまた気遣いなのだろう。
「お、お邪魔します……」
「……アキちゃん!」
スライド式のドアからひょっこりと顔を出すアキちゃん。アキちゃん自身何度も通った病院で何を畏まる必要があるのか。ひょっとしたらVIPルームの雰囲気に呑まれているのかも。まぁ、そんな所がいじらしくて良い。
「入りなよ」
「……うん」
おずおずと椅子に座るアキちゃん。いつもは彼女を見下ろしているから、こうして見下ろされる側になるのはなんだか新鮮だ。
「怪我……大丈夫?」
「まるっきり大丈夫とは言えないけど……幸い内臓にダメージは無かったし、あと三日で退院できるよ。それよりも出席日数が……ああ、それは関係ない、のか」
「うん……そうだね」
一之瀬先輩が、犯人捕まった事で事件が万事解決する訳じゃ無い。
あの人が捕まった事で、世間は今までの事件が同一犯による連続殺人事件と分かり、これ以上の殺人が起きないと安心できる。それ自体は喜ばしい事だろう。
一方で、物事には事後処理というものがある。警察としては彼が何故事件を起こしたのか、事件に至るまでの経緯を子細に捜査しなければならない。彼の動機の大半が演劇に関わっている以上、学校と……劇団極光は最優先の調査対象。可哀想な事に二条さん達も聞き込みに巻き込まれているようだ。
主役を失った時点で劇団は機能不全。一人五役を出来る生徒なんて今の演劇部には居ない。学園祭で最も期待されていた演劇は事実上公演中止だ。
いや――中止に追い込まれたのは演劇だけじゃない。学園祭そのものが休校の形で中止になった。少年法のおかげで犯人の、一之瀬先輩の名前は「少年A」とマスキングされるのだろうけど、それでおとなしくするマスコミじゃない。「演劇のために三人殺し、一人を襲い、女生徒と血みどろの死闘を繰り広げた少年犯人」なんて美味しい話題を彼らが逃すはずもなく……警察への対応でただでさえ忙しい所を学校としては泣きっ面に蜂だろう。こんな状況で学園祭、学校を開いたら下世話な彼らが生徒にまで手を出すのは火を見るより明らか。それゆえに学校側としては事態がひと段落するまでは二度目となる休校で凌ごうと考えたのだった。
「私のせいだよね……」
アキちゃんの涙が私に降りかかる。
「私が変な未来を予測したから……そのせいで……学校も……文化祭みんな楽しみにしていたのに……二条さん達みんなキラキラしていて……私も楽しかった……みんなと一緒になって、昔みたいに誰かと一つの事を作っていくのがこんなに楽しい事だって思い出せて……それなのに、それなのに……」
「……」
「私が演劇部に仮入部しなければ……あの時一之瀬先輩の手を取らなければ……ううん、私がこの学校に入学さえしなければ先輩だって事件を――私が……私が全部悪い――」
「違う!」
その言葉だけは、その言葉だけは彼女に言わせてはいけない!
「⁉――」
私は起き上がるとアキちゃんの体を包み込むように抱きしめた。
「マナちゃん!??」
「――ッ……」
お腹が焼けるように痛い……でも、今はそんな弱音なんか吐いている場合じゃない。
「アキちゃん、勘違いしちゃだめだ! 本当に悪いのは一之瀬先輩一人。例えどんな理由があろうとも、そこにアキちゃんが絡んでいるからってそれは人を殺していい理由にならない。そしてそんな人間は人ひとり殺すことが他にも多くの人に迷惑をかける事なんて理解していない。学校も、文化祭も、演劇部も、二条さんも、蜷川も、アキちゃんだってたまたま巻き込まれただけ。だから、だからアキちゃん! アキちゃんは悪くない! 悪くないから……」
「ううっ……」
決壊という言葉がふさわしいほどに胸元が湿りだす。くぐもった声も私の体では受け止めきれずに病室の中でこだまする。
なるほど……病室に入るのをためらったのはアキちゃんなりに責任を感じていたからでもあったのか。
確かにきっかけはアキちゃんなのかもしれない。アキちゃんが一之瀬先輩に見初められなければ――そして彼の内に秘めた欲望を看破しなければ――少なくとも文化祭でそれは素晴らしい演劇が公演される運びとなったのだろう。みんな楽しい充実した文化祭、劇団員一丸になってキラキラ輝いて、スポットライトと歓声を浴びるプリンス……。
けれどそんなものはまやかしだ。アキちゃんを犠牲にして――いや、すでに四人の犠牲者を出している――屍の上に披露される輝きなんてメッキにも劣る。
異常者に好かれる要素を持っている人間の存在が悪いのか? 被害者をさらに追い詰めることが正義なのか? 断じて違う! あらゆる事件はそれを起こした異常者に責めがあるべきで――
「――大丈夫、これはアキちゃんの責任じゃない」
「……」
「もし休校が開けて、アキちゃんに嫌がらせする奴が現れたら私が説得する。口で利かなきゃ拳で叩き込んでやる。だから大丈夫だよ。悪いのは事件でアキちゃんじゃ無いから……」
「……でも――」
顔を上げるアキちゃん。瞳にはまだ涙を浮かべながら、その視線が真っ直ぐにツインテールに注がれる。
「少なくともマナちゃんがこうなった責任は……私にある、よね」
「…………ぷっ」
「え?」
「あはは……あははははははは――」
「え? マナちゃん⁉ ちょっと……」
「ははははははははは――」
ヤバい……笑うんじゃない私……裂けちゃう、縫ったお腹裂けちゃうって!
「はははははははは――……うっ……」
「マナちゃん!」
「大丈夫……大丈……」
一瞬意識が真っ白なお花畑に……七草部長……天国でも庭いじりしているんですか――違う、先輩は生きているし……よし! 意識よ戻れ――
「ふう……あぶね」
起き上がる事自体無理なのに、大笑いなんて傷口にクリティカルヒットだ。後でナースコールでもして再検査してもらった方がいいかも。
でも……アキちゃんが私のことで責任を感じているだなんて可笑しいと言うか嬉しいと言うか――
「私にはアキちゃんみたいな情報処理能力は無いし……悔しいけど蜷川みたいなコネも無い。そんな私がアキちゃんに出来る事は体を張る事。もう七年もやっていることじゃない。気にしない気にしない。私はいつも通り友達のために自分から関わっているだけ。アキちゃんが巻き込んだわけじゃないんだから」
「……」
改めて横になった私をアキちゃんは真剣なまなざしで見下ろしてくる。周囲への後悔、私への後悔……彼女の瞳はまだ何かを語ろうとしている――
「……私、マナちゃんが私のことを守ってくれる事を嬉しいと思っている。これは本当。でも……それが原因でマナちゃんが傷つくことは望んでいない」
「……」
「私ね、時々マナちゃんがなんでそんなに優しいのか、すごく怖くなる時がある。友達だから、助け合う事はもちろんあると思う。でも、それでもマナちゃんのそれはやりすぎっていうか……時々、何か違うって思うことがある」
「………………」
まさかアキちゃん、あなたは――
「これは私の勘違いならいいんだけどさ――」
やめて! 思い出さないで――
「あの日、七年前のあの日、けんか別れして……それが原因だって、自分のせいだって思っていない」
「……………………」
「……図星?」
「……うん」
いつかこうなるとは思っていた。事件を経て、記憶を失ったとしても今のアキちゃんにはそれを補って余りある情報処理能力があるのだ。彼女が記憶を取り戻したのか、それとも他の方法で――噂話とか――補ったのか、それは定かでないし、本人に突っ込んで聞きたいとも思わない。
一つ確かなのは、アキちゃんが事件のきっかけを知ってしまった。その事実――
「だとしたらさ……アキちゃんだって、そんなに必死になる必要無いよ! 私が誘拐されたのは犯人のせいで、アキちゃんじゃない。だからっ……私のことで責任を感じて、それでボロボロにならないでよ……、私、家族も、友達もいなくなって、それでマナちゃんまでいなくなったら……もう……」
私に向かって頽れるアキちゃん。全くこの子は……私はこうして生きていて、全然無事なのによく泣く。全身の水分は涙で出来ているんじゃないだろうかって……。
でも悪いのはアキちゃんじゃ無くて……泣かせた私。こうして寝ていられるのも結果論。アキちゃんと二人っきりで、彼女のすべてを独占出来ているのも、たまたま上手くいったからに過ぎない……。
「ごめんねアキちゃん。不器用で、こういう風にしかできなくて。でも、私は絶対に離れないよ。責任感のことも、少し――だけど、友達として私はアキちゃんに出来る事を全部したいんだ。刺されたのに大丈夫はおかしかった。うん。次は絶対に、アキちゃんも、それに私自身も傷つかない方法を取るように頑張るよ」
「……バカ!」
「……うん」
「バカ! バカ!」
「……ごめん」
「バカ! バカ! バカ!」
「だからごめんって……」
「絶対に許さない……少なくともマナちゃんの傷が完治するまで毎日『バカ!』って言ってやるんだから」
「おお、毎日看病しに来てくれるんだ。ふふ、入院するのも悪くないかも」
「茶化さないでよ!」
「ごめんって……あ、笑った! アキちゃん泣き止んだでしょ!」
「まーなーちゃーんー!」
「ごめんって! ちょっとからかっただけだから! お腹はいやん! うっ……マジで傷口開くって! ちょっと晶子さん!」
「バーカ! バーカ! マナちゃんの事なんてもう知らない!」
この部屋がVIPルームで本当に良かったと思う。繰り広げられる一方的な痴話げんか。当事者本人がうるさいと感じているのだからこれは相当なものだ。万一相部屋だったらクレームどころかナースコールが飛んでいる。……やべえ真面目にお腹痛くなってきた……。
ひとしきりの折檻を受けた所でアキちゃんはようやく解放してくれた。
「じゃあ、明日からはお勉強道具持ってくるから。休みの間もマナちゃんの成績を維持できるように頑張らないとね」
「入院中くらい漫画だけ読んでいたかった……」
「同じクラスで勉強できなくてもいいの?」
「……頑張ります」
後はいつもの放課後みたいに株の事、季節の花の事、進路の事等面会時間ギリギリまでおしゃべりを楽しんだ。
そこでようやくアキちゃんの笑顔が戻ってきて……おかげさまで全身ボロボロだけど、この笑顔を見ることが出来ただけでも体を張った価値があると思う。
アキちゃんを守る理由は彼女が指摘した通り色々ある。それでも、今だけは「友達のため」に戦えた事に誇りを持っていいだろう。私が優し過ぎる? 当然。だって友達のためなら人はいくらでも戦える生き物なのだから。
私達の視線が交わる事はこれからも無い。視線はツインテールへと、補う事は出来ても無くしたものを元通りにする事は、出来ない。
けれど、今この瞬間だけは同じ時間を共有する事で繋がれている。そしてこれからも、私達の時間は繋がって行く。
「ありがとうアキちゃん」
「? 変なの、お礼を言うのは私の方なのに」
「別に変じゃないよ。だって――」
――だってアキちゃんは私の全てなのだから。なんて言うのは恥ずかしい。
だからこう言おう――
「だって私はアキちゃんの友達でいられて、アキちゃんを守ることが出来て幸せだから」
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