1-2
「私が来るの、よく分かったね」
「だって嫌なニュースがあったらマナちゃんすぐに来てくれるから、そろそろかなって」
勝手知ったるひとの家、私は靴を脱ぐと誘われるままリビングに向かう。
待木市は都心近く、そして私達が通う私立大鷺大学付属高等学校から徒歩一〇分と市内でもお高めの立地にそびえる高級マンション。3LDKの部屋を一人で持て余している空間は殺風景この上ない。季節が秋なのも相まって廊下の寒さはなかなかのもの。
それでもリビングに入ればガンガンに利かせたエアコンと八画面で展開されたパソコンの放熱が出迎えてくれる。
「うわー、画面中今回の事件でいっぱいじゃない。これ気分悪くならないの?」
「だから今日は早めに起きちゃったの。検索履歴から興味ある情報を表示するようにプログラムを組んだらもう……」
そう言いながらアキちゃんは八つあるPCモニターを一度落とす。
ふぅん……興味ある情報、ね。
「でも今回は殺人で、誘拐事件じゃ無い。他にも嫌なもの見ていたらストレスで身が保たないよ」
「そうかもしれないけど……事件って情報的には軽視できないの。被害者がもし有名企業の偉い人とかだったら株価に影響があるし――うん、これでよし」
プログラムを入れ直したためか、画面は見慣れた無機質なグラフに入れ替わる。株価のチャート、私には何が何の値を表示しているのかサッパリ分からないけど、アキちゃんはそれらを隈なく見渡すと満足げに頷いた。どうやら今回の事件が日本経済に与えた影響は無いようだ。
「その調子なら私が来なくても大丈夫そうだったね」
「そんな事ないよ。マナちゃんが来てくれたおかげでやっと落ち着いて画面が見られるんだもん。株が落ちなかったのも嬉しいけど、マナちゃんが来てくれたことが何よりもうれしいんだよ」
アキちゃんの顔が私へと向く。高校二年生も後半なのに愛らしさを通り越して幼さすら覚える純度一〇〇パーセントの笑顔。ゲーミングチェアに収まる体躯もまた150センチ台と小柄。まぁこれは私が167と女子にしては高身長だから感じる差異なのだろうけど。
それでもキューティクルに傷一つない腰までの黒髪の頭部からまるまるとした瞳を向けられれば人形めいた魔性の魅力を感じざるを得ない。うん、今日もアキちゃんはかわいい。
――一つ、焦点が私の左右のツインテールにブレている事を除けば。
「こんな時間だし、朝ごはんまだでしょ。私作るよ」
「別にそんな、マナちゃんに気を使わせるわけには……」
「いいの、私も起き抜けで食べてないし。というか抜き打ちチェック……やっぱり」
冷蔵庫の中は粉末タイプのプロテインに、これまた粉末タイプの完全食品。固形物もかろうじて存在しているけどどれも菓子パン、アイスクリームと形を変えた完全食品。ラインナップに生活感が感じられない。
「こんな工場みたいな冷蔵庫……育ち盛りの高校生のものじゃない」
「だってそれが一番効率的だし……」
「先週までおばさんたちが送ってくれた野菜とかあったじゃない。あれはどうしたのよ?」
「あれはほら……
確かに先週私達は姉の締め切り祝いで鍋パーティーをここでした訳だけど……――
「それから何も補充していない訳か……」
「……ごめんなさい……」
落ち込んでうなだれるアキちゃんもひじょうに可愛らしい。
って違う違う、そうじゃない。
栄養がキッチリ摂れるとはいえ、完全食品は朝の忙しい時間に使うとか、食生活の補助に使うべきもの。三食きっちり使うものでは絶対にない。
しかしながら、世の中にはこんな味気ないものに頼らざるを得ない人種がいることも真なのである。
「ま、出来ない事は無理強いする気はないから。食品は今日の放課後にでも買いに行きましょう。今すべきことは――」
探りを入れるべきはキッチンの収納。私の記憶が正しければ……、
「あった」
ホットケーキミックスとフルーツの缶詰。これさえあれば一応人間らしい料理が作れる万能素材。
ギリギリ卵と牛乳があったので手早く調理を始める。ボウルを洗うのが憂鬱なこと以外ホットケーキは手軽に焼けて便利だ。
「う~~~ん……良い匂い」
二枚ずつ皿に盛ってアキちゃんに手渡す。盛り付けはアキちゃん担当。ちゃんと料理する感覚を覚えさせないと。
「♪~~~」
アキちゃんは缶詰を開けると手際よくフルーツをホットケーキに飾り始める。この手の細かい作業は彼女の得意分野。パイナップルやモモであっという間に幾何学模様を完成させ――
「どばーーー」
――仕上げにチョコレートソースをぶちまける。
「……」
「?」
おいそこ! 可愛く首を傾げればなんでも許すわけじゃないんだぞ!
「大丈夫、私の分しかかけてないし」
「見ているだけでもそうとう胸やけがするんだけど……」
これでもマシな方。前なんか集中しすぎてダイニングテーブルをチョコレートの海にしてた。それに比べればまぁ……。
「私はストレスと集中で頭を使うのでこれくらい誤差なんです」
「その理論で言ったら食べ物全部がゼロカロリーよ」
実際アキちゃんの体を見ると彼女の分だけ食べ物ゼロカロリーと思えなくもない。いつまでたっても出るとこ出ないし、線は細いし……理想のお人形体型も悪くは無いけど、これはお肉を中心に食事指導をするべきかな。
「お肉は鶏肉がいいなぁ」
二人分のホットケーキを運びながらアキちゃんが言う。「いただきます」と手を合わせ、ねばつく茶色にまみれたそれを一口……幸せそうに笑みを浮かべる。
「心を読まないでよ」
私も対面の席について食べ始める。私の皿はバランスよくデコレーションが施されていて、一口入れると各食材のハーモニーを感じる程……同じ皿でもこの違いはなんなのだろう……。
「読むというか、マナちゃんの考えていることならなんとなく、分かるよ」
ホットケーキの位置を完璧に把握しているのか、アキちゃんは頭部を私に向けたまま器用にケーキを口に運んでいる。茶色が染みたそれと私の頭部、それぞれの焦点は前者の方が高精度。
「……そうね、こうしてもう七年だものね……」
「……事件、怖いね」
「うん」
アキちゃんがいつも通りに食べる様子を見て私は安心と……相変わらずの居心地の悪さを覚える。
「だから私、何があってもいいように後悔したくないんだ。食べるときだって全力で、自分が美味しいと思えるものを食べたいの」
決意の瞳が真っ直ぐにツインテールに注がれる。 茶色い液体は一滴もテーブルにこぼれず、したたり落ちたとして皿の上でとどまっている。
「そうね。今日を、これからを後悔しないために先ずは朝ご飯をきっちり食べる事は重要」
「うんうん」
「でもネトネトだけはどうにかしなさい」
私はチョコレートソースだけになった皿をひったくって流し台へ運ぶ。うわ……シンクの中水垢だらけじゃん……完全食品の容器を洗うだけだからって掃除さぼっているな……。
「あーん、まだ食べているのに」
「食欲旺盛なのは結構だけどソース舐めるのだけは勘弁して。この手の動作は表でも出るんだから。日頃のマナーが大切なの」
「マナちゃんお母さんみたいな――」
事を言わないで、とは続かない。自分で墓穴を掘ったせいか、アキちゃんの言葉が詰まる。
「……そりゃお母さんみたいな事も言うわよ」
「……」
「みんなの代わりにアキちゃんを守るって決めたんだから。私はその時々で友達にも、母親にも、
「マナちゃん……」
潤んだ瞳がツインテールに注がれる。視線は相変わらず、私とは交わらない。
「だからいつも通り、食器洗いよろしく」
「えー……」
感動がぶち壊しなのは百も承知。だからっていちいち感傷に浸っている訳にもいかない。感動しまくりでは日常生活がままならないもの。時刻は七時丁度。私達の登校時間まであと一〇分と迫っている。
「私は作ったから仕事はお終い。文句があるならシンクの有様を見てから言いなさい」
「あれは今日まとめてやるつもりだったのにぃ……」
日頃生活のあれこれを口酸っぱく言っているおかげで彼女もまやるべき事は理解している。渋々ではあるけどシンクに立ってスポンジを泡立て始めた。ボウルはつけ置きしといたし、要領は抜群に良いから作業は一〇分以内に終わるだろう。
「…………」
作業中の様子を盗み見る。アキちゃんの視線はお皿と、スポンジと、流れる水のそれぞれにきちんとピントが合っていた。
「? もうすぐ終わるから」
手指をハンドタオルで拭いながらだらしのない笑みが返ってくる。
その視線は私の顔の輪郭をなぞるようにぶれて安定しない。
「シンクもちゃんと洗いなさいよ」
「マナちゃんママわかってますよー。今日帰ったらちゃんとやるから」
床に転がっていたスクールバックを取ると準備完了とばかりに敬礼をする。私もそれをみて自分の荷物を引き寄せた。
「じゃあ、出掛けようか」
「うん」
私達は揃って玄関に向かう。それぞれの視線は真っ直ぐにドアへと向けられる。お互いの視線はモノを介してしかつながらない。そんなマナちゃんとの日常を自覚すると胸に風穴が空いた様に薄ら寒い。
ああ……季節が寒くなければ良かったのに――
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