第30話 新たな約束

 夏が近づいているので春とは違いまだ街並みには明るさがあった。薄着の人とすれ違うと春も終わりだなと感じさせる。

 球技大会に向けての初練習の後、佐伯裕樹と一緒に帰路に着く。本当なら出雲かなでも誘おうとしたのだが先に帰ってしまった。

勘違いかも知れないが避けられているような気がする。原因を調べる必要があると俺は出雲かなでの両親にメールを送っていた。


「そういえば出雲さん、今日はやけに早く帰っていったな。やっぱり体調が悪いままだったのかな」


佐伯裕樹は背後を意識していた。幽霊のように背中に張り付いて歩いている人物が気になるのだろう。気持ちは分かる。悪く言えば不気味だ。


「そうかもしれないな」


 俺は黙りこくった人形のような少女を意識から遠ざけていた。


「俺は出雲さんに前向きになってもらいたくて大げさにしたんだけど、わざとらしかったかな?」


 佐伯裕樹は何気なく口にした。何がわざとらしかったのかを聞く前に俺は推測する。

おそらくマユミと俺が体育館についたときのことだろうと結論づけた。真中葵も同じような理由であんなにはしゃいでいたのだろうか。 

 俺は客観的な意見を述べた。簡単に同意しては親友とは言えない。


「たしかに少し大げさすぎたかな」

「やっぱりそうか」


 佐伯裕樹は苦笑いで赤く染まった空を見上げた。


「とりあえず出雲さんがいじめられているかもしれない件は、おそらく彼女の勘違いだろうと俺は思っている。出雲さんの引っ込み思案な性格が性に合わない女子生徒だって中にはいる。実際他の女子生徒は、別にいじめてはいないと言っていたわけだし今はそれを信じるしかない」


 俺はいじめられている件に対して曖昧に濁す。本当は極力彼女を避けている女子生徒達は軽度のいじめを行っているのだが、俺は真実を伝えるつもりはもちろんない。

一応、演者達には現状維持との指示を出している。従って軽度のいじめは今だに解消されてはいない。出雲かなでには酷だが球技大会での勝負が終わるまで保留するしかない。


「俺は勘違いだとは思わないんだけどな……でもアユトが言う通り、出雲さんの引っ込み思案な性格が友達作りの足を引っ張っているのであれば、俺達が何とかしてやりたいと俺は考えている。出雲さんはいい子だしな」

「そうだな……優しい女の子だよ」


 球技大会で勝利すればそれは解消される。負ければそのままだろう。


「アユトにさ。親友ごっこは止めろって言われた時、ショックだったけどその分考えさせられたよ。俺はお前や出雲さんの本当の気持ちを理解してなかったんじゃないかってさ。自分よがりで突っ走るだけなんて最低だよな。すまなかったアユト」

「……お前馬鹿だろ?」


 俺は佐伯裕樹の横顔を見つめる。なんていい奴なんだと考えながら内心とは逆に俺は後悔を知られたくないのであえて皮肉を口にする。


「何で馬鹿なんだよ!」

「はははっ。冗談だ。お前と親友でよかったよ。ありがとう」

「なんで感謝されているのか分からないんだが……あとそろそろ聞いていいか?」


 俺は未だに後ろをちらちらと盗み見ている佐伯裕樹に演技なしの思いを口にした。すると佐伯裕樹は立ち止まり振り返った。そろそろ限界だったようだ。


「生徒会長。なんで俺とアユトの後ろをずっとついて来ているんですか?」


 人が三人ほど入る距離感でマユミは俺達の後を学校から今までついてきていた。なぜか沈黙を保ったまま。


「……」


 無言で俺を睨むマユミ。俺に何か用があるのだろうか。俺には用事なんてない。


「アユトに用があるんですか?」


 同じように察知した佐伯裕樹は懲りずに質問を繰り返した。


「……」


 マユミは小さく顎を引いた。


「裕樹もうほっとけ」


 マユミの行動にいちいち理由付けしていたら頭が混乱するだけだ。そろそろ佐伯裕樹もマユミの習性を学習してもいい時期なのだけど。人の良さと鈍感であるが故の弊害だ。


「じゃあなアユト。あと生徒会長もさようなら」

「おう。また学校でな」


 いつもの分かれ道で佐伯裕樹と別れた後もマユミは俺の後を無言でついてきている。本当に何の用なのか分からないので問いかけると無視される。

 無言で何かを訴える姿になぜか圧力を感じてしまう。人間は無言でも人を恐怖に出来るのを知ってしまった。

 ついに家の前まで着いてしまった。さすがに何の用かと聞かなければならないと思い俺は立ち止まる。


「いい加減に話をしろよ。あと、何のようだ?」


 俺の言葉を耳に聞き入れたマユミは立ち止まらず俺より先に俺の家に帰宅した。


「ちょ、なんでお前が先に家に入ってんだよ!」


 慌てて俺はマユミの背中を追いかけた。

 パソコンで今日の報告書をまとめるとすぐに協会に送信する。さらに数日間、責任者として何もしなかった謝罪も隠さずに送信した。隠してもすぐにばれるという理由もあるがそれよりもきちんと自分の意志として協会に伝えたかったからだ。

 俺は球技大会での対戦相手の情報を得るために鞄から例のトーナメント表を取り出した。参加チームの出場者の名前もきっちり印刷されている。俺はこの物語の出演者が載っている分厚いフャイルを机の上に置く。

 そして椅子で両腕を上げて身体を伸ばしながらベッドに横たわるマユミを見た。


「あのさぁ。用があるならさっさと言えよ」


 勝手に部屋に入り勝手にくつろいでいるマユミに対し部屋に到着して数回目の同じ言葉を繰り返した。


「……」


 今回もこちらを睨むだけで口を開かない。放っておけば自分から話し出すと安易に考えていた俺はさらに恐怖が増す。無言の圧力で身体が強張る。一旦もう少し様子を見てみるか。

 トーナメント表に書かれている対戦相手の個人名をフャイルで確認する。

 続いて顔写真と個人名を確認し、交渉相手になりそうな選手を厳選していく。優勝までは四回勝たなければならない。俺は四人の個人名をノートに書き込んだ。

 一仕事終えたついでにマユミの様子を窺う。まだ沈黙を保っていた。

なぜ話さない。何か悪いことでもしたのだろうか。耐えかねた俺はへりくだる作戦を実行した。情けないと思われても構わない。だって怖いんだから仕方ない。


「マユミ様。そろそろなにか話して頂けませんかね? この私に何か不満でもあるのでしょうか? 宜しければお聞かせ下さいませ」

「……」

「頼む。いやお願いいたします! もう何だか怖いのです! その眼を向けられるだけでなぜか罪悪感が押し寄せるのです!」


 俺は両手を合わせて頭を下げた。


「……」


 睨む度に怒りを上乗せしているような気がする。何か自分に落ち度があるのかと俺は記憶を逆戻りで検索した。

 するとぱっとひらめいた。数時間前にもうお前は喋るなと言ったような気がする。いや言ったかどうかは曖昧だ。しかしマユミが俺の発言を真に受けるはずがないのだけど。


「まさか……俺が喋るなって言ったのが気に障ったのか……そうだとしたらごめんなさい。もう喋ってくださって結構です」

「……申し訳ないと思うなら裸になって街中をスキップしなさい」

「そっ……それはちょっと……」


 ようやく喋ったと思えば無理難題を突きつけてきた。


「仕方ないわね。今回だけ許してあげるわ。今回だけよ。次はないわ。もし次に私を辱めるのなら死を以って償わせてあげる」

「ありがとうございます」


 俺はなぜ感謝の言葉を発しているのだろうかと少しだけ考えたが、その理不尽を頭の外へと追いやった。残った結論と言えばマユミはかなり根に持つタイプであったということだ。意外と人間らしい所もあるのだなと内心で笑ってしまう。


「やっと話が出来るわ。アユトに一つだけ言いたい事があったの」

「なんだよ」

「アユトが引っ張るのは女の子の大事なところなのかしら」


 一体何の話だ。

 マユミはその一言を言い終えると大きく深呼吸をすると、すがすがしい表情で瞳を閉じた。


「じゃ帰るわ」

「いやいや、それを言うためにわざわざ家に来たのかよ」

「そうだけど悪い?」


 立ち上がったマユミは自分の鞄を掴むと喧嘩相手を睨むように俺を見ている。いや悪くはないですけどね。悪くはないのですが意味が分かりません。


「ちょっと待て。来たついでだからお前の意見を聞かせてくれよ」

「何よ?」

「お前って好きな人いるのか?」


 出雲かなではいまだに主人公の佐伯裕樹を好きにはなっていない。だから女性としてのマユミの意見を何気なく聞いてみたくなった。男性の考え方と女性の考え方は違う。

 女性が好きになる傾向を調べてもいいのだが直接女性に聞いた方が早い。

 マユミも女の子。好きな男性の一人や二人いるだろう。参考までに聞くのも悪くない。ただマユミの心情は他の人とは違い偏っているような気もするけど貴重なサンプルにはなるだろう。


「何よいきなり! 頭がおかしくなったのかしら!?」


 予想以上に動揺したマユミは近所の方々にご迷惑じゃないかと思うほどの声量を出す。あまりに大きな声だったので俺が驚いてしまう始末だ。


「なんでそんな動揺するんだよ。俺は相手が誰かなんて野暮な事はさすがに聞かないけど、もし好きな人がいるならなぜその人を好きなったのかを聞いてみたくて質問したんだ」

「そう言うことね。浅はかなアユトらしい考えだわ!」


 息を整えるマユミは納得してくれたようだった。


「もし良かったら参考に教えてくれないか?」

「なんであなたに教えないとダメなのよっ!」


 マユミは凄まじいほどに拒否した。

 まぁ誰でも異性に恋愛について言いたくないのは当たり前だろう。実際に俺がマユミに質問される立場だったら拒否する可能性が高い。理由はもちろん恥ずかしいからだ。

 そうかと素直に諦めた俺だったがすぐに意外なセリフが耳に入った。


「でも……べっ、別に少しだけならいいのだけれど……」

「……いいのか。じゃあ頼む」


 マユミが少しだけ頬を朱色に染めているのが分かる。いつもと違う雰囲気を放っているせいか俺は意味不明な緊張を感じながら唾を飲み込んだ。

 しかし少しだけなら教えてくれると了承したのにも関わらず、マユミはこちらをちらちらと窺いながら口を開いては閉じる動作を繰り返す。迷っているのか恥ずかしいのか分からない。分からないけどいつも堂々としているマユミがおどおどしている姿は可愛らしかった。すると子供の頃のマユミの姿が重なる。

 じらされている俺は聞く準備万端の状態を保ち続けなければならなかった。

 そしてついにその時が訪れた。


「私が好きな人は……小さいときに私に優しくしてくれたからすっ、好きになったの……」


 ついになぜ好きになったかの動機を教えてくれた。マユミらしからぬ弱々しい答えに俺の率直な感想は、それだけなの……と思った。


「優しくされたから好きになったのか……へー……そうなんだ」


 俺がそう呟くと沈黙が場を支配した。

 マユミの性格ならばもっと個性的な意見で聞かせてくれると勝手に身構えていた分、動揺にも似た感情が少しだけ押し寄せた。

 そんな波を敏感に察知してかマユミはスイッチが入ったように逆上した。


「そうよ悪い! 優しくされた! それだけよっ! 私だって普通の女の子なんだからっ!」


 いつもの高貴なキャラが崩壊しているマユミを俺はどうにか落ち着かせようと試みる。さすがのマユミも恥ずかしかったのだろうと俺は内心では微笑んでいた。


「悪くない。ありがとう。参考になったよ。本当にありがとうな」

「もう帰るっ!」

「ちょっと待て。もう一つ言いたい事がある」


 乱暴に鞄を振り回しながら帰路につこうとするマユミは途中で静止した。


「今朝のビンタありがとう。おかげで目が覚めたよ。今回が駄目でもお前との約束はきちんと守る。もう逃げたりしないから待っていてくれ」

「……別にアユトなんかこれっぽっちも期待していないのだけれど」


 俺はマユミの呟きに大げさに笑った。実にマユミらしい反論だ。


「本音を言えば俺はお前に嫉妬していた。だから冷たくしていた時期もある。ごめんな。お前は悪くないのに……だから嫌いになった訳じゃない」

「……本当の馬鹿ね」


 マユミは決してこちらを向かない。


「立派な脇役になる約束は必ず守る。だからお前の背中ばっかり追いかけるんじゃなくて必ず追い越してやるから覚悟しろよ!」

「……馬鹿」


 マユミはそう小さく呟くと部屋を出て行った。

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