第17話 権限の放棄
一ヶ月以上通っている通学路はもう見慣れた景色となりつつあった。
風で揺れる街路樹を抜けて車が行き交ういつもの交差点で立ち止まり、最初は迷わないように目印としていた民家を自然と左に曲がる。
自分の靴を見つめながらため息を大きく吐き出す。
昨日の会議ではとにかく今後の予定よりも出雲かなでの事を話し合った。だけど結局は何も決まってはいない。もう物語をどう進めればいいのか分からなくなっていた。
俺の不安を感じ取っていたのか会議に無断で参加したアイは不安そうな表情をずっと浮かべていた。
夜に会議が終わると資料集めと対策について日の出が過ぎるまで調べていたので睡眠をほぼ取れていない。睡眠を削ったからと言って良案が浮かぶわけではない。
学校に向かうこの身体はいつもより重たい。鉛を引きずっているような感覚さえある。
もっと運命を感じさせるようなシチュエーション、主人公と出雲かなでの相補性と類似性などを高めて好きになってもらう。あまり頼るのは気が進まないがマユミの意見も聞くという選択肢もある。
不安を紛らわすように仕事の事を考えていると佐伯裕樹からいつもの爽やかな笑顔でおはようと挨拶を受けた。
その後も演技に集中出来ないまま授業も終わり放課後は生徒会へ向う。生徒会室で二人きりになっている佐伯裕樹が心配そうに俺の顔を覗き込む。
「アユト。何か悩み事でもあるのか?」
「……特に無いけど?」
親友として気遣ってくれているようだ。優しい奴だなと客観的に思う。
「今日のお前は雰囲気がずっと暗いからな。相談事があるなら言ってくれ。何でも手助けをするから」
「ありがとう。気持ちは嬉しいが大丈夫だ。悩みが出来たらお前を頼らせてもらうよ」
主人公達のせいで頭を抱えているとは決して言えない。
主人公の優しさは素直に考えれば嬉しいことなのだが脇役の俺は本当の俺じゃないので純粋に喜べはしない。
「人それぞれ悩みはあるもんだな……」
「まぁ生きていれば悩みの一つはあるだろう。それが生きている証だ」
「……アユト。実は俺も最近悩んでいる事があるんだ」
佐伯裕樹は親友である俺に向けて悩みを打ち明け出そうと口を開きかける。同時にタイミング悪く生徒会室の扉が開いた。
「あら。なぜ二人とも裸ではないのかしら?」
「……はぁ?」
部屋の中に居座っていた男子学生二人にマユミがひどく残念そうな表情を見せた。なんで俺たちが裸になっていないといけないんだろうか。
マユミが邪魔したせいで主人公も口を閉ざしてしまった。
「アユトは女の子だけではなく男の子でも恋愛対象としているのは周知の事実。だから私はてっきり二人は付き合っているのかと思っていたのだけれど」
「それは誤解です会長。でもアユトが男でもいけるなんて……付き合いが長い俺でも知りませんでした」
「勉強になったようね佐伯君。一生忘れないように脳に刻みなさい」
学校指定の鞄を机の上に置き、マユミは出入り口から一番遠い席に腰を下ろす。驚きの真実を聞かされた佐伯裕樹は真面目な顔で俺を見つめる。
「これだけは言わせてくれアユト。俺はそんなお前でも構わず親友のままでいるからな」
「裕樹。頼むから生徒会長の発言を何でも信じないでくれ」
「大丈夫。大丈夫だから……」
「何が大丈夫なんだよ。心配しか無いんだけど?」
佐伯裕樹は俺の肩に手を置きいつもの爽やかな笑みを向ける。これで数回目になるお願いをどうしても聞き入れてくれないようだ。
本当に面倒くさい。人を信用するのはいいことだが疑うことも必要だ。
生徒会の一員となった佐伯裕樹と出雲かなでは純粋ゆえにマユミの発言を真実として捉えてしまう。
勘違いする度にいちいち誤解を真実へと軌道修正するのが面倒くさいのだ。佐伯裕樹に悪意はない。マユミは悪意の塊だ。むしろ悪魔なのかも知れない。
「アユト性癖の話なんてどうでもいいわ。それよりも他の二人はまだかしら。女の子の日で悶えているのだとしたら少し心配になるのだけれど……」
自分の発言が他人に迷惑をかけていると恐らく知っているであろうマユミは他のメンバーの不在を確認した。俺の心情的には他のメンバーの事より先に自分の発言を反省してもらいたい所だ。本当に身勝手な発言をしないで欲しいと心から願う。
心で祈っていると佐伯裕樹は真面目に質問に答える。
「わかりません。そろそろ来ると思いますけど。あと勝手に事情を決めつけるのは良くないですよ?」
「不満なのかしら?」
マユミは観察するような視線で見つめてくる。俺は発言を控えていたのでマユミの質問に答えたのは佐伯裕樹だった。
「だとしたら佐伯君。来週の球技大会の話がしたいからあの二人を五分以内に連れてきなさい」
「いきなりですね……どこにいるのか分からないのに五分以内はさすがに……」
「とにかく、いやらしい顔をしないで早く行きなさい」
「分かりました。頑張ってみます」
無理な命令を受けて明らかに困っていた佐伯裕樹は、マユミの言葉に腹を立てることもなく足早に部屋を出て行った。本当に心が広い主人公だなと俺は感じた。
俺なら絶対に断るだろう。さらに文句も添えてやる。
「ちょうどいい機会だ。お前の意見を聞かせてくれ」
思わぬ形でマユミと二人きりになったので、俺は最近ずっと頭を悩ませている出雲かなでの事について相談してみる。
もう自分の力だけでは限界があると感じているのでランクAの経験が俺より長けているマユミを頼ろうとした。悔しい部分はやはりある。
だが俺の悩みを聞き終えたマユミの口から驚きの言葉が発せられる。
「そういえばアユトに伝えるのを忘れていたわ。私はこの物語の仕事を放棄するから後のことはよろしく頼むわよ」
マユミの言葉が上手く耳に入っては来なかった。またいつもの冗談と済まされる発言ではない事だけは理解していた。普段はマユミに寛容な俺でもイラついてしまうほどだ。
「物語を放棄するなんて冗談を言うのは止めろ。不謹慎だ。ランクAのお前が軽はずみに仕事を放棄するなんて言うべきじゃない。俺達は他の演者に目標とされる立場にいるんだから」
「心外だわ。私が冗談を口にしたことがあるのかしら」
なんで人権侵害をされた被害者のような顔が出来るんだ。そもそもお前は冗談の塊のような存在だろうが。
待て、とりあえずマユミの悪癖は置いておこう。そんな事より物語放棄の意味をしっかりと確認しなければ。
「一応は聞いて置こう。なぜ放棄するんだ?」
同じランクAで現場監督を任されている俺とマユミはこの仕事が失敗に終わると連帯責任で二人ともランクAの評価を落としてしまう。
「理由はそうね……私はこのジャンルが嫌いだから……あと放棄すると言っても指揮命令や物語の構想を練る部分を指しているわ。もちろん生徒会長役をもう演じないわけではないから心配しないで」
「なんて自分勝手なやつ……」
大半の仕事を俺に押し付けているマユミだが今回のように困り果てたときには手を貸してくれると心の片隅で信じていた。裏切られたことはさすがにショックを受けてしまう。
しかも放棄の理由がジャンルの好き嫌いだなんて信じられない。
過去のマユミの輝かしい脇役の実績を考えると好き嫌いで仕事を選ぶほどいい加減な奴とは到底思えない。何か意図があるんだろうか。
「あら。もしかして自信がないの。あなたのお父さんが言ったとおりあなたには実力がないのかしら?」
なぜそこで俺の嫌いな親父の名前が出てくるんだ。
俺の親父は脇役の仕事に携わっており、今もなおランクBだった。そんな親父からは俺が脇役の仕事を行うようになった頃に、お前は実力がないから出世したとしても俺と同じランクB止まりだなと吐き捨てられていた。
「あなたは私がいないと一人では何も出来ないランクAさんなのかしら。分かるわ。あなたはまだ経験も浅い。自信がなく実力もないのだから」
哀れみを含んだ目を向けるマユミ。俺が親父の言う通り、才能が無いなんてありえないはずだ。実際に俺はランクAの資格を手に入れている。
わかった。そこまで言われて黙っていられるか。お望み通り一人でやってやろうじゃないか。マユミの力なんかなくても俺一人の力で物語を作ってやる。
そもそも現状までは俺が一人で指揮をとっているようなものだ。
「分かった。俺一人でもなんとかしてやる。お前の力なんか借りなくてもな!」
「いい意気込みね。じゃあ私はあなたがどこまで出来るかこの眼で確認させてもらうわ」
困ったときは実力者のマユミに助言をもらおうとする自分の甘さなんて捨ててやる。
自分の実力で物語を完遂させてみせる。
俺が決心すると生徒会の扉が遠慮がちに開いた。
「しっ、失礼します……」
出雲かなでが入室してくる。背後には出雲かなでの両肩を掴んでいる真中葵の姿があった。
どうやら佐伯裕樹は二人と入れ違いになったようだ。主人公がまたマユミに使えない奴扱いをされるだろうなと俺は決意を固めながらもそんな未来を予想してしまった。
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