悪逆輪廻
鷹山トシキ
第1話 奈良時代
現世で悪行→そのエリアの地獄に落ちる→ミッションクリア→現世
奈良時代
広義では、710年(和銅3年)に元明天皇によって平城京に遷都してから、794年(延暦13年)に桓武天皇によって平安京に都が遷されるまでの84年間。狭義では、同じく710年から、784年(延暦3年)に桓武天皇によって長岡京に都が移されるまでの74年間を指す。
「奈良の都」の異名を持つ平城京に都が置かれたことから、「奈良時代」や「平城時代」という。740年から745年にかけて、聖武天皇は恭仁京(京都府木津川市)、難波京(大阪府大阪市)、紫香楽宮(滋賀県甲賀市信楽)に、それぞれ短期間であるが宮都を遷したことがある。
710年(和銅3年) - 藤原京から平城京へ遷都。
奈良の
黒造大刀とは黒作大刀とも表記し、奈良時代の武官が佩用した実戦用の大刀のこと。元は金造り(鞘・柄まで金属製の造りをいう)だった兵部刀を黒漆を防水のために柄・鞘に塗った大刀をいう。(兵部とは軍事・野戦用という意味)
海斗は運悪く崖から落ちて死んだ。
海斗は
対象は鳥や鹿を殺した者。沸騰した銅と煮えたぎっている糞尿が沼のようにたまっており、亡者達はその中で苦い屎を食わされ、金剛の嘴を持つ鳥に体を食い破られる。
「くせー反吐が出る。奈良の怪物5匹倒したら地獄から出れるって閻魔様が言ってたな?」
体を食い破られても数分で元に戻り、何度も苦痛が続く。
最初の敵は一本だたらだ。
海斗は祖母からいろんな話を聞いた。
和歌山県と奈良県の境の果無山脈では、皿のような目を持つ一本足の妖怪で、12月20日のみ現れるといい、この日は「果ての二十日」と呼ばれて厄日とされた。果無の名の由来は「果ての二十日」に人通りが無くなるからだともいう。
奈良県の伯母ヶ峰山でも同様に、12月20日に山中に入ると一本だたらに遭うといい、この日は山に入らないよう戒められている。こちらの一本だたらは木に目鼻をつけたような姿といい、雪の日に宙返りしながら一本足の足跡を残すという。奇怪な姿のために恐ろしい妖怪だが、人間には危害を加えないという。高知では「タテクリカエシ」といって、夜道を転がる手杵状の妖怪の伝承があり、伯母ヶ峰山の一本だたらはこれと同じものとの説もある。
また伯母ヶ峰山の一本だたらは、
和歌山県の熊野山中でいう一本だたらは、姿を見た者はなく、雪の降り積もった上に残っている幅1尺ほどの足跡を見るのみという。広島県の厳島でも、一本だたらは一本足の妖怪とされるが、姿を見た者はいないという。
だが、海斗はそんな怪物を見たことはない。
地獄には一本だたらがいた。
そーいや、祖母は病で何度も死にはぐってる。
12月20日に伯母ヶ峰山に向かって、黒造大刀で斬り殺した。木の上から飛び降りて首を斬り落とした。
😈1匹
次の敵は赤子って怪物だ。
閻魔から話を聞いた。
あるところに化物屋敷と呼ばれて誰も寄り付かない家があった。ある剣術者が化物の正体を見極めようとその家に泊まったところ、夜中に障子の向こうから、誰かが踊っているような音が聞こえた。覗き見ると、生まれたばかりの赤ん坊のような者が踊っており、しかもどんどん数を増し、遂には数百人にも達した。剣術者は斬り払おうと太刀に手をかけたものの、手がすくんでしまった。どうすることもできない内に、夜明けと共に赤子たちは消え去ったという。
海斗は屋敷にやって来た。
オギャーオギャーと産声が聞こえた。
海斗には弟がいた。弟を斬るわけじゃない。
泣きながら無数の赤ん坊を斬った。
最後の1匹が消えた。
😈101匹
海斗は地獄から出ることは出来なかった。
5匹きっかり殺さないといけなかったのだ。
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