第肆章の伍【テロル・先触】

 三人の道中に会話はほとんどなかった。時折、アワナキが文句の一つや二つ、こぼすだけだった。テイスケから行き先のメモを貰ってから、一日が過ぎた。その日の追跡はそこで打ち切られ、一番手近にあった地下ホオムに向かい、そこを根城とした。

 アワナキが、何処からか見つけてきた灯油の空き缶に、火種になる物を入れて、灯りを焚いた。

「定時報告をしてくる」

 そう言って、タマヨリが暗い階段を上がっていく。ここでは通じない電波を拾うため、出来るだけ上の階層、もしくは地上まで上がらなくて行けないからだ。

「あんたも真面目だね」

 アワナキがタマヨリの背中に声をかける。

「特殊義眼を換装していると、こんな暗闇でも明かりが要らないらしいな」アワナキはゴダイに冗談を言う。

「アワナキさんはいいんですか? 警察に今日の捜索の報告をしなくて……」

「まあ、後でするけどさ。でも今俺も地上に上がったら、君、逃げ出せちゃうでしょ?」

 アワナキがカバンから保存食を取り出して、ゴダイに手渡す。ゴダイはそれを受け取りながら言った。

「……逃げ出そうと思えば、いつでも逃げ出せますよ」保存食の包みを破り、ゴダイは一口かじった。

「ははは、言うじゃないか。まあ、そりゃあそうだ。君くらいの力があったら、俺やタマヨリさんだけじゃ止められないかもな……でも、俺らを振り切ったって、そのあとどうなるかくらい、君だって分かってるだろ? それに……」

 と言って、アワナキはゴダイの首元を指差した。ゴダイの首に取り付けられた機械式の首輪。

「無理に外せば刃が刺さるその首輪、追跡装置が付いてるんだぜ?」

「……分かってますよ」

 そう、確かに今すぐここから逃げ出すことは簡単だった。だが、問題はそのあとだ。この首輪が付いている限り、ゴダイは教会から追われ続ける――たった一つの方法を除いて。

「まあでも、君が今後一生、電波の届かない地下で暮らしていくっていうのなら話は別だけどね」

 アワナキが食料を頬ぼりながら言う。

「別にそんなつもりは……」

 ゴダイは歯切れ悪く答えた。アワナキがそんなゴダイを見て、言った。

「しかし、何て言うのかな……君はどうするつもりなんだ、本当のところ」

「どうするつもりって?」

「いや、これからのことさ……君がもしユリアちゃんを見つけたとして、おとなしく教会に渡すつもりなのか?」

「……それは、テストかなんかですか」

 ゴダイは警戒した。

「ああ、いやいや、別にそんなんじゃないよ。興味本位で聞いているだけさ。タマヨリさんもいないしな」アワナキが笑いながら答える。

 それでもゴダイは何も答えない。何故なら、実際のところ何も考えていなかったからだ。アワナキはそんなゴダイを見て、続ける。

「まあさ、今はそれでも良いと思うんだけどね。でもまあ、いずれは考えないといけないからな……」

「……逃げるって言ったら、手伝ってくれるんですか?」ゴダイは意地悪く尋ねる。

「申し訳ないが、警官としてそれを見逃すことは出来ないな」

「……警官として、ですか」

 ゴダイは繰り返す。じゃあ、アワナキさん自身はどう思ってるんですか――そう尋ねたい気持ちを抱いたが、ゴダイは躊躇した。望むような答えが返ってくるとは思えない。ゴダイは口をつぐんだ。しばらくの沈黙の後、アワナキが言った。

「君がシヱパアドと争った時の映像を見させてもらったよ」

「映像?」

「あの公園での襲撃のことさ。シヱパアドの義眼に記録された映像を見せてもらったんだよ」

「……そうですか」

「俺は、君が分からない。あれだけの力を教会に向けたかと思えば、この前の教皇襲撃の際は、彼女を守った……だからまあ、君はあの鉄の腕の仲間ではないんだろう。少なくとも俺たちの敵ではないわけだ。でも、そしたらだ。君は、その、一体何を考えているんだ?」

「……あの公園の件は、アレはあのシヱパアドが先に手を出してきたから……別にやりたくてやったわけじゃ……」

「確かにそうだろう。じゃあ、リリアンヌ教皇は? 何で守ったんだい?」

 アワナキが執拗に尋ねてくる。

「……いや、別にそんなつもりでは……」

 ゴダイは言葉に詰まった。これまでそんな事を聞かれたことはなかった。そして考えたこともなかった。アレだって、彼女を守りたくて出ていったわけではない。つまるところ、ゴダイ自身、明確な答えを持っていなかった。

「君が、教会に従うのも反抗するのも、それは君の自由だ。でもね、この捜索が無事に終わった暁には、自分がどうしたいのか、どう生きたいのかを決めなくちゃいけないんじゃないか?」

 ゴダイは黙りこむ。

「とは言っても、俺も警察官になるって決めたのは、君くらいの年の頃だったんだけどね」アワナキは笑いながら言う。「でも、これから先、ずっと隠れるように生きていくつもりがないのであれば、適当にどこかで世界と折り合いをつける必要はあるだろうさ」

「……そんなもんですかね」

「……まあ、君は普通の人よりも悩むことが多いかもしれないけどな」

 そう言って、アワナキは食べ終わった保存食の包装を片づけ始め、胸ポケットから煙草を取り出した。ちょうどその時、タマヨリが定時の報告を終えて、地下へ戻ってきた。二人の様子を見て、少しだけ首を傾げる。アワナキが、煙を吐き出しながら言った。

「少し男同士の話をしてたのさ。まあ、あんたも食べなよ」

 タマヨリは何も答えず小さく頭を下げて、アワナキから食料を受け取った。


 その夜、寝袋にくるまり、ゴダイはアワナキに聞かれたことを考えた。

 自分はただ、自分たちの居場所を守りたかっただけだ。ユリアや長老やニイダたちと平穏に暮らせればそれで良かったはずだった。同じように居場所のない複写人を助けたかっただけだ。では何故あの時、俺は舞台上の教皇の前に立ったのだろう。それは恐らくこういう理由だ――つまり、自分があの理不尽な暴力を知っていたからだ。

 小さいときから幾度となく目の当たりにしてきた歪な暴力。そしてそれに屈さざるを得ない屈辱。これまで懸命に、ゴダイはそれを振り払おうとしてきた。そしてゴダイは気が付いた。

 自分は、必ずしも教会を嫌っているわけではない。自分はこの世界の持つ理不尽が嫌いなのだ。そして、この理不尽に対し、自分に何が出来るのか? ゴダイは考えた。先に進み闘い続けるのか、それとも一生逃げ続けるのか。だが、どちらにしても一つ、ハッキリしていることがあった。

 そう、世界の側は多分、ゴダイのことを放ってはおかないだろうと言うことだった。それは自分の出生のせいかもしれないし、この左腕のせいかもしれなかった。

 そしてゴダイは、その答えを見つける前に眠りに落ちていった。


 翌日、ゴダイたち三人は道中でそれを見つけた。子供の靴である。それはマオの靴だった。すぐそばには壊れた扉があった。三人は扉の奥へと入っていった。もちろん予定のルウトではない。その扉の向こう、階段を登った先、酷い腐臭が漂う中に、それらはあった。三人の黒ずくめ。武装したシヱパアドの死体。

 そしてその先に、丁寧に並んだ二人の死体があった。

 長老とニイダの死体だった。ゴダイは叫び声を上げた。

 咆哮が、地下通路を反響していった。


 × × ×


 地上の街並は、昨晩の雪を受け、うっすらと白化粧をしている。

 御聖廟ごせいびょうを抱える第主雅蘭大教殿だいすがらんだいきょうでんの一室で、教皇リリアンヌは、数時間後に始まる公務をジッと待っている。

「リリィ、そんな窓際にいたら身体に障るよ。こっちで暖炉に当たるといい」

 レイガナが、物思いにふける娘に声をかけた。リリアンヌは、長い煌びやかな聖衣を翻して、ソファに座る父親を向いた。父が犯したかもしれない過去の罪について、リリアンヌは今も何も聞けていない。

「平気よ。でもお父様、これほど早くに大教殿に入る事もなかったんじゃなくて? 御聖廟の覚醒にはあと三時間近くもかかるのでしょう?」

 レイガナが優しく微笑む。

「もちろん、通常であればこのような措置は取らないさ。だが、今は非常時だ。早めに来て、安全を確保するに越したことはないだろう」

「安全、ですか」

「そうだよ。そのために今回の御聖廟開帳は、特別かつ極秘裏に、日程を非公表としたんじゃないか」

 リリアンヌは腕を組んで、視線を窓の外に移す。絹で織られたすそがたなびき、様々な淡い色彩を放っている。

「……でも、これだけ辺り一帯を封鎖して、武装した教会警護隊が取り囲んでいたら、ほとんどばれているのではなくて?」

「用心に越したことはないだろう」

「……そこまでするくらいなら、無理に開帳などしなければいいのに」

 リリアンヌの少し呆れた声。レイガナは娘を諭すように返した。

「リリィ、考えてもみたまえ。国会が採決した御聖廟の開帳を、テロリストたちの脅威に屈して行わない、そんなことがあっていいわけないだろう。我々教会の威厳に関わるじゃないか。第一、そんなことを十字共栄圏が許すはずもない」

「そうね。確かに、お父様の言い分も分からなくはないわ……でもね、お父様、私に何か隠し事をしていなくて?」

 リリアンヌは、気取られない様に軽い口調で一つ、核心を突いてみた。

「隠し事?」

「ええ、先日からこそこそと何かやっていらっしゃるみたいですけど……」

 レイガナは失笑する。

「リリィ、それは君の思い過ごしだよ。仮にそういうことがあったとしても、それはきっと君のことを想ってのものだよ」

「それでは聞きますが、今タマヨリはどちらにいるのですか?」

「……彼女は私の任を受けて、別件に出てもらっている」

「ええ、存じております。でも、一体どういう任務なのでしょう? タマヨリは、先日のアイゼン氏殺しの報道以降、どうも様子がおかしかったようですが……」

「そうなのかい? それは知らなかったな。けれどもね、リリアンヌ、それとこれとは話が別だよ。気にすることはない」

 そう言って、レイガナは娘に向けていた視線を外した。リリアンヌは、父が嘘をついている事を、そして罪を犯している事を、ハッキリと悟った。小さな溜息をつく。結局のところ、自分はまだ父の人形に過ぎないと、リリアンヌは思った。

 彼女は、寄りかかる窓から外に目をやった。

 先日の襲撃で破壊された大広場は、いまだ瓦礫で埋まったままだった。そしてその上に覆いかぶさるように、白い雪が積もっている。それはまるで見たくないものに蓋をするかのようで、散った幾つもの命の上に、残酷なほど静謐な時間をたたえていた。

 そして、リリアンヌの視線のその先には、歪な鉄の腕の暗い影が、徐々に、しかし確実に迫りつつあった。

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