第肆章の伍【テロル・道筋】
吐く息が全て白くなる。
どこまでも続く地下通路に冷気が満ちている。
不揃いな三人の足音が、行く先を照らす灯りに導かれ、彷徨っている。
三人組の先頭にゴダイ、その後ろにはアワナキがいた。アワナキが前を行くゴダイに声をかけた。
「なあ、ちょっと休憩しないか?」
ゴダイは振り返った。
「アワナキさん、さっきも休憩したでしょう?」
「そうは言ってもさあ……これだけ長いこと地下道を歩いていたら、気が滅入ってくるよ」
アワナキは、厚手のメルトン
「確かに、君の元いたコミュニティで、テイスケ君? だっけか。彼に、ユリアちゃんの行く先を聞けたとは言えね……こうも中々追い付けそうにもないと、嫌な気分にもなるってもんさ……なあ、あんただってそう思うだろう?」
アワナキが後ろを振り返った。
「いえ……私は仕事で来ているだけですから……」
彼女――教皇リリアンヌの
半日前、冬の寒い朝。陽がまだ現れない暗がりの中、首都警察留置場の裏口から、特別な警護を抜けて、ゴダイは釈放された。もちろん、この釈放を知っている人間は、前教皇、貴族院議長、そして首都警察上層部の数人だけであった。
ゴダイとアワナキが隠れるように外へ出た時、すでに彼女はそこで二人を待っていた。
純白の聖衣に身を包み、背筋を伸ばしたその姿は、教会の掲げる秩序や法規といったものを体現しているかのようだった。
ゴダイは、その姿を目にし、警戒心をあらわにする。アワナキが、ゴダイの肩に手をかけて言った。
「落ち着け……彼女は、前教皇が用意した捜索員の一人だよ」
「……知ってます。俺、一度、あの人に会ってますから……」
タマヨリが黒目がちなその目――御聖廟に接続することを許された機械の眼――で冷ややかにゴダイを見た。ゴダイも彼女を睨み返す。だが、タマヨリからは、
ゴダイは皮肉を言った。
「今日はお姫様の護衛はいいのかよ?」
タマヨリは何も答えない。アワナキがゴダイを諭す。
「そう突っかかるなよ。これから三人でやっていくんだから」
「……あの人が来る意味、何かあるんですか?」
「何だ、分かんないのか? 君の監視役に決まってんだろ」
「監視役?」
「君がユリアちゃんを見つけたあと、そのまま逃亡するかもしれないじゃないか」
「ああ……そういう……ずいぶんとまあ用心深いことで」
ゴダイは、コオトの襟下に隠された細い首輪にそっと手を触れて、乾いた笑いをこぼした。それは、今回のユリア捜索を条件に取り付けられた追跡用の首輪だった。
改めて、ゴダイはタマヨリに視線を移した。陽がまだ出ていないことを差し引いても、彼女の顔色は異様と言っていいほどに青ざめていて、その表情からは何を考えているのか全く読み取ることが出来ない。ゴダイは溜息をついた。何かを言ってやる気にもならない。
その後、陽が昇り切る前に彼らは街を出た。まだ眠りの中にあるスラムの街を通り抜けていく。まず行くべき場所は、ゴダイの元いたコミュニティだった。
廃棄された地下駅の階段を下っていく。光の届かない地下。そこかしこに放り出されたランタン。あたりを満たすカビの匂い。ゴダイははやる気持ちを抑え、階段を足早に下りていく。
ゴダイがかつて生活していたその地下ホオムは、薄闇と静寂に包まれていた。三人は、地上から零れる微かな光を通して目を凝らした。
荒らされた跡が
「誰かっ! ゴダイです!」
ゴダイの声が反響して、消えていく。後ろに控えた二人は、あたりの様子を伺う。十数秒間の沈黙が三人を支配する。彼らに諦めの色が見え始めた時、何かが倒れる音がした。空っぽのアルミ缶のようだった。そして、線路の先のトンネルの奥から、彼がゆっくりとやってきた。
「ゴ、ゴダイ君?」
「テイスケさんっ!」
ゴダイは声を上げ、ホオムを飛び降りて、テイスケに駆け寄った。二人は抱き合って、再会を喜んだ。テイスケは、どもりながらまくし立てた。ユリアの指名手配やゴダイ逮捕の報道に、いかに気に病んだか。そして、実際に留置場まで面会に行こうと計画していたことなど、そういった諸々を一気に話した。ゴダイはうんうんと頷いて、話を聞いた。そして再びの抱擁。そうやってお互いにひとしきり話し切った後、ゴダイは問題の核心について尋ねた。
「それで……テイスケさん、一体ここで何があったんですか? ユリアたちはどこですか?」
テイスケの表情に陰りが混じった。テイスケは、つとつとと事の顛末を、順を追って説明してくれた。ユリアたちがこのコミュニティから離れたこと。テイスケが一人、フジの樹海まで行って追い返されたこと。シヱパアドがその間に、ここに来て荒らしていったこと。そう言った内容だった。彼らの居場所はすでに失われていた。重たい空気が二人の間を満たした。
「テイスケさん、フジの樹海に来てたんですか……俺、そこに捕まってたんですよ……」
ゴダイは皮肉な調子で言った。テイスケは微笑んだ。
「ぼ、ぼ、僕の推測も、す、捨てたもんじゃ、ないね」
「それで? 彼女たちはどこに向かったんだい?」
二人の会話にアワナキが割って入った。テイスケが警戒した様子で警官を睨んだ。
「テイスケさん、大丈夫です。この人は警察で……その、俺と一緒にユリアを探してるんです」
「ユ、ユリアちゃんを? け、警察と? あ、あと、そ、そ、そっちの人は、きょ、教会の、人、だよね?」
テイスケは不快感を隠そうともせずに、ゴダイの後ろに立っているタマヨリを見た。
「……な、何で一緒にいるんだい?」
「……すみません。ちょっと、事情があるんです」
「じじじ、事情?」
「……はい」
「せ、説明は……で、でで、出来ない?」
ゴダイは小さく頷いた。申し訳ない気持ちで一杯になる。だが、ユリアの出生を、今ここで話せるわけがない。テイスケは、何も言わずに、ゴダイをジッと見つめた。これまでのゴダイと過ごしてきた時間と、今ある状況を天秤にかけているかのようだった。胸が詰まりそうだった。そしてしばらくして、テイスケは頷いて、ゴダイをホオムの下に連れていった。ゴダイは不思議に思いながら、着いていく。
テイスケが今住処にしている、そのボロイ天幕の下に置かれた机。その引き出しの奥に、それはあった。すれてボロボロになった何枚ものメモ用紙。
「これは……?」ゴダイが尋ねる。
「そ、それは、ち、地図。ちょ、長老たちの、の残した、いい行き先……の、メモ。ぼ、僕が、覚えている、は、範囲で、メ、メモし、しておいたんだ」
「ああ、何だ? これを辿っていけば、彼女たちに追い付けるって訳か?」
アワナキが口を挟む。テイスケが小さく頷く。
「で、君は複写生命ではないから、ここで事のほとぼりが冷めるまで、彼らの帰りを待っていた。そんな所か?」
アワナキの軽い口調。ゴダイが咎めるように睨む。だが、アワナキは言った。
「いや、すまない。でもね、これは大事な情報だ。もし、彼女たちが、この
アワナキが、黙りこんでいたタマヨリに声をかける。
「君だってそう思うだろう?」
タマヨリは、冷たく、興味がなさそうに、言い放った。
「……正直、これ以上ここで、あなたたちの再会を祝うだけの時間的余裕はないと思う」
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