第参章の肆【探索】2/2
病院に到着し、二人は、昏睡状態に陥っているシヱパアドの眼球摘出の様子を、手術室上階にある観覧席で見守った。手術の模様が、壁に設置された大画面に映し出される。わざわざ自分の目で見る必要もなかったが、クザンに誘われるまま、アワナキはついてきてしまった。
手術自体は、三十分もかからなかった。摘出された眼球は丁寧に洗われ、
観覧席から別室に移り、二人は抽出された視覚記録の映像を、
始めの数十時間は、普段の教務や雑事、そういうありふれた映像で、特に意味を成さなかった。映像は早送りされ、問題の襲撃の日の夕刻あたりで、市民の一人と映信する様子が映し出された。映像は視覚情報のみで、音声は記録されていない。だが、音は聞こえなくとも、内容は何となく察しがついた。それは何かの密告のようだった。そして映像は、例の森林公園に移った。アワナキとクザンは理解した。森林公園に一人の複写人が潜んでいたのである。
公園の
適合率99.999。
そういう数字が並んでいる。それは、御聖廟が保持している複写生命の遺伝子情報――つまり、そこから演算した人称
だが、時同じくして、若い男女がその東屋にやってきた。アワナキは驚いた。二人のうちの一人を、彼は知っていた。いや、クザンも知っているはずだ。その少年は、あの即位式襲撃事件の際に、壇上に現れた歪な鉄の腕の一人だったからだ。
そして、彼にもまた、適合率を示す拡張情報が表示される。その数値、99.999。
そこから先の映像は、凄惨だった。ノイズ混じりの乱れた映像だったが、殴り合いで、血の撒き散る様子が生々しく記録されていた。そして映像の主の意識が途切れる直前、革のグラブを剥いだ歪な鉄の腕が、その禍々しい力を発揮した。
暗闇に光る銀色の腕は、一瞬でシヱパアドの腕を、足を、引き裂いた。
そして、映像は途切れた。
× × ×
途切れた映像が、タケミカヅチの執務室内に静寂をもたらす。警護隊長は、デスク上の報告書に視線を落とした。
「ソウジ・アイゼン氏殺害事件及び第八教区森林公園内襲撃に関する報告書」
部下のクザンが上げてきた報告書であった。添付された記録媒体の映像資料を再生し、改めて〝歪な鉄の腕〟の持つ、そのいかがわしい程の
タケミカヅチは陰険な笑みを浮かべた。これほどの力を、かつての大戦の前線に投入出来なかった事は、
だが、それと同時に、このような神の教えに背く
「確かに、これは面白い報告だ」
タケミカヅチは部下に向かって言った。窓から差し込む冬の低い日差しが、執務室内を温かく照らしている。しかし、そこでの会話は、そういった風景からは程遠いものだった。
「だがこれは、あの鉄の腕がリリアンヌ教皇を守ったということが、やはりただの幻想であって、その存在が許されないものであることの証明でしかない」
クザンは姿勢を崩さずに、上官に向かって尋ねる。
「使えませんでしょうか?」
「……いや、使えないことはない。あの若い教皇の夢見がちな思想を、厳しく非難するのには役立つだろう」
教皇リリアンヌがこの歪な鉄の腕を独房から解放したことを、タケミカヅチは聞いていた。
「しかし、私が君に期待したことは他にあったはずだ」
「承知しております」クザンが深く頭を下げる。
現在この国が直面している非常事態――事の起こりは、民衆院議員ソウジ・アイゼン殺しにあった。つまり、複写生命管理法、これを巡る今回の殺人が、今この国の抱えている種々の問題の火蓋を切ったのである。タケミカヅチに近い教会の
連日連夜、この国のどこかで起こる、似て非なる者によるテロリズム。通りを埋め尽くす市民団体のデモ。そしてまたそれに対抗するかのようにスラムから街へと撒き散らされる
タケミカヅチは、この現状を力でねじ伏せたかった。そして自分にはそれが出来ると信じていた。だが、あの前教皇の日和見と現教皇の甘さ、そして問題を何も解決できない無能な俗議員たち。
「それで、生贄になりそうな者はいたのかね……?」
タケミカヅチが、静かではあるが、やや堅い口調で尋ねる。
「……いえ、正直に申し上げます。現在警察や我々が目星を付けている犯人像に合致する人間で、似て非なる者である者は、今のところ見つかっておりません……」
タケミカヅチが、レンズ越しにでも分かる、冷笑じみた視線を部下に投げかける。
「今我々が必要としているのは、歪な鉄の腕を始めとした、似て非なる者の反乱、その勢いを挫くための
「分かっております……先程お渡しした資料の最終
タケミカヅチはデスク上の資料をめくった。そこに一人の少女の写真があった。
「これは……?」
「さきほど見て頂いた映像の、歪な鉄の腕と一緒にいた少女の画像を抽出したものです」
「ふむ……で? 彼女は似て非なる者なのか?」
「いえ、御聖廟のデヱタベヰスとの適合は不一致でした。ですが、アイゼン殺しの条件と、彼女はほぼ合致します。女性であることや、持っていた銃が武懺であること、そして服装から見てもスラム出身であること――」
「……ふむ」
タケミカヅチは写真を改めてよく見た。
「そして、森林公園での襲撃事件の調査の際、私は彼女をあの公園内で一度見かけています」
「……」
タケミカヅチは何も答えず、写真を食い入るように見つめている。クザンは少し戸惑ったが、それでも報告を続ける。
「その後、私は監視カメラなどを通じて、彼女の足取りを探れるところまで探りました。その結果、およそ彼女がスラムのどこら辺に住んでいるかを……」
「ちょっと待ってくれ……君は、この写真を見て……いや、だが、しかし……そんなことが……」
タケミカヅチが手を上げて、部下の報告を遮った。タケミカヅチの顔に、ある種の恐怖の色が浮かんでいた。
「クザン、君は今幾つだったかね?」
「……ええと、今年で三十一になりますが……」
タケミカヅチは口元に手をやり、考え込む。
「もう一度、映像の再生を……」
タケミカヅチが命じる。映像が再生される。音声は聞こえない。だが、叫び声と銃声そして咆哮が、そこにあることは容易に想像できた。一瞬、少女が映った箇所で、タケミカヅチは映像を止めた。そして再び、再生。タケミカヅチは、クザンから貰った報告書の束を、もう一度丹念に読み直した。クザンはその間、何をすることも出来ず、ただ静かに姿勢を正し、立っているのみである。
しばらくして、警護局警護部隊長の顔に、笑みが――邪悪な笑みが浮かんだ。次いで漏れでてくる薄暗い失笑に、部下は身を固くする。
「クザン、クザン、クザン。君は、素晴らしい報告を上げてくれたね。これは、実に、実に有益だ。限りなく大きな収穫だ」
「は、そう言って頂ければ、光栄であります」
「ふふふ、ははっ、いや、君はまだ、自分の果たした役割の大きさに気付けていないよ。だが、それもいずれ分かる時が来るだろう。さあ、私は、これから出掛けなくてはならなくなった。クザン、車を手配してくれ」
「はっ」
クザンは敬礼をして、警護隊長執務室をあとにしようと踵を返した。そしてふと、扉のところで振り返って、上官に尋ねた。
「行き先は、どちらでしょうか?」
「教区ヒイズル、第一御教殿。前教皇に謁見を要請する」
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