第参章の壱【混沌】2/2

 その夜のことだ。皆で夕食を囲んでいる時に、テイスケが地上から戻ってきた。長老が声をかける。

「どうだった?」

 テイスケは残念そうな顔で、頭を横に振った。皆の顔に落胆の色が浮かぶ。

 テイスケは、あの襲撃事件以降、アズマみやこ内に設置された複写人保護施設を回っていた。もしかしたらそこにゴダイが収監されているかもしれない、そう考えてのことだった。もちろん行った先で、必ずしも施設が応じてくれるわけではない。場合によっては、無下に追い返されることもある。だが、あの事件以降の報道に、ゴダイが被害者としても容疑者としても出ていないことなどから、どこかで生き延びている可能性は、少なからずあった。

「そうか……これで回っていない施設は、都内であと三つか」

 アズマ都の教区は全部で二十三に分かれていた。そしてその一つずつに施設が配置されている。

「も、もしかしたら、ふ、普通のしし、施設には、いないかもしれない」とテイスケ。

「だが、施設にいないのであれば、何かの手違いで逮捕されている可能性が高い。それなら何かしらの報道があってもいいはずだ。高度情報網にさえ、全く情報が落ちていないんだぞ。捕まっているのか、もしくは最悪の結果だとしても、何にも情報がないのが、全く解せない」

「わ、わ、分かってます」

「それにもし、保護施設にもいないのだとすれば、何故、ここに帰ってこない。もう一カ月にもなるんだぞ。何かしらの連絡を寄こしたっておかしくないはずだ」

「ぼ、僕が考えるに、た、多分、アズマ都の、そ、外の、施設にいるのではないでしょうか」

「……ススガミやダイクンの方にか?」

「い、いえ、そうでは、ないです。そ、その、ゴダイ君は、と、特殊な複写生命、です。だ、だから、た、多分特別な所に、ほ、ほ保護されている」

「特別な場所?」

 長老が眉をひそめる。ユリアは緊張した面持ちで聞いていたが、テイスケの言わんとすることに気が付く。

「フジの樹海……」

 テイスケが頷く。

「フジ樹海の施設って、そんな……。アレって噂なんじゃないの? 本当にあるの? そんなところが」

 ニイダが口を挟んだ。

「わ、分かりません。で、でも、もし、こ、このまま、とと都内で、ご、ゴダイ君が見つからないのなら、い、いい一考の余地は、あ、ああるかもしれません」

 長老が口元に手をやり、逡巡する。他の者は何も言わずに、固唾を飲む。

「課題が多いな」

 長老が一言だけ漏らした。子供たちが顔を見合わせる。長老は溜息をついてから、皆を見渡して、言った。

「お前たちも知っている通り、近頃、シヱパアドによる複写人狩りが横行している。この前もミタカのコミュニティで襲撃が行われたと聞いている。ここだって、いつ奴らに目を付けられて追い出されるか、分からない」

 ユリアも、ハナたちも、真剣な表情で話を聞く。

「そこで、だ。ニイダとも相談をして、可能であれば、今いるここから、もう少し遠くのコミュニティに移動したいと考えている」

「と、遠くに?」ハナが声を上げる。

「そうだ。教会の中心から遠くに、だ。そして、一定期間そこで生活をした後に、また別の地域に移動していく。最終的には、アズマ都州境しゅうざかいのスラムを目指すつもりだ」

 誰も何も答えない。

「……もちろん、お前らがここを離れたくないだろうことも、よく分かってはいる」

 長老の声色に、幾ばくかの申し訳なさが滲む。

「それに、ゴダイがいなかったから、中々動き出すことが出来なかった。あいつがここに帰って来た時に、誰もいない、というのは良くないからな……」

長老がテイスケを見る。テイスケの表情は硬いままだ。

「しかし、いつまでもここにいるわけにもいかない。もはや、ここが絶対に安全だとは言い切れない。だから、近いうちに移動を開始する。いいな?」

 長老が言い切って、皆の顔を順番に見ていく。ユリアが言う。

「移動って……どこに向かうの? 行った先で生活できる保障なんかあるの?」

 長老が、コオトの内ポケットから黒い手帖を取り出した。時たま部屋で何かを綴っていたあの手帖である。

「この手帖の中に、アズマ都の西半分の、地下道と未再開発地域の情報を綴ってある。ここ五、六年の間に、俺とテイスケが人づてに聞いたり、昔の記憶から思い出して、書き残したものだ。幾つかの場所では、人が生活を送っている所まで確認が取れている」

「地下道……?」

「そうだ。地下鉄網だけではない。戦時中に使われた隠し連絡路や、工事用通路なども分かる限りで記録してある」

 アズマ都の地下は、恐ろしく入り組んだ構造になっていた。廃棄された地下鉄網だけでも数社分の残骸が残っており、その上、それらを繋ぐ職員用通路や工事用通路、また、通常使用されることのない緊急用連絡路など、その数、十には及ぶ階層で縦横無尽に穴が掘られていた。これらを全て把握できている人間は、恐らくどこにもいないだろう。

「移動した後の事は、出来るだけ考えてあるの」とニイダ。

「でも、それでも、もしここにゴダイが帰ってきたら、どうするの?」ユリアは食い下がる。

「ぼ、ぼ、僕は、ここに、の、残ることになっているんだ」

 テイスケが言った。長老が引き継ぐ。

「そうだ。ゴダイが万一ここに帰ってきた時のために、テイスケにはここに残ってもらうつもりだ。テイスケなら、シヱパアドに見つかった所で、ただの浮浪者に過ぎないからな」

「でも、テイスケさんはそれでいいの? 一人ぼっちなんだよ?」

「だ、大丈夫。ひ、昼間は、し、しし施設を、回ったり、スラムを、ま、回ったりするつもりだから」

 ――ゴダイを探す気なんだ。

「……ごめんなさい、本当に」ユリアは反射的に頭を下げた。

「な、な、何で謝るの? ぜ、ぜ全然問題ないよ」

 テイスケが笑顔で答える。

「でもさー、それだと私たちが移動した後、テイスケとは、どうやって再会すればいいわけ?」ハナが長老に尋ねる。

「そうですね……それに、テイスケさんが、フジ樹海の施設に行くことになったら、その間はここが空っぽになるわけですよね? そこのところは大丈夫なんでしょうか?」ナナヒトもハナに合わせて、質問をした。

 長老は、机の上に置いた手帖を一頁だけめくった。

「それも考えてある。これが、移動先のリストだ。俺たちはこれを基に移動をする。テイスケにもそれは教えてあるから、再会については問題ないはずだ」

「でも、それだと、テイスケさんがフジ樹海に行く間は……?」ユリアの不安そうな声。

 長老が頭を掻く。

「そこは、な。確かに、誰もいないコミュニティにゴダイが帰ってきて、どうなるかは、ちょっと考える必要がある」

「地図とかを残していけばいいんじゃないの?」とハナ。

「ダメだ。誰もいない状態でここに行き先の分かるようなものは残してはいけない。シヱパアドが嗅ぎつける可能性がある」

 わずかな沈黙が辺りを支配した。ユリアが口を開いた。

「じゃあ、私も残るよ。ゴダイが帰ってくるかもしれないのに、ここに誰もいないなんてあんまりだと思う」

「……それは俺が認めない」

 長老が言う。分かっていた答えだった。それでもユリアは逆らった。

「でも……もしもここにゴダイが帰ってきて、誰もいなかったら……」

「分かっている。だが、駄目だ。お前が一人の時にシヱパアドが襲ってきたら、どうするつもりなんだ」

「……拳銃がある」

「バカを言うな……あれは護身用に使い方を教えただけだ。あんなもので戦うなんて無茶だ」

「でも……」

「でも、じゃない。いいか、そもそも俺たちは、ここに住んでいる時点ですでに悪者なんだ。分が悪いんだ。教会や警察が何かを言ってきて、反抗なんかしてみろ。何をされるか分かんないんだぞ」

「じゃあ、ゴダイのことはどうでもいいっていうの?」

「そうじゃない、そんなことは言ってないだろう。ただ、お前にまで何かあったら、俺はどう責任を取ればいいんだ」長老が声を大きくして言う。「いいか、今一番大事なのは、全員が無事に生き延びることだ。ここは、確かに俺たちのコミュニティだったさ。だが、そんなものは、俺らが全員生きてなきゃ何の意味もない! こんな場所を必死に守る理由なんか何もない。生きてなきゃゴダイに会うことだって叶わないんだぞ!」

 長老の剣幕に押され、ユリアはうつむいて、小さくなってしまう。

「……でも、こんな場所って……そんな言い方ないよ……」ユリアは呟く。

「……すまなかった……別にそんなつもりで言ったわけじゃないんだ。だが居場所っていうのは、人がいて初めて成り立つんだ。住処のために人が死んだんじゃ、本末転倒じゃないか」長老が優しく言う。「いいか、生きていれば再会も出来るし、コミュニティだって改めて作れるんだ。だからそう、心配そうな顔をするな」

「そうよ……それにゴダイなら、一人でここに帰ってきたとしても、どうにか適当にやり過ごせるわよ」

 ニイダが、ユリアを元気づけるように言った。

「ゴダイにまた会いたい!」

「ねー!」

 双子たちも声を上げた。

 ユリアは涙ぐんだ顔を上げた。確かに、これが今私たちに出来る精いっぱいなのかもしれない。これ以上の反対は出来なかった。

 長老と目が合い、ユリアは小さく頷いた。

「では、テイスケ、頼んでもいいか?」

 長老がテイスケに問う。それは、都内にゴダイがいなければ、フジの樹海にまで向かうことを意味していた。

 テイスケは、他の者たちを見て、それからユリアを見た。そして長老に向き直り、頷いた。計画は、了承された。長老が全員に向かって言った。

「それじゃあ皆、近いうちにここから移動することを……」

 その時だった。微かな音がどこからか聞こえてきた。長老が、言いかけた言葉を飲みこんだ。静けさの中で、全員が耳をすませた。再び、音が聞こえた。それは、うめき声だった。ユリアたちは立ち上がった。声は、地下鉄の線路のその向こう、トンネルの中から聞こえていた。

 ユリアは駆け出して、ホオムから飛び降りた。

「ユリア!」

 ニイダが叫ぶ。

 足を引きずるような音が聞こえて、何かを吐きだすような声が上がった。そして、その者は姿を現した。酷くみすぼらしい格好をした四、五十代の男だった。

 男は肩で息をしていて、腹を押さえていた。ユリアが駆け寄って、身体を支えようとする。男の腹が赤黒く染まっていた。血が流れ出している。男は屑折れて、線路の上に倒れ込んだ。ユリアが男のそばに座り込む。

「だ、大丈夫ですか? 何があったんですか?」

 男は閉じかけた目を懸命に開き、ユリアを見る。口元には血を吐いた跡が生々しく残っている。

「あいつらが……俺は、複写生命なんかじゃ……」

「あいつら……?」

 ナナヒトが、二人のそばに駆け寄ってきた。長老が遠くから声をかける。

「どうした! 何があった!」

「だ、誰かに襲われたみたい!」

 ユリアが声を張り上げる。そして浮浪者に向く。「誰にやられたんですか?」

「シェ、シヱパアド……あいつら、複写生命かどうかなんて始めから……」

 そこまで言って、男はまた血を吐く。ユリアが男の身体を起こそうとする。どうしたらいいのか、分からない。

「もうしゃべらないで。大丈夫ですから」

 ユリアが懸命に声をかける。男の息遣いが段々と微かになってきた。ユリアは同じ言葉をかけるしかなかった。

「大丈夫ですから……もう……」

 そして男は息を引き取った。絶命した。ナナヒトがそばに立ちつくしていた。長老やニイダもホオムの上から、ユリアたちを見つめることしか出来なかった。

 ユリアは男の今来た道を目で追った。転々と赤い血が地面に染みを作り、それは、真っ暗なトンネルの奥まで続いていた。どんなに遅くても明朝には、ここを移動しなくてはいけないだろう。ユリアはそう思った。そして、それはここにいる他の者たちも同様だった。

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