第弐章の伍【セレモニィ】4/4

 カメラの映像が一瞬縦に揺れたかと思うと、次の瞬間、大きな爆発らしき音が響き渡り、カメラが放り出されて、黒い地面が映し出される。カメラはそのままジッと動かない。大量の人の足が濁流のごとく、その前を駆け出していく。悲鳴と怒号と罵声が、一緒くたに大音量で流れてくる。

 ゴダイは、タクシィの窓から御聖廟の方を見る。

 遠くからさざ波のようなざわめきが聞こえ始める。空に高く、黒い煙が登り始める。進まない車の列の横を、何があったのか分かっていない不安な面持ちの通行人が数人、御聖廟と反対の方へ歩み始める。そのうちにその数は一挙に膨れ上がるだろう気配を、ゴダイは感じる。

 もう一度、爆発音が聞こえてきた。そして、モニタアから響く乾いた銃声。

「ああ、ああ……な、何が起きているの?」

 フジサワ夫人が声を上げた。ゴダイは何も答えられない。何が起こったのか理解できない。 運転手も窓から顔を出し、音のする方を向いている。

「おじさんに連絡つきましたか?」

 ゴダイはそれだけを尋ねた。夫人は何も答えない。ゴダイはモニタアから視線を外し、夫人に向いた。夫人がゴダイを見て、首を横に振った。それから――

「ど、どうしましょう……あ、あの人に何かあったら……」

 外には不安が蔓延し始めていた。通行人は皆、手にした情報端末を見ながら、御聖廟のある第主雅蘭大教殿から遠ざかろうとしている。

「……俺、教殿の方に行ってみます」ゴダイは言った。「おじさんは会場に行ったんですよね?」

 夫人はモニタアを見つめたまま動かない。ゴダイはもう一度尋ねた。

「おじさん、会場に行ったんですよね?」

 夫人はゴダイの問いかけに気が付く。

「え、ええ……」

 モニタアが、報道ヘリの映像に切り替わる。会場敷地前の大通りが黒煙と瓦礫に覆われている。広場には数十人の来賓者、そして舞台上に教皇がいた。

 何人かのシヱパアドが、来賓者たちに指示を出し、動き回っていた。だが、そのシヱパアドが倒れた。乾いた銃声が、彼らを殺した。敷地内に縮こまる来賓者の周りに、銃を持った何者かがいた。舞台上の教皇も、事態の推移が飲み込めていない様子で、その場に立ち尽くしている。

 ゴダイは軋む身体を押して、タクシィのドアを開けた。

「何してるの!」

 フジサワ夫人が弾けるように声を上げた。

「おばさん、俺、教殿の方へ行ってみます」

「あ、危ないわよ!」

「おじさんを探してきますから」

 それだけ言って、ゴダイは駆け出した。

「あ、ちょっと、君ぃ!」

 運転手の叫ぶ声が後ろから聞こえたが、ゴダイは無視した。向かう先は、黒煙昇る第主雅蘭大教殿だった。


 教殿前の大通りに近づくにつれ、逃げ惑う人々が増えていく。ゴダイは人波に逆らい、教殿前の大通り広場を目指した。ぶつかる人々の衣服に付いた真っ赤な血が目に止まる。大勢の人間の顔を見る。そこにフジサワがいないかと確認をしていく。

「フジサワさん!」ゴダイは声を上げた。

 噴水のある広場に辿り着く。爆破され黒く燃えた何台もの車。道端で横になっている人々。赤くただれた皮膚。すでに動けない者たちだった。

 一方、まだ動ける者たちは右へ左へと逃げまどっていた。時折響く銃声に、身をすくませ悲鳴を上げる。

「フジサワさん! いませんか!」

 ゴダイは叫び、駆け回る。そこらに倒れていないかと辺りを見渡す。爆発で壊された噴水から水があふれ続けている。見上げれば、灰色の空。黒煙が視界を遮る。その先を飛ぶヘリの音。そして一帯に蔓延する有象無象の焼ける臭い。

 走り回る。大声を上げて。身体が軋む。アバラが痛む。倒れた人々を覗きこんでいく。知らない顔。知らない顔。知らない顔。年寄りもいたし、子供もいた。ゴダイは心が痛んだ。遠くから、警邏車けいらしゃや救急車のサイレンの音が聞こえてきた。

 そして、ゴダイは見つけた。フジサワは、教殿の鉄柵から向かいにある通りの一角に座り込んでいた。

「フジサワさん!」

 ゴダイは駆け寄った。フジサワが頭を上げる。右足が赤い血にまみれていた。ゴダイはそっと手を置く。フジサワがうめき声を上げた。

「……どうして君がここに?」

 フジサワの額には大量の脂汗が浮かんでいる。

「おばさんと一緒に近くまで来てたんです。これ、何なんですか? 一体何があったんですか?」

「分からない。いきなり、車が爆発したんだ。それからマンホオルマンホールからも爆発が起きて……」

「ここから移動しましょう。すみません」

 そう言って、ゴダイはフジサワの脇の下に身体を入れて、フジサワを抱き起こした。フジサワが痛みに耐えかねて、声を上げる。

「ちょっと抱えます」

 ゴダイはフジサワの身体を両手で持ち上げた。その時、後ろから声が聞こえてきた。

「やめろ! やめてくれ!」

 パンッ!――容赦なく響く乾いた銃声に、その声は断たれた。ゴダイは振り返らずに、痛む身体を押して走り始めた。

 数ブロック移動した先には、事態の把握もままならず、右往左往している救急隊員たちがいた。ゴダイは、その中の一人に声をかけて、フジサワの手当を依頼した。ここまでくれば、騒動の余波はほとんどなかった。フジサワの安全は確保できるだろう。ゴダイは恩人に向いて言った。

「フジサワさん、俺、他の人も見てきます」

 フジサワの制止の声を聞かずに、ゴダイは教殿へと駆け出した。

 さっきの声が気になった。銃声が気に入らなかった。そして、明らかな暴力の影をそこに見てとった。これは事故じゃない。ましてや間違いでもない。明確な意思を持った何者かがいる。ゴダイは、教殿前の大通りで、改めてその惨状と相対した。


 すでに黒い煙は風に吹きすさび、噴水からの漏水は止まっていた。辺り一面は、赤い血の混じる水に覆われていた。

 教殿の正門前に、二人の男がライフルを手に立っていた。そして彼らの足元には、呻くシヱパアドの姿があった。他に動く者は何もなかった。逃げられる者は逃げ切り、置いてかれた者は、一人残らず息絶えていた。ゴダイが口を開こうとしたその時、ライフルを持った男の一人が、シヱパアドの頭を撃ち抜いた。遠慮なく、躊躇なく、撃った。シヱパアドは、一瞬でただの屍に変わった。

「おいっ!」

 ゴダイが声を上げた。広場の噴水を挟んだ二人組の男は、ゴダイの存在に気が付いた。二人ともゴダイと同じくらいか、もしくはそれよりも歳若くみえた。一人の男がゴダイを見て笑った。そして軽々しく銃口を向けた。

 ――発砲。

 ――そして金属音。

 あり得ないことが起こった。ゴダイが、その左腕で、

 男の下卑た笑い顔は、すぐさま引きつった恐怖に変わった。今目の前で起こったことがすぐに飲みこめない。もう一人の男も同様だった。

 ゴダイは動いた。

 水を弾き、飛沫を上げ、一瞬で男たちに詰め寄った。

 虚をつかれた男は、慌ててライフルをゴダイの顔面に向けた。グラブをはめた左手が銃身を掴み、銃口を反らした。次の瞬間、金属のひしゃげる音。銃身が力任せに

「お、お前、何なんだよ!」男の絶叫。

「それは、俺が訊きたいよ」

 もう一人の男も、ライフルをゴダイに構えた。が、ゴダイは素早く空いた右腕で、ライフルを弾く。取りこぼされる凶器。ゴダイがそれを奪い取り、敵の眼前に銃口を突き付けた。

「あ、あんた、い、壱號いちごうさんの仲間じゃないのか?」二人目の男がゴダイに尋ねた。

「壱號?」

 その時、不愉快なハウリングが辺り一帯に響き渡り、拡声器を通じて一人の男の声が聞こえてきた。

「我々は、〝いびつな鉄の腕〟。この国の歪んだ価値観を正しに来た者である」

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