第弐章の伍【セレモニィ】2/4

「ええ、ええ……」

 フジサワ夫人が、寝室の映信機で話をしている。その様子を、ゴダイは部屋の入り口付近で居心地悪そうに見つめる。

 夫人が映信から離れて、ゴダイに振り向いた。

「主人から」

 そう言って、困った様な顔で微笑む。ゴダイは安堵した。さっきフジサワの端末に触れたことで、教会やそれにるいする脅威が生じたのではないかと危惧したからだ。

「で、どこに忘れたのよ?」

 夫人が映信機から子機を取り外して、居間に移動する。ゴダイは脇に寄って、道を開ける。子機から微かにフジサワの声が漏れ聞こえた。

 夫人は居間の一角の引き出しを開けた。

「ああ、あるわよ……新しいのが二巻き……」夫人は引き出しの中から、カメラ用のフィルムを取り出して、テエブルに置く。「えー、何? これどうするのよ……情報端末のカメラじゃダメなの? ええ、ああ、そう……うーん、でも、そっち凄い人混みでしょ? 私が持ってくのは……ええ、無理よ。どうするったって……」

 ゴダイは大体の事情を飲みこんだ。だが、何か出来ることがあるだろうか――そんなことを考えているうちに、ゴダイは夫人と目が合った。


「本当にごめんなさいね……」

 隣に座る夫人は、ゴダイに頭を下げた。二人は今タクシィタクシーに乗り込み、ここから二十分ほどの式典会場に向かっていた。先ほどの電話を受けて、夫人が忘れ物のフィルムを届けに行くのを、ゴダイが手伝うことになったのである。

「いえ、まあ、色々お世話になりましたから……」

 教会への通報もせず、怪我の治療までしてくれた人たちだ。あの状況で無下に帰ることは出来なかった。だがそれでも、窓からセレモニィに沸く街の様子を見ていると、ゴダイはユリアたちの事を思い出さずにはいられない。ユリア、きっと怒っているだろうな。

「でも、ありがとうね。主人たら、本当にワガママで頑固で困っちゃうんだから……」夫人がまたも頭を下げる。すでに十回は頭を下げているはずだ。

「大丈夫ですよ。特に何か予定があるわけでもなかったので……」

「私の足がね、悪くなければ、一緒に来てもらわなくても良かったんだけども……」

 ゴダイは、夫人の杖と左足を見る。

「まあ、俺だってこんなんですから……」

 そう言って、革のグラブをはめた左手を見せる。夫人は少しばかり驚いた顔をして、それから優しく訊いた。

「それは、その……以前の戦争に行った時に?」

 ゴダイは吹き出してしまう。

「違いますよ、別の事情です。俺、戦争が終わった時、まだ九歳とか十歳ですよ」

「あら、ごめんなさい。自分の息子が行ってたものだから、つい、ね……」

 悲しげな憂いを帯びた眼差しで、夫人はゴダイに微笑んだ。ゴダイは言葉に詰まった。そして考えてしまう。もし彼らに金と機会があったなら、自分の息子の複製を作ったのだろうか――。十年以上も前に死んだ人間のことを未だに想っている。その時衝動に駆られて禁忌に手を出さないと、果たして言い切れるのだろうか。

 ゴダイは、自分を生み育ててくれた男のことを思い出す。彼はゴダイの面倒をよく見てくれていた。そこがゴダイの居場所だった。だが、その場所は、あの日あの時突然に奪われた。物心つく最初の記憶は炎と瓦礫と目の前に横たわる彼だった。しかし、その彼が、自分を愛していたのかどうか、それは今もよく分からない。

「これ、なかなか進みませんけど大丈夫ですか?」

 運転手が、後ろに座るゴダイたちに声をかける。確かに一同の乗ったタクシィは渋滞に巻き込まれていて、先ほどから歩く程度のスピイドでしか動いていない。〝神の御加護〟によって算出された最適経路を通ったとしても、パレエドによる通行規制や過剰な人混みへの対応には限界があった。

「ここから御聖廟までだと歩いていった方が早いかもしれませんよ」と運転手。

「あら……どうしたものかしら」

 フジサワの妻は頬に手をやり、眉根を寄せた。

「フジサワさん、小型の情報端末、持っているんですよね?」ゴダイが尋ねる。

「ええ」

「じゃあ、こっちに呼んで、来てもらった方がいいんじゃないですか? それか、場所が分かるようなら、俺、渡しに行きますよ」

「そうね……ちょっと呼んでみましょうか」

 夫人はカバンから端末を取り出した。

 ゴダイは、フジサワに連絡がつくまでの間、何気なく前部座席の背もたれに設置されたモニタアモニターのスイッチを入れた。画面が映り、ニュウスの中継が流れる。式典会場前の広場が映っている。ゴダイたちが乗ったタクシィからさほど遠くない場所だった。

 ゴダイは、外の人混みのその向こうを見やった。幾つかの建物の隙間から、白いレンガ造りの大きなドヲムドーム状の屋根が垣間見えた。

 それが教殿であった。

 そしてその中に、この二十年間一度も開かれる事のなかった御聖廟ごせいびょうがひかえていた。

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