悪役令嬢継母・サイドストーリー置き場

牧野 麻也

【ある日の侯爵家の出来事】本とアティと。

 とある日の事。


「おかあさまー」

 カラマンリス侯爵令嬢・アティが、体に似合わない程大きな本を抱えながら、ぽてぽてと屋敷の中の廊下を歩いていた。

 その後ろには家庭教師のサミュエルが、アティが転ばないかどうかハラハラしながら手を泳がせつつ、着いて行っている。


 そんなアティの向かいから、シーツを抱えた一人のメイドが歩いてきた。

 それを認めたアティは、よっこいしょと本を抱え直すとメイドの方へとパタパタ近寄って行く。

「キャリー、おかあさまどこにいるかしってる?」

 キャリーと呼ばれたメイドは顔をトロけさせると、シーツを抱えたまま膝をついてアティに視線を合わせる。

「お嬢様! 今日もお可愛らしい! そんな大きな本を抱えて、重くないです?」

 メイドにそう問われ、アティはぷるぷると首を横に振った。

「そうですか! お嬢様は力がお強いですね! 凄いです! 奥様なら旦那様の書斎にいらっしゃいますよ?」

 メイドがそう答えると、アティの顔がパァッと輝いた。それを見たメイドがポツリと

「尊いっ……」

 そう零した。


 この屋敷の主、カラマンリス侯爵の書斎の前に辿り着いたアティは、デカイ扉の前に呆然と立ち尽くす。

 本を抱えたままだったので、扉をノック出来ないからだ。

『ノックしてから入室する』

 サミュエルから教わった事を、アティは絶対守ろうと固く心に誓っていた。

 でもノック出来ない。でも本は手放したくない。アティは途方に暮れて、後ろにいたサミュエルを振り返った。


「はい、それでは、アティ様の代理でノックさせて頂きますね」

 アティにキュルンとした懇願アイで見上げられたサミュエルは、苦笑しながらアティの横に立つ。

 そして扉にノックしようとした瞬間──


 中から聞こえてきた声に、手を止めてしまった。


 え?

 そう思い、サミュエルはつい耳をそばだててしまう。

 中から二人の人間の声が漏れ聞こえてきた。


「ツァニス様……ちょっと、これは……凄い、硬いですね」

「そうか? こんなものだと思うが」

 サミュエルの身体がビシリと凍った。

 声の主は、この屋敷の主とその妻のものだった。

「凄く、硬いです。こんなに凄いのは初めてです」

「うっ……セレーネ、手加減してくれ」

「ダメです。もっと良くしたいので」


 サミュエルの顔が何でそんなに真っ赤に染まったのか、アティには理解できなかった。

 サミュエルがノックの姿勢で固まってしまったので、アティはぷっくりと頬を膨らませる。

 ノックして欲しいのにしてくれない、でもノックしないと部屋に入れない。

 ピコーン! あ! そうか!

 思いついたアティはスゥった息を大きく吸い込む。

「おかあさまー!!」

 扉の向こうにいるはずの母に向かって、全力で呼びかけた。

「アティ様?!」

 そんなアティに、目を白黒させるサミュエル。なんでサミュエルが慌てているのか、アティには分からなかった。


 部屋の向こうからガタガタと音がしたと思うと、ガチャリと扉が開かれる。

「アティ。どうしたの?」

 扉の向こうから姿を現したお母様──セレーネは、ニコニコしながら膝をつきアティに視線を合わせた。

 サミュエルはアワアワしながらも、つい部屋へと視線を向けてしまう。

 そこには、ソファに浅く座って背もたれにダラリと身体を預けた侯爵──ツァニスがいた。

 どうしよう! ヤバくね?! 邪魔したんじゃね?! ってか、その途中だったんじゃね?! アティに見せられるか?! どうなんだ?! ええと、どうする?!

 サミュエルは脳内で素早く考えた。

 が、混乱した頭では答えが出なかった。


「おかあさま、なにしてたの?」

 目の前にいる義母と、部屋の中にいる父を見比べながら、アティは首を傾げた。

「今ツァニス様にマッサージを施してたの。もう、仕事し過ぎで身体ガチガチなんだもん」

 そう笑って答えるセレーネ。

 その言葉で、サミュエルは自分がとんだ勘違いしていた事を自覚する。

 更に顔が赤くなり、みんなに顔向けできず顔を抑えてサッと背けた。


「はいっていい?」

 アティが小首を傾げ、父に向かってそう問いかける。

 顔を柔和に崩した父は、アティを迎え入れようと両手でチョイチョイとアティをいざなった。

 ぽてぽてと部屋の中に入って行ったアティは、ひょいっと抱えられ、父が座るソファの隣へと座らせられた。

「どうしたアティ。その本は?」

 父に問われ、本を膝に置いたアティは彼の顔を覗き上げる。

「おかあさまによんでほしかったの」

 キラッキラした目で可愛い娘に見上げられ、ツァニスは相好そうごうを崩した。

「……アティ、その本はカラマンリスの歴史書だぞ」

「れきししょ?」

「ええと……私の祖先の話が書いてあるのだ」

「そせん?」

「うーん……」

 ツァニスは説明が出来ず、口をへの字に結んでしまった。

「アティ、その本はツァニス様のお祖父じい様のお祖父じい様のお祖父じい様の事が書いてあるんですよ」

 セレーネがそうサポートすると、アティの目が更にキラキラと輝いた。

「読んで欲しい?」

 母にそう問いかけられ、アティはコックリと大きく頷いた。

「セレーネ」

 困った顔をしたツァニスは、少し咎めるように妻の名前を呼ぶ。

「セレーネ様、この本はアティ様には少し早いのでは?」

 ツァニスの言葉を継いだのはサミュエルだった。


「いいえ。興味があるのは悪い事ではありません。読んでみて、もしアティがつまらないと思ったらやめればいいんですよ」

 ニコニコとソファの方へと歩み寄ったセレーネは、アティの方ではなくソファの後ろ、ツァニスの後ろに立つ。

「読まないのか」

 ツァニスは疑問の声を背後に立った妻へと向ける。

「私にはツァニス様の肩凝りを解消するというミッションがございます。ツァニス様かサミュエルが読んであげてくださいな」

 セレーネはニコニコしつつ、手や手首の関節をボッキボキ言わせながらそう答えた。

「おとうさまがよんでくださるの?」

 母の言葉に、アティの目が更に輝く。まさか父が本を読んでくれるなど! アティの頬っぺたが興奮のあまりバラ色に輝いた。

「うっ」

 娘にそんな顔をされて、『否』とは言えなくなるツァニス。

 暫く渋い顔をしていたツァニスだったが

「しかし、マッサージされている状態では、読んであげられないぞ……」

 そう悔し気に呟いた。


「ああ、ならサミュエルが代わりにアティを膝の上の載せてあげて本を広げてあげればいいんです。傍にいるだけでも、違いますよ」

 セレーネがニコニコとしながらそう更に言うと、言われた本人たちが逆に驚く。

「私が!?」

 まさか自分が読み聞かせる事になるとは思っていなかったサミュエルが目を見開く。

「サミュエルのおひざにのっていいの?」

 アティの瞳も先ほどとは違う輝きを放った。

「嫌なんです?」

 セレーネがサミュエルにそう言い募ると、まさか! と言わんばかりに首を横に振るサミュエル。

 ソファの中心に座っていたツァニスが横に少しズレた為、拒否する事も空気的に無理と感じたサミュエルは、ソファに座るアティを一度抱っこし自分が座ると、その膝にアティを置いた。

「サミュエルがよんでくれるの!」

 アティは喜びのあまりそうウッキウキした喜びの声を上げた。

「アティ嬉しいね。良かったね」

「ハイ!」

 母の言葉に、上機嫌に返答するアティ。

 サミュエルは観念して、本を開いて最初から読み始めた。


「さて。こちらも再開しますよ。隣でアティが本を読んでいますからね。声を上げないでくださいね。邪魔になります」

「……分かった……」

 妻の勢いに押された夫は、辟易としながらもそう返答する。


 しかし、妻に労わってもらい、隣で娘が本を読む姿を見る。


 こんな日が来ようとは。


 カラマンリス侯爵家の主は、そんな日常の小さな幸せを噛みしめるのだった。



 了

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