僕の自転車、夏休み

一ノ井 亜蛮

第1話

 僕は小学四年生に進級した新学期の初登校日の今日、五月の誕生祝いにスポーツタイプの自転車を買ってもらう約束をお母さんと交わした。

僕の名は塚原 翔馬(つかはら しょうま)。

欲しい自転車が一般用のシティサイクルではなく、スポーツタイプなのはある計画を実行するために絶対必要な条件だからだ。

その計画とは、夏休みに僕が住んでいる東京都逢田区の逢森からお父さんの生家がある神奈川県の暑木市に自転車に乗って遊びに行くって計画さ。


「誕生日のプレゼントは何が良い?」と翔馬が母に聞かれた時、翔馬は即座に「ロードスポーツタイプの自転車。」と答えた。

しかし「そんな高額な自転車は必要ないでしょう。」と即刻に却下されてしまったのだ。

しかも、翔馬がスポーツタイプの自転車がどうしても欲しいと翔馬の母に交渉をしている時、この計画を立てた当初の『独りで行く』という計画もうっかり口を滑らせ打ち明けてしまい「子供が一人で何十キロも自転車で行動するなんて危険すぎる。ここ数年の、夏の異常気象を考えても自転車旅行の計画には賛成できません。」と言う理由で更に強固に反対をされてしまった。

翔馬の母がその日その夜、その話を翔馬の父にしたところ「翔馬もそんな事を考えるようになったんだな、良いじゃないか買ってやれば。」と一縷の望みが繋がるが、翔馬の母の抵抗は激しく承認が得られたのは翌日の事だった。

しかも翔馬の母はスポーツタイプの自転車を買う条件として『高額な自転車なので管理を自分でちゃんとする事。』『中学を卒業するまではその自転車に乗る。』『暑木に自転車旅行する計画にはお父さんの同行が必須。』の三つの条件を提示されてしまったのだ。

翔馬はその三つの条件を受け入れ、ロードスポーツタイプの自転車を買ってもらえる事になったのだ。

 「あ、あともう一つ。夏休みに計画をしているならば、旅行に行く前に夏休みの宿題は全部終わらせておくこと。いいわね?」翔馬の母から条件を追加されてしまった翔馬だっだが、自転車を買ってもらう為だから仕方がないとその条件も受け入れた。

三つ目の条件なのだが、翔馬の父はロードスポーツタイプの自転車で毎日約十キロの道のりを通勤しているので、翔馬にとっては有り難いサポーターと言う事になる。

しかし今回の計画で走る予定の距離はその五倍ほどの約五十キロだ。

翔馬は父と相談し、夏休みに入る前と夏休みに入ってからの翔馬の体力アップ計画を翔馬の父に立ててもらった。

 まず言わずもながの、約五十キロもの距離を走るためのスタミナを養う為、翔馬の父が余暇で通っているフィットネスジムで体を鍛えたらどうだ、と翔馬の父が意見を出す。

『余暇』ってなんだ?辞書で調べると、成る程そういう意味か。

夏休みに入る前はフィットネスのフリーウエイト器具を使って基礎体力を養い、夏休みに入ってからはエアロバイクを併用し、時間をフルに使って長距離を自転車で走るためのトレーニングをする計画にした。

少し離れたところだが、翔馬の父が休みの日は自転車で行ける距離に玉川という大きな川が流れているので、翔馬の父に付き合ってもらってそこの土手沿いのサイクリングコースでも長距離実走の練習が出来るだろうという事になった。


翔馬の誕生日は五月二十三日なので、自転車を買ってもらってすぐに六月、今年の梅雨入りは例年に比べて非常に早いらしく、基礎体力をつけるために運動を始めて間もなく、六月の中旬には梅雨入りをしてしまったので屋外での自転車に乗る練習が出来ない。

翔馬の父は「自転車に乗る練習は梅雨明けしたらやれば良いんだから焦る事は無いよ。」と翔馬を慰めるのだが、今のロードスポーツバイクの前に翔馬が乗っていたのは十八インチの児童用自転車で、買ってもらったスポーツタイプの自転車とは全く乗り味が違う。

翔馬は早くスポーツタイプの自転車に乗り慣れたい気持ちで焦りを隠せないようだ。

そんな焦る気持ちを何とか静め、トレーニング開始初日に翔馬は父が余暇で通っているフィットネスクラブへ翔馬の父と行く。

入り口のドアを開け中に入ると、約三十畳ほどのスペースの、入り口方向の幅が一に対して奥行きが二と言う長方形のひと間の部屋と言う造りになっている。

入り口の反対側、入り口から一番離れた奥の壁は全面が鏡となっており、その鏡の前にはバーベルやらダンベルやらトレーニング用のベンチ等が置かれていて、三人がその器具を使ってトレーニングしている姿が見える。

その三人の中の一人が「いらっしゃい。」と野太いダミ声で話しかけて来たのでそちらを見ると、スキンヘッドに筋骨隆々の男性がこちらに向かって歩いて来るのが確認出来た。

翔馬は一瞬怯んでしまうが、勇気を振り絞って「こんにちは、初めまして、よろしくお願いします。」と挨拶をする。

すると「こんにちは、偉いね。ちゃんと挨拶が出来て。」その男性は浅黒く日焼けした顔に真っ白な歯を見せてニカッと笑った。

その姿は翔馬には凄くカッコ良く見えた。

「翔馬、こちらはこのフィットネスジムのオーナーで水戸光彦君だ。現役のボディービルダーなんだよ。あの時代劇の水戸黄門みたいな名前で、見た目のイメージとのギャップが面白いだろ。」翔馬の父が光彦を翔馬に紹介したのだが「父さん、ボディービルダーって何?」そう、翔馬はボディービルダーと言う職業を知らなかったのだ。

すると光彦「小学四年生じゃ知らなくても当たり前だよね。簡単に言うとだ、体を極限まで鍛えて、筋肉美を披露する大会とかに出る事を仕事にしている人達の事をボディービルダーと言うんだよ。」と説明してくれた。

「そうなんですか、だから光彦さんは腕とか脚とか、その他も凄い筋肉なんですね。」「そうだね、僕の場合は筋肉を鍛えるのが仕事だからね。」

光彦は翔馬の父の方を向き「相変わらずの名前いじりですね。」すると翔馬の父が「水戸光圀公に在らせられるぞ~。一同頭が高い!控えおろ~ぅ!って名前から想像しちゃうんだけど、光彦君自身はそのイメージとは全然かけ離れてるよね。」

しかし光彦は翔馬の父に名前いじりの話を振っておいてまさかの完全スルー。

「塚原さん、翔馬君のトレーニングプログラムは組んでおきました。」そして翔馬の方を向いて「翔馬君、計画を実行するまで二か月ほどあるから、焦らず確実にじっくりとトレーニングして行こうな。」そう言って翔馬と握手をした。

翔馬の父はスルーされたのにも関わらず「よろしくね。」と光彦に告げただけで、全く意に介せずトレーニングを始める驚き。

握手をしてもらった翔馬は、光彦の手は大きくて力強く、とても温かいと感じていて、翔馬の父と光彦の言動や行動は全く気にもなっていなかったようだ。

「今日は初日だから、マシンの使い方の説明をしながらトレーニングの流れを憶えて行こう。若いからすぐに筋力アップすると思うけど、成長期だからいきなりガッツリ筋肉をつけない方が良いだろう。」夏休み前はウエイトトレーニングのみで重量は軽めの設定、時間が取れる夏休みに入ってからはエアロバイクに長めに乗るプログラムも導入してスタミナをアップする為のメニューを光彦が組んでくれた。

「ジムに来たらまず最初にストレッチで体をほぐす。これは怪我の予防にもなるから必ずやるように。」光彦は翔馬にそうアドバイスをする。

家がジムから近いので、家でストレッチをやってから来ても良いのだが、確実に効果のあるストレッチが出来ているか確認の意味も含めてストレッチはジムに来てからやる、そう約束をした。

ストレッチが終わったら腹筋↓背筋↓胸筋↓広背筋↓肩筋↓腕↓下半身とウエイトトレーニングをしたのだけど、正直物足りなすぎるんじゃない?と思ってしまった。

トレーニング終わりのストレッチをしている翔馬の傍に来て光彦が「今日はやったかやって無いのかわからないほど軽めの重量でトレーニングしたから物足りないと感じただろうけど、最初はそんなモンで良いんだよ。飛ばし過ぎると怪我の元だし、初めてのウエイトトレーニング、普段使っていない筋肉も使ったから、今日の晩ご飯を食べているくらいの時間に『どうしてこんなところが?』ってところが筋肉痛になると思うよ。」と話していたが、翔馬は正直『何を言っているのか意味がわからない。』と思っていた。

ところが実際、ウエイトトレーニング中も終わった後も『こんな軽い重量で効果があるのかな?』って思っていたけど、家に帰って一息ついたら本当に何でこんなところがって部分が筋肉痛になっていた。

光彦が言っていた「筋肉痛はちゃんと湯船に浸かって体を休めれば明日には治っていると思うけど、もしも治っていなかったら無理してトレーニングしない方が良い。体を休めるのもトレーニングの一環だからね。」と。

翔馬はその日、光彦が言っていた通り、ゆっくり湯船に浸かって早めの就寝をする。

 翌日、幸いにも翔馬の筋肉痛は朝起きる頃には治っていた。

夜寝る時は、寝返りをするのもちょっと辛かったのだが、あの痛みが朝には嘘の様にスッキリと無くなっていたのだ。

 その日の放課後もジムに行く。

翔馬の父は十七時を過ぎないと仕事から帰って来ないので、翔馬は一足先に一人で行ってトレーニングを開始する。

「おお、翔馬君。調子はどうだい?」光彦がいつもの様に野太いダミ声で翔馬を迎える。

「光彦さん、こんちゃ。昨夜は筋肉痛でダメかと思ったけど、言われた通りにゆっくり湯船に浸かって早めの就寝をしました。そしたら、朝起きたら筋肉痛も無くスッキリ爽快に目覚められました。」「そうか、成長期だから回復も早いんだよな。でも、今週中は昨日と同じウエイトでトレーニングしようね。すぐに筋肉痛にならなくなると思うから、そうしたら徐々にウエイトを上げて行こう。」

「はい、よろしくお願いします。」翔馬はストレッチをし、昨日光彦に教えてもらったトレーニングメニューをこなして行く。

その翌日、翔馬がトレーニングを終えてストレッチをしていると翔馬の父がフィットネスに現れて「お父さんがお世話になっている整骨院で筋肉をほぐしてもらうと良い。体を鍛えるだけじゃなく、メンテナンスも大事だから。お父さん今日は早めに仕事が終われたから、これから整骨院に行くんだ。だから翔馬も一緒に行こう。」と翔馬を整骨院に誘う。

翔馬はストレッチを終え、翔馬の父と一緒に整骨院に向かった。

 「ここだ。」翔馬の父が指差す入り口の自動ドアに逢森西整骨院と書かれている。

入り口と地面の段差が三十センチほどあるので、自動ドアの前には斜度が四十五度ほどもあるんじゃないかと思われるスロープが設けてある。

スロープを上がり自動ドアを入ると、目の前が受付けになっていた。

受付カウンターを前に、入り口を背にして立つと幅約五メートル、奥行き約十二メートル程のひと間の間取りになっている。

受付けの先には真ん中を通路として、通路側に頭が向くようにマッサージ用ベッドが左右にそれぞれが個室の様になるようパーテーションで仕切られ三脚ずつ、計六脚置かれている造りになっていた。

「こんにちは~。」中から声がして、カーテンの脇から誰かが顔を覗かせる。

「こんにちは医院長、セガレです。」翔馬は顔を覗かせたその人物に会釈をし「翔馬です。よろしくお願いします。」と挨拶をした。

医院長は「よろしくお願いしますね。すいませんが、そこの椅子におかけになってお待ちくださ~い。」と患者さんのマッサージを続けた。

 二人が椅子に腰かけてちょっと待っていると、別の施術師が何やらの紙が挟んであるバインダーを持って翔馬の元へやって来た。

その施術師は「初めてなので、この用紙に必要事項を書いてください。」と、こことこことここ、と書き込みが必要な部分を鉛筆を使い丸で囲んで翔馬に教えた。

翔馬は用紙に必要事項を書き込んでいく。

記入し終わったころ、医院長もマッサージが終わったようで、翔馬の所にやって来て簡単に整骨院の事を説明してくれた。

「翔馬君は週に二回~三回ほどの通院にしようか。もちろん三回以上でも良いからね。」「はい、わかりました。」と翔馬が医院長に返事をすると「じゃあ、あそこのベッドにうつ伏せに寝て下さいね。」と別の施術師が翔馬を案内する。

翔馬が案内されたベッドの横に立つと、その施術師は「準備が出来たら声を掛けてね。」とカーテンを閉めようとした。

翔馬は施術師に「準備は何もないです、お願いします。」と伝えると、施術師は閉めかけたカーテンを開け「ではベッドにうつ伏せになってください。」と翔馬に促す。

翔馬がベッドにうつ伏せになると、施術師は翔馬の背中を触りながら「つらい所はありますか?」と質問をした。

「腰と背中、後は肩です。」と翔馬が答えると施術師は「では、今日はその辺りをほぐしていきましょう。」と翔馬の腰を指圧し始める。

翔馬は痛みで思わず「う~~~っ。」と唸って体に力を込めてしまった。

「痛いでしょうけど、力を抜いてリラックスしてね。もう少し押す力を加減しましょう。」指圧の力を緩めてくれたのだけど、それでも結構痛い。

我慢出来ないほどの痛みではないので翔馬が耐えていると、施術師が「まだ痛いかい?じゃあ指で押されるのと同じタイミングでゆっくりと息を『ふ~っ』と吐くと、気持ち痛みがなくなるから試してごらん。」と教えてくれた。

翔馬は試しに指圧をされるタイミングで「ふ~~~。」と息を吐いてみた。

『お?ちょっと痛みがなくなった気がする。』続けて「ふ~~~っ。」とやるが「く~~~~~う。」翔馬のその姿を見て施術師が「あまり効果はないみたいだね。まぁ気持ち程度だから、こんなもんかな。」「いえ、ちょっとだけ痛く無くなった様な気がします。」

背中から肩、首をマッサージしてもらい立ち上がると、上半身が物凄く軽くなった感覚で景色も明るく見える気がする。

「うわ~、体が軽くなりました。羽が生えたみたい。景色も何だか明るく見える。」思わず口走る翔馬に父が「良かったね。トレーニングが終わったら定期的にここに通って体のメンテナンスもするんだぞ。」とベッドから声を掛けて来た。

「うん」と翔馬が返事をするのとほぼ時を同じくして「ぐううわあああぁ~~~。」と翔馬の父の呻き声が。

「塚原さん、足が可哀相な事になってますね~。」との施術師の呼び掛けに「俺も可哀相。」と悶絶しながら震えるような涙声で答える翔馬の父だった。


 そうこうしているうちに六月は『あっ!』と言う間に過ぎ去って行った。

 七月に入り、気温も急上昇。

今年は観測史上何番目かの早さで六月の終わりと共に梅雨明けをしてしまったので、自転車に乗るには少々暑苦しい気候だが、晴れた日に自転車に乗るのはやっぱり気分が良い。

本番は八月中旬頃の、気温も湿度も相当不快なレベルの中で決行されるから、徐々に高温多湿な気候に慣れて行くしかない。

 今日は日曜日なので、翔馬が父と一緒に玉川の土手のサイクリングコースへ走りに行く予定の日なのだ。

快晴の朝、気温は二十九度、湿度は八十三パーセント、外に出ただけで汗ばんでくる。

すでに外でスタンバイしている翔馬の父は、スタンバイしているだけの時点で結構汗をかいていた。

自転車を運転して玉川の土手に向かっていると「今日は暑いなぁ。」暑がりで汗かきの翔馬の父はそんなに長い距離を走っていないのだが、既にかなりの発汗量でボヤいている。

翔馬はその言葉を聞いてクスッと笑い「ちゃんと水分補給しなくちゃね。」と言うと「飲むから汗をかくのか?しかし水分補給をしない訳に行かないし、しかし飲むと沢山汗かくからまた沢山飲んじゃうんだよな。鶏が先か?卵が先か?みたいな話になって来ちゃったなぁ。」と眉をひそめる翔馬の父。

「沢山汗をかいても、着替えのシャツも汗を拭くタオルもちゃんと予備を持って来たから安心だね。」と翔馬が自分のデイパックをポンっと叩くと「デイパックの中まで汗が染みないか心配だよ。」とお道化た顔をする翔馬の父。

「お父さんの着替えが濡れちゃったら僕のを貸してあげるよ。」と翔馬が父に言うと「翔馬のシャツじゃ小さくて着れないだろ?漫画みたいにビリビリってなっちゃうよ。」と頭をガクッとして見せた。

 玉川の土手に着き、サイクリングコースのスタート地点に二人自転車を停める。

スタート地点の傍らに立て看板が有ったので目をやると『サイクリングコース発着点 全長30km』と書いてある。

翔馬は思わず「全長三十キロ?行って帰って来たら暑木に行くより長いじゃん。」と大声を上げる。

それを聞いた翔馬の父「別にゴールまで行って帰って来る必要なんて無いんだよ。適当なところまで走ったら引き返して来れば良いのさ。翔馬は真面目だなぁ。」と翔馬を冷やかし、冷めた笑みを浮かべる。

翔馬は「あー!お父さん笑ってらぁ。ひどいなぁ。いいもん。」翔馬は父を置き去りに一人で走り出した。

翔馬の父は「あ、あ、ちょっと待ってよ、置いて行かないで。」翔馬に追い付こうと慌てて走り出したため、フラフラとしていた。

その姿を見て「あはは~、お父さんフラついてら~。ここまでおいで~。」翔馬は更に引き離そうとペダルを強く漕いだ。

「よ~し、見てろ~!」と翔馬の父もダッシュをかける。

翔馬は必死にペダルを漕ぐも、あっと言う間に追いつかれてしまった。

「やっぱお父さん速いね。」「毎日これで仕事に行ってるからね。でも、最初から飛ばすと後が続かなくなるぞ。」ダッシュで翔馬に追いついたのに、ほとんど息が上がっていない翔馬の父。

翔馬は「そうだね。」と言ってペースダウンをする。

二キロ地点で翔馬の父が「ちょっと着替えるから休憩。後、水分補給をしよう。」と言ってコースの傍らに自転車を停めてTシャツを脱ぎだした。

翔馬が最近憶えた言葉の『初老』に当たる年齢の翔馬の父だけど『腹筋辺りは微妙なのは置いといて、それなりに引き締まった体、顔と腕が日焼けしていてかっこいいと思うのは子馬鹿なのか?』などと翔馬は思った。

翔馬もTシャツを着替えようと濡れたシャツを脱ぐと「おお、翔馬は体が引き締まって来たな。日焼けもしてかっこいいぞ。親馬鹿だけどな。」と翔馬が考えていたのと同じ様な事を言うので「お父さんも筋肉質で日焼けしてかっこいいよ。」と褒め返す。

すると翔馬の父は「そうだろう。」とこれ以上は無い、というくらいのドヤ顔になる。

すかさず翔馬が「子馬鹿だけど。」と言うと「何だそりゃ?」と呆れ顔になった。

着替えが済み、水分補給を終えた二人は再び走り出す。

走りながら「五キロ地点まで走ったらそこで折り返そう。」と翔馬の父が提案をする。

「わかった~。じゃあ、そこでまた着替えと水分補給だね。」と翔馬が返事をする。

「え~、その件につきましては、お答えを差し控えさせていただきます。」と翔馬の父はとぼけた顔で切り返した。

翔馬は呆れ顔になり「な~に~?それ~?イミフ~。」と言うと翔馬の父は「イミフってイミフ~。」とさらにとぼけた。

もはや親子の会話とは思えないレベルに翔馬は「あ~、あはは。」と乾いた笑顔になる。

そうこうしている内に五キロ地点に到着、二人は着替えを済ませ水分補給をする。

翔馬の父が「ここから家の方角に向かって戻るんだけど、この次はここから四キロの地点で休憩にしよう。丁度そのあたりが家までの中間地点だと思うからさ。」と翔馬に話す。

それに翔馬は「え~、その件につきましてはお答えを差し控えさせていただきます。」と切り返してみせたのだ。

すると翔馬の父「あっ!それさっきのお父さんの。真似したな~。よーし、なにそれ~?イミフー。」と翔馬の真似をして肩をすくめる仕草をしてみせる翔馬の父。

翔馬が「イミフってイミフ~。」とさらに翔馬の父の真似をして肩をすくめて見せ、二人は大爆笑になった。

すると翔馬の父は「ずいぶん久しぶりにこんな風に大声で笑った気がするよ。」と一瞬哀しげな表情になったが、すぐに笑顔になり「よーし!行くぞ。」と言って走り出した。

「あー!待ってよー。」と翔馬も父に続いて走り出す。

四キロ地点で二人は休憩を取った。

「いや~、暑いなー。うわ!シャツがベッタベタ。」シャツを着替える翔馬の父、サイクリングコースで最後の休憩を取る二人。

時刻は昼近くになっていたので気温、湿度共にかなり体に堪えるレベルだ。

翔馬の父が脱いだシャツを絞ると「こんなだぞ。」と驚くほど多量の汗が滴り落ちる。

その光景を見た翔馬は「わ、すごい。こんなの漫画でしか見たトキ無いや。」と驚いた。

二人ともタオルで体の汗を拭いて新しいシャツに着替える。

「いやー、やっぱり着替えるとサッパリとするな。と言ってる間に、すでに汗が顔に滴り落ちて来てるんだけどさ。お父さんの顔、溶けてない?大丈夫?」と翔馬の方へ汗だくの顔を向ける翔馬の父。

「微妙に溶けてそうな感じだけど、今のところ大丈夫そうだよ。僕は?」と翔馬は父の方へ顔を向けた。

すると翔馬の父は「ん、翔馬はお父さんに似て男前だな。よし!行くか。」と出発の準備を始める。

「あ、ええ~?いや、そういう事を聞いてるんじゃなくって、」と、ここまで喋ったくらいのところで翔馬を置き去りに走り出そうとする翔馬の父。

「あ~!ちょっと、待ってってば。」翔馬は再び置いてきぼりにされない様に走り出す翔馬の父に必死について行く。

「さあ、このまま一気に家まで走るぞ。」翔馬の父の掛け声とともに、二人は玉川からノンストップで家まで走った。

 家に到着すると、奥のキッチンにいた翔馬の母が「お帰り、お昼は?食べて来たの?」と翔馬達を出迎える。

翔馬の父が「お昼はまだなんだ。何かある?素麺が良いな。」冷蔵庫を開けて、麦茶の入ったガラス製のポットを取り出し、コップに麦茶を注ぎながら答えると「素麺だけでいいの?翔馬は?」「僕も素麺が良いな。あとゆで卵が食べたい。」

それを、麦茶を飲みながら聞いていた翔馬の父が麦茶を飲み干し「お、ゆで卵良いね。お父さんの分も作って。」するとちょっと呆れ顔になった翔馬の母が「はいはい、お父さんも翔馬の真似してゆで卵ね。」と意味深な笑みを浮かべ「人が食べてる物って、何だか自分も食べたくなってしまうものね。」と冷蔵庫から卵を二つ取り出しゆで始めた。

そこへ弟の悟が入って来て「僕も素麺とゆで卵。」それを聞いた翔馬の母は「良かった、今ならゆで卵まだ間に合うわ。」と急いで冷蔵庫から卵をもう一つ取り出して、まだ沸騰する前の鍋へ卵を投入する。

 ほどなくして「素麺出来たわよー。ゆで卵はもうちょっとかかるから、出来上がったら卵の殻は自分で剥いてね。」そう言って翔馬の母は五人前の素麺を一つの大きなガラス製の器に盛って持って来た。

その、大盛りの素麺が盛られた器を翔馬の父がしげしげと見ていると「お母さんも素麺が食べたくなっちゃってね。ホント、人が食べる物ってつい食べたくなっちゃうのよね。あ、お父さん、素麺のつゆとおつゆを入れる器を持って来て。翔馬は薬味の入ったお皿をお願い。」翔馬は父と一緒に「は~い。」と返事をし、それぞれ言われた物を取りに行く。

「予想外の大盛りだったからびっくりしたな。」と翔馬の父が翔馬に耳打ちする。

翔馬も小声で「うん僕も、あれ?お母さん作る量を間違えちゃったのかと思ったよ。」薬味を冷蔵庫から取り出し、翔馬の父の方へ向いて呟く。

「いただきまーす。」五人で一つの器に盛られた素麺を食べる。

「翔馬は本当に自転車でお父さんの生家まで行く気なの?お母さん心配でたまらないわ。」

「僕、本気だよ。お父さんも一緒に走ってくれるから心配ないよ。」「そうかもしれないけど、それでも母さん心配だわ。」

すると翔馬の父「お父さんはむしろ一人で行かせてやりたいと思っているんだけど、お母さんの心配もわかるから一緒に付いて行くだけ。一緒に行かないと絶対に許可が下りないだろうしね。」

それを聞いた翔馬の母はあからさまに不機嫌な表情になり「当たり前でしょ!お父さんが一緒でも心配なのに、一人で行くなんてもってのほかだわ。」

その、恐ろしいほどに憮然とした翔馬の母の表情を見た翔馬の父は『あわわ・・・』と言う表情になり「そう言えば、翔馬は毎日宿題やっているのか?」と話をはぐらかす。

「話をはぐらかそうとしてもダメですよ。」翔馬の母が翔馬の父をジロリと睨む。

「僕ね、今日往復で十キロくらい走って来たんだよ。これから徐々に距離を伸ばしていける様になったら良いなぁ」不意に出された翔馬の助け舟に翔馬の父は「おお、翔馬の自転車も徐々に上達して来てるから本番にはバッチリだね。」と安堵の表情になる。

しかし尚も翔馬の母は「それでも母さんは心配だわ。」と溜息をつく。

 翌日からまた放課後にフィットネス通いの日々が始まった。

「早く夏休みにならないかな。」などと考えている内に終業式だ。

夏休みの宿題と通信簿を持って帰宅する。

「通信簿は?」と翔馬は母に聞かれ「はい。」と手渡すと翔馬の母は中を確認し「成績は上がってるわね。残念。下がっていたら、それを理由に夏休みの冒険旅行は中止させようと考えていたのに。」「そうだと思っていたよ。そう言われない様に僕、今回は特に勉強したもんね。」どうだとばかりの顔をしていると、そこへ小二の悟が帰って来た。

「悟、通信簿は?」ランドセルから通信簿を取り出し「はい。」と母に渡す悟。

「変わらず中の上ってところね。五と四が幾つか有るけど、体育の成績が五段階で二なのが気になるわ。勉強も大事だけど、運動もやってね。お兄ちゃんは体育が五だけど、算数と理科の四以外全部三。もうちょっと四が増える様に勉強して。まぁ、体育の五以外は二と三ばかりだった三年生と比べたら良いけどね。」翔馬の母がそう言い終わるか終わらないかくらいの所で翔馬「はーい。もうフィットネスに行っても良い?」と着替えの入ったバッグを持って出発しようとすると翔馬の母は呆れ顔で「夏休みの宿題は冒険旅行に行く前に終わらせるのよ。でないとホントに行かせませんからね。」と最後は怖い顔で翔馬に念押しをする。

夏休みに入ってからは『午前六時起床、自転車で実走して帰宅。午前八時から朝ご飯。午前九時から約二時間、机に向かい夏休みの宿題。休憩の後、正午を目安に昼食。午後は三時半くらいから約二時間ほどフィットネスで基礎体力とエアロバイク。月・水・金はその後整骨院に行く。』が翔馬の日課になった。

この予定表の通りに行かない日もあるだろうが、冒険旅行の前日まではこの予定の通りに毎日を過ごすと翔馬は決めたのだ。

そして日曜日、祝祭日以外では唯一翔馬の父が休みの日なので、今日は一緒に玉川のサイクリングコースで自転車に乗った長距離実走の練習をする。

午前中は家で宿題、午後はフィットネスで地味に体力作りに励む翔馬にとって、自転車で外に出て父と一緒に走れる日曜日は何よりの楽しみだった。

朝食を済ませて家を出る。

「前回は往復十キロほどだったから、今回は往復で十五キロを目指そうか。ちょっとだけペースアップしないとな。しかし暑いなぁ。」そう言って翔馬の父は走り出す。

翔馬も「了解!」と言って翔馬の父に続く。

走り出したら翔馬が前を走り、翔馬の父は翔馬の三~五メートル後方を追走するポジションにチェンジする。

走っている間は二人ともほぼほぼ無口だ。

ひたすら前へ前へと自転車を走らせて行く。

会話といえば「次の角を右(または左)。」「了解。」くらいである。

そうこうしている内に、玉川土手のサイクリングコースに着いた。

玉川のサイクリングコースは一本道だから、「そこを右。」とか「左。」とかって会話もしなくなるだろう、暑いし。

ここまで走って来た事で準備運動は充分だろうから、簡単なストレッチをして二人共自転車に跨る。

今日は一気に七キロ地点まで走ってから休憩を取る、という事を確認して走り出した。

筋トレの成果も相まって走り出しは順調だ。

まだ午前六時を回ったばかりなので、それほど気温が上がっていないのがありがたい。

しかし、後ろを走る翔馬の父はすでに暑さにやられているようで「うあ~~・・・。」と走りながらずっと唸っている。

その声が翔馬の三メートル後方をピッタリと付いて来るのだ。

翔馬は不意に自転車を停め「気持ちはわかるけど、怖いし不審者みたいだから唸るのやめて。」と翔馬の父に訴える。

翔馬の父も自転車を停めて「ああ、そうか、そりゃすまんな。」と言う顔はそれなりに湯だち始めていた。

翔馬は父のそんな姿を見て「お父さんが心配だから、七キロ地点じゃなくて三キロ地点で一度休憩を取らない?」と提案をする。

翔馬の父は水筒の水を少し飲むと「そうだな、それじゃ、様子を見ながら走って、三キロか四キロ、どちらかの地点で一度休憩を取ろう。家には昼くらいに帰れればいいだけだからね。」と翔馬の提案に同意する。

「じゃあ出発!」と翔馬が掛け声をかけると翔馬の父が「オーライ。」と僕に続く。

そんな状態だったが、三キロ地点は余裕でスルーをして四キロ地点を目指せた。

二人とも無言で走り続け、四キロ地点に到着すると自転車を停めた瞬間に「くわ~あ~あ!」と翔馬の父は叫び声にも似たような、しかし大声ではない音量で唸り、地面に転がるように寝そべる。

翔馬はそんな父の姿を見て「す、すごい汗だね。シャワーでも浴びて来たみたい。」

すると翔馬の父は上半身を起こしながら「ここまで汗かくと逆に清々し、くは無いよな~あ。パンツまでビチョビチョだよ。でも、ここでパンツを脱ぐ訳には行かないから我慢するしかないな。」

「あ、あそこにトイレがあるよ。」と翔馬が工事現場などでよく見かける仮設トイレを発見し、指差すと翔馬の父は「おお、翔馬ありがとう、でも残念ながらパンツの替えを持って来て無いや。」と両腕を広げて肩をすくめて見せた。

二人ともに汗を拭い、シャツを着替えて水分補給を済ませて折り返し地点を目指す。

距離は大した事が無いのだけど、気温と湿度が体に堪える。

特に湿度が八十パーセントを超える日は運動向きではない。

さらに土手という事で、日影が無いので直射日光を浴びっ放しという条件がより一層過酷さを増している要因になっていた

折り返し地点に到着「ここにも仮設トイレがあるな。次回は替えのパンツも持って来ようかな。」設置されている仮設トイレを恨めしそうに横目で見ながら翔馬の父が呟く。

「三枚ほど必要だね。」翔馬が父にそう言うと「そうだね、出来れば休憩毎に着替えたいもんな。そうすると荷物が増えるなぁ。」翔馬の父は『あ~あ』という表情になった。

体の汗を拭き取りながら翔馬の父が「次の休憩はここから五キロ地点にしよう。スタートからだと二キロだから『二キロ地点』の看板が立っているところね。」

その提案に翔馬は体の汗を拭き取りながら「オッケー」と返事をする。

着替えが終わり水分補給を済ませてまた走り出す。

折り返し地点から一キロほどしか走っていないのだが、翔馬の父はすでにシャツを着たままシャワーを浴びたかの様に見えるほど発汗が凄い。

そして翔馬も発汗が多くなった事により体力が減り、二人ともペースが落ちて来た。

ようやく『二キロ地点』の看板が有る場所に到着し停車するが二人とも黙ったままだ。

「まだ午前十時くらいだっていうのに、この暑さは何だろね。」翔馬の父が重い空気を断ち切るかのように口を開いく。

翔馬は誰に言うとでもなく「本番の時が怖いね。」と呟いた。

「雨が降るくらいなら晴れて欲しいけど、出来れば曇り空がありがたいな。」と続ける翔馬の父に、言葉には出さなかったが『その通りだな。』と翔馬は思った。

手早く着替えと水分補給を済ませて家路につくが、翔馬の父がグロッキー気味だったのに加えて翔馬が道を憶えた事もあり、この間も二人とも無言だったのである。

家に到着し玄関ドアを開けると翔馬の父は一目散に着替えを用意してシャワーを浴びにお風呂場へと向かって行った。

十五分ほどでお風呂場から出て来た翔馬の父は翔馬に「先にシャワーを使って悪かったな、翔馬もシャワーを浴びておいで。」とキッチンへと行き麦茶を飲む。

「ありがとう。」と翔馬も着替えを準備して風呂に向かった。

翔馬が風呂場に入ってお湯のシャワーを浴びようとするが中々お湯が出ない。

『何でお湯が出ないんだ?』と悩んでいると翔馬の父が風呂場の前に来て「あ~、ごめん。水でシャワーを浴びたから、給湯器のスイッチを入れて無いんだ。」なるほど、そりゃお湯は出ないよね。

翔馬がシャワーを浴び終わる頃に翔馬の母と悟が買い物から帰って来た。

「あら?二人とも帰ってたの?シャワー浴びてサッパリしたのね。二人ともお昼はどうする?」すると翔馬の父「お昼はお父さん特製チャーハンを作ってやるよ。母さんも食べる?」「お父さん特製チャーハンって、マーガリンベチャベチャの塩マーガリンライス炒めの事?胸やけしそうだから私はパスね。」翔馬の母は左手で『イヤイヤ』のジェスチャーをする。

すると翔馬の父「翔馬は育ち盛りだから丁度いいか?悟も食べるか?」と翔馬と悟に聞いて来た。

それを聞いた翔馬「お父さん特製チャーハン美味しいから僕は食べたい。」と言ってキッチンの椅子に座り静かに待つ。

悟も「僕も食べたーい。」と言って翔馬の隣の椅子に座る。

悟と翔馬は一瞬顔を見合わせ笑顔で出来上がりを待った。

五分ほど待っていると「ほい!出来上がりだよ。」翔馬の父がお皿に盛り分けられたチャーハンをキッチンテーブルに運ぶ。

ほんのりマーガリンの、塩と焼き飯っていうあの良い香りが漂ってきて翔馬たち二人の食欲を刺激する。

「いただきま~す!」翔馬と悟は夢中でお父さん特製チャーハンを口に運び『あ!』という間に平らげてしまった。

「おいおい、本当に『あ!』という間だな。そんなに美味しそうに食べてくれると料理人冥利に尽きるよ。」翔馬の父はこぼれそうなほどの笑顔で二人を見る。

ふと違和感を感じ窓から外を見ると、夏の夕方とは思えないほどに空が真っ黒になっていた。

「夕立が来そうね。どおりで、涼しいなって思ってたんだ。翔馬も悟も部屋の戸締りしっかりして来て。」「はーい。」翔馬と悟は母に言われるままに『子供部屋』の戸締りをしに自分たちの部屋へと行く。


 三日後の水曜日、朝ご飯を食べ終わって食器を片付けた後、キッチンで机に向かって夏休みの宿題をやっていると看護師の夜勤を終えた翔馬の母が帰って来た。

「ただいま。あら、翔馬はちゃんと夏休みの宿題をやってるのね。本当に冒険旅行に行きたいんだね。そういうところ、お父さんにそっくりだわ。」『どういうところがそっくりなのかわからないけど、きっとお父さんも、こうと決めたら目標に向かってまっしぐらな性格なんだろう』と翔馬は思った。

「旅行に行く前までに国語・算数・理科・社会は全部終わらせるんだ。」そう言って翔馬が国語の宿題をしていると、翔馬の母は問題集を覗き見て「四年生で習う漢字ならば読む事は出来るけれども、いざ書いてってなったらお母さんは書けるかどうか怪しいわ。」そう言ってキッチンを出て行く。

 午前十一時過ぎまで宿題をやり、昼食を終え、午後一時にラジオをつけると「ハイ皆さんこんにちは、今日の天気は晴れ、現在の気温は三十一度、湿度が八十六パーセントとかなり高くなっております。今日のパートナーは?」と声が流れて来た。

夏休みに入ってからの習慣で、フィットネスに行くまでの時間、ラジオ番組が発表する『今日のテーマ』に沿ったメールをして読まれるかどうか、ラジオを聴きながらドキドキするのも翔馬の楽しみの一つとなっていたのだ。

翔馬は毎日、自分が送ったメールが読まれないかとワクワクしながら楽しみにラジオ番組を聴いていた。

楽しい時間はあっと言う間なのだが、今日も翔馬のメールは読まれないままエンディングの時間。

「それでは皆さん、ごきげんよう。さようなら。」の声を聴きラジオの電源を切りフィットネスへ向かう。

ひと通りメニューをこなし、帰りに整骨院に行くと「うぐわああわ~!」と、どこかで聞いた様な呻き声が翔馬の耳に飛び込んで来た。

呻き声がする方を見ると翔馬の父が施術をしてもらっている様子が見える。

翔馬に気付いた翔馬の父「おお、翔馬はフィットネス帰りか?くうう~、、、お父さんは、はわわ~、、、珍しく、くう~、、、仕事が、は、早くお、お、終わったから~ぁ、ぐぎぎ~、、、寄り道さ。折角だから、はわわ~、、、ほったらかしになっている、ああー!足を、ほ、ほぐしても、もらってるとこさ。ぐわ~っ!」丁度ふくらはぎを揉んでもらっているところだったようで、痛さで言葉になっていない。

「翔馬君こんにちは。グッドタイミングだね。」別の施術師が「それじゃ、こちらのベッドへ。」と翔馬を案内する。

「こんにちは。よろしくお願いします。」翔馬も挨拶をすると「準備が出来たら呼んでくださいね。」と施術師がカーテンを閉めようとすると、翔馬は「準備万端です。」とベッドにうつ伏せになった。

「今日はどうします?」施術師の問いに翔馬は「肩と腰でお願いします。」と答える。

「筋トレの方はどう?」施術師が腰をマッサージしながら質問をする。

「筋トレは極めて順調に行っていると思うんですけど、この時期に自転車で五十キロ走る事がチョッピリ不安です。」と翔馬が答えると施術師は「そうだよねー、気温だけじゃなくて湿度も結構高いからね。かなり体力がいると思うよ。水分補給しっかりしないとね。」

翔馬は腰から背中をマッサージしてもらいながら「夏だから荷物は少なめで、身軽でいいかなって考えていたんです、でも途中の着替えとか考えたら結構荷物が増えそうな予感なんですよね~。」ちょっと愚痴っぽくなっていると「替えのシャツは三枚くらいに抑えて、汗を拭くタオルの枚数をちょっと多めにしてみたら?」とアドバイスをしてくれた。

「それ良いね。シャツの替えは少なめに持って行って、休憩をする時はコンビニやら冷房が効いているところに入ればいいんだね。」施術師とは違う声が通路の方から聞こえて来たので頭をあげると、翔馬が施術をしてもらっているベッドの近くに翔馬の父が立っている姿が見えた。

「あ、お父さん。マッサージ終わったの?」「おお、おかげさまで足に羽が生えたように軽くなったぞ。」「マッサージの時は辛かったりするけど、終わると楽になるよね。」「そうだね。じゃ、先に帰るよ。」翔馬の父は整骨院を後にした。

 そして八月に入って最初の日曜日。

「くわあ~!八月になって一段と暑さが増したような気がするな~。」翔馬の父は天を仰ぎ唸った。

「ホントだね。」翔馬は暑さに意気消沈する。

「落ち込んでいてもしょうがないから、張り切って行こうぜ。」翔馬の父は翔馬の背中をポンと叩いた。

「そうだね。」翔馬は父の励ましで笑顔を取り戻す。

「梅雨明けしてからの夕立ちが少ないな。これも異常気象ってやつなのかもね。」翔馬の父がボソッと独り言のように言ったのを翔馬は聞き逃さなかった。

翔馬が「異常気象って?」と聞くと翔馬の父は「聞こえていたのか?異常気象っていうのはね。」と語り出した。

「二酸化炭素の排出量が増える事によって地球が温暖化して、大雨や大型台風が発生しやすくなっている状況を言うんだよ。」

「どうして温暖化すると大型台風が発生しやすくなるの?」と再び翔馬は父に疑問を投げかける。

「台風はね、海水面から発生した上昇気流によって生まれるんだ。この上昇気流が雲と一緒に渦巻き状になるのが台風なんだよ。上昇気流が強ければ強いほど大きく強い台風になる可能性があるんだ。この辺までは学校の理科でも教えてくれると思うんだけど。」

「四年生の理科ではまだ習ってないよ。」翔馬が学校の授業では習っていないことを明かすと翔馬の父は「そうか、まだか。じゃぁ、上昇気流ってわかるか?」

「それもまだ習ってないけど、何となくわかるよ。下から上に風が吹くような?」翔馬は左手の人差し指で地面を指差す。

その指を空に向かって天を指すようにゆっくりと揺らすように左手を動かした。

「おお!良くわかっているじゃないか。さすが!」と翔馬の父は翔馬を褒める。

翔馬が「いや~。」と照れているのを尻目に「でだな。」と構わず続ける翔馬の父。

「この世にあるほとんどの物は高い方から低い方へと流れて行く習性があるんだ。」

頷きながら聞いている翔馬に「野球のボールでも何でも良いんだけど、坂の上から転がしたとする。緩やかな坂ならばゆっくりと転がって行き、急な坂ならば転がるスピードは速くなるよね?それと一緒で、空気も温度が高い方から低い方へと流れて行くんだけど、この温度差が大きいほど急な坂を転がるのと同じく風は強くなるんだよ。」と語った。

『へー。』という顔をしている翔馬に「ここまでわかったかい?」と聞く翔馬の父。

翔馬は「うん。わかる。」と頷く。

なおも「上昇気流も同じで、海水温と上空の温度差が大きければ上昇気流は強くなる。この上昇気流によって台風が発生する、っていう説がお父さんは正しいんじゃないかって思ってるよ。で、初めに生まれた台風がそんなに強くなくても、日本に向かって来る間に強大な台風になる時もあるんだよ。」と台風について熱く語る翔馬の父。

台風発生のメカニズムに興味津々の翔馬「へえー、それはどうして?」

「台風は赤道付近で発生して日本に近付いて来るんだけど、進路上にある周りの海水温が高いとさらなる熱エネルギーを吸収する事によって発達して行くって事なんだ。」ここまで聞いていた翔馬は咄嗟に理解した。

「そうか、台風が進む方角にある海の温度は地球温暖化によって高くなっているから、台風が大きくなりやすくなってる原因になっているんだね。」すると翔馬の父「そーだ!さすが翔馬。理解が早い!いいぞ!」と親バカ丸出しのベタ褒め。

再び褒められた翔馬は顔を真っ赤にして照れていると「日本に来た台風は偏西風って風に乗って日本を縦断して行くんだけど、最後は北海道の方の低い海水にやられて次第に勢力を弱めて消滅するんだよ。」翔馬の父は最後は台風が消滅するのを憂うように小さな声で話を締めくくった。

「地球温暖化によって海水温が上がっちゃってて、そのせいで台風が大きくなってるのか。」翔馬は感慨深げな表情になる。

「そう、そしてその地球温暖化の大きな原因とされているのが二酸化炭素なんだよ。」と翔馬の父は言う。

その言葉を聞いた瞬間、翔馬は思わず自転車を停め「え?」と声を発した。

あと二百メートル程で玉川の土手に着く道路で「二酸化炭素って、僕らが吐くこの息の中にあるあれの事?」翔馬は後ろを走っている翔馬の父の方へ振り返る。

「うわおおお!急に停まると危ないよ。」五メートル程後ろを走っていた翔馬の父は慌てて急ブレーキをかけ停まる。

「二酸化炭素って、息を吐いた時に出て来るこれ?」翔馬は自分の口先辺りを指差しながらもう一度翔馬の父に聞く。

「そう、その二酸化炭素だ。ただ、人間の吐く息に含まれる二酸化炭素もそれなりに影響は有るかもしれないけど、車の排気ガスや工場から排出される煙に含まれる二酸化炭素の影響の方がかなり大きいよ。そのために最近じゃエコカーなんてジャンルの車が数多く走っているよね。」

翔馬は再び自転車を漕ぎ始めて「エコカーってなぁに?」と尋ねた。

翔馬が走り出したのを確認して自転車を走らせ翔馬の父は「ガソリンと電動式モーターという複数のエンジンで動くハイブリッドカー、電動自動車は百パーセント電動式モーターで動くから排気ガスが出無いし、他にも天然ガスや水素で動く車もあるんだけど、エコカーの主流は電動自動車になりつつあるみたいだね。」そうこう話をしている内に二人は玉川の土手に到着した。

サイクリングコースのスタート地点に向かいながら翔馬が「電動自動車は排気ガスが全然出ないなら、何で電動自動車ばかりにならないんだろうね?」と翔馬の父に質問をすると、翔馬の父はスタートラインで待機している翔馬の隣に自転車を停めて「それには大人の事情があってな、ガソリンの自動車だとお金儲けが出来る人が沢山いるからなんだ。」と翔馬の方に顔を向けてニカッと笑った。

翔馬も父の方へ顔を向けニカッと笑い「大人の事情でお金儲け出来ちゃうんだ。」

そして翔馬はサイクリングコースの進行方向へ顔を向け直し、自転車を走らせる。

翔馬の父は翔馬が走り出したのを確認し、翔馬に続いて自転車を走らせるが「そう、大人の事情なんだ。」とちょっと寂しげな表情でボソッと呟く

その呟きは弱々しく、翔馬の耳には聞こえるか聞こえないか位の声だった。

翔馬は父が何かを呟いたのを察して自転車を走らせたまま翔馬の父の方へ振り返り「え?」と聞き直すが、翔馬の父は「何でもないよ。」と苦笑いで答えた。

「二酸化炭素の排出量が多くなった事による地球温暖化の影響で他にも大きな問題となっているのは、海面の上昇によって世界の陸地が狭くなっていってる事だ。二十世紀の百年で海面が二十センチほども上昇してしまっているんだよ。」サイクリングコースを走りながらも、翔馬の父の地球温暖化講義は続く。

「二十センチって、そうでもないよね。」と翔馬は答える。

「いやいや、とんでもない。このままで行くと、二十一世紀中には海面があと八十センチほど上昇すると言われているんだよ。二百年の間に一メートル海面が上昇する事になるんだけど、そうすると日本の国土の九十パーセントが海の底に沈んじゃうことになるんだぜ。」翔馬の父の説明に「え?!日本の国土の九十パーセント?!大変だぁ!」翔馬は軽くパニックになる。

翔馬のその言葉を聞いて「ごめんごめん、日本の『国土』の九十パーセントじゃなくて日本の『砂浜』の九十パーセントだった。」と頭を掻く翔馬の父。

「もー、しっかりしてよね。『国土』と『砂浜』じゃあとんでもない違いだよ。」と安堵しながら膨れてみせる翔馬。

翔馬の父は「あははは、本当にごめんごめん。」赤面しながら謝った。

ちょっと考え事をしていた感じだった翔馬「砂浜でも、九十パーセントっていったら相当な面積だよね。もう海水浴なんて出来無くなっちゃうよね。」

「そうだね、海水浴はほとんど出来なくなっちゃうだろうね。すでにニ十センチの海面が上昇したって事は二十パーセント弱の砂浜が海の底に沈んじゃった計算になるから、昔は海水浴が出来たけど今は出来ないか、波打ち際が迫って来て、昔に比べて砂浜が狭くなっちゃったってところも沢山あるだろうね。」翔馬の父は伏し目がちになり答えた。

「そうか!そう考えると二十センチってバカに出来ない数字だよね。」翔馬のその言葉に翔馬の父は「そうだね。」と悲しそうな顔で頷く。

 二人がそんな話をしている内に休憩ポイントの四キロ地点を超えて、さらには五キロ地点も超え、六キロ地点の看板が見えて来た。

「ここで休憩にしよう。」という事になり二人は自転車を停める。

「真面目な話をしながら走っているとあっと言う間に距離が稼げちゃうな。本番も何かネタを考えておくか。」翔馬の父は目をまん丸くしお道化た顔をする。

「暑さもそんなに感じなかったね。お父さんはシャワーを浴びたみたいだけど。」小癪な笑みを浮かべて翔馬は父を見た。

「いや~、ホントは早く着替えたかったんだけどさ、つい話に夢中になっちゃってな。パンツまでビショビショだよ。」翔馬の父は自分の短パンの裾を両手で引っ張り苦笑いをする。

「毎度の事だね。家に帰るまでの辛抱さ。」と翔馬はほくそ笑んだ。

「そうだな、しゃあないな、家まで辛抱するか。」翔馬の父はデイパックからタオルを取り出し、体を吹いてシャツを着替える。

翔馬も体を拭いてシャツを着替えた。

「ここまで来ちゃったから、今日は八キロ地点で折り返しにするか。」不意に翔馬の父が提案する。

翔馬はあまり深く考えずに「そうだね、往復二キロの追加ならば大した事無さそうだし。」と答えた。

「折り返し地点では休憩をせずに、そのままUターンするだけで走り続け、ここまで戻って来たら休憩にしよう。」二人は次の休憩場所を確認して走り出す。

この日の実走練習も無事に終わり、家に到着した。

汗ビッショリになったシャツを脱ぎながら翔馬の父「お~、ガッツリ日焼けしたなぁ。真っ赤だ。」翔馬に腕の日焼け跡を見せて自慢する。

翔馬も負けじと「僕だってほら。」そう言って短パンの裾をめくり、足の日焼け跡を見せて自慢し返した。

翔馬の父は目をまん丸くして「セクシーじゃのう。」と翔馬の太ももを見つめる。

「あはは、お父さん目がいやらしいよ。」などと笑いながらお互いに短パンの裾をめくって日焼け跡を見せ合っていると、買い物に行っていた翔馬の母と悟が帰って来た。

家に入るなり、上半身裸で短パンの裾をめくって日焼け跡を見せ合っている二人の姿を見て「二人とも何やってるの?」と脱力した様に肩を落とす翔馬の母。

直後、鬼の形相になり「そんなことしてないで、二人とも早くシャワーを浴びて来て。汗臭くて堪らないわ。」二人を叱る翔馬の母であった。

「うひゃ!はーい。」翔馬と父は同じ様な返事をし、急いで風呂場に向かう。

「どうせシャワーだけだから、久しぶりに一緒に入るか?」「いいね。」翔馬の父の提案で二人は一緒に風呂に入った。

「翔馬も大きくなったなぁ、クラスに好きな子とかいるのか?」「あんまり女の子とか興味無いんだよね~。」「じゃぁ、何に興味があるんだ?」「今は今度の自転車旅行とラジオかな。」「ラジオ?またずいぶん昭和な感じの趣味だな。」「ツイッターとかメールとかあるじゃん?ラジオを聴きながらメッセージを送って放送に参加出来るんだよ。面白いでしょ?明日からスーパーウィークなんだって。毎日抽選で一人に欲しい物が当たるコーナーとかあるんだよ。」翔馬は楽しそうに翔馬の父に話をする。

「へー、そうなんだ。お父さんがラジオを聴いてた時代はハガキを送ったりしたんだけどな、時代は進んでるんだね。」そんな話をしながら汗を流した。


 翌日『平日午前中の予定』をこなし翔馬はラジオをつける。

ラジオから「ハイ皆さんこんにちは、今日の天気は晴れ時々曇り、気温は三十六度、湿度は・・・。」といつもの声が聞こえて来る。

「今週はスーパーウィークです、今日から金曜日までファックス・メールを送っていただいた方の中からお一人様にお好きな物を差し上げます。メール・ファックスに欲しい物と住所・お名前・電話番号を必ずお書きになって・・・」翔馬は昼ご飯の前にメールを送っていた。

ワクワクドキドキしながら『今日は読まれるかな。』などと考えラジオに聞き入る。

「では、こちらの方のメールを紹介しましょう。東京都逢田区にお住いの・・・」一瞬『おっ?』と思うが「五十一才のトラックドライバーでラジオネームは『アバンちゃん』です。」の声にガックリ。

「この方の欲しい物は、高級焼き肉店で家族五人呑み放題食べ放題の金額として五万円との事です。抽選箱に入れておきましょう。」

そしてCMになったタイミングでトイレに立つ。

結局、今日も翔馬のメールは読まれなかった。

 フィットネスの準備をしてトレーニングに行き、帰りに逢森西整骨院に寄った。

「こんばんは翔馬君、今日もタイミング良いね。こちらへどうぞ。」翔馬は施術師に案内されたベッドにうつ伏せになる。

施術師は施術を始めると「トレーニングの調子はどうだい?」と翔馬に質問した。

「トレーニングで体を動かしてるから絶好調ですよ。」翔馬は元気に答える。

施術を続けながら「いよいよ来週だね、楽しみでしょ。」と翔馬に話しかける施術師。

「え~?憶えていてくれたんですか?嬉しいです。」と翔馬が答えると「翔馬君がどんな冒険をしてくるのか、僕も楽しみなんだよ。帰って来たら報告に来てね。」と施術師に言われた翔馬はとても嬉しい気持ちになり「はい、もちろんです。」と元気良く返事をした。


 火曜日、今日もいつもの『平日午前中の予定』をこなしラジオをつける。

ラジオから「ハイ皆さんこんにちは、今日の天気は雲一つないくらいの快晴ですね、気温は三十七度、湿度は九十パーセント。」といつもの声が聞こえて来る。

「今週はスーパーウィークです、今日から金曜日までファックス・メールを送っていただいた方の中からお一人様にお好きな物を差し上げています。メール・ファックスに欲しい物と住所・お名前・電話番号を必ずお書きになって・・・」翔馬は今日も昼ご飯の前にメールを送っていた。

昨日送ったメールと同じものを『昨日は読まれてないからいいか。』と手抜きをしてそのままの状態で再送したのだ。

そして、今日も翔馬のメールは読まれる事なく抽選の時間になる。

翔馬はフィットネスに行く準備をしながら『今日はどんな人のどんな願いが叶えられるのかな。』などと考えていると「本日の当選者は・・・こちらの方です。メールでいただきました。東京都逢田区にお住いの、何と小学四年生の男の子です。ラジオネームは『僕の自転車旅行』さんです。おめでとうございます。」そのラジオからの声に翔馬は思わず「えええ~!」と大声で叫び、腰が抜けそうになるほど驚いた。

「お便りご紹介させていただきますね。僕は今、夏休みを利用して神奈川県の暑木市にあるお父さんの生家まで自転車で旅行をする計画を立てています。最初は独りで行く計画だったのですが、お母さんの猛反対に合い、お父さんと二人で行く事になりました。」

その時メインパーソナリティーが「え?え?ちょっと待って。東京都の逢田区から暑木まで行くって事かい?相当距離あるんじゃない?」と言うとメールを読んでいた人が「多分五十キロほどあるかと思われます。自転車だとかなり時間がかかると思いますよ。」「そうだよねぇ。そりゃ一人で行くって言ったらお母さんが反対するのも無理ないよね。お父さんと一緒で正解だよ。」

「お便り続けさせていただきますね。で、暑木まで行くためのトレーニングを積んで来週ついに、お父さんのお盆休みを利用して一泊二日でお父さんの生家に行くそうです。でで、お父さんの生家に到着した時にお父さんとお祖父ちゃんとお祖母ちゃんと冷えたスイカが食べたいので、お祖父ちゃんの家にスイカを丸ごとで一個、無事に家に帰って来たらまた冷えたスイカを食べたいので家に丸ごとで一個、スイカを二個ください。という願いが今日叶いました。」ここまで翔馬のメールが読まれると「小学生らしいお願いで良いね。わかりました、スイカを丸まるでそれぞれ一つずつ計二個、送らせていただきましょう。お祖父ちゃんちの住所も書いてあるんですよね?ぜひお召し上がり下さい。と言うところで今日も時間いっぱいになりました。さようなら。」

翔馬はラジオのスイッチを切ると、浮き足立つ思いでトレーニングに向かう。

光彦が「翔馬君いらっしゃい。何だかやけに楽しそうだね。」と翔馬を出迎える。

「光彦さん聞いてください。僕、ラジオの懸賞に当たっちゃいました。」「おお!それは凄いね!で?何が当たったんだい。」「スイカが二玉です。」

それを聞いた光彦は「スイカ?が二玉?夏だから?」と眉をひそめる。

翔馬は先程のラジオでの出来事を説明すると光彦は合点がいった様で「なるほどね。お祖父ちゃんの家に着いたら冷えたスイカが食べ放題ってわけだ。それは楽しみだね。」と笑顔になった。

 今日はマッサージには行かない日だったのだけど、翔馬は嬉しくて誰かに話を聞いて欲しくてトレーニング帰りに逢森西整骨院にも寄り道をする。

「こんにちは。」と言って医院長が翔馬を出迎える。

「あれ?翔馬君?火曜日に珍しいね。ギックリ腰かい?ここにどうぞ。」医院長が翔馬をベッドに案内する。

「いえ、今日は嬉しい事があったから、話を聞いて欲しくて思わず来ちゃいました。ごめんなさい。」

「いやいや、全然大丈夫だよ。で、どんな良い事があったんだい?」

翔馬は医院長にラジオでの出来事を説明し「お祖父ちゃんちに行くのが楽しみです。」と伝える。


 今日はいよいよ本番前最後の土手での練習日だ。本番が明後日なので、今日は七キロ地点までノンストップで行って休憩をし、折り返したら家までノンストップで帰るという計画にした。

そして明日は本番に向けて一日休み。

何もせずに体を休める日にした。

いつもの日曜日のスケジュール通り、午前六時に家を出る。

今日も気温・湿度共にかなり高目だ。

暑い、いや、熱い。

二人は何とか予定通りノンストップで七キロ地点に到着。

この時、時間は午前七時半。

「本番もこのペースで行ければ良いかな。」翔馬の父が時計を見ながら口を開く。

翔馬が考え込んでいる、という表情になる。

「七キロを一時間半かかったから、五十キロを走るにはその約七倍時間がかかるって事だよね。という事はだ、家から暑木までは休憩なしで十時間半かかるって事だ。七キロ間隔で十五分休憩と昼飯休憩を入れたら十三時間ほどかかる計算になるね。午前五時に出発すると到着は午後六時だ。この時期ならば、午後六時はまだ明るいから問題ないだろう。」翔馬の父はそう説明をし翔馬を見つめる。

「そうだね。夏だからまだ明るいけど、お祖父ちゃんちの都合を考えたら何とか午後五時くらいには到着したいな。」翔馬は父を見つめ返した。

「お!さすが翔馬。そういうとこにも気付くようになったか。」翔馬の父は笑顔で翔馬の頭を撫でる。

「でへへへ~、いや~、それほどでも、有るけど。」翔馬も満面の笑顔になる。

「明後日は予定通り午前五時に出発して、今日よりちょっぴりハイペースで走ろう。休憩なんかはコンビニとかクーラーの効いた施設で取るようにすれば日陰の無い練習みたいな過酷さも無いだろうしな。よし、帰ってシャワー浴びようぜ。」翔馬の父はひとりで納得し走り出した。

「あらら、待ってよう。」翔馬も父に置いてかれまいと走り出す。

 家に着くと二人は順番に風呂場へ向かいシャワーを浴びた。

サッパリとし、クーラーの効いた部屋で二人がくつろいでいると翔馬の母と悟が買い物から帰って来るのはいつものパターンだ。

「ただいま。今日は早いのね。」翔馬の母が二人のくつろぐ姿を見て嫌味っぽく言う。

「おかえり。これから素麺を茹でるけど二人も食べるかい?」翔馬の父が翔馬の母に聞く。

「あら、そう?じゃあ私達の分も作ってもらおうかな。悟も素麺で良い?」『うん』と頷く悟。

「よーし、じゃあ翔馬もこっち来て手伝ってくれ。」翔馬と父は二人で四人前の素麺を作って大皿に入れ食卓に運んだ。

翔馬の母は「水と氷を使ったところが涼しげで良いね。」とつけ汁にショウガの薬味を入れ素麺を浸して口に運ぶ。

翔馬の父はつけ汁に刻みネギと刻み海苔、それと「これが美味いんだよね~。やめられませんなぁ。」とラー油を五滴垂らした。

『刻みネギと刻んだ海苔は好きだけど、ラー油は入れないよなぁ。でも、将来僕もお父さんみたいな辛党になるのかなぁ?そういえば、辛党って、お酒呑みの人の事だって聞いたトキあるぞ。という事は・・・。』などと翔馬が考えていると「早く食べないと美味しく無くなっちゃうぞ。」と翔馬の父に指摘されてしまった。

「あ、ああ、ねぇお父さん。」「なんだ?」

「素麺のつけ汁にラー油って美味しいの?」

翔馬が質問すると「美味いぞ!ちょっとこれで食べてみるか?」翔馬の父は自分のつけ汁を翔馬に差し出す。

「じゃあ一口だけ。」翔馬はラー油入りのつけ汁を試してみた。

『ん?これは!意外に美味い。』「お父さん、これ美味しいね。あ、でも、今ごろ辛みが。でも美味しい。」そんなやり取りを見ていた翔馬の母「まさか本当に食べるとは思わなかったけど、お父さんの子ね。将来はお酒呑みだわ。」と苦笑いをする。


 月曜日は午前中に宿題を片付け、これで残す宿題は自由研究のみとなった。

「夏休みの宿題は自由研究以外全部終わったよ。」と翔馬は母に伝える。

「いよいよ明日ね。お父さんが一緒だから大丈夫だと思うけど、それでも母さん心配よ。」

「心配してくれてありがとう。でも、僕平気だよ。何だかワックワクして、明日が楽しみなんだ。」すると翔馬の母は「大きくなったのね。お母さん何だかちょっと寂しいわ。」と翔馬を抱きしめた。

そこへ部屋に入って来た弟の悟が「あー!お兄ちゃんばかりずるい。」と言って悟も母に抱き付く。

「あはは、お兄ちゃんばっかりずるいわね。悟もそれ!」母は悟を抱きしめる。

「うひょひょ。」と悟が笑っている隙に翔馬は部屋を出て家の前で自転車の点検を始めた。

先に玄関前で自転車の点検をしていた翔馬の父が「洗車するけど、一緒にやるか?」と翔馬に声を掛けた。

翔馬は「点検ついでに洗車もしちゃおっかなぁ。」と言ってバケツに水と洗剤を準備する。

二人で洗車しながら点検も済ませ、最後にチェーンに油を注して準備万端。

「明朝は午前四時起きで。」という事を確認して、この日はそれぞれ思い思いに過ごし、午後八時に二人は就寝した。


 そして、ついにこの日がやって来た。

二人は予定通り午前四時に起きて、と思ったら、翔馬の父は一足お先に起きて朝ごはんの準備をしてくれていた。

「お、翔馬おはよう。顔洗って来い。その間に朝飯出来るから。」「お父さんおはよう。うん、ありがとね。」翔馬は眠そうに眼をこすりながら洗面所に向かう。

「今日の朝飯はお父さん特製豚肉のショウガ煮込みだぞ。手抜き料理と言うなよ。がははは。」

実際、三百グラムの豚肉をひたひたになるくらいに水八・醤油一の割り合い(あとはお好みで微調整してください)の汁に大さじ一杯のおろしショウガを入れ(ここまでは鍋を火にかける前にやってください)煮込んだだけの手抜きりょ・・・いやいや簡単レシピの料理なのだけど、その味付けは天下一品と言っても過言では無いのです。

「記念すべき翔馬の旅立ちの日だから、お父さん腕によりを掛けちゃったよ。」煮込み汁もそのまま飲めるのに、おかずにしても薄味に感じない絶妙な味加減なのだ。

「お米は前の晩にお母さんがタイマーセットしておいてくれたから・・・と思ったら、予約ボタン押してなかったみたいでな。早炊きで炊いているからもうちょっと待ってくれ。」「あはは、お母さんらしいね。」翔馬は顔を洗い終えて食卓に着き、テーブルに置いてある箸箱の中から二人分の箸を準備した。

そこへ翔馬の父が豚肉のショウガ煮を持って来る。

絶妙なタイミングでご飯が炊きあがる音がする。

「僕自分でご飯よそって来るよ。お父さんはこれ?」と言って翔馬は父にラーメンどんぶりを見せた。

「いくら何でも朝からそんなに食べられないだろ。せめて普通のどんぶりにしてくれ。」呆れ顔で翔馬の父が答える。

 朝ご飯を終え、予定通り午前五時ちょっと前に家の前でスタンバイをする二人。

玄関に施錠をし、走り出す。

本日午前五時現在気温が二十六度、湿度が七十七パーセント、天気は曇り。

一日を通して晴れのち曇りで最高気温は三十二度の予報だ。

午後から晴れる模様ではあるが、連日三十五度超えの日々だったからこの予報はありがたい。

「今までの練習ではほとんど坂道を走らなかったからギアを遣わなかったけど、今日は結構坂道を走るからギアを確認しておけよ。」翔馬の父が翔馬にアドバイスをする。

「ギアって?」翔馬が父に質問をする。

「ハンドルの下にレバーがあるだろ?これを操作するとペダルが軽くなったり重くなったり、上り坂の時はギアを軽くして、平地ではギアを重くしてスピードが出るように調整するんだよ。ぶっつけ本番でスマンが、慣れておいて。」と翔馬の父が自分の自転車のハンドル下についている長さ三センチほどのレバーを指差して翔馬に説明をする。

翔馬は「これ?」と同じようなレバーを操作しようとする。

「停まっている状態でギア操作をすると、チェーンが外れる可能性があるから走り出してから試した方が良いぞ。」翔馬は父に言われてレバーの操作をやめた。

翔馬は「わかったー。」と言って自転車に跨りゆっくりと走り出す。

そしてギアを操作すると足元でガチャガチャッと小さく音がしてペダルが軽くなった。

それを見て翔馬の父「上り坂を上る時はその状態だ。今日はいきなり急な上り坂を走る予定だから、ギアの切り替えを上手くやらないと辛いぞ。」と翔馬に告げる。

翔馬は面喰ったように「いきなり急な上り坂って?もしかして蒲多のあの坂?」と驚く。

「いつも玉川に行くために走っていた道だと、道は平坦だけどちょっと遠回りになっちゃうんだよ。車ならば気にならないけどさ、自転車だと出来るだけ遠回りはしたくないからね。確かに心臓破りの坂だけど、そこを越えれば楽だからさ。」翔馬の父の表情には、申し訳ないという気持ちが滲んでいた。

翔馬は父に「大丈夫、何てこと無いさ。」とガッツポーズをしてみせる。

「よし、じゃあ出発だ。」と翔馬の父の掛け声で暑木に向け二人は出発をした。

まずは大通りに繋がっているバス通りを走るのだが、お盆休みの午前五時だからか車はほとんど走っていない。

「快適で気持ち良いね。」余りの爽快さに翔馬は思わず左腕を回して喜ぶ。

「いつもと違って気温も湿度も低いからな。今のうちに距離を稼がなくちゃ。」翔馬が振り返ってみると翔馬の父も笑顔だった。

順調にバス通りを抜け、環状八号線の交差点を右に曲がる。

進行方向に対して左の車線に移るために交差点を渡った。

交差点一つ向こうに、例の心臓破りの坂が見える。

「ここから見ると、まるで垂直の壁に見えるね。」翔馬はちょっとしり込みする気持ちで坂の頂上付近を見た。

翔馬の父が「ギアチェンジのタイミングを間違えるなよ。」翔馬の後方から声を掛ける。

「オッケー!行っくよー!」翔馬はギアチェンジはせず、ペダルを目いっぱい踏み込み勢い良く坂へと向かって突っ込んで行った。

坂の前半は調子よく登れていたのだが、頂上まであと半分くらいの辺りで翔馬の自転車はスピードが落ちて来た。

「今だ!」翔馬の背後から叫ぶ声がした。

翔馬はその声に鋭く反応し、出発前に教えてもらった通りにギアチェンジをする。

すると、翔馬の自転車はギアが軽くなり坂を上るのが辛く無くなった。

もう頂上に到着するというとき、翔馬を追走している翔馬の父が「頂上に着いたら走りながらギアを戻して。」と翔馬にアドバイスを送る。

「はい。」と返事をした翔馬が頂上に到着し、ギアを元に戻すとペダルが重くなった。

翔馬の父「下りに入る前にこれをしておかないと、走るスピードにペダルの回転が追い付いて行けずにチェーンが外れてしまう可能性があるからな。大きな坂では、今教えたタイミングでギアチェンジをするんだぞ。」

「はーい。」翔馬はペダルを漕ぐのをやめ、滑走するように坂を下る。

坂を下り切ると、頃合いを見計らって再びペダルを漕ぎ始めるのだけど、急な下り坂を下って来たのでスピードが乗って気持ちがいい。

「ひゃっほー!きーもちいーい。」翔馬が気分良く走っていると翔馬の父が「右コーナーをクリアしたら、坂を下らずに左の側道に入って。」と指示をする。

しかし、その声は風の音にかき消されて翔馬の耳には届かなかった。

翔馬は微かに翔馬の父の声が聞こえた様な気がしたので振り返り「えー?なーにー?」と耳に手を当てる仕草をすると、翔馬の父は左手で側道の方を指差し『そっちに行け、そっちに行け』という仕草をして見せた。

翔馬は弾む声で「りょーかーい。」と翔馬の父にゼスチャーで伝え側道に進行する。

側道からの抜け道を抜けると再び大通りに出た。

「その国道を左な。」翔馬の父が翔馬に指示を出す。

二人が抜け道から国道へと左折すると、翔馬は再びペダルを全力で踏み込んだ。

それを見た翔馬の父が翔馬の右側に並んで「まだ走り始めたばかりだから、そんなに張り切っていると途中でバテちゃうぞ。」自制をする様、翔馬に進言をする。

「そうだよね。気持ち良かったから、つい張り切っちゃった。」翔馬はちょっとだけペースダウンをした。

「今はまだそれなりに涼しいけど、これから時間が経って行くと半端じゃなく暑くなるからな。」そう翔馬に告げて、隣に並んでいた翔馬の父は翔馬の後ろのポジションに戻る。

 そんなにきつくはない、大きな川に架かる国道最初の大きな橋の上り坂を上り橋を越えて神奈川県に突入。

ここからは暫く極端なアップダウンの無い道が続いた。

 しばらく走っていると、道路を挟んだ反対車線の並びに大きなペンギンのオブジェが付いたお店が見えてくる。

『おおー。激安の宮殿だ。』と心が弾む。

「もう少し走ったら休憩にしよう。」翔馬は父の提案に「はーい。」と返事をすると「打ち合わせ通りコンビニで休憩にしよう。」と念押しをする翔馬の父。

二つ目の大きな川を越える時に「左にカーブしている『下小吉』という大きな交差点を左に曲がるとコンビニがあるから、そこで休憩にしよう。」と翔馬の父が翔馬に声を掛け、翔馬もこれに同意。

川を越えると左にゆるくカーブした大きな歩道橋の付いた交差点が見える。

歩道橋の付いたその交差点を左折すると、百メートルほど先の左側にコンビニが確認出来た。

 二人はコンビニの前に自転車を停める。

店内に入る前に、翔馬の父は自分の首にかけているタオルを車道と歩道の境目辺りで絞った。

ジャバーッと音を立てて翔馬の父のタオルから液体が地面へと滴り落ちる。

 その様子を見て「すごーい!」と翔馬が目をまん丸くする。

店内に入るとクーラーで冷やされた空気に二人は一気に癒されクールダウン。

「いやー、生き返るぅ。」翔馬の父は先程店外で絞ったタオルで顔の汗を拭う。

翔馬も首にかけていたタオルで汗を拭った。

 十五分程の休憩の後、ペットボトル入りのスポーツドリンクを買い二人は店外へ。

「店の中が冷えていたから、余計に暑さを感じるね。」翔馬は体温が上昇して行くのを感じていた。

翔馬が父を見ると、すでに発汗している。

 「取り合えずシャツを着替えないか?」翔馬の父の提案で二人は歩道橋の階段下へ移動する。

「ここは日陰になっているからチョットだけ涼しい気がするね。」翔馬がシャツを着替えて翔馬の父を見ると「涼しい気がするんだけどね。」着替えたはずの翔馬の父のシャツはすでに汗が滲んでいた。

 「さぁ、出発だ。」翔馬の父の掛け声で再び走り出す。

 国道に戻ると「しばらく道なりに真っ直ぐだから。」翔馬に声を掛ける翔馬の父に「はーい。」と返事をする。

 左にモーターボートショップが見えて来ると、道は右にカーブしながらの緩やかな上り坂となっていた。

「その先、分岐になっているから右のカーブしている方向へ進んで。その先はまたしばらく道なりだから。」翔馬は無言で左手を挙げ、翔馬の父に返事とした。

 分岐を右へ行くと、しばらくして大きな交差点が見えて来た。

その交差点を越えて更にまっすぐ行くと、先ほど同様、右にカーブしながらの上り坂が見えるが、この坂は先程の坂よりも若干勾配がきつくなっている。

 翔馬は坂を認識するなり「ひゃ~!キツそうだなぁ~。」悲鳴にも似た声を上げる。

すると翔馬の父が「場合によってはギアで調整するんだぞ。で、坂の途中で道がY字に分かれているから右に行って。」と翔馬にアドバイスをする。

翔馬は「りょうっかいで~す。」助走をつけるためにスピードを上げた。

 坂を三十メートルくらい上ったところで徐々にスピードが落ちて来たので翔馬はギアを二段下げた。

そのまま真ん中の車線に移動し、右へのルートへと進んで行くのだが、赤信号のため一時交差点手前で二人はストップをし信号待ちをする。

青信号になり、再び自転車を発車させ坂を上り切る頃に今度は左カーブに変わる。

そこを通過すると暫くは真っ直ぐな道へと続いていく。

 「ちょっと早いけど、この直線道路を抜けた先には休憩出来るコンビニなどがあるかどうか憶えが無いから、この辺のコンビニで休憩しよう。」翔馬は父の提案に「うん、わかった。じゃあ、あそこに見えるコンビニに入ろう。」五百~六百メートルほど先に見える立体交差点手前のコンビニを指差した。

「よし、そこにしよう。」翔馬の父が快諾したので、遠くに見えるコンビニ目指して二人は走る。

コンビニに到着し、先ほど同様店の前に自転車を停めると、翔馬の父はやはりコンビニに入る前に首にかけていたタオルを歩道と車道の分け目にある植え込みで絞った。

タオルから溢れ出て来る液体が滴り落ち、地面に降り注ぐと『ジャバーッ!』と音がして水しぶきが上がる。

「うはっ!相変わらずマンガみたいだな。」それを見て翔馬の父が喜ぶ。

 「すごいね。ホントにマンガみたいだ。」翔馬もその様子を見て、再び目をまん丸くして驚く。

 店内に入ると、翔馬の父は真っ先にトイレに入って行った。

そんな翔馬の父の行動を見ていた翔馬だが、どうやら翔馬の父はさっき絞ったタオルを水洗いして来たようだ。

「クーラーが効いてるから、タオルが冷えて気持ち良いぞ。」翔馬は父のその言葉を聞いて「いいね。」と早速自分もトイレに入ってタオルを水洗いする。

トイレから戻って来た翔馬に父が「ここを出発したら一キロくらいは真っ直ぐだけど、水色で丸い看板に白い自動車のマークが描いてある標識が道路の左側に出て来る。その先は自動車専用道路で自転車は入っちゃいけない事になっているから、その看板を見たら停まってくれ。標識の少し手前、左側の道路にガソリンスタンドがあるからすぐにわかると思う。」「水色で丸くて白い車のマークが描いてある標識ね。わかった。」

 翔馬は父と打ち合わせをし、お約束の様に飲み物を買って出発の準備をしにコンビニの外へと出る。

 店外へ出るなり「また一段と暑くなってきたなぁ。」翔馬の父の嘆き節に僕はクスッと笑ってしまう。

このコンビニの近くには日陰になる場所が無いため、仕方なく二人はコンビニの前でさっとシャツを着替えた。

 「よし、じゃあ出発だ。」翔馬の父の掛け声で再び二人は走り出す。

蜜沢公園入口という立体交差になった大きな交差点を過ぎて道なりに真っ直ぐ走る。

 さらに二つ目の大きな立体交差を過ぎて道なりに真っ直ぐ走っていると、ガソリンスタンドの前を通過した辺りで左にカーブしている下り坂の向こうにトンネルが見えて来た。

『あ、トンネルだ。』翔馬が興味津々そちらの方へ向かって走って行こうとすると後ろから「そっちじゃない!停まれ!」と翔馬の父が叫ぶ。

翔馬は慌てて自転車を停めて何事かと後ろを振り向いた。

 トンネルに気を取られて走っていた翔馬は『自動車専用道路』の看板を見落とし自動車専用道路の入り口から二十メートルほど進んだところまで侵入してしまったのだ。

翔馬の父は自動車専用道路の入り口から二十メートルほど手前の歩道に自転車を停め、自動車専用道路の入り口まで走って行って後ろに向かって何やら合図を送る。

そして翔馬の方に向かって「翔馬、標識を見落としたな。そこは自動車専用道路だよ。」翔馬の父は翔馬にそう言いながら、自動車専用道路に進入して来る車に翔馬の存在を知らせ『右に寄れ』という合図をしていた。

翔馬は泣きそうになりながら「お父さん、ごめん。どうすればいい?」すがるような視線を翔馬の父に送る。

翔馬の父は、なおも自動車専用道路に進入して来る車に合図を送りながら「幸いにもその辺は道路が広いから、自転車から降りてそのままの向きでなるべく左に寄って、後ろ向きでこちらに向かって歩いて来れば大丈夫だよ。」と翔馬にアドバイスをする。

翔馬はやっとの思いで「うん。」と返事をすると、震えながら自転車を降りて翔馬の父に言われた通りの方法で自転車を押し、自動車専用道路の入り口に向かって歩いて行った。

翔馬の父は、引き続き自動車専用道路に進入して来る自動車に合図を送りながらも、翔馬を心配そうに見守った。

 どのくらいの時間が経ったのでしょう、ようやく翔馬が父の居る場所までたどり着く。すると翔馬は嬉しさと安心感で全身の力が抜け、目には大粒の涙が溢れ出ていた。

 「翔馬、怖かっただろう?でも、よく我慢してここまで戻って来た。」翔馬の父は翔馬を笑顔で抱きしめた。

 翔馬はいまだ涙声ながら「うん、すごく怖かった。でも僕、ちゃんと戻って来れたよ。」と翔馬の父を見上げ笑顔になる。

「ここはまだちょっと危険だから、お父さんの自転車が停めてある場所まで移動しよう。」翔馬は父に促され、翔馬の父の自転車が停めてある場所まで自分の自転車を押して翔馬の父と一緒に移動をした。

 翔馬の父の自転車が停めてある場所に到着すると「気持ちが落ち着いたら出発しよう。」翔馬の父が翔馬を気遣うが「僕もう大丈夫だよ、僕のせいで遅れちゃったから、すぐに出発しよう。」

それを聞いた翔馬の父「本当に大丈夫なのか?無理しなくても良いんだよ。」

それでも「大丈夫。」という翔馬に「そうか、翔馬は強くなったな。よし、じゃあ出発だ。」二人とも自転車に跨り再び走り出した。

翔馬が間違えて侵入してしまった自動車専用道路の右側にある一般道へと二人は進む。

この時、腕時計を見るとすでに十時を回っていた。

 「ああ、本当にだいぶ遅れちゃったね。」翔馬が申し訳なさそうな顔になると「まあ、仕方がないさ。誰だって間違える事は有るんだから。でも、この遅れを取り戻すのはちょっとシンドイかもしれんぞ。」追い打ちをかける様に翔馬の父が真顔で翔馬を見る。

そんな翔馬の父の言葉を聞いた翔馬「ごめんなさい。」としょぼくれてしまった。

その姿を見た翔馬の父「あっはっは、ごめんごめん冗談だよ。ただ、遅れを取り戻すために少々ペースアップが必要なのは本当だけどな。」笑いながら翔馬にペースアップを要求する翔馬の父。

その要求に応えて、翔馬はペダルを踏み込みスピードアップをする。

「よし来た。」と翔馬の父も翔馬に続いてスピードアップをし翔馬に追随する。

 側道を走っていると、前方に結構な勾配の下り坂が見えて来た。

その坂の頂上から、下り坂を降り切ったところに大きな交差点が見える。

「あの大きな交差点を右折するぞ。」「はいは~い。」二人共大きな交差点を右折して行く。

 交差点を右折すると急に視界が開けたように道路が広くなっていた。

「わ~!広いね。」翔馬の気分は急上昇。

「この先しばらく走ると、緩やかで長い上り坂になるからな。」翔馬の父の、その言葉に上向きだった翔馬の気持ちは一気に急降下しどん底に落ちる。

 「結構長いの~?」翔馬がうんざりしたような声で聞くと「残念ながら、これが結構長くて地味にキツ目の傾斜なんだよなぁ。」と止めを刺すような答えが返って来た。

 完全に意気消沈した翔馬に父が「ギアを使うんだぞ。低速ギアでも、走るよりは楽で速いからな。」翔馬の父は翔馬を励ます。

 どれほど走っただろうか?翔馬の父が「もうちょっと走ると『ちゅるりんラーメン』って名前のラーメン屋が見えて来るから、ちょっと早いけどそこで昼飯にしよう。」とお昼にする事を提案して来た。

「わかった~。『ちゅるりんラーメン』ね。」

「真っ赤な看板に黄色の文字ででっかく『ちゅるりんラーメン』って書いてあるから、すぐにわかるよ。」そんな会話をした場所から十五分程の場所にそのラーメン屋は有った。

 店内は十畳ほどの横長のスペースで、真ん中がカウンターで仕切られている。

間口は五メートルほどで、席は横一列に十席あり、カウンターを挟んだ向こう側が調理場という造りになっていて、カウンターの中には七十近いであろう細身で白髪の身長百七十センチほどの主人が一人で切り盛りしている姿が見てとれた。

「頑張って走って来たからお腹空いちゃったね。」十一時半をちょっと過ぎたばかりで、まだ一人もお客さんが入っていない店内の一番左側の席に翔馬は座った。

「何でも好きなモノ食べな。」翔馬に続いて、翔馬の右隣の席に翔馬の父が座る。

「味噌か醤油か。」翔馬はメニューを見ながらちょっと迷って醤油ラーメンを注文した。

「じゃあ、お父さんは味噌ラーメンだ。それと餃子を一人前お願いします。」「はい、味噌と醤油と餃子一人前ね。」店の主人が注文を確認して調理を始める。

 喉が渇いていた翔馬は一気にグラスのお冷を飲み干し店内を見回していると、翔馬が座っている席の左の壁に『閉店のお知らせ』が貼ってあった。

『平素よりちゅるりんラーメンをご利用いただきありがとうございます。

誠に勝手ながら、当店は本年八月末日を持ちまして閉店することとなりました。

開店以来長きに渡るご愛顧、誠にありがとうございました。』

手書きで書かれたそのメッセージを見た翔馬は思わず「え?」と声をあげてしまう。

すると翔馬の父「お父さんもお店に入って来た時に気付いたよ。仕事でたまにこの店の前を通る事があるんだけど、入り口に貼られているメニューは値段も安いし気になっていてさ、いつか食べに来たいなって思っていたんだけど、この辺りは道が狭いからトラックを停められなくてな。今日は自転車だから絶対にここに来ようって計画してたんだ。それだけに非常に残念な気持ちだよ。」

それを聞いていたラーメン屋の主人が「そうでしたか、そんな風に思っていてくださったんですね。ありがとうございます。」と寂しそうに頭を下げる。

翔馬は事もなげに「何でお店をやめちゃうんですか?」と聞いた。

一瞬申し訳なさそうな表情になった翔馬の父を見た店の主人は、ちょっと考え事をした後「いえ、お気になさらず。お子さんの素直なお気持ち嬉しく思いますよ。」そう言って閉店の理由を「消費税が十パーセントになってしまったから。」と説明すると「安くて来てくださるお客さんに対して、消費税分の値上げをするって選択肢は選べなかったんです。値段据え置きでここまで何とかやって来たんですが、ご覧の通り私しか店をやる人間もいないし、この辺りがやめ時かと思いましてね。」出来上がったラーメンを出しながら主人は寂しそうに語った。

 翔馬はラーメンをすすりながら「こんなにおいしいラーメンなのに、凄い残念だよね。」と翔馬の父を見る。

「本当に、こんなにおいしいのに残念だな。」とラーメンのスープを味わう翔馬の父も残念で仕方がないという表情になる。

 ラーメンを食べ終えて店を出ると翔馬は「ねえ、どうして消費税が十パーセントになったらお店をやめなくちゃならなくなるの?」と翔馬の父に質問をする。

「簡単に言うと、買い物した時にかかる税金だからだよ。」翔馬の父の、その答えに翔馬は「???」と返す言葉を失う。

二人は店を後にし、自転車を走らせながら消費税について話し始めた。

複雑な表情で考え事をしていると翔馬の父が「ごめんごめん、簡単過ぎて何の事かわからないよね。」と左手で頭を掻く。

真剣な表情でコクンと頷く翔馬に「翔馬も知っている通り、消費税っていうのは買い物をした時にかかる税金だよね?」そんな翔馬の父の話を『うんうん』と頷きながら聞く。

「という事は、ラーメン屋さんは材料を買う時には消費税を払っている訳だね。全部の材料に。」なおも『うんうん』と頷きながら翔馬は父の説明を聞く。

「全部の材料どころか、水道代もガス代も電気代も消費税がかかる。一か月にこれら全部ひっくるめて三十万円かかるとして、消費税が二パーセント上がったら六千円も余計にお金がかかる計算だ。」翔馬はその金額にハッとする。

「僕のお小遣いより高い。」「そうだね。単純に考えると、その六千円を取り戻すためには十杯以上のラーメンを売らないとマイナスになっちゃうんだけど、同じ量の材料では同じ量のラーメンしか出来ない。ならば、六千円を取り戻すためにはラーメンを値上げするしかないんだけど、あのおじさんはそれが出来なかったんだね。」

翔馬はふと疑問に思い「何でラーメンを値上げ出来なかったの?値上げすれば、ラーメン屋をやめなくて済んだんでしょう?」翔馬の父に質問を投げた。

「お父さんもそうなんだけど、今は給料が上がらない人たちが殆どなんだよ。給料が上がらないどころか、給料が下がってしまった人達も沢山いるんだ。それなのにラーメンが値上がりしてしまったら、食べに行きづらくなってしまうからじゃないかなって思うんだ。消費税が増税されて、翔馬もお小遣いで買えるものが減っただろ?」翔馬は父の話に大きく頷く。

「でも『消費税は公平な国民の義務だ』って先生言ってたよ。」翔馬は学校での出来事を翔馬の父に話すと「翔馬は生まれた時から消費税があるから、先生にそう言われても変だって思わないのかもしれないけど、給料が安くても高くても買ったものに同じ率の税金を払わなくてはならないってのは、実は不公平な事だとお父さんは思うんだよ。」翔馬の父は静かに、しかし怒りのこもった声で話す。

「同じ条件で税金を払うんだから、みんな公平な気がするんだけど。」翔馬は父に自分の素直な考えを伝えた。

「そうだよね、同じ条件ってところを考えると公平な気がしちゃうけど、それは言葉のマジックによる勘違いなんだ。冷静に考えれば、こんな不公平な税制は無いんだよ。」翔馬の父は、今度は自分の気持ちを静める様に話す。

「例えば、わかり易くするためにお父さんのお小遣いが十万円だとする。一万円の物を買うと消費税は千円だから小遣いの一パーセントが消費税として支払う比率だよね。」翔馬は『うん』と頷く。

「一方、翔馬の小遣いが二万円だとする。同じ一万円の物を買った時の消費税は同じ千円だけど、消費税として支払う比率は小遣いの五パーセントだ。同じ買い物をしているのに、収入が少ないほど支払いにかかる税率は大きくなる。」

翔馬は理解が追い付かず「お父さんごめんね、ちょっとわかりづらかった。」そう翔馬の父に伝える。

すると翔馬の父はちょっと考えて「十万円の小遣いの人と二万円の小遣いの人、同じ一万円の物を買うとしたら、十万円の小遣いの人は二つ以上買える。二万円の小遣いの人は消費税のせいで一つしか買えない。消費税が無ければ二万円の小遣いの人だって二個買えるのに、これって不公平だよね。」と例え方を変えた。

「でも、消費税は払わないといけないんだからしょうがないよね。」と翔馬は父に言う。

「実は翔馬が生まれるずっと前の、昭和って時代には消費税は無かったんだよ。」翔馬の父のその話は、消費税が当たり前の翔馬にとって衝撃的な話だった。

「えー?!そうなの?」幽霊でも見てしまったかのような顔で翔馬は驚く。

「初めて消費税が導入されたのはお父さんが翔馬よりもうちょっと小さかった頃だ。」翔馬は父の話を茫然と聞いていると「ちゃんと前を見ろよ。」と翔馬は父に注意されてしまった。

翔馬の父は続けて「初めて消費税が導入された時は三パーセントだった。後で知った事だけど、当時は本当に社会保障費に使われていたらしいんだよ。」と説明。

「え?今は違うの?」翔馬が面喰っていると「翔馬にはちょっと難しい話だけど、法人税っていう会社が払う税金を下げるために消費税率が上げられている事がわかったんだ。それも特定の大企業が有利になる制度でね。小さな会社やお店なんかは逆に税金が上がったらしいんだ。」「それって、弱い者いじめじゃん。」「そうだね。だから、お父さんは消費税は無くした方が良いと思っている。消費税が無かった時代は、お父さん達みたいな庶民でも安心して生活が出来たみたいだし、お父さんが子供の頃は今みたいに人間関係がぎすぎすしていなくて、周りの人達はみんな楽しそうに笑っていた思い出が多いよ。」翔馬の父は物凄く寂しそうな表情で話を終えた。

「そうなんだ。でも言われてみれば今って怒ったような表情の大人って多いよね。」翔馬もちょっと落ち込んだような気持になる。

そんな翔馬を見て翔馬の父「おし!何だか湿っぽくなっちゃったから、ちょっと気合い入れようか。」と『おりゃ!』と左拳を高々と上げ気合を入れているが、翔馬は恥ずかしかったので他の事に気を取られて見て無かったふりをした。

そんな話をしながら走っている内に、二人はいつの間にか今走っている道と国道ニ四六が交差する大きな交差点が眼前に見えるところまで来ていた。

翔馬の父が腕時計で時間を確認すると午後二時を少し過ぎたところだった。

 「よし、だいぶ取り戻したぞ。」翔馬の父は嬉しそうに小さくガッツポーズをする。

 二人は国道ニ四六へと進路を取った。

「この道路は一般道でも自転車進入禁止の道が多いから気をつけろ。立体交差だったり、トンネルなんかはほとんど自転車は入れないから。」翔馬の父が翔馬に注意を促す。

 国道ニ四六に入って一キロほどでトンネルになっているが、そこは自転車通行禁止のエリアなので二人は側道を走る。

側道に入ってすぐの、緩やかな左カーブを走っていると二百メートルほど先に信号が見えて来た。

「その電機屋のちょっと先に自転車が通れる歩道橋があるから、そこを渡るよ。」翔馬の父の案内で電機屋の前を真っ直ぐ進む。

 大きな建物の陰にその歩道橋の入り口は有った。

二人は自転車を降りて歩道橋の入り口を、その上り坂を上って行く。

歩道橋を上って行くと途中でUターンするようになってるので反転し、なおも続く上り坂を上って行く。

坂を上り切ると、長さ五十メートル程の橋なのだが、直線で二十メートルほど行った先に左へ行けるようにT字路になっていて、その部分で橋はわずかに右に屈折しているかの様に曲がり、その先はまた直線の道となっている。

「あのT字になっているところを左に行くからね。」二人は自転車を押したまま歩き、分岐点を左に曲がった。

そこからわずかな距離の所に地上へと降りるためのスロープがある。

歩道橋を降りると交差点の先の道がY字の二股に分かれているので、二人は左の道へと進む。

そしてひとつ目の交差点を過ぎるとさっきのトンネルの出口と合流する道へとつながっていた。

 さらに進んで行くと、トンネルではないのだが幾つかの立体交差が連続するため、十メートルほど掘り下げられた、一キロほどの長さのアンダーという造りになっている。

そして、そのアンダー部分も自転車は進入禁止になっていた。

アンダーの先へと進むと、今度は大きな橋が現れるがこの橋も自転車は進入禁止なので側道へと進む「これで自転車が走れない道があるエリアは終わりだ。」翔馬の父が呟くように翔馬に伝える。

「えー!?な~に~!?」風の音で良く聞こえなかったようで、翔馬は大きな声で翔馬の父に聞き返した。

「これで自転車が走れない道があるエリアは終わりだ。」翔馬の父がもう一度大きな声で翔馬に伝える。

「おっけ~!!」翔馬は元気に返事をした。

「で、しばらくは車道を道なりにずっと真っ直ぐなんだけど、この先にハンバーガー屋があるからそこで休憩にしよう。」翔馬の父の提案に「おっけ~~」再び大きな声で翔馬は元気良く返事をした。

 ハンバーガー屋に到着し、駐輪場に自転車を停めて二人は店内へと入って行く。

「お~、す~ずし~い。」クーラーの効いた店内にテンションの上がる翔馬。

「シャツがビショビショだから、かえって寒いくらいだな。」翔馬の父は自身のシャツの、お腹の辺りをつまんで引っ張り苦笑い。

 二人は飲み物を注文して受け取り、席を確保すると足早にトイレへと駆け込みシャツを着替えた。

 席に戻ると翔馬の父がアイスコーヒーにガムシロップとクリープを入れながら「もうすぐゴールのジジの家だ。疲れたか?」と翔馬の顔を覗き込むように見る。

「ちょっと疲れてるけど、楽しいから辛くはないよ。」笑顔で翔馬が答えると「そうか。」と翔馬の父も笑顔で答えた。

「この店を出たらしばらく車道を走って行くんだけど途中、ここは自転車が通れるの?って場所があるんだ。でもそこは自転車通行禁止エリアじゃなかったと思うから、そのまま道なりに走って行けばいい。」「うん。」「坂上川という大きな川に架かっている大きな橋を越えたらすぐに見える立体交差の下にある『木の葉』という交差点を右折するから、川を越えて上り坂が見えたら側道に入って。」「うん、りょうかい。」

翔馬の父主導でお祖父ちゃんの家までのルートを打ち合わせし、ラストスパートをかける。

ハンバーガー屋を後にし、二人が国道ニ四六を真っ直ぐに走って行くと大きな川に架かる橋が見えて来た。

「これを渡って最後の交差点を曲がればもうちょっとだ!」翔馬の父の掛け声に翔馬も「もうちょっとだ~!」と答える。

『木の葉』交差点を曲がると地味にきつめの上り坂になっており、僕はこの坂を制覇しようとペダルを思い切り踏みこんだ。

その矢先、翔馬の足元でガシャッと音がして急にペダルが固定されたように踏み込めなくなり転倒しそうになった。

「翔馬、大丈夫か。」その様子を見た翔馬の父が自転車を停め翔馬の元へと駆けつける。

「うん、何とか転ばずに済んだよ。」翔馬は自転車から降りて、チェーンが外れてしまった自分の自転車と共に歩道へと移動する。

「どれどれ。」と翔馬の父が自転車を見て「大丈夫だ、チェーンが外れただけだから、すぐに直せるぞ。」

 ホッと胸をなでおろす翔馬は父が自転車のチェーンを治す様子を見守る。

翔馬の父はリアディレイラーという部分にあるテンションプーリーという可動する部分を前に押してチェーンをガイドプーリーという部品に引っ掛け、サイドスタンドと前輪で自転車を支える様に後輪を浮かせて自転車を立たせ、片手でペダルを回すとカチャンと小気味の良い音と共にリヤタイヤが元気よく回り出した。

「あ!直った。」翔馬が喜んでいると「チェーンが外れたら今やった要領で直すんだ。ただし、その時は軍手かなんかをしてやらないとこうなっちゃうからな。」翔馬の父はオイルまみれになった自分の両掌を翔馬に見せる。

「あちゃ、こうなっちゃうんだね。」翔馬は父にお礼を言って再び自転車に跨った。

 翔馬の父も自分の自転車に跨って「じゃ、行こう。もうちょっとだ。」と走り出す。

翔馬もその姿を見て自転車を走らせる。

四~五キロほど行くと『山岸』の交差点に辿り着いた。

「到着だー!」農家をやっているお祖父ちゃんの家は『山岸』交差点付近の畑の中にある。

その畑に向かって走っていると、畑の中にお祖父ちゃんの姿を見付けたので「ジジ来たよー!」と翔馬は思い切り左腕を振り大声で到着を知らせた。

「おお~。」と言ってお祖父ちゃんも翔馬達に手を振り返す。

翔馬達二人は畑を迂回し、お祖父ちゃんの家の前に自転車を停めキュウリ、ナス、カボチャなどが生っている畑の中をお祖父ちゃん目指して歩いて行った。

翔馬がお祖父ちゃんの前に立つと「翔馬、よく来たな。大きくなって。今日も暑いから疲れたろ。」と翔馬の頭を撫でる。

「疲れたけど楽しかったよ。さっきそこで自転車のチェーンが外れちゃってね。でもお父さんがすぐに直してくれたんだ。後ね、ラーメン屋さんが消費税でお店をやめなくちゃならなくなっちゃったんだよ。後ね後ね、朝はお父さんが朝ご飯を作ってくれたんだ。それとね、ん~・・・いっぱい色んな事が有ったんだよ。」

翔馬が一生懸命話をしているとお祖父ちゃんは「そうか、色んな経験をして来たんだね。ここは暑いし、翔馬が送ってくれたスイカも冷えてるから、家の中で食べながらゆっくりと話を聞かせておくれ。」そう言ってお祖父ちゃんは翔馬たち二人を家の中へと導く。

 翔馬はラジオで当たったスイカを頬張りながらお祖父ちゃんとお祖母ちゃんに家からここまで走って来た間の出来事を色々と話して聞かせた。

お祖父ちゃんは楽しそうに話をする翔馬の姿を時折「うんうん。」と相槌を打ちながら笑顔で聞く。

 翔馬は晩ご飯を食べてお風呂に入ったら急に眠くなってしまった様で、いつの間にか布団で横になりウトウトしていた。

「とっても楽しかったから、大して疲れて無いよ。って言っていたけど、やっぱり疲れていたみたいだね。」翔馬はそんな翔馬の父の言葉を遠くに聞きながらいつしか眠りについていた。

 翌朝起きると、翔馬の父もお祖父ちゃんもすでに起きていて何やら話をしている。

「いやいや、自転車で帰れるからいいよ。」「翔馬は疲れているんだから、車で送ってってやるから。」そんなやり取りをしている声が居間の方から聞こえて来る。

翔馬は眠い目をこすりながら「おはよ~。」翔馬の父とお祖父ちゃんに声を掛けると、二人は声を合わせて「おお、翔馬おはよう。」と笑顔で翔馬に挨拶を返す。

キッチンを覗くと、お祖母ちゃんが朝御飯の準備をしている。

「ババおはよ。」「おはよ、翔馬。顔洗っておいで。」「はーい。」と言って翔馬は洗面所に向かった。

顔を洗った翔馬が居間へ戻って来ると二人はまだ「自転車で帰る。」「車で送って行く。」と問答をしている。

翔馬はしばらくそんなやり取りを見ていたのだけど、いつまで経っても結論が出そうも無かったので「僕、帰りは車で送ってって欲しいな。」と口を挟む。

それを聞いたお祖父ちゃんは小躍りして「それ見ろ、翔馬は車で送ってって欲しいってよ。」と大喜びだ。

翔馬の父が「じゃあ、そうしよう。」とあっさり翔馬の意見を受け入れたので、お祖父ちゃんはちょっと拍子抜けしたようだ。

 「そんなあっさりで、今までの抵抗は何だったんだ?」お祖父ちゃんは憮然とした表情になるが「翔馬がそう言うならばそれで良いんだよ。俺も疲れてるし、楽ちんな方が良いに決まってるからね。」と翔馬の父に言われたお祖父ちゃんは「そか。」と一つ頷いて朝ご飯を食べにキッチンへ行く。

 翔馬は父に「車で良いの?」と聞くと「ジジが仕事で使ってる車ならば、自転車二台とも乗せて三人乗って帰れるからね。」

「じゃあ、車で送ってもらうのを反対しなくても良かったんじゃない?」翔馬が疑問を投げかけると「お父さん達が送ってもらった帰りにジジが一人で長距離を運転して帰るのかと思うと心配だったんだよ。」

翔馬は父のその言葉に「そうだったんだ。それは確かに心配だよね、やっぱり自転車で帰ろうか。」と気付かされた。

 「いや、もう決めたんだから変えなくて良いよ。それに、短い距離だけど毎日運転しているから大丈夫だと思う。」翔馬の父は自分にも言い聞かせるように翔馬に告げる。

みんなで朝ご飯を食べ終えて、自転車をお祖父ちゃんの車に積み込む。

「凄い、本当に二台とも普通に積めちゃうんだね。」翔馬が感心していると「翔馬のはちょっとサイズが小さいからね。」とお祖父ちゃんが得意げな顔になる。

 翔馬の父は自転車が動かない様、車に固定しながら「もうすぐ準備が出来るから、翔馬はここに座って待ってて。」と後部座席を指差す。

 もうすぐ出発だと聞いてお祖父ちゃんが運転席に座ろうとすると「父さん、行きは俺が運転して行くから助手席に乗って待ってて。」翔馬の父はお祖父ちゃんに助手席に座るように促した。

お祖父ちゃんは「そうか。」と言って素直に運転席から降り、助手席へと移動する。

 「よーし!完璧だ!タブン。」翔馬の父が荷台から降りて運転席に向かう。

「え~?お父さん、タブンってなに?」翔馬は不安そうな声で翔馬の父に詰め寄った。

「あっはっは、ウソウソ。大丈夫、完璧に固定してあるから。さあ、行くぞ。父さん、シートベルト締めてね。」こうして帰りは車で送ってもらったのでした。



 僕はこの自転車旅行を計画したところから始まり、トレーニングで学んだ事や気付いた事、ラジオの懸賞に当たった事、冒険旅行で見たり聞いたりした経験を夏休みの自由研究にまとめ発表し『夏休みの自由研究コンクール』で入賞しました。


 あれから五年、自転車クラブのある高校に進学した僕は三年生になった現在、全日本プロ選手権自転車競技大会出場を目指して今も日々トレーニングに励んでいる。

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僕の自転車、夏休み 一ノ井 亜蛮 @abansyousetuka

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