トライアングル

水谷一志

第1話 トライアングル

 俺のゴールはいつも華麗で、ボールがキーパーを避ける意思を持っているかのようだ。

 ある時はそれは鋭くネットに突き刺さり、ある時は緩やかにネットに吸い込まれていく。

 そんな高校生の俺は周りから見れば、「全てを持っている奴」に見えるのだろうか?

 俺の心には、サッカーボール以上の大きな穴が空いているというのに。

 俺の心は、こんなにも痛んでいるというのに。


 「相変わらずすげえなお前のシュート!今日も止められなかったよ」

 俺、井出奏太(いでそうた)は部活からの帰り道、親友の丸山和樹(まるやまかずき)と話をしていた。

 いや、親友と言うのは半分は正解で、半分は正しくない。なぜなら彼は恋敵でもあるからだ。

 「ま、俺の力量があればあれぐらいどうってことねえよ!お前もセービング技術磨けよな!」

「ハイ!井出選手!」

俺たちはそう冗談を言い合って笑う。……今まではそれで良かった。俺だって屈託のない笑顔であったはずだ。しかし、今はどうであろうか?俺の笑顔を鏡で見た時、その筋肉はちゃんと動いているだろうか?ひきつっていないだろうか?


 和樹と俺の好きな人、俺たちと同学年の西野絵理(にしのえり)が付き合いだしたと聞いたのは、今から約2か月前。夏休み前の7月のこと。

 何でも、相手の誕生日を事前に聞き出していた和樹が絵理に告白したそうだ。

「俺……、西野絵理ちゃんと付き合うことになりました!」

 その日も部活終わり。俺たちは部室で着替えをしていた……、途中でのその報告。

 その時俺の思考は一瞬だけ停止した。するとやけに部室の臭いがきつく感じた。いつも慣れている汗の臭いであるはずなのに、そうなるのはなぜだろうか?それは、俺がこの臭いと同様、見たくないものを見ないようにしていたからかもしれない。

 「おめでとう、和樹」

俺は他の部員たちの手荒い祝福の後に和樹にそう告げる。しかしそれは目線を下にしての行為。いつもの紅白戦ではキーパーの彼をよく見て冷静にゴールを決めるのに、こんな時は冷静になれない。

 いや、端から見ればいつもの俺だろうか?いつでも冷静な俺に見えるだろうか?そしてポーカーフェイスを保つことができているだろうか?


 その後夏休みに入り、俺たちは部活のためだけに高校に来るようになる。

 そして部活終わりの会話はゴシップと相場は決まっている。

 「おい和樹、絵理ちゃんはお前のどんなとこが好きなんだよ!?」

 それは俺にとっては、聞きたくもない情報。

「いや何か俺たちって、話が合うんだよね!向こうは吹奏楽部でパーカッションやってんじゃん?で俺はサッカー部のキーパー。お互いに、『縁の下の力持ち』で、何か共通してる部分多いって言うか……」

 なるほど。俺にはそういう部分が足りないのか。自慢ではないが俺はサッカーはできるし、勉強もそれなりにできる。まあ華があるかと訊かれれば、ある方だと答えられるだろう。

 でも、それじゃあダメみたいだ。

 もちろん和樹だってなかなかのイケメンだと思うし、華がないなんて悪口を言うつもりはない。まあ何だかんだで彼は俺の親友だ。

ただ、キーパーというポジションは確かに前線にずっといる俺には向いていない気がする。

 「そう言えばさ、9月に吹奏楽部の定期演奏会あるんだったっけ?」

俺たちの部員の一人がそう口にする。

「あっ、そうだな」

「もちろん和樹は行くんだろ?」

「まあな」

「ってかそれまでにフラれないようにしろよ!」

そう言ってみんなが笑う。

 そこで俺は……、あえての作り笑い。「華」のあるいつもの笑顔を作った。


 「なあ奏太、吹奏楽部の定演、一緒に来てくれよ」

 和樹にそう言われたのは、「残暑」という言葉を疑うくらい、本当に夏は過ぎ去ったのかと思うくらい暑い9月の初旬。

 また俺たちは授業を受けないといけない……、どうせだったら授業が体育だけならいいのにというどうでもいい思考が駆け巡る9月。

 俺はその和樹の言葉に一瞬フリーズする。でもそのフリーズを太陽の力を借りて解凍することができた……表面上は。

「えっ?絵理ちゃんの演奏見に行くんだろ?一人で行った方がいいんじゃねえの?」

「いやでも演奏中は友達いねえとつまんねえじゃん?あと……、後で紹介したい子もいるしさ」

 ああそういうことか、と俺は納得する。噂の段階ではあったが、俺はその子のことを知っている。俺たちの一個下の後輩。何か前にサッカー部の試合を見に来て……、俺のことを「かっこいい」と思ったそうだ。

 このまま行けば、俺とその子は付き合うことになるのだろうか?何でもその子の吹奏楽部でのパートはアルトサックス。華のあるポジションだ。一般的に作り上げ、また絵理と和樹が付き合うまではそのことに何の違和感もなかった俺のポジションとは「釣り合って」いるのだろう。

 しかし、今の俺の心境で、その子の告白を受け入れることはできるのだろうか?こう見えて俺は真面目なタイプだ。絶対に遊んだりはしない。実際に付き合うことになったらその子だけを見るのが理想……、でもそんな理想に俺は近づけるのだろうか?絵理への気持ちをハサミで布を切るように断ち切る。そしてその布はその子を温めるために使う。そんなこと、こんなにメラメラと嫉妬の炎が燃えている今の俺にできるのだろうか?今の俺は布から何から全て燃やしてしまいそうだというのに。

 それにもし俺たちが仲良くなって、ダブルデートの流れになったら俺はどうしたらいいのだろう?絵理への想いを持ち続けながら俺はその子と付き合い続ける。目の前で俺のライバルになる男と好きな人が仲良くしているのを見ながら俺はその子と手を繋ぐのだろうか?……それは不謹慎な行為ではないか?その前に俺にそんなことができるのだろうか?

 俺は心の中にそんな葛藤を抱えながらも、目は泳がさずに

「分かった。一緒に行こうな」

と言ってしまう。

 

 俺がそう和樹の誘いに応じたのは、やはり絵理の姿を見たかったからだ。絵理が、俺の好きな人が一生懸命頑張っている姿を見たい。これは誰しもが持つ自然な感情ではないだろうか?

 ただ俺はそこまでピュアでもない。俺の中には、どうしようもない独占欲も潜んでいる。できたら和樹とは別れて欲しい。そんな気持ち、例えば一日が終わる夜までは心の奥底の収納庫に封印している。そしてそのままずっと封印できればいいのだが、朝目覚めた時、一日の中で一番無防備な時間帯にその思いはいつの間にか収納庫から飛び出している。そして俺が押さえつけるまで心の中で暴れまわってしまうのだ。

 俺は結局何がしたいのだろうか?恋愛はもっと楽しいものだと思っていた。でも今の俺の心は悲鳴をあげている。ネガティブな感情がポジティブな感情を打ち消してあまりある状態だ。そしてもし絵理がそんな俺の心の中を覗いたら、きっと卒倒し、その後口も利いてくれなくなるだろう。そんなに俺の心はすさんでいる。そう、大好きなサッカーでさえも集中できなくなるくらいに。


 そうこうしているうちに、定演の日がやってくる。俺は絵理の姿見たさと、和樹に対する敗北感との両方を感じながら和樹と合流し、コンサートホールに向かう。

「そう言えばさ、絵理はパーカッションの中でも、トライアングルが特に好きなんだってさ」

「へえ~そうなんだ」

 ホールへの道中、そう何気なしに和樹は語る。内心穏やかではない俺だが、声のボリュームを調整して和樹にはそう返事をする。また額には汗。それが暑さのせいだけならいいのだが。

「何かな、絵理の好きなロックバンドが印象的にトライアングルの音を取り入れていて、それで気に入ったらしいよ」

「なるほどな」

 ……それにしても「トライアングル」とは何とも意味深だ。そうここには紛れもなく別のトライアングル、つまり「三角関係」が存在するのだから。

 そして絵理のことを語る和樹は本当に幸せそうで、その目はキラキラしていた。

 俺たちの歩く歩道の横を、バスが通り過ぎていく。その排気ガスがやけに臭く感じられて、それは今の俺の心理を表しているようで……、和樹の顔と俺の心を比べて、俺は自分が嫌になる。

「なあ和樹」

「何だよ急に改まって?」

「お前、絵理ちゃんのどこに惚れたんだよ?」

バスが通り過ぎて辺りが一瞬の無音になった時、その静寂を破るように俺は少し意地悪な質問をしてみた。

「それガチで答えないとダメか?」

「当たり前だろ」

 そんな答え、聞きたくもないが俺はそう言う。

「自分が目立つんじゃなくて、周りを支えるのが好きな所、かな」

 そう言った和樹は顔が火照っていた。それを「ホントに暑いな」とぼやきながら和樹は手で顔を仰いでごまかそうとする。

 そしてその答えを聞いた俺は……、正直言ってショックを受けた。

 前に部活の仲間でワイワイ言っていた時に少し聞いた話では、お互いに「縁の下の力持ち」ということであった。でも、俺はそのことを深くは考えていなかった。いや、そこまで考える余裕がなかった。

 そして俺の頭の中で今までの人生が再生される。俺は小さい頃から目立ってきた存在だ。サッカーもずっと続けてきてうまかった。そして、スポットライトがあたることが当たり前で、注目されることに何の違和感も感じてこずにここまで過ごしてきた。

 ……別に俺がナルシストだと言いたいわけではない。現にサッカーだってまだまだ自分のできていないプレーはあるし、もっともっとうまくなりたいと思っている。ただ、俺は……、今まで周りを支えようと思ったことはあっただろうか?

 そう、俺は常に「支えられる側」であった。人に支えられて、アシストしてもらうのが当たり前で、それで得点を決めると全部自分の実力だと思ってきた。……でもそれは違う。

 そして俺の中にまた別の感情が芽生える。和樹は……、本当にいい奴だ。和樹はゴールキーパー。まあ例外的な事態にならない限り自分で得点を決めることはないであろう。でも和樹はそんなポジションに大きな魅力を感じている。それこそ人のゴールを喜び、チームのために徹するポジション。そう、それが和樹の本質だ。

 なのに俺は自分のことばっか考えて……。ちょっとそんな自分が恥ずかしくなる。そう、俺は和樹みたいな人間に支えられてここまでやってきたと言っても過言ではない。

 そんな和樹と絵理はお似合い、なのだろう。しかしそこにはそれを認めたくない自分もいる。絵理の吹奏楽部でのパートはパーカッション。サックスやトランペットではないが、しっかりリズムを刻んで俺のことをアシストして欲しい……と思ったりもする。そう、やっぱり俺は絵理のことが好きだ。でも、和樹もかけがえのない親友で……。

 こんなジレンマ、高校生にはよくあることなのだろうか?他のみんなはどうしているのだろう?友情、恋愛。その二つを天秤にかける。しかし、そんなにうまくいくものなのだろうか?今の俺はその二つの感情が完全に入り乱れて天秤に乗せる以前にそれらを分離することができなくなっている。またその天秤の揺れは、その日、朝起きた時によっても異なる値を示すだろう。ある時は友情優先。またある時は恋愛優先。さらに言えば、理性的な時は友情を優先するが、一人になり気を抜いた時に「それでいいのか?」と心の奥が叫び天秤が逆の方向に揺れる。結局はその繰り返しで、自分でもどうすればいいのか分からない。

 またここまでくると、「キーパー」というポジションに羨ましささえ感じてしまう。和樹がフォワードで、俺がキーパーだったら俺は絵理と今頃付き合っていたのだろうか?そして和樹との友情も、同じように続けていけたのだろうか?そうすれば、俺は友情と恋愛、両方を手にできたのだろうか?

 俺はそこまで考えると、あることに気づいて自分で自分が可笑しくなった。その発想こそ「フォワード」のそれではないか。結局俺は二つの「ゴール」を同時に求め、両方を手に入れようと考えることしかできない。人を支えるのではなく、支えられておいしい所を奪う側の人間。それが、俺という人間の本質だ。

「なあ和樹、俺、お前に言いたいことがある」

コンサートホールまであと少し。道路にはホールの矢印が掲げられた看板が見える。その時、その一瞬だけ、俺の心はその矢印のように一つのことにまっすぐになった。

「……何?」

「俺さ、絵理のことが好きだ」

「……知ってたよ」

「いつから?」

 俺はその一言を和樹の顔を見ずに言っていた。しかし和樹の次の一言で俺は和樹に注目せざるを得ない。

 思わず覗き込んでしまった和樹の顔は……、意外にも笑顔であった。

「ほぼ最初からだよ。当たり前だろ?俺たち親友だよな?お前のことぐらい分かるよ」

「俺が今日、『絵理に告白する』って言ったら、嫌か?」

さすがに曇るだろうと思っていた和樹の表情。しかし、そこにはそんな陰りは見えなかった。

「もちろん嫌は嫌だよ。でも、お前が決めることに口出す権利は、俺が絵理と付き合っててもない……かな。でも俺も絵理のことが好き。だから今回は譲るつもりはない。それだけは言っておく」

「分かった。ありがとな」

「何で礼言うんだよ」

「何となく。じゃあ俺、定演終わったら絵理に告白するから」

「……これも紅白戦だな!」

 単に俺が人の心を読むのが下手なのかもしれない。でも、俺が見る限り和樹は終始違和感なく笑っていた。こんなライバルが急に現れて、いい気がするわけないのは承知だ。でも和樹は俺との友情も考えてくれている。そのことに、俺は感謝しないといけないのかもしれない。

 しかし、試合開始のホイッスルは吹かれた。俺は友情と恋愛、どちらも中途半端にするのは嫌だ。だから絵理に告白する。そして、試合結果がどうであれ、俺はそれを受け入れる。

   

 定演が始まった。夜が降りたように暗い観客席とは対照的に、ステージにはスポットライトがあたる。そのライトがまず照らすのは……、パーカッションでビートを刻む絵理。そのビートには軽快さだけでなく、音楽のことに詳しくない俺でも分かるスキルの高さがあるように感じた。これは、8ビートというのだろうか?とにかくその音ははっきりしており観客席の後ろの方の人間も乗せてしまう魔力があるような気がした。

『何だ、絵理、主役も十分できるじゃないか』

そのライトに照らされた絵理はまぶしくて、いやこれはライトのせいだけではなくその音も含めた全体が本当にキラキラしていて、俺はそんな感想を持つ。

 その後、吹奏楽らしいブラスの音が入ってくる。何でも俺に声をかけたい後輩は学年で一つ下ながらサックスのメインパートを任されているらしい。スポットライトが消え、代わりに「今日ステージにいる全員が主役」と言わんばかりのライトがバンド全体を照らす。そしてひと際大きなサックスの音が、その子の演奏だと俺はすぐに分かった。

 それはもちろんサックスの音だが、俺には声帯やらお腹の中やら全てを使って叫んでいるように感じられた。またそんなけたたましい音がステージからだけでなく会場の壁からも反射して耳に入ってくるようにも感じる。それは猛々しい音、という表現がしっくりくるだろうか?かわいらしい女の子なのに、こんな荒々しさをよく出せるな、いや本当の内面はこんな感じなのだろうか、だとしたらすごいギャップで逆にモテるだろうな、俺に一瞬でそんなことを思わせるほど、その音は印象的であった。

 そして演奏会は進む。そこには誰もが知っているJ―POPの名曲のブラスバンドバージョンもあり、俺は和樹に「聴いたことあるな!」と耳打ちをした。また吹奏楽専門の曲やオーケストラの曲のブラスバンドバージョンもあり、俺たちは知らないながらもその音楽を楽しんだ。

 またその中には、絵理が好きだと言っていたトライアングルの音が入った曲もあった。その音はやけに澄んでいて、やはりホール全体に響き渡る。そしてそれは曲のいいスパイスになっており、俺たちが抱える「三角関係」という意味の言葉とは裏腹にとてもきれいな、そしてピュアさを感じる音色であった。

 そして最後の曲。その後のアンコール。……全てが終了し、俺たちは楽屋にあいさつに行くことになる。

「絵理、お疲れ!」

「あっ、お疲れ和樹!」

 絵理と和樹は恋人同士だ。……それは当たり前のことで、2人は当たり前のようにあいさつを交わす。

「ちょっとさ絵理、話があるんだけど」

 俺はそんな空気の中、絵理を呼び出した。

「……どうしたの?」

 そこには困惑する絵理。そして絵理は和樹の方を見て助け舟を求めるが、和樹は何も言わない。また、先ほどのアルトサックスの子もこちらを凝視している。きっと、あの子は俺の気持ちに感づいたのだろう。何も言わないが俺が一瞬その子を見ると急いで目をそらす。

「ちょっと来てくれる?」

「う、うん……」

産まれて初めてかもしれない、俺は絵理と2人きりになった。


「まずは、定演お疲れ様!俺音楽のことよく分かんないけど、良かったよ」

「あ、ありがとう……」

これは、俺の恋愛のキックオフと言ってもいいかもしれない。まずは当たり障りのないパスで場をつなぐ。

「それで、話って……?」

「……あのさ」

しかし、俺が狙うのはロングシュート。入るか入らないか分からないゴールを狙う……、いや勝てそうにもない勝負を、俺はしようとしている。

「俺、絵理のことが好きなんだ。だから……、俺と付き合って欲しい」

俺は、渾身のシュートを放つ。

 基本的に俺はゴールの確信が持てないシュートはしないタイプだ。俺がシュートをする時は明確にネットを揺らすイメージができている。しかし……、今回に限ってはイチかバチか。いや、明らかに分が悪いギャンブルを、俺は自分の感情のためにあえてしようとしている。

 そして俺は絵理の顔を見つめる。その俺の目は、恋をしている人間のそれ。今まであえて言ってこず、それよりもどちらかというと隠してきた俺の想いを、まるで音が空気の振動で伝わっていくかのような波動で俺は絵理に伝えようとする。

 そして当の絵理は……、明らかに困惑した表情。少しうつむき加減で、目は完全に泳いでいる。それは数多ある言葉の中から、今この状況にふさわしい言葉を探しているのだろうか?それとも思いっきり拒絶したいのに俺の波動がそうさせず、ただただ困っているのだろうか?

 俺たちの空間を、少しの間沈黙が支配する。その静寂は、サッカーで言うならフリーキックを蹴る直前の「間」であろうか。だとしたら何としても、俺はそのキックをゴールに収めたい。

 そして、その沈黙を絵理が破る。

「そっか。そうだったんだね。知らなかった。

でもごめんなさい。私、和樹のことが好きなんだ。だから奏太くんとは付き合えない」

「……そうだよな。俺も分かってたよ。何かごめんな、急に呼び出したりなんかして」

「ううん、いいよ」

 俺の高校生活最大かもしれないシュートは、高い壁、キーパーに阻まれた。


 その後和樹は絵理が片付けをし終わるのを待つことになり、俺は先に1人で帰ることになった。

 アルトサックスの女の子は、その日結局俺に何も言ってこなかった。そもそも絵理が紹介する予定だったということもあるのだろうが、やはり察しがいい、頭のいい子なのだろう。今日はどう考えても無理で、次回以降またどうするか考える、といったところなのだろうか?

 それとも俺が絵理のことを好きだと知って、完全にあきらめたのだろうか?かっこいい男の子なんて他にもいるだろうし、早めに俺のことが分かってホッとしているかもしれない。

 ……何にせよ、俺はその子のことを知らなさ過ぎる。

 独りで帰る9月の夕暮れの道はやはりまだまだ暑くて、夏が延長しているような感じがする。しかし、そこにはひんやりした風も少しだけ吹き込む。そう、秋の気配、物悲しい気配は確実に近づいているのだ。


 俺のゴールはいつも華麗で、それはどんな時もチームに勝利をもたらしてきた。

 しかし今回は違った。俺は親友にして最大のライバルに、完膚なきまでに敗北した。

 今の俺の心の痛み、サッカーボールのように開いた心の穴は、いつか塞がる日がくるのだろうか?

 俺は、この失恋から立ち直ることができるのだろうか?

 そう、「こんなこともあった」と、青春時代の思い出としていつか思い出せる日がくるのだろうか?

 今の俺は、立っているのがやっとなほど、心が痛んでいるというのに。

 こんなにも、苦しんでいるというのに。

 ……いや、今はこんな状態でも、いつかは笑える日がくるのだろう。

 いつかは、思い出話として扱える日がくるのだろう。

 今は、それを信じて頑張るしかない。

 そう思いながら歩く帰り道、ふいに鈴虫の鳴き声が耳に入り、俺は改めて過ぎゆく夏、やってくる秋を実感した。 (終)

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トライアングル 水谷一志 @baker_km

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