ディール

紅海月

ディール

雨を予感させる生ぬるい風が全身を撫でまわすように吹いていく。僕はビルの屋上から町を見下ろした。死はすぐ数歩先にある。

「それでは本番行きます!」

撮影スタッフの無情な声が響く。僕は緊張を抑えるように手を左胸に当てた。

「ヨーイ、アクション!」

カチンコが高らかになると、僕はビルのふちまで歩いていき、靴を脱いでそろえた。そして、振り返ると空を仰いで両手を広げた。そこには灰色ののっぺりとした雲が空一面に広がっていた。何度経験してもこの瞬間にはなれっこない。僕はゆっくりとからだを倒し、体を虚空に投げ出した。そこからは一瞬だ。周りのビルの群れが空に吸い込まれるように後ろから前へ流れていく。こうして飛び降りるたびに地球が僕たちを地面に縛り付けていることを思い出す。そんなことを考えて気を紛らわそうとしたその時、肉が地面にたたきつけられる音がした。生暖かい血のなかで抗いがたい眠気に似た感覚に襲われ、僕は意識を失った。

「ハァアイ!カットォ!」

監督の声が曇天に響く。気絶していたのはほんの数秒といったところだろう。やれやれ、いくらドラマの撮影といえど死ぬ瞬間はやはり怖い。僕は上体を起こして体中を撫でたが、いつも通り傷の一つもありはしない。あたりを見回してみると、先ほどまで僕の体だったであろう、血と 肉片が散らばっていた。しかしまあ、こう何度も生き返っていると最初の方に感じた不気味さにはもう慣れ切ってしまった。

「撮影お疲れ様です。監督がさっきのシーンの確認を終わるまでお待ちください」

スタッフが飲み物をもってやってきた。僕は礼をいってから紙コップを呷った。水分が通り抜ける感覚で自分が生きているのだなと実感する。スタッフによると、血の掃除があるそうなので僕たちはこの場を離れることにした。


「それにしても、便利な時代になりましたね」

スタッフが椅子に腰をかけて言った。この後も撮影は長引きそうだ。僕も椅子に座って体を休めることにした。僕とスタッフは机を挟んで向かい合う形になった。

「寿命が売買できるようになってから、ドラマの死亡シーンは実際に殺して撮影できるようになりましたもんね。臨場感が昔とは比べ物になりませんもん」

寿命売買。そう、スタッフが言う通り現代では寿命の売買ができる、寿命が欲しければお金で手に入れられるのだ。それにより、平均寿命は爆発的に伸びることになった。現に数百年近く僕の周りで死んだ人はいない。

「それにしても、リアリティを出すために、撮影で実際に死ぬなんて……よくそんなこと思いつきましたね」

「そうだな。おかげさまで僕はこの職にありつくことができたよ」

僕はそういうと目線をスタッフからそらした。僕たちから少し離れたところで監督と俳優陣が会話をしている。俳優陣の顔も監督の顔も見知ったものばかりが並んでいた。その顔触れは僕が小さい頃と一切変わっていない。そんな光景を見ていると自然とため息が漏れる。

「疲れましたね。僕はもう帰りたいですよ」

スタッフがあくび交じりの伸びをしながら言った。

「いいですよね、演者は。違う役を演じれば仕事に飽きることもないんでしょうけど。こっちは毎日同じような雑務ばっかりで、やりがいも何もないですよ。そう思いませんか?」

そう吐き捨てると彼はペットボトルのお茶を啜った。一連の動作からやる気のなさが見て取れる。

「まぁ確かにな…… 僕もずっと死んでばかりだ。いつかは台詞がある役をもらってみたいものだ」

するとスタッフは一瞬目を見開くと苦しそうに口元を押さえた。

「ちょっと、笑わせないでくださいよ。危うくお茶を吹き出すところだったじゃないですか」

スタッフが顔を横に向けて笑いをかみ殺しながら言う。目には薄っすらと涙が浮かんでいた。そんなに可笑しかったのかと僕は少し不機嫌になった。きっと額には青筋が浮かんでいただろう。

「そんなに笑わなくてもいいだろう」

「でもそれ、俳優に転向するってことですよね。スタントマンとしての地位を確立してるのにそんな馬鹿なことする必要ありますか?いまじゃスタントマンと言えばあなたの名前が真っ先に上がりますよ。それに比べて俳優って、どれだけ夢見てるんですか? あの人たちをどかしてまで役を手に入れるって、奇跡でも起きない限り無理ですよ、無理。僕だったら絶対スタントマンの地位を手放すような馬鹿な真似しませんね」

「それ以上言うな、僕はもともとスタントマンをやりたかったんじゃない! ――ドラマに出たくてもこの仕事しかなかったんだ……」

僕はぶっきらぼうにそういった。スタッフは一瞬ビクッと反応したが、すぐに下を向いた。

「「あの……」」

二人の声が重なる。再び会話が止まり、気まずい沈黙が訪れる。

「どうぞ……」

スタッフが僕に言葉を譲った。

「いや……そ、その、大きい声だして悪かった……」

「謝らないで下さい! 僕の発言にデリカシーがありませんでした

「いや……本の少しのことで子供みたいにわめいて……俺が悪かった」

それ以上スタッフが口を動かすことはなかった。鞄から書類を取り出してどこか世話しなく確認を始めた。おそらくこれ以上余計なことを話せば僕の地雷を踏みかねないと判断したにちがいない。それもそうか、今の時代、夢の話をしようとも、人によってはタブー中のタブーであることもたまにある。寿命という概念がほとんど消えた現代では、世代交代などは存在しない。おまけに、寿命売買には「購入した寿命分は必ず健康に生きられる」という保証がついている。購入した寿命を生きている間ならば、ガンになろうが骨折しようがたちまち回復する。さっきの僕にように自殺をしようものならやっぱり生き返らせられる。これが残酷なまでに分かりやすい超実力主義を産み出した。老いも死もない時代では、何を夢見てももう先約がいるのだ。

「そういえば、お前は……監督になりたいんだっけか?」

僕は面と向かって聞くことができず、コップの底を眺めながらスタッフに尋ねた。スタッフは一つため息をついて言った。

「少し前までそう思ってましたけど、無理じゃないですかね? あの監督に追いつくためには百年、いや千年あっても足りないくらいですから」

スタッフは笑って言った。本当にその通りだ。スポーツで結果を残そうにも、研究で何かを生み出そうにも、何かを成し遂げるためには本当にたくさんの時間がいる。僕だって俳優としてドラマに出れるようになるためにはどれだけの時間を費やすことになるのだろう……


「監督からオッケー出ました!今日の撮影はこれで終わりでーす」

さっきとは別のスタッフが叫んだ。

「くぅぅぅぅぁ゛!」

僕はおもいっきり体を伸ばす。生き返ったあとは骨がなりやすい。体のあちこちからパキパキと音が出た。さて、帰り支度でもするか。僕は立ち上がって荷物をまとめに行った。久しぶりにこんなに死んだので今日は早めに寝たい気分だった。監督に挨拶を済ませたら早めに帰ろうと決め、僕は、スマホでタクシーを呼んだ。

「今日はありがとうございました」

「こちらこそありがとうね」

監督がモニターから顔を上げて応えた。撮影したシーンでも見ていたのだろうか。

「ところでさ、今日空いてたら一緒にカジノ行かない?」

出演者の間では有名な話だが、監督は無類のギャンブル好きである。こんなことしててお金が続くのかは不思議だが……

「ごめんなさい、僕今日疲れているので……」

「あ、そうか。いくら保証が効いてるとはいえ死ぬのは疲れるよね、ごめんね」

「いえ、また今度ご一緒させてください」

僕はそういうとスタジオの外を目指した。俳優陣は、廊下で演技の練習をしていた。実力がすべてのこの社会じゃ、追われる方も一苦労だ。その周りをスタッフたちもパタパタと駆け回っている。そんな光景を見てひどく寂しく感じた。やっぱり心も疲れてるんだな。

外に出るともう日は沈んでいて星が一面に瞬いていた。空模様が切り替わっていたことに今初めて気づいた。さっき死んだばかりだからかいつもより星がきれいに見える。けして比喩的な意味ではない。これも保証の効果の一つだ。「生き返る際に健康体で生き返る」ので、劣化した身体機能もリセットされることにより、もちろん視力も回復する。病気になった際はこれを利用して治療する人もいる。もともと病気になる人自体が少ない現代で、これは医者を絶滅させるダメ押しとなった。


しばらく夜空を眺めているとタクシーが現れた。僕は中に乗り込むと、客席の前に設置されたタッチパネルに僕の住所を入力した。これで家まで行ってくれるはずだ。運転手と話す必要がないから自動運転タクシーは楽だ。僕は惰性でスマホを取り出してネットサーフィンを始めた。

どのくらいたっただろうか、眠気に意識が奪われ、船をこいでいると動画配信サイトを閲覧していたらとあるニュースが流れてきた。

「財産の破綻により、寿命が購入できずに死亡した国内での人数が昨年を大きく上回り、五年連続で過去最多を更新しました」

はあ、またこのニュースか。画面の中ではコメンテーターたちの議論が白熱していた。誰もが寿命の購入によって健康に、半永久的に生きられるこの時代、死ぬ人間自体が珍しい。

「ほんとにこれさ、寿命さえ買えば死なずに済むのになんで買わないんだろうね。百年分でも四百万円くらいで購入できるわけじゃん? 買った寿命の間は確実に生きられるからぶっちゃけ食費もなんもかかんないわけでしょ?」

コメンテーターが半ば呆れたように言う。

「これね、ハスの葉クイズっていうんですけどね。一日で二倍に大きくなるハスのが池にあるとしたときに、池がハスの葉で覆われるのに三十日間かかるとします。で、このとき池が半分覆われるのは何日目ですか? という有名な問題があるんですよ。答えは二十九日目なのですが、この問題の何が恐ろしいかっていうと、結果っていうのはある日突然現れるんですよ。まだ半分残ってる、大丈夫。そうやって思ってお金をギャンブルに費やす人が後を絶えないのかもしれませんね。」

専門家が答えになっているのか分からない回答をした。しかしその通りだ。いつだって転落するのは一瞬だ。僕は自分の残り寿命を確認しに専用サイトに画面を切り替えた。120年とディスプレイには表示されている。今回の撮影でギャラもしっかり入ったし、百年分購入しておくか……寿命の購入は簡単だ。

パッケージになっているものをボタン一つで購入できる。僕は寿命が購入されていることを確認してからスマホの電源を落とした。窓の外には昔から変わらない美しい星座が広がっていた。その下には有象無象のビル群が月明かりに影を延ばしていた。はたして、人間はあの星座のようにずっと変わらずにいられるのだろうか……


――とある少年が自分の影を引きずるように歩いている――

かばんの肩紐が食い込んでいるのが嫌というほど分かる。やはり、持ち帰る教科書の量を減らすべきだったか……俺は少し休憩するために、近くのベンチに腰を掛けた。太陽は数刻前に沈み、じわじわと空を闇が染めていた。その中にぽつぽつと針を刺したように星が瞬いる。まだ暮れ切っていない空は鈍い青色だった。不思議なことに、こうして空を眺めているだけで、朝から煮え立っていた苛立ちはどこかに引いてくような気がした。少し、心に余裕が生まれた矢先、それを埋めるようにいつしかの記憶が流れ込んできた。あれは……いつのことだっただろうか、確か四つか、五つだったとき……そうだそうだ、確か山を駆け回っていたっけか。一日中木に紛れて遊んで、そのあとは丘の上から夕陽を眺めて。そのまま星が出るまでぼーっとしてたっけか。あの頃も今日と何ら変わらない星空が広がっていたような。それで……ん? なんか忘れてないか? あれは、あれは確か……

――カアァア!カアァア!

数匹の鴉が夜というにはまだ早い空を裂いていった。あまりのけたたましさに現実に引き戻される。なんかとても大事なことが思い出せそうだったようだが、霧がかかったようにしか思い出せなかった。このもやもやをぶつける先が見つからず、俺は頭を掻きむしった。しかしまあ、いつまでもこうしているわけにはいかない。俺は再び帰路に就くことにした。足を進めるたびにぱんぱんに詰まったカバンのなかで、鉛筆たちがかろうじて見つけた隙間の中をカタカタと鳴いた。家まではもう少し距離がある。俺は図書館で借りてきた本のことを思いなるべく余計なことを考えないようにした。厳密にいえば、家のことを意識することをやめていた。できることなら今日は家に帰りたくなかったのだ。だから、いつもしないような寄り道なんかして時間を潰してみたりしたが、そのまま夜を明かす自信はなかった。さて、家はもうすぐそこまで迫っていた。俺は学生服のポケットの中をまさぐって鍵を取り出す。家の中からは両親の下品な笑い声が聞こえてきた。眉を吊り上げたくなるのを我慢して俺はドアを開けた。

「おっ、帰ってきたか。おかえり!」

親父がご機嫌そうに言った。その横には数日前に退院したお袋がいる。今は貪るように食事をしていた。

「そろそろ出かけるから支度しておけよ」

さっきの挨拶を俺が無視したのが気に食わなかったらしい、今度は少しぶっきらぼうに親父が言った。まあ、普段に比べれば十分ご機嫌なくらいだが。さて、自室に戻った俺は出かける支度をするわけである。出先で暇になると時間の無駄だ。俺は図書館で借りた本と、今日の授業のプリントを数枚持っていくことにした。持ち物と言ってもそもそも物をそんなに持っていないのでこれ以上やることもなくなってしまった。僕は戸締りをしてリビングに戻った。両親はもうすでに玄関で靴を履いて出かける気満々だ。

「そんな恰好で出かけるの?」

お袋が聞いてきた。学生服のまま出かけるのが不自然なのも知っていたが、いちいち理由を説明しても面倒なので

「いいんだよ、これで」

と適当にあしらっておいた。そんなことをいう両親の服装も普段部屋で過ごすようなダル着と何一つ変わらなかった。


家から少し出て大道路の脇で待っていると、先ほど呼んだタクシーがやってきた。両親は前側の二席に座った。そういえばつい最近の歴史の授業で、昔はこれらの席のことを運転席と助手席と呼んでいたのだと教わった気がする。この人たちはそんなこと知っているのだろうか、俺は後ろ側の席に腰を掛けながら両親に視線をやった。両親は嬉々として談笑している。きっと、習ったとしても覚えていないだろうな。

タクシーの座席の座り心地はとてもよかった。ふわふわとして触るとつるりと滑るような座席だった。家では床に座って暮らしている俺にとっては感動的だった。同時にその感動が年々減っている気がしてどこか寂しかった。さて、朝から苛立ちが募っていた俺だが、一つだけ楽しみにしていることがあった。タクシーにはモニターが付いていてそれでテレビを見ることができるのだ。俺はスマホもテレビも持っていないので映像を見る機会が授業の他にほとんどない。そんなわけで初めて動画を見たときには、興奮で夜も眠れなかった。そこにもう一つの現実があるように錯覚していたのを今で覚えている。しかし、その感動も少しずつ消えていっている気がした。さてさて、俺がチャンネルを隣の国のニュース番組に合わせようとしたその時だった、

「出発するぞ、シートベルト締めたか?」

親父がこちらを向いていた。突然のことだったので少し動揺したが、

「うん」

と何事もなかったかのように返した。車はゆっくりと走り出した。


道中でも両親は出先の話ばかりをしていた。まるで遠足に向かう小学生を思わせる。俺に会話が回ってくることはなかった。モニターに集中したい俺にとっては好都合だが。テレビでは隣の国の新人映画監督の話で持ちきりだった。画面には二人の男女が向かい合う形で座っていた。黒い壁に囲まれた部屋のなかで椅子を向かうように並べた構図だ。女の方がリポーターだな。俺がはじめてテレビを見たときからずっとこの番組を担当しているからすぐに分かった。ということは、こっちの男がその新人監督か。

「本日はお忙しいなか取材に応じていただき、ありがとうございます」

リポーターが凛と通るような声色で言った。新人監督の方は「いやいや」と笑っていた。いかにも、最近の若者と言ったような、ふわふわしてどこか芯のない笑い方だった。背もたれに少し体を預けるような座り方からやる気のなさが見てとれる。

「では早速、成功の秘訣などを教えていただけませんか」

リポーターが監督にマイクを向ける。俺は画面に食い入った。固唾をのむ音が小さく鳴る。

「そうですね……しいて言うならば、運ですかね」

「運ですか?」

監督の言葉にリポーターが聞き返した。腑に落ちていないのだろうと画面越しに伝わった。きっと、努力や心構えなど視聴者に夢を与えるようなことを言ってほしかったのだろう。

「僕が、監督としてこの映画に関われた一番の理由は前の監督がなくなったことだと思っています。きっと彼が今もご存命なら僕はこの映画もスタッフとして働いていたことだと思いますよ」

監督はいけしゃあしゃあと語る。名匠の後を継ぐ重圧などは感じないのだろうか。

「だから、僕が監督になれたのは運なんです。たまたま監督が死にたいと思って、たまたまそのポジションが空いて、たまたまその隙間を僕が埋めることになった、ただそれだけのことなんですよ」

「そうですか……それでは最後に全国の夢を目指す子供たちに一言もらえませんか?」

これ以上、監督にあまりしゃべらせたくなかったのだろう。アナウンサーは締めにかかった。

「そうですね……一つ言えるのは、努力だけは怠らないでということですね。たとえ運が回ってきても、それをものにする実力がなければ無駄にしてしまいます。僕もスタッフとして働きながら監督になるための勉強をしていました。それも監督になれた理由の一つでしょう。俳優陣も編集陣も自分よりも歴が長く、皆さんベテランばかりです。彼らをまとめるためにはこれからも努力を続けなければなりません。だから、みなさんも僕と一緒に頑張っていきましょう」

なんとなく分かった気がした。この監督がどこか達観したような、割り切ったような話し方をしている理由が。きっと、ずっと努力を続けてきたからなんだろう。努力してきたからこそ、自分の実力では監督になれない可能性の方が高かったことも、自分が監督になれたのは運だったってことも理解しているのだ。心のどこかに、この監督への尊敬のような感情が湧いた。

画面の中では、映像がスタジオに移っていた。さっきまでの映像は中継だったらしい。話題は新人監督から自殺した先代の監督の話に変わっていた。

「これ、マスコミは自殺って報じてますけどね、誤解が無いように言っておくと、実際は寿命を買ってなかっただけなんですよ。決して首を吊ったり、手首を切ったりしたわけじゃないです。まあ、そんなことしても死ねないんですけど。また、先代の監督はギャンブルが好きというのは関係者への取材で分かっていますが、だいぶ給料をもらっていたのでそれで破産することはなかったはずです。十分に寿命を買うお金はあると思いますよ。まあ死にたいという思いがあったのは間違いないと思います」

専門家がよどみなくすらすらといった。寿命売買。そう、専門家が言う通り現代では寿命の売買ができる、お金が欲しければ寿命で手に入れられるのだ。ちなみにこの専門家も先ほどのリポーターよろしく昔からこの番組の担当だ。

「でもさぁ、これ僕は分かんないんだよね。そもそもなんで死にたいって思うのか。ましてやこの人監督として結構な収入があるわけでしょ? 疲れてるなら仕事の頻度を減らすとかしても普通に生きていけたんじゃないの?」

どこか釈然としない様子でコメンテーターが言う。こちらのコメンテーターもずっと変わらない顔ぶれだ。スタジオでは白熱した様子で命の大切さについての議論が進んでいた。でも彼らはきっと知らないだろう。自分が購入している寿命が誰かによって売られたものだと。俺らのように寿命を売らなきゃ生活できない人間のことを。いや、知らないのではない。分からないのだ。きっとそのことは知識として知っている。俺らが食べている肉が豚や牛を殺したものだと俺らだって知っているように。でも分からないのだ。殺して、血を抜いて、解体して、パックに詰めて売りに出す。そういう残酷な部分は全部俺らには見えない。きっと彼らにも俺らのことは見えていない。きっと……

「……おい……おい、おい。着いたぞ」

親父がこちらを向いて言った。車はすでに止まっていてお袋はもう社外に出ていた。おそらく料金も支払い終わったのだろう。

「分かった」

俺は軽く伸びをしてから親父の後を続いた。俺がタクシーを降りると、ドアは自動で締まり、そのままどこかへ走り去っていった。

「久しぶりね!」

お袋が言った。まるで水を得た魚だ。視線の先にはカジノの看板がある。右を見ても左を見ても同じような店が軒を連ね、歓楽街が広がっていた。

「さて、今日は遊ぶぞ!」

親父はそういうと俺たちに金を渡してカジノへ入っていった。三人合わせて400万位あるだろうか。貧乏な僕らには普段縁も無いような金額だ。俺とお袋もそのあとに続いた。


カジノの中は煙で全く見えなかった。そこかしこで喫煙してる人がいるのだろう。両親はそれぞれ自分のお目当てのゲームに向かって行く。さて、俺も行くとするか。俺は両親がこちらを見ていないことを確認するとスタッフルームへ向かった。スタッフルームは店の入り口から一番遠くにある。前に理由を教えてもらった気がするがいまいち思い出せなかった。スタッフルームのドアを開けると急に明るくなった。中はカジノと違い視界が澄んでいた。俺は奥を目指しながら歩いていく。スタッフの数人が俺に「久しぶりだな」とあいさつをした。俺は軽く会釈を返しながら奥を目指した。奥にはおそらくこの店のリーダーであろう人の机があった。あいにく持ち主は今席を外している。どうしたものかと俺は頭をガシガシと掻いた。まあ、お金を置いておけば怒らないだろう。俺は先ほど貰ったお金から一枚万札を取り出し机の上に置くと、代わりに机の上に置いてある線香と花をもらった。毎年この時期に俺が買いに来ることを見越して、用意しておいてくれるのだ。俺は机に一礼してからさらに奥へ向かった。机の後ろには外に通じるドアがあるのだ。

ドアを開けるとそこには懐かしい光景が広がっていた。山があり、木があり、夕方思い出していた光景がそこにはあった。しかし、感傷に浸る前にまずやるべきことがある。俺はさらに奥へと向かった。俺は山の中をかき分けるように奥へ奥へと入っていった。途中木々の根っこに躓きそうになりながら歩いているとじんわりと汗ばんできた。こんな動きにくい格好で来るんじゃなかったなと今更ながら後悔した。しばらく、悪路に悪戦苦闘してると遠くにぽつぽつと光が見えた。あの光が見えたらもうすぐだ。あれを目印に進んでいけばすぐに着く。そこからしばらくある行くと、急に開けた場所に出た。そこには、たくさんの墓石が並んでいた。

「死んでくれて……ありがとうな」

俺はその中の一つに歩いて行った。その墓石には俺の一家の戒名が刻まれている。俺は字面を指でなぞっていった。顔も見たこともない弟たちの戒名が刻まれている。その一番下には最近掘られたばかりの戒名が刻まれている。俺は先ほど買った花と線香をそれぞれ半分にしてからお墓にお供えした。線香に火をつけようとしても風がだいぶ邪魔だったが何とか着火できた。

「お前たちの命かねは俺が大切に使うから」

どうせあいつらは今日ですべての財産を散財する。このお金は俺が一年間生き延びるために大切に使おう。俺はそういうと弟たちに手を合わせる。彼らは生まれてすぐに命を落とした。いや、殺されたのだ。

俺らの国ではまともな仕事で稼げる人間はほとんどいない。隣の国からやってきたギャンブルやカジノにみんな骨抜きにされてしまった。俺たちから働く気力も能力もすべて奪ってしまったのだ。そのうち、賭博に使う金を失った人々は自分たちの寿命を売り始めた。しかし、自分の寿命を売るにも限界がある。そこで彼らが目をつけたのが子供だ。毎年のように子供を産んではその子の寿命で賭博をする。狂ったような慣習が生まれてしまったのだ。それが今から数百年も前の話である。

顔を上げると暮石がこちらを冷たく見つめていた。しかし、涙の一つも流れない。この悲しみも、やりきれなさも慣れてしまったというのか。この狂った習慣も、こんな風に慣れながら僕らを蝕んでいったのだろうか。そんなことを考えていると朝からの苛立ちがまたふつふつと湧き上がってきた。俺はまた頭をガシガシと掻く。

「また来年あたりにくるからな」

俺は墓石にそう語りかけると立ち上がった。もう一つ行かなければならない場所がある。俺は隣の墓にも同じように先ほど残した花と線香を備える。今度はさっきよりスムーズに着火できた。その墓石は俺の一家の墓石と違い汚れていた。もう掃除する人がいなくなったのだから仕方がないことだが。

「兄さん、今年も来たよ」

俺はそういうと再び手を合わせた。兄さんといっても実の兄ではない。俺が四つか五つのとき一緒にここで遊んでくれていた人だ。しかし、だいぶ年は離れてたし、僕の記憶はおぼろげにしかない。ただたくさんの本を読んでいたことは今でも覚えている。今の俺の読書も少なからず影響を受けたものだろう。確か一緒に山を駆け回っていたっけか。一日中木に紛れて遊んで、そのあとは丘の上から夕陽を眺めて。そのまま星が出るまでぼーっとしてたっけか。たしか、そのあとは、そのあとは……

急に、なぜか急に、あるとき兄さんがしてくれた話を思い出した。久しぶりに慣れない感情が俺を襲っている。どうしようもない気持ちのまま俺は今来た道を引き返した。あの夕暮れに空を眺めた木を目指して……


「……よっこらせっと」

学生服を着てきたのがここでも仇となった。俺はあの日と同じ木の枝に腰を掛ける。あれころからだいぶ経ってたから折れないか心配だったが少したわんだだけだった。俺は体を上下に揺らしてみた。やはり折れる気配はなく木の葉がわしゃわしゃと鳴いただけだった。

あの日もこんな空だった気がする。あの日の兄さんは普段と様子が違っていた。どこかよそよそしかったのを子供ながらに感じ取ったことを覚えている。

「お前は、何年くらい生きたい?」

兄さんはこちらを見ることなく聞いた。子供だった俺は無邪気にこう答えた気がする。

「うーん……ずっと生きてたい!」

「そうか」

兄さんは少し笑った。確か、優しく頭をなでられたような、なでられなかったような。

「今のお前には分からないかもしれないが、とりあえずこの話をしようと思う」

すぐに、兄さんの顔から笑みが消えた。

「人間はね、長く生きれば生きるほど時間を短く感じるようになるんだ。きっと同じ毎日を繰り返すのに飽きちゃうんだろうね。」

「こんなに毎日楽しいのに?」

あの時の俺には兄さんの言っていることがまるで分らなかった。でもなんとなく今ならわかる気がする。だから、今日この話を思い出したのかもしれない。

「昔偉い人がね、そのことについて調べたの。感覚での人生の折り返し地点ってどこなんだろうねって。どこだと思う?」

「うーん……」

「一生が八十年だとして考えてみて」

「半分が四十年だから、三十五年ぐらい?」

「ブッブー」

兄さんが意地悪そうに笑った。

「十九年だよ。人生っていくら長く生きたって一瞬にしか感じられないんだ。だから、どれだけ長く生きたか、じゃなくてどんな風に生きるかを大切にしてほしい」

それが俺と兄さんとの最後の会話だった。兄さんはそのあと両親に寿命を売られたのだ。きっと兄さんは寿命を売られることもわかっていたのだろう。きっと、俺に対してだけじゃなく自分に言ってる面もあったのかもしれない。ちなみに、その両親も国から寿命を没収されることになる。法律で第一子の寿命の売買は禁止されているのだ。寿命を売ってくれなきゃ困るという隣の国の魂胆だろう。きっとこのカジノも寿命を生み出す、俺の両親みたいな馬鹿を作るためにやってきたのだ。

「どんな風に生きるか、か」

俺は口に出して呟いてみた。同時に、19という齢が少しずつ近づいている恐怖が心に広がっていった。すっと自分の周りの気温だけ下がった気がした。この恐怖も含めて生きるってことなのだろうか。そんなことを考えていた時だった。

「こんなところにいたのかい」

足元から声がした。そこには若々しい一人の男が立っていた。

「店長!」

俺は枝から飛び降りた。着地のときに足が少ししびれた。

「机の上のお金、受け取っておいたからね」

見た目に反してそのしゃべり方、動作の端々は老いを感じさせるものがあった。それもそうだ、いくら寿命を延ばそうが若返ってるのは体だけだ、心まで若返るわけではない。

「ギャンブル、やってないだろうね」

店長は少し厳しい口調で言った。店長は向こうの国から来た人間だ。ただ、ギャンブルを始めようとする子供たちに声をかけてはこの裏山で遊ばせていた。俺やお兄さんもその子供だった。きっと、娯楽に狂わされたこの国を不憫に思ってのことだろう。中毒になる前の子供なら救いようがあると考えたのだろうか。

「もちろんですよ」

俺はそう言うと、学生服についた汚れを払った。きっと汚れているんだろうなと、見えないながらに背中をはたいていた時、

「あっ」

復習に使おうともってきていたプリントを落としてしまった。プリントは夜風に流されてするすると地面を撫でていく。

「おいおい嘘だろ……」

嫌味か皮肉か、風はとどまるところを知らずプリントは速さは驚くべきものになっていた。しかし、それ以上に驚くべきだったのは店長の速さだ。ものすごいスピードでプリントを追いかけて走っていった。

「ほいっ」

店長は飛び上がると、風に舞い上げられたプリントをキャッチして見せた。やはり、身体機能はしっかり若返るようだ。

「これ、授業で使うんだろ」

店長はこちらに来てプリントを差し出した。俺は礼を言って受け取ろうとした。しかし

「あの……店長、プリント離してくれませんか?」

店長はこちらに目もくれずプリントを凝視している。そして、しばらくしてからこちらを向いて

「やれやれ……もう少し字は奇麗に書きなさい。これじゃあなんて書いてあるかわからないだろう」

と説教を垂れ始めた。やはり中身は老人と違いない。しかし、僕の字もなかなか酷い字だった。プリントの上には無数のヒエログリフのような、かろうじて字とわかるものが踊っていた。

「ははは……授業中半分寝てたので」

「また父親と夜遅くまで喧嘩したのか。君がいくら説得してもあの両親は殺しをやめない。もう分ってるだろうに」

店長が呆れ気味に言った。きっともう大人にはあきらめているのだろう。

「しかし、理科の宇宙を勉強しているのか……懐かしいな」

店長はそういうと僕にプリントを返してくれた。

「星座と言えばこんな話を知っているかな」

店長はおもむろに話し始めた。

「星の位置は常日頃わずかに動いている。だから我々が今見ている星座は大昔の空では違った風に見えていたんだ」

「そうだったんですか?」

俺は学校で聞いたことがない話に耳を大きくした。

「そうだよ、毎日少しずつ少しずつ動いて行って、ある時気が付いたら全く違う星座になっているんだ。例えばあの星……」

店長が指で示した先にもう星はなかった。太陽が地平線の下でくすぶっていて少しづつ東側から星を奪っていく。

「もう夜明けですね」

俺は店長にそういった。

「それはまずい。明日の授業でも寝るわけにいかないだろう。今日はもう帰りなさい」

店長はそういって俺の背中を押して歩き始めた。

「えー、星座の話の続き聞きたかったです!」

俺は少し子供のように駄々をこねてみた。店長はそんな俺の様子にびっくりしたのか一瞬立ち止まると

「また来年な」

と再び俺の背中を押して歩き始めた。来年……か。次来るときの楽しみができて、少しほっとした自分がいた。なんとなく過行く時間に、抗えた気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ディール 紅海月 @KurageKurenai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る