#8 PCトラブル
「お姉ちゃん、またそんなの着てるの?」
あぁ、何度目だろう、このセリフ。
「私が着た方が似合ってるよ」
「じゃあ自分で買えば?」
「お姉ちゃんに似合うやつがあるって言ってるのに」
「私はこれでいいの」
バッグをひったくるようにして掴み取り、そのまま玄関へ進もうとする私の腕を、妹が掴んだ。
「ねぇ、最近のお姉ちゃんどうしたの……? すごく変だよ」
そこに、台所にいたはずの母親まで加勢してきた。
「そうよ。最近あんた服も化粧品も全部捨てたと思ったら全部買い換えてさ。何があったんだよ」
母親にまで気付かれていたとは思わず、無意識に身がすくんだ。でも彼女達に本当のことを言うわけにはいかない。特に母親には、口が避けても言えない事情があった。
「あ、もしかしてあたしの知らないうちにあんた、男でもできたの?」
「詮索しないで」
そのまま玄関へ向かい、外へ出ようとして鍵の閉まったままのドアに頭をぶつけてしまった。
「お姉ちゃん、動揺してる?」
「うるさいっ!」
頭に広がる衝撃を手で押さえながら、外へと駆け出した。
◇◇◇
(うわ、可愛い……)
友達に布教されて、一緒に行った初めてのライブ。「どこに行くの」と聞いてくる母親をうまくかわしながら、罪悪感と高揚感を抱えてその場所へと向かった。
「みんなぁーっ、来てくれてありがとう!!! 大好き!」
友達はセンターのサエちゃん推し。私はその隣にいて、たまにサエちゃんとWセンターを務めるアイちゃん推しになった。Wセンターの時、たまにサエちゃんの手を握って歌うアイちゃんを、愛おしく感じる自分がいた。
最初こそ友達について行くように現場を転々としていたけれど、いつの日か私は自分でアイちゃんに会いに行くようになった。特に直接話せる握手会は欠かさず行くように努めていた。
「あっ、また来てくれたんだ! 嬉しいよ〜ありがとう」
「今日のアイちゃんも可愛い……」
「もう〜、女の子のファンに言われるのってもっと照れちゃうなぁ〜、へへっ」
パッツン前髪のミニボブは、アイちゃんの変わらないスタイル。シングルを出す度に髪色はオレンジ、水色、紫、ピンク、シルバーなどと変え、ファンを飽きさせない。色白の肌によく似合い、研究し尽くされたメイクがさらに彼女の魅力を引き立たせていた。
「メイク、いつも似合っててかわ」
可愛い、と言おうとした所で、「時間です」とスタッフに遮られる。だけどアイちゃんは、「待って!」と制止した。
「私ね、ブルベ冬なんだ。自分に合った色を研究するの楽しいよ!」
そして、「またね」と小さく手を振ったアイちゃん。
それが彼女との最後の会話になるなんて、微塵も思っていなかったんだ。
◆
アイちゃんは所属グループの中でも人気の高いメンバーの1人で、グループで開設されたYouTubeやインスタに個人で出てくることが多かった。女性ファンは少なかったけれど、彼女は積極的にメイク動画やファッションの写真を投稿してくれていた。グループを引っ張る存在として、ファッション誌やドラマにも引っ張りだこになっていた。
いつも明るい笑顔で、誰に対しても優しかったから、気づかなかった。アイちゃんが苦しんでることに。
——————————
【ご報告】
みんな、こんばんは。アイです。
最近投稿が少なくてごめんなさい。
皆さんの応援のおかげで、個人のお仕事がかなり増えて、ありがたいことに忙しくさせていただいてます。
でも、お仕事をいただく度に、自分がそれに応えられているのかが分からず、不安に思う日が増えていってしまいました。もう一度お仕事の楽しさを思い出すために、しばらく活動休止することを決めました。
サエとかメンバーにも迷惑をかける形になり、申し訳ありません。早めに体調を整えられるようにします。
でも正直、忘れられちゃいそうで怖い。だから、どうか忘れないで下さい。わがままなお願いですが、お願いします。
みんな、大好きだよ。
三浦アイ
——————————
活動休止というだけでショックだった所に、翌日のニュースで私は崩れ落ちた。
三浦アイが、死んだ。
大量服薬の末に死んでいた。見つけたマネージャーが慌てて救急車を呼んだものの、間に合わなかった。
遺書も何もなかった。遺書と言えば、前日のインスタ。ただそれだけ。でもあの投稿を、この世界からの別れと捉えたファンがいるなんて思わなかった。
このニュースを見たのは自室だった。声を殺して泣いた。
声を上げることも、アイちゃんのファンであることも、家族に知られてはならなかったからだ。
昔、アイちゃんと別の女性アイドルのファンになったことがあった。テレビに出る度に喜んでいると、母親があからさまに嫌な顔をして言った。
「やだ……あんた、そっち系?」
「そっち系って?」
「ほ、ほら、ビリージーン・キングみたいな……」
その名前が分からず調べてみると、レズビアンを公表した元テニス選手と書かれていた。ただ可愛いとか綺麗とか、憧れで応援しているだけだったけれど、どうも母親は誤解しているようだった。後日母親に訂正した。
「お母さん。私、“そっち系”ではないよ。ただ可愛くて歌上手くて、憧れってだけで」
「でもあの子がテレビ出るとキャーキャー言うじゃん。それって好きなんでしょ? お小遣いでCDまで買って。女が女のCD買ってキャーキャー言うなんてあり得ない。正直気持ち悪い。あたしの前であの子応援するのやめて」
「そんな……」
このことがきっかけで、私はそのアイドルを追いかけられなくなって、ファンを辞めざるを得なくなった。その数年後に友達からアイちゃんのグループを布教され、私は忘れていた喜びを取り戻すことになる。
アイちゃんを推すようになってからは、彼女の出演する番組はパソコンの見逃し配信で追いかけ、CDや雑誌は隠れて保管するようになった。だから母親の前で、アイちゃんへの感情を前に出すことはできない。
似合わないのなんて分かってる。
アイちゃんじゃなきゃ似合わないなんて、そんなの分かってる。
さすがに髪型や髪色は人を選ぶから真似できないけど、私は私なりにアイちゃんを忘れないように頑張っている。
ずっと忘れない、それがファンの使命だと思ったから。
◇◇◇
アイちゃんが死んでから半年が経った。私は彼女と共にいるために、彼女の愛用していた服やコスメを使うようになった。
「あれ……」
昼食後、会社でメイク直しをしようとしたのに、使い切ったミニリップを持ってきてしまった。買い換えようとして、品番を忘れないためにあえて捨てなかったものだ。
青みの強いローズピンクで日常使いする、とアイちゃんが言っていたもの。帰りにデパートに寄らないとダメか。
仕事終わりに、会社近くのデパートに寄った。今までデパコスの売り場なんてほとんど立ち寄らなかったから、足を踏み入れるのは今でも少し緊張する。
「何かお探しですか?」
「あ、あの、これの新しいのを……」
使い切ったミニリップをBAさんに見せると、「あ、これ、先月で製造停止してしまったものなんです。新たなラインナップが代わりに出たんですよ」と私をカウンターに通した。
「じゃ、じゃあ、これに似た色味を……」
すると、BAさんは逡巡してから言った。
「これ、ブルベさん向きの色味ですね。お客様が使われるのでしたら、もう少しオレンジっぽくても良い気がします。タッチアップしてみましょうか」
その瞬間、私の中で何かが切れた。
知ってるよ。自分がイエベなことくらい、
あれから半年、家族にも友達にも「似合わない」と言われ続けた。でもアイちゃんのためだった。ここまで頑なになっているのには、母親への反抗の気持ちもあるのかもしれない。
そして今日、見ず知らずの人に「似合わない」と遠回しに言われた。腹が立った。
「もういい」
「えっ」
「もういいから!」
数々の商品を抱えてやって来たBAさんの手を振り払った。ガシャンと音がして、オレンジ、ブラウン、レッドの色味が床に散乱する。
そんな私のための色じゃなくて、アイちゃんのための色が欲しいだけなのに。
アイちゃんの愛用していたラインまで製造停止にして、社会はアイちゃんを忘れようと加速している。アイちゃんを死なせたのはこの社会なのに、社会はアイちゃんのことなどなかったかのように歩みを止めない。
売り場を駆け抜けてデパートを出てから、ミニリップを掴んでいた手が震え始めた。
「私も……アイちゃんを殺した……?」
そのまま手からミニリップが滑り落ち、アスファルトを転がる。雑踏の中に転がり込んで、名前を知らない誰かに踏まれる。踏んだ人が舌打ちをして、ミニリップは蹴飛ばされる。
人間なんて、そんなもん。どんなに有名な人間だって、死んでしまえばそんなもん。
「はっ……ははっ……」
乾いた笑いが、狭い空へと消えていった。
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