パディング・エンカウント

蒼天 隼輝

消えることができなかったボク

 テレビゲーム。今となっては多く普及したそれは、内容や操作方法を変え、長く遊ばれるものになった。それこそ、にはもはや存在することそのものには驚かれない当たり前のものになったんだと思う。

 ざっくりと言ってしまえば、ゲームの中の住人というのは全て誰かが望んで作ったデータだ。誰かを惹きつける姿、扱える技、心動かすセリフ、歩んできた過去……全部作り物であるけれど、作り物であることは誰かの心を動かす障害にはなりえない。何もかも嘘であっても、主人公に心を打たれる人がいて、ヒロインに熱烈な目を向ける人がいて、悪役を一緒になって本気で憎んでくれる人がいる。

 それはきっと、ボクらや、ボクらを望んだ誰か作り手にとってもの凄く幸せな事だ。


 ……ゲームの物語の中に居場所がない呼び出されないボクは、その幸せを享受することはないけれど。



 ボクがいる場所は、データの片隅だった。ゲームの構成要素として存在するボクらは、画面に表れてはじめてその存在が周知される。そこから離れた場所に待機して、呼ばれたら現れて、決められたパフォーマンスで向こう側にいる誰かに訴えかけるのがボクらの使命だ。幼い子供すらその使命に忠実で、「これから殺されちゃうんだけど、盛り上がる所だから頑張るぞ!」なんて言って舞台に飛び出していった。しばらくして、出ていった姿の少女と殺された姿の少女が手を取り合って、「今回もうまくできたね」なんて笑うのだ。


 何百回、何千回、何万回……きっとそれ以上、ボクは手を取ってくれない彼らをずっと見送っていた。


(……羨ましい)


 ……わかっている。わかっているのだ。ボクというものは、初めから「無意味な物」と決まっていた。そして、その通りにしか、この世界は動いてくれない。

 無意味なパディング中途半端なゴミ箱に、呼び出し音コマンドは永遠に鳴り響かない。どんなに世界が移り変わってもボクはその移り変わりに携わることはないし、エンドロールで讃えられることもない。だってボクは、画面の前にすらいけず誰の顔も見られないんだから。舞台の上に上がらないと、いる事すらも分からない。

 苦しい事に、一人だから吐き出すすべもないのだ。観測されなければ誰も反応は返してくれないし、「ボクに反応を返す」事をプログラムされていない使命としない彼らとボクはそもそも接点がない。


(羨ましいよ。絶対叶わないのに、羨ましいとだけは思えるんだ)


 ボクをいらないといった世界は、今日もきっと誰かの手で回される。その輝きはきっと、ボクが夢想する以上にとても美しいんだろう。仲間にも、プレイヤーにも会えないこの場所で、ボクらを望んだ誰か作り手すら恨んで何度泣いたのかもわからない。


(……なんでボクは残ってしまったんだろう。いらないのなら消してくれればよかったのに)



 何百回目かになる、最後の敵が倒された合図が響く。ボク以外の皆が画面の前に飛び出し、カーテンコールのように出迎え始めた。


(……ああ、ボクのいないエンドロールが流れていく)


 明るいメロディ、輝かしい舞台、思い出を紡ぐキャラクター達。そのいずれも届かないこの狭い牢屋の中で、ボクは何百回目の涙を心に貯めていた。

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