第7話 粉雪に紛れて
ふわりふわりと舞う粉雪と刺すような冷気が、紺のケープコートを通り抜けて肌にまとわりついてくる。
レオドール様の使用人から着物でも着られそうな
真っ暗な森の中、私たちは冷えきった体を縮こませながら歩いていた。
うっすらとしか辺りの見えない私は、ただひたすらに葉月さんの背中を追う。
(明かりがあれば良かったんだけど、森の中では目立っちゃうからなぁ)
ローブを羽織った葉月さんが闇に溶け込んでしまって、ひとりぼっちだと錯覚しそうになる。
じわじわと湧き出てくる不安に吞まれないよう、私は葉月さんのローブの裾をそっと掴んだ。
「すみません、結奈さん。両手が空いていたら良かったのですが」
ローブの引っ張られる感覚に気づいて、申し訳なさそうに振り返った葉月さんは、レオドール様から渡された簡易地図と方位磁石を困り顔で見やった。
「現世でスマホなるものを知ってしまったせいで、より一層この世界の不便さを痛感しているところです。あの機械があれば、手を繋ぐことができたのに」
盛大にため息をつく葉月さんに、私は苦笑しつつ
「大丈夫です。私は葉月さんの後についていくことしか出来ることがないので」
それにしても、なぜ夜目が効かないのだろう。
アーロンさんに変化の術をかけてもらったのだが、視覚だけでなく、嗅覚も聴覚も人間のときのままだ。
毛色だって葉月さんと違い、自分の髪色がそのまま反映されている。
以前はおそろいの白銀だった。
「同じ術なのに、なんで前と違うんだろう……」
ボソリと呟くと、前を歩いていた葉月さんの笑う気配を感じた。
「変化の術は、基本的に術者の理解が及ぶ範囲でしかできません。霊狐に変化した際、聴覚や嗅覚が普段より鋭敏になっていたでしょう?それは、私が霊狐としての感覚を知っていて、仕組みや特徴をよく把握していたからです」
独り言だったのだが、彼の優秀な聴覚はきちんと拾ってくれたらしい。
私は思わぬ返答に慌てつつ、葉月さんの言葉をじっくりと脳内で咀嚼した。
「えっと……それってつまり、葉月さんは霊狐以外の変化は出来ないってことですか?」
「いえいえ、外見だけならば出来ますよ。ただし、嗅覚や聴覚は変わらず残りますけれど」
「あっ、そっか。現世では人間の姿になっていましたもんね」
頷きつつ、私はガクッと肩を落とす。
(バカな質問をしてしまった……。それでもって、色々とお荷物だな、私。当たり前だけど、人間って本当に無力だ。勝手についてきたんだから、せめて足手まといにだけはならないようにしないと)
葉月さんが私を常世に連れていきたくなかった理由は、危険な目に合わせなくないから。
なんの能力も持たない人間が術や能力で溢れる世界に飛び込むこと自体、危険な行為なのだ。
命を狙われながらの旅など、以ての外。
だからわざと突き放すようなことを言って、私を現世に留めようとしていた。
けれど私は、大人しく好きなひとを命懸けの旅へ送り出せるほどお上品な性格をしていない。
泥まみれになっても、危ない目にあってもいい。
葉月さんが一人で辛い思いをするくらいなら、そこがたとえ火の中でも水の中でも、私は迷うことなく飛び込んでいく。
黄泉比良坂を渡るとき、そう決めた。
(よし! 葉月さんに『結奈さんが居てくれてよかった』と思ってもらえるよう頑張ろう!)
私は鼻息荒く頷いて、手始めに自分のしていたストールを外した。
「葉月さん、ローブだけじゃ寒いですから、これを使ってください」
現世産のストールなので、きちんと寒さをしのげる。
かさばるからと置いていくことも考えたが、持ってきて正解だったと思う。
グイグイと押し付けると、葉月さんがピタリと足を止めて振り返った。
袖に地図と方位磁針を入れ、長い指でストールを持ち上げる。
そして無言でグルグルと私の首周りに巻き付けた。
(えっ、もしかして巻いてほしいって意味に捉えられた!? だとしたら、葉月さん目線の私、めちゃくちゃ
「そ、そうじゃなくて――」
「分かっています」
慌てる私の声をやんわりと遮って、葉月さんが言った。
そのまま私と目線を合わせるように腰を屈めるので、いつも見上げていた顔がすぐ近くにあってドキリとする。
バクバクとうるさい心臓の音を聞かれたくなくて後ずさりする前に、葉月さんが口を開いた。
「ただ愛おしくて」
「……え?」
ふっと優しく微笑んだ葉月さんは、温めるように私の頬を両の手で包み込んだ。
「あ、あの……」
急な行動に戸惑うと同時に、じんわりと移る彼の体温にホッとする。
「目的地まであと少しです。行きましょうか」
そう言って手を差し出す葉月さんに、私は夢見心地で頷いた。
手を繋ぎ、ゆっくりとした足取りで雪道を進む。
「ちなみに、アーロンさんからお借りしたこのローブ、生地は薄いですが全く寒くないのです。まるで寒さを忘れてしまったような感覚で……」
「えー、なんですか? それ」
クスクスと笑っているうちに、ふと気づく。
先ほどまで感じていた寒さや不安が、いつの間にか消えていることに。
(すごいなぁ、葉月さんは)
簡単に私の不安を取り除いてくれる。
私もそんなふうに葉月さんを支えて行けたらいいのに。
そんなことを思いながら、巻いてもらったストールに顔をうずめた。
それから間もなくして、私たちは
【旅館 月名】と書かれた
木々に紛れるようにして建っているそこは、レオドール様いわく政府の息がかかっていない安全な宿らしい。
私たちは一度顔を見合わせてから、ゆっくりと戸を引いた。
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