第47話 各国の動向
各国の動向
少し戻り 1897年 4月 清国宮廷
「皇帝陛下に申し上げます! 小日本帝国機動2個大隊が北京市に侵入いたしました!」
「何だと!対応は出来んのか?!
たかだか2個大隊如きに何を持て余しておるか!」
皇帝陛下の側近が激怒、迎撃を支持するも、装甲車両による強行で清国内に現存する銃器では豆鉄砲のような程度にしかならず、都市部の往来ど真ん中を進軍して来るので大砲等を使う訳にも行かないと言う事で攻めあぐねて居ると言う。
ただ、対応した歩兵部隊の報告では何か違うのでは無いかと思われるとの事だった。
此方が小銃を撃っても反撃が無いのだそうだ。
「どこまで舐めた進軍をする事か!大砲を持って撃退せんか!」大臣が地団駄を踏むようにイラついている。
「待つが良い、相手は敢えて反撃をせず市街の中央をこの宮殿に向けて行軍して居るのだろう?
大砲で市外へ被害を出してしまっては本末転倒では無いか。
まして反撃せぬと言う事であるなら敵対の意志は無いと言う事では無いのか?」
多少顔色は良くないようでは有るが、皇帝がその場を制した。
「しかし陛下、この様な舐めた態度、奴らめ聊か無礼でありますぞ。」
「うむ、確かにそこは咎められても仕方は無いのだろうが、戦勝国であると言う事を誇示したいだけでは無いのかね?
事実朝鮮より此処まで来るにはかなりの道のりをやって来て居る筈だが、何処の分隊も反撃が恐ろしくて攻撃をせんかったのであろうし恐らくはそう言った分隊が立ちはだかろうとも攻撃もせずに此処迄やって来たのではないか?
そうで無いと此処まで来る前に何の報告も無いのは可笑しいであろう?
そして今こうして反撃が来ないと言う事はそう言う意図を感じざるを得ぬよ。」
相変わらず陛下の顔色は宜しくは無い。
だが、ここで慌てるような懐の狭い皇帝であったならば、この大国 清はとっくに崩壊して居たであろう。
「し、失礼致します!
小日本帝国軍、宮殿前に到達しました!
現在宮殿前にて進軍を停止して居ります!」
「詳しく状況を聞かせよ。」
皇帝の顔色はますます青ざめているように見えるが、その態度は非常に落ち着いた物であった。
「は、小日本帝国軍は攻撃をしては来なかったそうであります、只今宮殿警備隊長殿が応対をしに行って居るとの事です。」
「うむ、大儀である、事態が事態である故、更なる報告を期待するものである。」
「は、畏まりました。確認して参ります。」
鎧を着た警備兵は全力疾走で門へと走って帰るのだった。
凄まじい体力である、如何鍛えるとそうなるのだろうか。
暫くすると、また先程の警備兵が報告に戻って来る。
「報告いたします!小日本帝国軍に、交戦の意志は無い模様で有ります、正二位授伯爵 准将の益田と言う者が陛下への謁見を求めて居ります。
尚、走行車両の一つに献上品と作用する車両が搭載されて居るようであります、如何致しましょう!」
「ふむ、噂に聞く知恵者の名であるな、少々若過ぎはするが、正二位程の地位を受けて居ると言うならば余程信の厚い者なのであろう。
それに臆する事も無く反撃出来た筈を一切手出しせずやって来た度胸もある・・・
献上品の車両と言うのも気になる、それは中庭にでも運ばせるが良かろう。
宮内へ通して良い、但し銃器等の武器は封印を徹底せよ。」
「よろしいのですか? 」
「良いとは言い難い所であるが、恐らく正式に謁見を求めてもこちらが取り合わぬと思いこの様な強硬手段に及んだのであろう、余程何かを伝えたいのやも知れぬ、通して良い。
余は献上品とやらを確認してから向かう。」
相変わらず顔色は優れないが、皇帝陛下はその広い懐でこれを承諾したのであった。
そして何より、献上品が高級自動車である可能性を先読みして居たようだ。
しかし皇帝陛下はやはり内心ではかなり動揺して居たのであろう、すぐさま宮殿全体を見渡せる塔へと昇り、侵入して来る益田修一率いる一個戦闘車両旅団の侵入してくる様を眺めていたのだった。
こうして益田修一の謁見は成ったのだった。
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少々時は遡り、1895年 11月末日 モスクワ
当時のロシアは、ドイツ、オーストリアとの三帝同盟から、フランスとの露仏同盟へとシフトしつつあり、三帝同盟を蔑ろにし始めていた、当時のフランスは、パリ・コミューンと言う世界初の社会主義と言える政治体制を取っており、1891年頃から公然化したこの露仏同盟の為に、この社会主義思想の影響を強く受けた政治家等が増えつつあった。
従って第一次世界大戦の最中1917年に起こるロシア革命、1905年のロシア皇帝暗殺未遂を前にして既に皇帝を亡き者にしようと言う動きも水面下で起こっていた。
その指導者となるのが当時の議長、ウラジミール・レーニンその人であった。
~定例会議~
海軍元帥が苦虫を噛み潰したような表情で手を上げる、その場で立ち上がり話し始める。
「議長、報告いたします、合衆国は日本と清の朝鮮半島攻防戦に一枚噛み、参戦致しており、背後よりその艦隊を叩かんと艦隊を終結して居たウラジオストック並びにナホトカ軍港にて、どのように設置されたのか不明の機雷が発見されました、その数、両港共に凡そ100、撤去にはそれなりに時間が掛かる為、出航不可能となってしまいました。」
そこまで報告すると、悔しそうに机を叩きながら着席する。
然しその瞬間、空気が凍り付いた・・・
「そんなものは貴様の不徳の致す所では無いか、それを貴重な机に八つ当たりするとは何たる事か、そのような無能な指揮官は要らぬ、この無能を連れて行け!」
議長は傍若無人に振舞う。
「議長、お待ちください!
犯人は日本で有ると判って居ります!
是非とも私目に名誉回復の機会を下さいませ!!議長!議長~~!!」
議長の側近の屈強な男たちに両脇を抱えられ連れて行かれてしまった。
この定例会議で、議長の言葉は絶対なのである。
既に会議と呼べる代物とも思えないであろうが、事実そうだったのである。
逆らった者は誰であれ下手にするとその場で射殺されても可笑しくは無いのだ。
空気が冷え切り、暫くの沈黙が訪れる。
口火を切ったのは議長自身であった。
「無能の芥共、他に何も報告が無い筈が無いだろう?
私の元にはちゃんと報告書が上がって居るのだ、日本と清国の喧嘩に関しての報告がな。
これによると一度は朝鮮半島を完全制圧した清国が日本の大攻勢で押し戻され始めて居ると言うでは無いか、何故このような由々しき事態を誰も報告しにこれぬのかね?
それとも何かね?
貴様ら全員先程の海軍提督のように開拓送りにされたいのかね?」
「「「「「・・・・・・・・」」」」」
満場一致で無言であった。
「この諜報部の報告は悪い事ばかりでは無い、むしろ喜ばしい事にも誰も気が付かんのか?
全く無能の芥共には呆れるばかりであるな、この程度のロジックに気が付かんとは。」
「「「「「・・・・」」」」」
「ふん、馬鹿共め。
いいかね、無能の貴様らにも解るように説明してやる。
あの小国日本が大攻勢に出たからと言ってその程度でアッサリ押し戻されると言う事は、清国の力はもう既に弱まって来て居ると言う事に他成らん。
不凍港を欲する我々としてはこれより軍の再編と再訓練を行い清国へ攻め入る機会を窺おうでは無いかと言う事だ、反対意見のある者は居るか?
居ないのなら3年計画で軍の強化をする事で満場一致と見て進めるぞ。」
「恐れながら議長、噂では機雷を設置したのは日本と言う話でして、清の統制及び国力が落ちた訳では無いと推測出来ないでしょうか?」
「ふん、貴様は何かね?
私の寵愛する諜報部の報告が間違ってるとでもいうのか?
それでは貴様の意見がどう正しいのか証拠を述べよ、レポートを提出して報告せよ。
今すぐでは無くても良い、三日以内に提出するのだ、出来ないならば貴様も無能として開拓送りにしてやるから覚悟して置け!
ふん、気分が優れない、本日の会議はこれで終わる、不愉快である、解散!」
無茶苦茶であった・・・しかし作者はこれこそが日露戦争での大敗の原因であったのでは無いかとも思われるのだが・・・
どうせ議長は負けたら負けたで誰かに責任を押し付けて無かった事にしてしまうのだろうけども・・・
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1987年 2月 モスクワ
「陸軍の修練はまだ終わらんのかね?
一体どれだけ掛けたら実戦配備可能な練度に成るのかね?」
何時ものように又も議長は苛ついて居た。
よくもこれ程いつも怒って居られるものである。
「全軍の練度の均一化と成ればそれは時間も掛かります、もう暫くお時間を頂きたく思って居りますが・・・」
「ふん、無能め、後4か月の内に練度が均一化せぬようならば貴様も開拓送りにしてやる!」
「お、お待ち下さい、陸軍の全体で一体どれ程の兵が居るとお思いですか?
将校の頭数が足らないと言うのにあれ程の兵を習練するのに後4ヶ月では・・・」
「やる前から泣き言かね?
それともこれまでも時間など幾らでも有ったのに何時までも無駄に時間を貪ってだらけて居っただけと言う事なのかね?
いずれにしても努力もせずに私に反論する等、舐めた言動にも程がある、貴様今すぐ開拓送りにしてやろうか!?」
ああ言えばこう言う、やれやれである。
「そ、それだけは・・・ 出来る限り練度の均一化に努めて居ります、ですがあと4か月ではどれ程急いでも精々後4個師団が限界・・・」
「ふん、教育係を教育する必要が有るのでは無いのか?
そのような無能の教育係は射殺した方が良いのでは無いのかね?
一人か二人見せしめに射殺したら必死で頑張るのでは無いか?」
論理が出鱈目である、始めから足りない教育係の将校を二人も射殺したら益々時間が掛かること必至である。
「と、兎に角そのような事態に陥らぬように不休で練度を上げさせておりますので、どうかご容赦を・・・」
「貴様は甘いのだ、だから下の者がつけあがるのだよ、もっと恐怖を植え付けて働かせれば良いのだ。」
もう滅茶苦茶であった。
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1897年 1月 パリ
清仏戦争を邪魔され、挙句に狙って居たベトナムを実質的に横取りされ、更には清にまで勝利を収めた上に台湾と朝鮮南部を手中に収めた日本を、彼らは快く思って居なかった。
しかし日本と通商条約を取り交わした英国やゲルマン帝国が周りを囲む形となってしまっており、中々手を出せない状況になって居たのだが、最近ようやく締結にこぎ着けた仏露同盟の相手、ロシア帝国がどうも日本と事を構えようと動いて居るとの情報が届いたので、これを煽って利用し、憎き日本に一矢報いようと画策を行って居た。
適当な嘘と噂でロシアを煽り、日本に対して宣戦布告をさせようと言う訳である。
運の良い事に彼らの提唱する、パリ・コミューンの礎たる社会主義思想を既に取り入れては居るがもっと大々的に手広く展開しようとする人物がロシア帝国の中でも非常に求心力の高い重要ポストに付いて居るのだ、正に青天の霹靂である。
この人物をうまく操れれば日露戦争を引き起こしあのちっぽけな島国を滅亡させる事さえも出来ようかと思われたのだ。
早速諜報員を使い、「今の日本にはもう一度戦争をする程の国力は無い。」
や、益田准将が清の皇帝へ謁見を求めて北京入りしたと言う情報を掴んで居たので
「清に勝ちはしたが今一度戦争になる事を避けている。」
「清にも既に戦争に耐えうるだけの人的及び兵站的資源も、士気も無い。」
であると言った噂をでっち上げ、流言を流し、更には北欧経由で兵站、武器等の支援が出来ると打診までしたのである。
パリ・コミューンの手足として他国の議長を動かそうと言う恐ろしい戦術であった。
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少し遡り1896年10月 ロンドン
首都を拠点とした某大手貿易会社は、潤って居た。
植民地より格安で手に入った様々な物資が、自国に売るよりも高値、4割増しの値でかなりの量が売れたのだから。
相手は勿論、大日本帝国である。
かの国は占領した地域を植民地として搾り取るのでは無く、何故か復興をして居るのだ。
台湾も、済州島も、朝鮮半島南部も全てである。
だがそれは少なからずとも先行投資であると言う事位は商人の彼らは解っては居た。
そしてその手伝いをし、日本の信頼を得る事で良い関係で商売のパートナーと成れればこれ程のマーケットと買い付け先は他に無かった。
日本は4割増しの値でも快く買い付けてくれるだけでは無いのだ。
そう、彼らは世界に先駆けた有り得ない程の技術を持ち、様々な魅力的な商品を保有して居た。
そう、電気で走る列車、ガソリンや軽油で走り、馬よりもずっと速く、より多くの荷物さえも運ぶ事が可能な乗用車、トラック、そして最近新開発された建築などに使う為の重機なる土木作業車両等と言う物にも興味が有る。
それだけでは無いのだ、家事を手助けしてくれるような電気で動く物も多数存在して居た、冷蔵庫、洗濯機等、どれも魅力的であった。
そして何より、彼らの扱う武器である。
装甲で固めた走る鎧とも言うべき戦闘車両、弾が自らの推進力で飛んで行く無反動砲、噂では連射が出来るライフル、そしてそのライフルを実現する為に必要であった新型火薬、異様な速度で海面を走る戦艦、そして何をしたのかは判らないが敵の港を無力化する程の秘密兵器。
信頼を勝ち取ればいつかはこれ等の兵器も手に入れる事が出来るかも知れないと思って居た。
日本から買い付ける事に成功すればそれら兵器は自国に高く売りつける事も恐らく可能であろう。
あわよくば日本とは敵対関係には有るがフランス等に横流しすると言う方法も有ったのだ。
それにまだ知らない物も有るかも知れない、彼ら貿易商人にとって大日本帝国は宝箱でもあったのである。
そしてその信頼を勝ち取る為にと、値下げを検討しているのであった。
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1897年 5月 大日本帝国 北富士演習場
朝鮮半島、もとい対馬県より帰って来たばかりの益田修一は、政府要人への新装備発表の為に休日返上でやって来て居た。
発表するのは、トラックに牽引するタイプで安価で作成できる120㎜榴弾砲、キャタピラを採用した180㎜自走榴弾砲の2種類の大砲、そして戦闘装甲車両をベースに足回りを強化し、小型になる65㎜砲を装備した戦車、そう、前回失敗して急遽キャタピラーに変更したが、諦め付かなかったようで再開発を施し、サスペンションを強化した物だ。
広大な樹海であったこの地を演習場にしようと奔走したのも修一本人であった。
この演習場は因みに今もどんどんその面積を増やしている。
此処で根を傷つけないように抜かれた木を朝鮮半島に持ち込み植林して居るのだ。
苗を植えるのが普通であるとは思うが、苗だけでは心許ないと思い考えた策である。根を傷つけないように抜く為には専用の重機を開発し、それを使って作業していた。
画期的な重機であるとすぐに評価され、国内の益田修一の評価は又も上がって居た、2つ3つの失敗を払拭出来る程には。
まず、120㎜榴弾砲、低コストで量産しやすく、かつそこそこの攻撃力も期待出来てお手軽な装備として評価が高かった。
180㎜自走榴弾砲、大掛かりな車両に成るが、操縦法を覚えさえすればたったの4人でも運用が可能である。
これも人的損耗の可能性や訓練時間の短縮を考えたら非常に有益であるとの判断を頂き、採用となる。
そして最後の戦車の出番である。
益田修一は成功してくれることを願い、食い入るようにその雄姿を見つめていた。
走って入場する戦車、キャタピラーを採用せずに敢えて装甲戦闘車量と同じタイヤにした成果か、かなりの速度が出ている、先ず先ずである。
問題はこの後だ、5発の停車砲撃、その後に5発、走行しながらの砲撃を予定していた。
先ずは5発の停車砲撃、5発中、3発が命中、2発は至近弾に終わる。
サスペンションの問題から、砲身を短めに設定して居たのが仇となったか、と少し苦虫を噛み潰したような顔で悔しがる修一。
次は走行中の砲撃だ、此方は至近弾でも問題は無いのだが、問題は走行しながらと言う事は砲台を回頭しつつの砲撃となる事である。どこまでサスペンションが衝撃を抑え込むかが課題であった。
一発目、車体はかなり揺れた様だが至近弾として何とか先ず先ずの成果。
二発目、車体の角度に問題が有ったのかもしれない、片輪が浮いた状態になってしまい危うく横転の危機であったが何とか踏ん張り倒れなかった、砲弾は外れてしまう。
くそ、駄目か、と悔しがる修一。
三発目、上手く良いタイミングで発射された砲弾は見事に的に命中。
付近より、「「「「「おお~。」」」」と歓声が上がる。
四発目、ここで問題が起こってしまった。
未だサスペンションの強度が足りなかったかもしれない、発射の瞬間、反動を抑え込み切れなかった、サスペンションは折れ、横転してしまったのである。
「「「「「ああ~。」」」」周囲から残念と言わんばかりの声が集まった。
これは不採用であろう、との声が多数であった為、修一はこの開発を断念、キャタピラー採用のタイプの戦車を開発して行く事で政府側と合意をするのであった。
一つぐらいの失敗は誰も咎めようとする者は居なかった、だが修一はこの、令和自衛隊の言う所の一六式起動戦闘車の模倣品が作りたかった為に悔しくて仕方が無かったのである。
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失意の吾輩の元に、朗報が入って来る、元町明神社の建て替えが完全に終わり、ご神体のお披露目を始めたいと言う頃であった。
当然ながら吾輩が行かねば式典が出来ないと言うので出向く事になった。
例のご神体を式典前に拝めることとなった吾輩は、その余りにも艶めかしい仕上がりに少し引いた程であった。
何かのアニメキャラの全裸フィギュアでも見ている様な気分だった。
ここ数か月はずっと忙しい日々であった為に、癒される時間になったのであった、そして無茶なスケジュールであった事を実感させられたのだった。
放射性鉱物の判定は人任せにして休暇を取る事を決めた吾輩は、折角なのでハワイの知人へと連絡を取る事にしたのだった。
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