第45話 孫文来訪・放射線防護服
孫文来訪・放射線防護服
1896年 4月
日清戦争のどさくさに紛れて朝鮮半島北部に潜伏して居た
彼は清王朝を打ち倒そうと武力闘争を目論んでいた革命家であったが、計画がバレ、清国内でお尋ね者となって居たのだが、日本を経由しハワイからアメリカに渡り、清国公使館に逮捕され、イギリスによって身柄を引き取られたりと色々残念な境遇でありながら、晩年には革命の父と言われた人物である。その彼が、日本国のあまりの強さを目の当りにし、ドサクサに紛れて日本政府へ助力を求めようとしたのだった。
まぁ良いタイミングでは有ったが、其処は既に戦争は日本の勝利に終わって戦後処理中の忙しい最中、日本政府はあまりこの人物の言い分を取り合おうとはせず、清国に強制送還したものかどうしたものであろうかと言う方向になって居た。
史実では、合衆国は日清戦争に参戦して居なかったが、この時系列では参戦して居る為、現状の合衆国では清国公使館は存在して居ないので、もしも史実通りアメリカに渡って居れば清国の革命はこの時点で成ったも同然になって居たであろうと思われるが、彼の選択は日本への助力を求めようと言う物であったのだ。
どうしても残念な方向に至りそうな彼を、益田修一が救う事と成る。
偶然にも修一が前話で地質調査に訪れていた所で、一応保護していた海軍が修一へと意見を求めたのだった。
「あ、丁度良い所へお戻りに成りました、益田准将。」
「何かね?」
「それが、この度捉えた清国人なのですが、少し変わっておりまして、どうも戦争のどさくさに紛れて半島北部に潜んで居たらしいのですが、何故か追われて居るそうで国境を越えて此方へ辿り着いたらしいです。」
「ほう、名前は聞いたのかね?」
「はい、
孫逸仙・・・うーんと、孫逸仙、聞いた事が有るような・・・
ああ、そうか、革命の父と言われる、孫文・・・あの人物か。
「よし、会おう、清国語、所謂北京語は吾輩はそこそこ理解出来るしな。」
「助かります。」
彼の保護(?)(むしろ確保?)されて居る区画へと向かう。
成程、こいつが孫文か・・・
北京語で話し掛ける。
「吾輩は技術開発省長を務める益田修一准将だ、君は何をしに来たのかね?」
「お前には用はない、私は日本の強い軍隊で清を倒して革命の礎を作って欲しいのだ、大将閣下か国家元首、もしくは天皇陛下に会わせろ!」
「ふむ、随分な物言いだが吾輩にそんな口を利いても良いのかね?
吾輩は陛下の相談役でも有るし陸軍海軍両大将閣下とも大変親しくさせて頂いて居るのだが?」
「本当か?なら会わせてくれ!頼む!」
「だがそれは叶わぬだろう、我ら帝国軍には、自ら戦争を仕掛けるような無茶な行動をする愚者は居らん。
この度の戦争も清国より宣戦を布告されたので火の粉を払っただけの事、増してや今はこの半島南部の復興と戦後処理でいくら物資や金が有っても足りないのだ。
そのような世迷言に付き合う暇も余力も持ち合わせてはいない。」
「しかし、あの強さは本物だ、何とかお願いできないか?」
「貴様一介の革命家如きが何でそんなに偉そうなのだ?
そんなだから誰にも相手にされぬのと違うかね?
しかもそんな大声で革命だ武力蜂起だの騒いで居るからバレてお尋ね者に成るのではないか?」
「俺がお尋ね者になって居る事を何故知って居る?
清の回し者なのか?」
「何を言うか、そんなもの戦争のどさくさに紛れて密入国するなんてことはお尋ね者のする事であろうが、誰に聞かずとも予想出来るわ、分を弁えよ。」
「う・・・くそ、俺を清に売り渡す気か?」
「ふん、面白くも無い、そんな事をしても我らには何の得もない上に傲慢な清国を何時までものさばらせるだけでは無いか、吾輩が貴様ならば合衆国か英国、もしくはゲルマン帝国あたりへ行く、国力も有って清国を目の上のタンコブと思って居る国は五万と有るのだ、何故国力自体はそう大きくは無い我が国に手助けを頼むのかが判らん。」
「お前の言う事はもっともだ、済まなかった、だがせめて会わせて貰えさえすれば・・・」
「貴様もしつこいな、吾輩は貴様のような者を簡単に陛下や閣下達に会わせる訳にはイカンのだよ、それよりも合衆国にでも移送してやる事は出来るぞ?」
「く、どうしてもダメなのか?」
「駄目に決まっとるだろう?
何様か知らんが上から目線で陛下に会わせろ何ぞと言う輩、陛下に何かあってからでは遅いのだ、その横柄な態度を改め給え、吾輩も一応将官の端くれなのだぞ?」
「お前のような若造を将官に据えるとは日本もどうかして居ると思うがな。」
「吾輩の今の地位は実力の賜物である、生意気な奴め、この場で斬首しても構わん所を下手に出てやっておるのだぞ?
そんな事も判らんか?
そもそも吾輩を知らぬとはな、清国ではそんなにまで情報統制されて居るのか?」
「知るか!お前のような小僧が・・・」
「ん?どうした?急に大人しくなりおったな。」
「益田?益田ってあの益田か?」
「何を今更。」
「済まない、例の二種類の万能薬を作った益田ですか?」
「先ほど自己紹介をしたであろう?
確かに吾輩は平均よりも身長も低く若すぎて威厳も足りぬやも知れぬが、何故見かけで人を判断するのだ、そんな事では革命など夢のまた夢であるぞ?」
「失礼、かの神童とは知らずに迂闊な物言いでした、謝罪いたします。」
「判れば良い、しかしどうもお主の場合若気の至りにしか見えんのだが、何故そうも急いで革命を口に出す?
もう少し物事を冷静に判断して良く反芻して計画をしっかり立ててからでも良かったのでは無いか?」
孫文は結局晩年になってからでないと陽の目を見て居ないのでハッキリそう言い切れる。
「清の政治は腐敗し切っている、庶民は重い税等に苦しんで居るのです、誰かがやらねば成らんからこうして。」
「そうは言ってもな、お主が倒れれば打倒清国政府を掲げる革命家は貴様の後にすぐに出るものか?
清国の制度がそれを許さぬ以上、貴様が倒れれば恐らく見せしめに使われて更に委縮してしまい当面革命家など出るものでは無いのでは無いかね?
何故国内でもっと水面下で活動をし、十分な協力者を得てから立ち向かうと言う方向へ至らなかったのだ?
それで悉く失敗してお尋ね者になって居るのだろ?
言われんでも判る。」
「く、まるで見て来たように・・・」
まぁ未来人だからこの位は予測も出来るし晩年にはあんたは革命の父なんて言われるようになるんだけどな、でも言えやしないよそんな事。
そんな事より、アメリカに渡すよりは、吾輩の伝手で日本の華僑に身柄を預けて
「兎に角、今大日本帝国に貴様の計画に手を貸して居る程余裕は無いのだ、帝露とも多少では有るがいざこざもある、何時開戦しても可笑しくない状況なのだからな、吾輩の知人の華僑に紹介状を書いてやる、其処でしっかりリーダーの資質を学んで来ると良い、吾輩の帰る船で一緒に連れて行ってやる。
それと当面の路銀は要るだろう?」
と言って、財布鞄から、小切手で壱萬円を出して手渡してやる。
「准将閣下、宜しいのですか?
このような横暴な者にこんな大金を渡して。」
「ああ、構わん、あいつは本当に清国を倒して新しい国を作るだろう、もっと先には成るだろうがな、あの国の規模ではそうそうすぐには成し遂げられぬだろうが、何時かはやってくれる男だろう、あの熱意が有ればいつかはな。」
「そういうもんですかね。」
「そう言うものだ、ただ彼は如何せん情熱的に過ぎるのだ、熱くなり過ぎて周りが見えとらんだけだろう、吾輩と話して居る内に口調が柔らかく成ったろう?」
「ええ、何を話して居るのかは判りませんでしたが、最初の怒鳴るような口調は無くなってましたね。」
「それでは、吾輩は帰ってやらねば成らん事が出来たので帰りの船の手配を頼む。」
「はぁ、あの清国人の関連の事ですか?」
「いや、調査結果、今の装備ではダメと言う事が解ってな。」
「あ、そちらでしたか、直ぐに船の手配致します。」
「うむ、よろしく頼む。」
後に孫文は横浜華僑街で多くの支持を受け、中国同盟会を結成、その総理として地位を確立するのであるがそれは又別の話である。
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技術開発省へ戻った吾輩は、早速放射線防護服を開発するべく、思索を始める。
一番良い方法としてはフロロカーボンの糸で鉛を編み込んで生地を作るのがベストなのだが、未だ炭素繊維の精製には至って居ない。
鉛のような金属を織り込む為にはそれ相応の強い糸が必要不可欠になるのだ。
そんな折、幸運が訪れた。
ラボのプラスチックやビニール、化成ゴム等の石油製品を研究して居た部門から、化学繊維の精製が出来たと言う報告が来た。
所謂ナイロン糸だ、ナイロンならばフロロカーボンが主流になるまで釣り糸としても利用されて居た糸でも有るのだ。
早速様子を見に行くと、間違い無くナイロン糸になって居た。
鉛を糸状に加工してこれと併せて織り込んでしまえば、防護服として使用は可能であろうと思われる。
ナイロンが出来たのであれば、これももう少し進化させて行けばいつかはフリッツのような防弾チョッキの素材も作れるだろう、益々進化させて行って欲しい物である。
どの道いつかは炭素繊維は欲しい、これは流石に知識レベル的に自分で研究するしかあるまい。
因みに航空機の開発もどうやら大詰めに成って来て居る。
ジュラルミン製の外郭に、酸化アルミ製のハニカム構造の骨組みで、極力軽く丈夫に作り上げる事が重要だったのだ。
何故か開発チームは高翼型で試行錯誤しているようだったのだが、いきなりそれは難しいだろうと言う事で、吾輩の意見として底翼型を提唱して置いた。
恐らく底翼で固定するだろう。
エンジンは吾輩の完成させて置いた星形と水平対向どちらでも好きに使って貰えば良いだろう。
実用に耐えられるようになれば後は戦闘機用に構想が出来ている機銃と爆弾及び魚雷を実装させるだけで世界に先駆けて制空権を取る事が可能と言う訳だ。
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1896年 10月
吾輩の提唱したトラフグとショウサイフグの解剖結果を含む無害で食する方法のレポートが政府で正式に認められた為に、東京府で厚生省の指導の下に河豚の提供が和食店等を中心に提供が始まっていた。
今日は吾輩は伊藤博文公に呼び出されて赤坂の料亭にててっちりをつつく羽目になって居た。
総理大臣に呼び出されて河豚をご馳走に成るとはねぇ・・・
「お主のお陰でこうして東京府でも儂の好物がこうして食えるようになったのだ、たまにはこの年寄りに付き合い給えよ、稀代の発明王。」
そんなにベタぼめ褒めに褒められてもあまり嬉しく無いのだが・・・
「いえいえ、たまたま総理がこれを好きでいらっしゃると言うので、下関だけで提供させるのは勿体無いと思った次第ですよ、丁度釣りが趣味なので、河豚の食い方もある程度理解してましたので、それでは何処の部位に毒があって何処ならば安全に食す事が出来るかを科学的に明確にしてみようと思った次第でありまして、大した事はしておりません。」
「なぁに、儂ももうすぐこの職を辞して隠居する身であろう、その前に好物が何時でも食えるようになった事が嬉しくて堪らんのだ、だからこそだ、だからこそ貴官には感謝してもし切れん位だ。」
「実は東京府で食えるようにしたのには、陛下も一枚噛んでおりまして、”伊藤ばかり旨い物を食ってズルい”等と仰るので、身近で食えるように出来ないかと思って解剖して見た次第です。」
「はっはっはっは、成程な、陛下なら言い出し兼ねん、だが儂が陛下と会食する訳にもいかんだろう、そっちは陛下のお気に入りの君にお任せしても良いかね?」
「ええ、勿論構いません、ですがもしも隠居為されるのでしたら一度陛下をお誘いしてあげて下さい、あの方の事なので大喜びでコッソリ外出して来ると思いますよ?」
「ははは、あの方らしいな、そうだな、隠居したら一度招待させて頂くとしよう。」
吾輩は最近、この人達を見て居てつくづく思う事がある。
前世の、つまり昭和末期以降の政治家や高級官僚、企業の社長会長と、この時代の政治家、将官達や企業幹部の差を実感しているのだ。
この時代の日本を引っ張るリーダー達には、昭和末期以降のリーダー達と比べて圧倒的に覚悟が出来ていた。
自分の代で成し遂げねば成らないと言う意気込みのような物を感じる、尖って居るのだ、彼らの心には常に刃が有る、何時でも心に帯刀して居る感じだ。
昭和末期以降の者達からは、逆に保身と自分の利益だけを守ろうと言う軟弱かつ身勝手な利己主義を感じてしまって居た。
やはり爵位は後世に残すべきであるし爵位を持つ物、つまり力有る者の義務を徹底させて教育をして行くべきなのだろう。
持てる者の義務、noblesse oblige (ノブレス・オブリージュ)だ。
権力、地位を持つ者はそれを維持するに当たってそれなりの義務を果たさねば成らないと言う考え方である。
吾輩は、その為に何が出来るだろう。
今迄は学校を作る程度がせいぜいだった。
准将に成り、それなりの力を付けた吾輩としてもそろそろ自覚せねばなるまい。
吾輩も覚悟を決める時が来たと言う事であろう。
この数年後には、伊藤博文公は暗殺されてしまう事に成ると思う、が、既にこの御仁はそれすら覚悟の上で行動して居るのだ、少なくとも吾輩にはそのように感じ取れた。
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朝鮮半島復興の最中、投降して来る者達が居た、それも1人2人の単位では無く、各地域で数百人単位は居たのだそうだ。
合計すると数万人規模に上っていた。
何処に隠れて居たのであろうかと思う所では有ろうが、大方防空壕のような横穴でも掘って潜んで居たのでは無いかと思われるが、朝鮮人の生き残りであった。
彼らは清国の侵略に脅威を感じ身を隠して、僅かな食糧で食いつなぎ、最後は木の皮を剥いで煮詰めるなどして食いつなぎ生き残って来たらしい。
夏の間は虫や雑草等も食料として居た様だが10月に成って肌寒くなってきた昨今、食えそうな草や虫は真っ先に食ってしまい衣服も最低限の物のみとなって居た様で、現れた時には大変みすぼらしい格好であったらしい。
流石に食う者も無くなって居る様で、清国へと投降するつもりで出て来たのだがまさか日本軍が居るとも思ってはいなかったようである。
補給艦の物資を使い彼らに十分な食事を与え、寒さを凌ぐ為の毛布を配布して現在保護して居るとの情報が入って来た。
しかし、我々にもあまり多くの投降者が現れても養って行く余裕は無いのだ、どのように対処しようと悩んだ伊藤博文公が、陛下の相談役にもなっている吾輩の元へ知恵を貸せと現れたのだった。
我々の国で労働力を提供させる代わりに衣食住を約束する事は出来なくは無いのではとも思ったが、正直な話、彼らの労働力はあまり期待出来なかった。
逃げ隠れていた間に大した物を食えて居た訳では無い上に穴蔵に籠って居た期間の長さ故に体力は人並み以下、その上男はほんの1割程度で女子供が殆どなのだ。
労働力が期待出来ないのであれば無駄飯食らいに成る、今は無駄飯を与えるほどの余裕は持ち合わせて居ないと言うのが現状。
伊藤博文公もその辺が悩みの種だったようだ。
そこで提案をしてみた。
「それではこんなのはどうでしょうか? 清国へと強制送還と言う名目で送り届ける、もしくは英国及び合衆国に彼らの身柄を預ける、英国も多くの奴隷を有して居るので彼らの態度次第では衣食の最低限の保証位は出来ましょう。
今の現状であるよりは奴隷となった方が余程彼らの生存確率も高く成るでしょうし、現状維持か、清国へ行くか英米で労働力となるかどちらが良いかは彼ら次第ですが、恐らく現状維持は限界と踏んで姿を現したのでしょうから、実質2択です。特に合衆国は今回の戦争に参加して来て予想以上の人的損耗を強いられて居た様なので喜ぶのでは?」
「成程、確かにそれならば悪くは無いだろう。
うむ、益田君、世話になったな、また今度何かで埋め合わせさせて貰おう。」
「伊藤殿、本当は既に同じ方針には行き付いて居たのでしょう?何だか確認しに来たようにしか思えませんでしたよ?」
「はっはっは、御見通しかね、食えない若者だ。
だがお陰で儂の出した結論が非人道的であるとは言い切れないと確証出来たよ。」
「非人道的だなんて誰が言うのですか?
貿易でかなりの利益を得て豊かになったと言っても、直ぐに働けない者を無償で養う余裕が無い事は明白な事実ですから、仕方の無い事です。」
「河豚の件でもそう思ったが、話して見れば君とは気が合いそうだな、私の後に政治家にでもなる気は無いか?」
「今は未だ一介の発明家で良いですよ、そのうち、この国の行く末に不安を感じる事でも有ったら考えます。」
「はっはっはっは、又来る。
今度は知人の娘でも連れてな。」
待て、何だ最後の一言は・・・そう言うのにあまり良い記憶が無いので勘弁して貰いたい。
だって・・・初めて紹介されたご令嬢がド〇じゃなぁ・・・
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1896年 10月末
遂に完成した、簡易では有るが、放射線防護服だ。
早速、再調査に向かう手はずを整えようとしたが、これから冬に成ると朝鮮の冬は北海道並みの寒い時期となる。
春まで待つ羽目に成ったのだった。
1869年 11月
105㎜砲を塔載した装甲車、所謂世界初の戦車が完成、だが、戦車とは言ってもキャタピラーで走る物では無く、自衛隊で開発された吾輩の前世で知る所の最も最新の一六式機動戦闘車そのものである。
何故これを作ったのかと言うと、キャタピラーでは国内防衛には向かない、吾輩が提唱し推し進めた道路の舗装法は、アスファルト舗装では無いのだ、あの舗装法ではヒートアイランド現象の温床と成り兼ねないからである。
実際、畑や田の多い地域ではほとんどヒートアイランドが発生して居なかった事で吾輩は気付いて居た。
アスファルトは黒過ぎるのだ、蓄熱してしまい、それを夜間に放射冷却しようとする。
犬の散歩を昼間にさせられないと言うのはそれだけアスファルトが焼けて居て犬が火傷してしまうからだと聞いた事がある。
あそこまで悪化してから気付いたのでは遅いのだと思って居るので、敢えて石畳と白色セメントと言う舗装を推奨した。
もっとも、航空機の開発の為に誂えた東京湾中央埋め立て地、東京大島の滑走路には、補正のしやすいアスファルトを使っているが。
つまり、あの車両が採用された理由、それはアスファルトと比べて補正には手間が掛かるので、石畳やセメントと相性の悪いキャタピラーでは無くタイヤを採用した結果である。
キャタピラーを採用しなかったお陰で、機動力も生まれていた。
今の時代の技術力は吾輩の発明のお陰でかなり水準が底上げされて居るとは言え、キャタピラーで作った場合、恐らく時速50㎞が限界であると思うが、タイヤを選択した事で重量がかなり軽減、時速70㎞以上は出るものとなって居る。
もう少し技術力が上がれば時速100㎞を超える事も可能になると思われる。
取り急ぎ採用に向けて非公開演習を開催しようと画策した訳だが、試験的に砲撃テストをすると、この時代の精いっぱいのサスペンションでは砲の反動を抑え切る事が出来なかった、仕方なくキャタピラーに変更、但し金属製のキャタピラーは舗装を壊してしまいがちなのだ、従って、コンパウンドと鉄粉をかなり多めに配合した硬質ゴムのキャタピラーに変更したのだった。
又してもやらかしてしまった気がしないでも無いが、どの国にも先駆けてこんな物を作って居た時点でやらかしたと言う意識は持ち合わせなかった事にしておるのでそこは御愛嬌と言うものである・・・駄目かなぁ・・・
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1897年 4月
ようやく春になった、早速、手土産に完成したばかりの戦闘車輛を数台、ついでに運びつつ再探索へ向かうのだった。
さて、ウランがどの程度の規模で出土するかが問題だ、基本的にウラン自体は割とそこらの土にもごくごく微量では有るが含有して居る事が有るものだが、そんな物をかき集めてもそうそう発電に使える程度の量には到底届かない。
だがあの穴の中で見た光る壁、あれは紛れもなく純度もそこそこ高い物がそれ相応の量含有しないと出無い筈の反応だったと認識して居る。
吾輩の推理としては、昭和後期~令和の、半島の、かの北の国が何故あれ程の量のウランを持って密輸迄出来て居たのだろうと言う疑問があったので、その答えがこれなのだろうと勝手に思って居る。
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