「目を、閉じて」
@freegamer
第1話 取るに足らない、誰かとの
とある病院の一室で、見知らぬ少女と言葉を交わしたことがある。
「なるほどキミは、幸せになりたいんだね」
真っ白な病室の中、そんな風景によく似合うくらいに青白い肌をした名も知らぬ彼女はそう答え、くすりと微笑を浮かべたあとにその繊手で自身の枝毛を弄び始めた。
そんな大人びた彼女に気圧されながら、子どものおれはこくりと首を縦に振る。
それは、誰だってそうではないのか。
しあわせになりたい。……しあわせにしてほしい。
父と母に、あいしてほしい。
そう願うのは、人間誰だって同じではないのか。
そう尋ねると、彼女は困ったようにそっと眉を顰めた。
「それは…まあそういう幸せは一般的なものだよ?でも、…そうだ、それ以外の幸せだって沢山あるし、キミはそういうものを探してもいいんじゃないかな」
そんなことを言う彼女に、おれは首を横に振って否定する。
いやだ。おれは家族にみとめてほしい。
だきしめてほしい。
……あいしてほしい。
「………うん、そうだよね。まあ、そうだよねぇ…」
彼女は、困ったふうに窓の外を眺めて、どうしたものか、とつぶやいた。
その様子は、大人が子どもを宥めるときに言葉を探している様子に似ていて、自身の小さな胸に、ぶわりと焦燥感が募る音がした。
そんなにも、叶えるのが難しい夢なのだろうか、と。
そんなふうに思っておれが肩を落としていると、おれの様子に気づいたのか、彼女は唐突に、だがそっとおれの華奢な身体を抱きしめた。
彼女は中学生か高校生くらいだろうか。そんな大人な彼女ではあり得ないくらい細い腕が、そっとおれの身体を包み込む。
「私にも分かるなあ、そう言う気持ち。私も、ちゃんと両親に愛して欲しかったから」
そんなことを言う彼女はなんだか寂しそうで、もしかしたら彼女は自分と同じ立場の、いわゆる「どうし」というやつなのではないかと思い、ちょっとした親近感を抱く。
「でもね、キミが望んだ通りの幸せをキミが手に入れるのは、少し………、すごく、難しいと思う。それを手に入れるのに、キミはたくさん傷つくと思う」
そういいながら、彼女はおれの顔を両手で包み込む。
ひんやりと心地よいのに、あたたかさを感じる手だった。
なぜ彼女には、そんなことが分かるのだろう?
そんな疑念が頭の隅をよぎったが、幼いおれは、次の彼女の質問でそんな疑惑を霧散させてしまった。
「それでもキミは、キミの望む『しあわせ』が欲しいかな?」
彼女の微かに濁った柔らかな瞳が、そっとおれを映し出す。
瞳の中のおれは、決意を固めたようにこくりと首肯した。
「だったら、『知ろうとする』を頑張ることだ。どんなに悲しいことを知ったとしても、知り続けることを諦めないことだ。そうやって知り続けて大人になったキミなら、全部受け入れて、強くなれて、最後にはキミの望む未来を掴めるかもしれない」
彼女はそう言うとおれを放して、頑張ってねと笑いかけてくれた。
はっきり言って、子どものおれには何を言っているのかなんて微塵も分からなかったけれど、彼女がおれの身を案じてくれていることだけは分かったから。
おれは彼女にありがとうと言ってその場を去ることにした。
優しくしてくれた人には、お礼を言う。
母がおれに教えてくれた数少ないことの一つだ。
そうしてその場を後にしようとするおれに、やけに愛おしげに手を振る彼女の笑顔が、少し印象的だった。
これは、いずれ「おれ」の中から消えてしまう記憶のひとかけら。
取るに足らない、名前も知らない彼女との一幕。
----父がおれを殴り失踪する日から、ほんの数ヶ月前の出来事だった。
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