2.訪問者
雪原にある小さな村には、掟がある。
《雪の名》を持つ訪問者は、何があっても歓迎しなくてはならない――。
例えそれが、波乱をもたらす吹雪だったとしても。
「まだまだだねぇ。掘っても掘っても雪が積もって、積み重なって硬い氷になって、彼女に近づきながら、遠ざかってる」
黙々と作業をこなしていたエミルの神経を逆撫でするように、小さな吹雪に混じって、ミュラッカの呑気な声がかかる。
「本当に、こんなことを望んでいる?」
エミルはそれを無視した。
するとミュラッカは「ちぇっ」と舌打ちして、雪玉を彼に投げつけた。エミルはそれも無視した。
村人の誰もエイミアの墓前に現れず、エミルが一人で作業をしている要因のひとつは、彼女にあった。彼女は、自分の案内役であるエミルに付きまとい、こうして彼の作業を手伝うこともなく、ただ彼の周りをうろちょろとするのである。
ミュラッカは半年前――エイミアの死の直前、村に訪れた"訪問者"だ。村には時々、言い伝えの通り《雪の名》を持つ訪問者が訪れる。
"訪問者"の多くがそうであるように、ミュラッカもまた、目が覚めるような美しさをしていた。
白い肌を晒し(それ自体この豪雪地帯ではありえないことだ)、裸足で雪を踏みしめる。自然を畏れぬ彼女を、村人たちは畏れた。
"訪問者"は、前触れなくやってくる。
或いは、"訪問者"自体が、何かの前触れである。
村人たちはそう信じていた。
それが、慶事か、禍事か、何れかはわからないが、今ではミュラッカは後者だと認識されている。
即ち村娘エイミアの死は、訪問者ミュラッカの訪問に寄るものだと。
「そんなわけないじゃん。ボクはただ、ボクの決まりに従ってここにいるだけだ」
「決まり?」
珍しくぼやいた彼女に、エミルは思わず聞き返してから、しまった、と思った。
半ば無視し続けた状態だったエミルが反応したことに彼女は気をよくし、ニヤリと笑う。
「そう。自然現象に時期があるように。雪が降れば積もるように。ボクがここにいるのにはボクの理由だし、エイミアが死んだのは、彼女の理由だ」
「雪が降るのは、雨が凍るからだ。違う場所に運ばれるには風がある。自然現象ひとつ取ったって、それは複数の要因が複雑に関係しているはずだ」
「それは、君がボクもエイミアの死の要因のひとつだって思ってる、ってことかな?」
「……いや」
エイミアの母だけじゃない。彼女を諌めた村人だって、皆思っている。ミュラッカが来たから、エイミアが抜けた。自然の掟がそうであるように、気高く美しい訪問者のために、力無き一村人は暖かき場所を譲った。
けれどエミルはどうしても、エイミアが死んだのはミュラッカのせいとは思いきれなかった。それが態度に表れているのか、彼女の死を嘆き怒るべき恋人エミルごと、村人は忌避するようになった。
「……ミュラッカ」
「なんだい」
「君がエイミアの死の要因なら、それは多分俺がそうだからだ」
「……どういうこと?」
「俺が何かに気づけていれば……陳腐な言い方だが、彼女を守れていれば、こうはならなかったかもしれない。君だって、俺が案内役をしていなければ、エイミアに関わることもなかったろう」
「エミルがあの子の恋人だったから直接的な要因は君で、ボク自身は君に懐いてるから、だからもとを正せば要因は君だって?」
「そう、思ってる」
自虐ではない。言うなれば希望だった。
誰もエイミアの死の原因を知らない。エミルさえも。
だからこそ、彼女の一番であったはずの自分が、その要因でありたかった。
「そんなことないよ。小さな村だから、どの道君にもエイミアにも関わっていただろうしね――って、こういう慰め必要だった?」
「いや、言わないでほしい」
「わかった」
ほい、と彼女は何かを放り投げた。
小さなそれは、コロコロとして透明で氷のようだが、冷たくはない。
「飴か?」
「そう。美味しいよ。わけたげる」
「こんなもの、どこで」
「簡単な話。拐ってきたのさ」
村では見たことのない飴は、恐る恐る舌に乗せると、スーッと優しい甘さが広がる。
途端に、比例して肉体の疲労感を覚える。
が、それを無かったことにして作業にかかるべきだとエミルは判断した。
ミュラッカはもう何も言わなかった。近くの木の枝の雪を払い腰掛け、ぶらぶらと足を揺らしている。
吹雪も止んでいた。
それから数日して、彼女の眠る氷の棺が姿を表した。
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