氷葬

青井

1.氷葬

 風が一つ吹いただけで、身が凍ってしまいそうな日だった。吐く息は、湿った暖かさを一瞬もたらし、次の瞬間には冷気に混じる。

 

 エミルは大きな風の気配を感じると身を小さくし、風が去ると延々と作業を続ける。

 寒さで手が悴むのには馴れていた。しかし本来は彼が氷雪地帯に暮らす少数民族と言えど、この時期に長時間外での作業をすることはない。

 ましてや相手は降り積もる雪と、凍てついた氷の大地だ。


 途方もない作業を、彼は一人黙々と続ける。

 この下に眠る、過去の恋人エイミアに再会するために。


 人間が死なない世界になった。

 死者でさえ、姿形に欠損が無ければ復活することができる世の中に。

 ネオテロメアと呼ばれる、死んだ細胞さえ復活させる不死化の技術が発見されたのは、ごく最近のことだった。


 難しい話は、小さな村に住む彼にはわからない。

 ただその話は、文明から離れ、氷雪地帯でひっそりと暮らす彼らのもとにも届いたのだ。

 つまり、彼らにも死者蘇生の機会があると。


 死者復活には当然、莫大な資金がかかる。村総出で資金を絞り出したとて、雀の涙ほどにもならない。しかし特例で、無償で蘇生治療をできる対象として、半年前に死んだ彼女が選ばれたのだ。

 簡単な話が、実験体として。


 ネオテロメア蘇生治療の成果は、ある程度確立されている。しかし、それは死後間もない死体で、身体の欠損が見受けられない死にたての体に限られていた。

 科学的な処置なく自然葬により埋葬された死体でも生き返すことができるか――それが昨今の研究の焦点となった。

 実験の対象として、各北国で氷葬文化の残る民族が対象になり、そのためかの地は選ばれたのである。


「この銀世界に生まれたなら、死ぬときはこの白の中で眠りたいじゃない」


 エイミアが死んだ日のことを覚えている。今でも吹雪に乗って、彼女の囁き声が聞こえる気がするのだ。

 けれどエミルはその事をなるべく思い出さないよう、ただ淡々と作業を続ける。


 彼女の死の原因は今でもわかっていない。病気でもなく、外傷はなく、村の掟に習い氷葬された。真夏でも溶けない凍土は天然の冷凍庫で、彼女の体は死んだときの綺麗なまま冷凍保存されている。

 エミルたちの文化で言えば、それが他文化の荼毘に付したり、土の下に埋めることと同義語であるのだが、とにかく先日、突然訪問してきたある国の研究施設からの使者は、彼女を冷凍保存から起こすように言った。


「あれを起こしてはいけない」

「自然に還ったものは、自然の中にいる。呼び戻したらそれは、別の誰かだ」


 使者に対し、村の年長者たちは当初、そう反論して反対の姿勢を示した。


「でも、俺は、もう一度エイミアに会いたい」


 根気強く、論理だてて説明をする使者たちに、思わぬ加勢が入った。

 それは恋人であったエミルではなく、エイミアの家族だ。

 彼らは誰よりも、突然彼女を失ったことに心を痛め、そしてその死の真相がわかるなら、本人の口から聞きたいというのがその理由だった。


「エイミアの死は自然死なんかじゃない。あいつは健康だったし、怪我も病気もなかったんだ。それが突然、あんなことになって……」


 険しい表情をした父親に続き、涙声の母親が続ける。


「ええ、ええ、そうよ。あの子が死ぬわけがない。きっとあいつのことだって関係して……」


 その言葉が終わる前に、他の村人が彼女を諌める。

 そしてそこにいた人たちの視線は一斉に、エミルの方に向けられた。

 エミルは何も言わない。

 使者たちはそれを、少女は恋人との痴情のもつれで亡くなったと母親は思っている――と解釈したのか、何も問うことは無かった。



 エミルはそれから、彼女の死体のため、氷を掘り続けている。

 彼が作業者に選ばれたのは、恋人だからという理由ではなく、体力がある若手で、食料保管などで雪を掘り起こすことに馴れていたからだった。



「本当に生き返ると思う?」

「本当に、それを望む?」


 は彼に問う。


 エミルにはわからない。

 ただ何も考えず、それが唯一の生きる目的であるかのように、黙々と手を動かしていた。

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