君のためになら死ねる。
延暦寺
どこかの国の、とある戦場にて
「おとぎ話が大好きだったんだ」
と彼は言った。焦点が合っていないように見えて、でも私と彼の目は確かに合っていた。だからその言葉は呟きではなくて、私に向けられたメッセージだ。
あたりではおびただしい数の銃声が響き、すぐ近くで窓ガラスが割れた。誰かが倒れる音、叫ぶ声がひっきりなしに聞こえて、血と土埃の臭いが充満している。1年前までこの国が平和を愛する自由主義国家だったなんて、もう誰も思わないだろう。
半年前、この国に独裁政権が誕生した。前の政権でひそかに法整備が進められて、そこからは一気だった。個人の自由は制限された、全体主義。もちろん民衆は反抗し、反政府組織が作られた。
政府軍と反政府軍の戦闘が始まって4か月。数と物資、兵器の質などほとんどの面で劣る私たちは、他国の支援を受けつつ、ゲリラ的に戦うことでなんとか凌いできたが、不眠と栄養失調に悩まされ、相当に疲労していた。
限界が近づいている中、彼が、撃たれた。私が射線に入っていたのをかばって、心臓に一発、肩を穿いたのが二発。血が噴き出して彼は倒れた。
ビルの陰に避難して、シャツを破った布で止血をしている時に、彼がおもむろに口を開いた。
「おとぎ話のヒーローってかっこいいじゃん?仲間とともに悪いやつらと戦って、勝って、みんなを守る。生き残った仲間たちとともにどこまでもゆくんだ、オレそういうハッピーエンドにすっごく憧れてた。だからいつかオレも旅に出て、仲間やヒロインと出会って、そして、そして」
彼は言葉を切るのと同時に咳こんだ。血が飛び散って、私の頬に触れる。肺にもかすっていたらしい。生温かい死の予兆。私は彼の話を止めたい衝動にかられた。
でも私には、軽傷であっても死にうるこの戦場で、どうしたって彼が助からないことが分かっていた。これだけの傷を負ってまで話せているのは、ただの奇跡だ。
それに、彼とは約束をしていた。どちらかが死ぬときはもう片方に言葉を遺す、と。その約束を破るなんて私にはできない。だから、私は黙って彼の口を拭った。彼はわずかに口角を上げて笑ったように見えた。いつものへらへらとした所在のない笑顔のようだった。
「オレは、その先が想像できなかった。自分の死どころか、仲間を失うこと、傷つくこと、傷つけられることの一つ取ったって、オレは分からなかった。オレはぬくぬくと安全なところで飯を食って、遊んで、笑って、寝て、そうやって生かされているだけの、脆い存在だった。そんな空っぽな自分が吐きそうなほど嫌いだった。どんなおとぎ話を読んだ後も思うんだ。オレはヒーローなんかにはなれやしない。覚悟がない。人の気持ちを考えられない。いつも厭世ぶったことを言って、みんなと仲良くもなく仲悪くもなく、序盤で死んで忘れ去られる、そんなキャラにしかなれないって」
結局、彼はヒーローにはなれなかった。国が変わっていく前に、死んでしまう。私とてきっと同じ。みんな、この終わりの見えない戦いに身を溶かしていく。
長くしゃべりすぎたのか、しばらく彼は黙って呼吸を整えようとしていた。少したってむしろ息が荒くなったのを感じて諦めたのか、彼はまた話し始めた。
「ここに来たのだって、最初は流されてだった。周りみんながクーデターだって騒いで、銃を持って。オレもそれについてきただけだ。……全員、逃げたか死んだかだけど」
「なんでオレは残ったんだろうね。初めて人を殺した時なんて1日中吐いてたし、
隣で仲間が死んだときは食べ物がのどを通らなかった」
呼吸が浅くなっているのが分かる。苦しそうだけれど、してやれることは汗を拭いてあげることくらいだ。絞り出すように、彼は言葉をつなぐ。
「でも、ここにいれば何かが変わるかもしれないって、そう思えた。自分が誰かのために戦えるんだって。馬鹿だよな。全部自分のためなのに」
「だから君に出会って、変わった、なんていうつもりもない。相変わらずオレは臆病だ。こんなところまできたのにまだ覚悟だって出来てない。死にたくない。生きていたい。だけど」
彼の目に光が反射してきらりと光った。
「君のためになら死ねる。今、そう確信できたんだよ」
ふっと彼の目から色が消えて、それが最後の言葉になった。
私は泣かなかった。泣くには心が擦り切れすぎていた。「さよなら」と私は呟いた。唇を嚙むと血の味がした。私も彼も、自分の気持ちを伝えることはなかった。平和な世界だったらなんて仮定は無駄だ。私たちは戦場で出会って、戦場で死に別れた。それだけでしかないのだ。
私たちは戦い続ける。この国の悲痛な叫び声を政府が押さえつけられなくなるまで、この戦場は終わらない。終わらせてなるものか。
銃声はまばらになっていた。政府軍が撤退しようとしているらしかった。味方が勝ち鬨を上げている。私も叫んだ。当たり前の日常を願って。たとえそれが叶わぬものとしても。
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