第3話 花屋のお婆さん

助け舟が来ない。正直沈黙が続くのは得意ではない。どうしてこんなにも話しづらい空気のときに限って何も起きないのだろうか。


「すみません、喉が乾いたので飲み物買ってきます。」

私は足早に病室を出てドアを閉めた。深呼吸をして肺に空気を取り込んで頭の緊張を解した。


自動販売機がある1階までエレベーターで降りると、そこには見慣れない花屋があった。


「ちょっと、そこの、あんた。お嬢さん、寄っておいき。」

見るからに気の強そうな細いつり目をしたお婆さんが店先にパイプ椅子を置いてどっしりと座っていた。人違いであって欲しくて周りを見渡したが「あんた」に含まれる人は私しか居なかった。


そそくさと聞こえなかった振りで通り過ぎようとしている私を他所にお婆さんは言った。

「あんた、見ない顔だね。ここへ何しに来たんだい。」

どこか怪しまれているような言い様が少し引っかかる。


「飲み物を買いにきたのですが、自動販売機が見当たらなくて…。」


お婆さんは左右を見回した。けれども自動販売機は見当たらず、さらに怪訝そうな顔になった。


階段を降りてくる足音と談笑している笑い声が聞こえてきた。それを聞くと、お婆さんはさっきまでの態度とは変わり、投げやりに椅子の背もたれにもたれかかった。


「なんだい、暇なだけかい。遊んでほしいなら他所へお行き。」

と、手の甲で払われてしまった。自分から引き止めておいて雑な扱いをされて不機嫌になった私はすぐに背を向けて立ち去ろうとした。すると、小さな声でぽつりと「おじいさん、ごめんね。」と悲しそうに泣く声が聞こえた。気になって振り返ると、そこには私と同じ仕事の死神がお婆さんの背中をさすっていた。


私たち死神はプライバシーを守る為、死神間での情報交換は禁止されている。もちろん他の死神の手助けも出来ない。会話も最低限のみとなっている。会話をするとしても自分たちの存在を不信感なく溶け込ませるための誤魔化しなどの口実程度だ。


あのお婆さんもきっと死が近い。だから傍に死神がいたのだろう。一目で分かるのは何故か、それは関わりを最低限にする為に死神同士はお互いがモノクロに見えるからだ。周りの景色や人々はカラーで見えるから確かめるまでも無い。


泣いている人を見るのは好きじゃない。


私は自動販売機を探すのを後回しにして花屋に戻った。花屋の中を見回すと色とりどりの花々が四季を問わず置かれていた。四季の全てが一つの花屋の中にあった。見れば見る程不思議な花屋がそこにはあったのだ。


「あんた、どうして戻ってきたんだい。花に興味なんて無いだろうに。」

お婆さんは涙を拭ってまだ少し怪しんでいる様な雰囲気を漂わせながら聞いてきた。


確かに花には全く興味が無い。花と言って一番最初に思い付くのは桜くらいだ。そんな私にも花ではないけれど好きな植物くらいはある。


「四つ葉のクローバーって置いてありますか?」

幸せを意味するそれは見つけたら嬉しくなるから好きだった。


お婆さんはお店の奥から四つ葉のクローバーだけが沢山咲いている小さな鉢を持ってきた。重たそうに足を擦りながら歩く姿は終わりが近いのだろう、と悲しくなった。


「お代はいらないよ。さっきは悪かったね。」

そう言いながらお婆さんは袋に入った四つ葉のクローバーを手渡した。


「あの花ももうすぐ枯れてしまう。」

お婆さんは悲しそうにお店の向かいにある窓の外に咲く細い桜の木を見つめていた。穏やかに遠くを見つめていると、隣にいた死神がお婆さんに何かを耳打ちした。すると、お婆さんは立ち上がり、私の方へお辞儀を一つすると、ゆっくりゆっくり花屋を後にし、病室の並ぶ方へと去っていった。


それから数分後、病院のナース達がバタバタと慌ただしくし始めた。早足で医者やナースが向かって行ったのはさっきお婆さんが歩いていった病室の方へと続く廊下だった。


出会いは突然訪れる。前触れもなく、何か意味を残すことも無く、ただ唐突に別れの時に心に穴を空けていくのだ。悲しみと寂しさが心の穴をノックしても埋めることは出来ず、時間だけが静かに砂時計の砂を落とすようにその心に降り積もり紛らわしてくれるのだ。


お婆さんは誰かを待っていた。


おじいさんの好きだった草花を同じように認めてくれる誰かを。


それがただ、偶然、自分だった。


それだけだった。


それだけなのに、どうしてこんなにも涙が止まらないのだろうか。悲しむことが許されるほど長い時間を過ごしたわけでも無いのに。




四季折々な小さな花屋。少し気の強いお婆さん。その隣にはきっと、優しいおじいさんが微笑んで居たのだろう。また一緒に花屋が出来ますようにと思いながら、お婆さんは暖かな陽だまりに溶け込むように優しい笑みを浮かべて天へ昇っていった。









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