常緑

三毛猫

風の街へと飛び出てみて

 あの人にあったら何を話そうか。あのときひたすらにそう思った。街じゅうをフラフラと歩けば時おり往来おうらいの中で通り過ぎたあの人を見つける。おどろいて振り向いてみると、しかし違う人だった。人違いと分かると何かしら失望感におそわれた。そんな気分は恋しさに似ている。けれど実際、直接顔を合わせたとき、その恋しい感情をどうしてか恐ろしいほど深い海底へ沈めて溺死できしさせてしまう。陽気さはいつまでも陽の目を見ることがなさそうだ。部屋中、箪笥たんすやら押入れをのぞきこんで、どこかここかとそんな浮かれたような気持ちを探しだそうとしても、そんなもの、飾り気のない自分の部屋にあるはずもない。そうしているうちに、どうしてそうなのかと痛まれなくなり、気が狂うのではないかと恐ろしくもなる。その場の照れくささと、そののちにくる羞恥しゅうちのダブルパンチである。やがて、カーペットの上でゴロゴロ本を読んでいる間にそれらのことを全部忘れる。――そして今もあの人に誤解されたまま生きている――。

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