自殺願望少女とド変態さん

リヒト

自殺願望少女とド変態さん

 私は高校の屋上の柵を乗り越え、縁に立つ。

 あと一歩。

 あと一歩足を踏み出せば私はここから落ちて、

 そのちっぽけな人生に終止符を打つことになるだろう。

 冷たい冬の風が容赦なく私の体温を奪っていく。

 校庭に植えられた立派な桜の枝が風に当てられ揺れている。

「だめだよ?屋上に生徒が来てはね」

 今まさに私が飛び降りようとしたところで後ろから声をかけられる。

 ゆっくりと振り返り、声をかけてきたほうを見る。

「何よ。あなたも生徒じゃない」

 私に声をかけてきたのは私と同じ制服を着た少年だった。

 少年は少し驚いたような表情を浮かべていた。

「ふふふ。同じ屋上にいる人間だとしても自殺しようとしている君と僕ではいる場所が違うのだよ」

「何を言われても私は自殺を止めないわよ。命の尊さをとか言われてもね。私の命なんかにか」

「何を言っているのかな?世界にいる人間の数は現在78億4983万4726人。そしてその数は今もなお増え続けている。日本人だとしても1億2622万人。そんなクソほどいる人間の命風情に何の価値がある。お前が死んで悲しむ人などごくわずか。安心してよ。君の命に価値なんてない」

 少年は私の発言にかぶせてそう話す。

 ……っ。

「じゃあ、私なんかに構わないでくれないかしら?」

「別に自殺してもらって敵わない。ただ、僕の童貞を貰ってくれ」

「いや、なんでよ!」

 意味がわからない。

 本当に意味がわからない。

 なんで童貞を私が貰ってあげないといけないの?

 というか初対面の人に大してなんてことを言っているんだ。

 この少年は。

 理解できない。

「君の命には価値がない。しかし、今僕の肉棒を受け入れてくれる穴は君にしかない。君の穴は唯一のものだ!あぁ、僕は自分の幸運を喜ぶよ。なかなか出会えないんですよ?自殺しようとしている人に。しかも、こんなに美人だ。あぁ!滾る!ビンビンに滾る!その冷たい視線が最高に、いい!来る!あぁ来るよ!来るよ!」

「帰れ」

 なんだこいつ。

 気持ち悪い。

「ふっ。僕に帰る場所はありません。あるとしたらあなたの胸の中だけだ」

 なんでこの少年はキマったという感じでドヤ顔しているのだろうか。

 キモい。

 ただただ気持ち悪い。

 心底おぞましい。

 吐き気がする。

 いや、吐く。

 嘔吐物をぶちまけようとして、自分の立っている場所を思い出してやめる。

 自分の吐瀉物をぶつかって最後を迎えるなんて嫌だ。

「もう飛び降りてもいいかしら?」

「どうして!?」

 少年がひどく驚いたような表情を見せる。

 なんで驚くのだろうか?

 私が童貞を貰って上げるはずがないじゃない。

 貰ってくれるとでも思ったのかしら?

 私に貰ってほしいなら後100くらい顔面偏差値をあげてきなさい。

 アイドルくらい顔が整っているくらいじゃ認めないわ。

 私を抱くというのならアイドルくらいじゃだめ。

 神様くらいじゃないと。

「自分の胸に聞いてみて頂戴」

「ふむ。いいだろう。だが一つ聞きたい。君が死にたいと思った理由を!」

 少年が謎のポーズをつけて叫ぶ。

 何あれ。

 まだ中二病をこじらせているのかしら?

「……なんでそれをあなたに言わなきゃいけないの?」

「ふっ!」

 少年は自信満々に笑う。

 あれでカッコつけているつもりなのかしら?

 反吐が出る。

 気持ち悪い。

 頭おかしい。

 少年に理由を話すなんてありえない。

 絶対に。

「疲れたのよ」

 だけど、だけど、私の意に反して口から自然と言葉が漏れ出していた。

「できることを必要以上に求められることに。できないことを必要以上に責められることに。両親の期待を裏切り続ける自分に。」

「うん。くだらない」

「は?」

「ふふふ、だからくだらないと言ったのだよ?」

「っ!」

 楽しそうな笑みを浮かべる少年を前にし、頭に一気に血が登ったのを感じた。

「死ね!」

 私は容赦なく少年に殴り抱える。

 しかし何故か拳が当たらず、すり抜ける。

「え?」

 私は少年に手をのばすもすり抜け、触れない。

 なんで。

 そういえば。

 ……そういえば。

 いつから少年は屋上にいたんだ?

 私が来た時は誰もいなかったし、屋上に出る扉が開いた音も聞こえなかった。

「ははは」

 少年の手が私の頬に触れ、じんわりと温かい体温が伝わる。

 少年の浮かべたさみしげな笑みが印象的だった。

「くだらない。くだらないよ。なんで、自分だけが期待されなくてはいけない?僕たちが期待してもいいじゃないか。あなたはもっとできる子だと思っていた?くだらない。できないのはあなた達だ。僕じゃない」

「え?なんで?」

「期待しているのはあなた達だけじゃない。僕も同じだ。僕も同じように期待している。両親が、先生が、僕のやる気を引き出してくることを。だがついぞあなた達は僕の期待に応えなかった。応えらなかった。あなた達は期待を裏切った。なのになぜ僕だけが期待に応えなくてはならない?」

「違う、それは……私が、私が悪いから」

「そもそも人は生まれてきたときから自身の能力は決まっている。頭の良さも、運動神経も、何もかもが生まれてきた時から決まっている。努力できるか努力できないかも。所詮自分が努力して手に入れた力も、生まれたときから決まっているように自分が努力したからにすぎない。全ては生まれたときから決まっている」

「それは……あまりにも」

「両親の劣等な遺伝子を受け継いだ僕が優秀なわけがない。両親を超えられるわけがないのだよ」

「……」

「僕らができないのはあなた達のせいだ。自分の無能を棚に上げ、自分の理想を押し付けるな。あなた達にできなかったことを、あなた達の遺伝子を受け継いだ子供ができる思うな。そして、僕が童貞を卒業できないのは股を開いてくれない君のせいだ」

「それは違うわ。はぁー」

 真面目くさった表情で話す少年にため息をつく。

 最後で色々と台無しよ。

 でも、そうね。

 そうかもしれないわね。

 私が一人思い悩む必要なんてないかもしれないわね。

 いや、きっとないのよね。

 私の両親が私の死を望んでいるはずもないのだから。

「なぜだ!どうせ自殺するのだろう!最後くらい好きにしてくれてもいいじゃないか!」

「嫌よ。なんで死ぬ前に嫌な思い出を作らないといけないのよ」

「ガッテム!」

 少年は打ちひしがれ、崩れ落ちる。

 それから少年は黙り込み、しばらくの間沈黙が流れる。

「ははは、どうしたの?死なないの?」

「……!死ぬ、わよ。死ぬわよ」

「僕は止めないよ。止める権利なんて僕にはありやしないからね」

「……ねぇ、あなたは」

 権利がない。

「僕が死んだのは10年前のことだ」

「……やっぱり」

 あぁ、そうなの。

 そうだったのね。

「お察しの通り自殺だよ。それ以来僕はずっとここにいる」

 少年がゆっくりと立ち上げる。

 私はあなたと同じ。

 いや、少年はもう私と違って、変われない。

「実は屋上に来た人なんてたくさんいたんだけど、話しかけられたのは君だけなんだよ」

 少年は私の隣まで歩いてくる。

 視線を向ける。

 眼下の夜街に。

「僕が見えるのはここだけだ。僕にはここ以外を眺める事はできない。この10年間でここから見える光景はかなり変わった。……。世界はどれほど変わったのだろうか。世界にはどれほど美しい光景があるのだろうか」

 少年は寂しそうな表情を浮かべ、眺める。

「たった100年だ。どんなに頑張っても100年くらいだ。100年くらい生きて、いろんなものを見てきても良かったんじゃないかなぁ」

「……」

 そう。

 少年も私と同じなのね。

 ふふふ。

「私はあなたとは違うわ」

「ん?」

「自殺はやめよ」

「え?」

「童貞を捨てられなかった哀れなあなたと同じ穴の狢なんて屈辱だわ。許せない。だから生きて、せいぜい色々な景色を見てくるとするわ」

「え?僕の童貞は?」

「もちろんもらわないわよ」

「そ、そんな!やっと捨てられると!僕はもう少しで魔法使いになっちゃんだよ!?」

「ふっ。せいぜい魔法使いにでもなって色んな人に幸せを届けることね」

「そんな!?」

 少年は悲痛気な表情を浮かべる。

「名前。そういえば聞いてなかったわね」

「……翔琉だよ。名字は聞かないでね。名前は?」

「雫。間宮雫って言うのよ。そのちっぽけな脳みそに叩き込んでおきなさい」

 私は柵を乗り越え、翔琉の隣に立つ。

「ありがとね」

 小さくお礼を言い、歩き出す。

「じゃあね。もう二度と君がここに来ないことを願っているよ」

「何を言うのかしら?また明日も来るわ。あなたに会いにね」

 私は一方的に告げ、屋上から出ていく。

 少し。

 少しだけ。

 少しだけ明日が楽しみになったわ。


 ■■■■■


「ふふふ、自殺しようとしていた君が卒業か。感慨深いものがあるね」

「そうね」

 校庭に咲き誇る満開の桜が美しく、暖かな風に吹かれた桜の花びらが私達の方に向かってくる。

 私の手には卒業証書が入った筒が握られている。

「あなたが見れない光景をたくさん見てくるわ」

 あれから毎日必ず私はここに来た。

 色々なことを話した。

 色々なことをした。

 翔琉との毎日は私にとって人生の中で一番楽しい日々だった。

 でも、もうお別れだ。

 私はここを飛び出す。

 部外者が軽々しく学校になんて来れない。

「うん。見ておいで。僕なんかのことなんか忘れて。自分の好きなように、自由にね」

 でも、そんなの嫌。

 認めない。

「あら?何か勘違いしていないかしら?」

「ん?」

「光景を見るのは私だけじゃないわよ」

「……僕を連れ出すことなんてできないよ?」

「それはわかっているわ。だけど必ず戻ってくるわ。私が見てきたたくさんの光景を収めたカメラと一緒にね」

「…僕のことなんか気にしなくていいんだよ?君は、生きているんだから」

「あら?あなたに拒否権があるわけないじゃない。あなたは何もできないんだからね」

「おや?ひどいこと言うね」

「飛び立つのは私だけじゃない。翔琉にも飛び立ってもらうわよ」

「ふふふ。そうかい。好きにするがいいよ。僕は気長に待たせてもらうとするよ」

「そんなに待たせたりなんかしないわ」

 私がそんなに長い間も待てないもの。

 あぁ。

 これほどまでに簡単な恋愛があるかしら?

 翔琉は私にしか会えず。

 翔琉は私としか話せず。

 翔琉は私を待つしかない。

 まずは教育免許を取るところかしらね。

 翔琉愛しているわ。

 だから、翔琉。

 あなたも私を愛して。

 私だけを見て。

 

 ■■■■■


「だめよ?屋上に生徒が来ては」

 私は屋上の柵に寄っかかり、夜街を眺める少年に話しかける。

「何だよ。君も生徒でしょ?」

 少年が後ろを振り返り笑う。

「ふふふ。御生憎様、私はもう生徒じゃないのよ」

 今私が来ているのはあの一年間翔琉に会っていた制服じゃない。

 私が着ているのはしっかりとしたスーツ。

 もうあの頃の私ではないのだ。

「おかえり。本当に来たんだ」

「ただいま。私嘘つかないから」

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