第53話 突然のうた
随一の剣士が負けたとあってキールの親戚や観衆たちはどよめいていた。口々に「ありえない」だとか「あの小娘が……」などと呟いている。
俺とキールはそんな彼らに背を向けて修練場から離れた。俺はそもそもこの修練場がどこにあるのかさえ知らない。だからキールについていくだけだ。
ひとまず喧騒から離れて石畳の道へと繰り出す。
「なぁキール。帰ろうって俺が言ったからなんだけど……親戚の人とかそのままにして来てよかったのか?」
「いいんだ。あの人たちは優秀だから騒ぎもすぐに収まるだろう」
そう言うキールの横顔は爽やかだった。涙の跡が見えるが、それもとうに忘れたというような風だ。
「嬉しそうだな?」
「自分の力で自由を掴んだからな。あとトルバトルの詩が久しぶりに聞けてよかった。前と詩が変わった感じがしたよ」
「半年で色々あったんだよ」
色々で片付けられないほどのものを俺は半年間で得た。その成果とも言える詩をキールに最初に聞かせることができて俺は内心かなり喜んでいた。
一方で俺は気になることもあった。
「キール半年間捕まってたんだろ?戦いのことはよくわかんないけど……鈍らなかったの?」
「木剣なら部屋にあったんだ」
俺は少し安心した。半年間のブランクがあったのにも関わらず、随一の剣士を倒したのだったらいよいよ俺は引いてしまうかもしれない。しかし捕まっている時でさえ鍛錬を忘れないとは流石である。
俺たちが半年間のことを互いに話していると、キールがふと立ち止まった。彼女の足元の石畳には一本の線が引かれていた。その線は路地と垂直に走り、何かの境界のようだった。
「ここからは私の家族の領地ではなくなる。いよいよネスト様のところに帰れるんだな」
たかが一本の線だ。しかし半年間閉じ込められていたキールには重要な線だ。ここから自分の幸せを再び掴むための道のりが始まるのだ。キールは以前隣国出身と言った。つまりこの場所はネスト様の領地のある国とは隣国ではある。しかしそこに至るまでにはかなりの距離を移動せねばならないのだ。
「よし、行こう」
キールは少し深呼吸した後にそう呟いた。俺は何も言わずに彼女に続いた。
領地が変われば多少なりとも政治形態や住む人も変わるのだろうか。新しい領地に入った途端、俺はいつもとは異なる雰囲気を感じていた。
「なんか……懐かしい匂いがする」
「懐かしい匂い?ここは魔人の多く暮らす領地だが……トルバトルには魔人の親戚がいるのか?」
「まぁ……音の魔人の里出身だ」
「なるほど美しい声には理由があるわけだ。もちろん努力もあるだろうがな」
俺は目を吊り上げた。魔人と血縁だと言うと、皆怖がってしまうことが多かった。師匠と旅をしていた時もそうだ。訪れる街や会う人の前であまり自分の出自を話したことはなかった。しかしキールは石は硬いんだよ、みたいな感じで当たり前のことのように受け入れてくれた。
魔力が人より多く、魔獣に親しい俺たちのことをキールはそこまで気にしていないようだ。俺はいつか話すべきだろうかと内心悩んでいた。しかし杞憂に終わったようだ。
「あの人は音の魔人じゃないか?知り合いか?」
「特に見たことはないけど……」
音の魔人がよくつける、喉を冷やさないためのスカーフを身につけた男が屋根の上に立っていた。キールはそれをチラリと見て俺にそう言ったが、俺は彼が何か言葉を発そうとしているように見えた。それも大声で。
「皆さーん良く聞いて!誘拐が始まってから今日で二十三日目!遅くに子供を外に出さない!集団で行動する!コレを守ってくださいね!」
音の魔人特有のよく響くが明瞭な声で男は叫んだ。懐かしい特徴の声を聞けて嬉しいが、内容がなかなかに危なっかしい。この町では誘拐が起こっているようだ。
皆に声かけをするのが役目であろうその男が屋根から降りて来た時、俺たちは彼のもとに駆け寄った。
「すみません!」
「ん?なんだい」
「誘拐って本当ですか?」
「ああ、そうさ。人が大きな手に掴まれて連れ去られたんだよ。何日も連続で」
それを聞き背筋が凍った。大きな手に鷲掴みにされて連れていかれるなどまるで怪談である。キールはそれを聞いて首を傾げた。
「身代金などは要求されないのですか?」
男はキールの問いに腕を組んで頷きながら答える。よっぽどキールの意見が正当なものに思えたらしい。
「そこなんだよ。連れ去られたまま!音沙汰がないんだよ。お嬢ちゃんたちも気をつけることだ」
音の魔人の男はそういう時スカーフを正して踵を返した。俺とキールは互いに顔を見合わせた。俺と彼女の意見は同じものだと信じたい。さっさとこの街を抜けた方がいい。
「なぁキール。早めにこの街を抜けて……」
「むぅ……しかし放っておくのは……」
キールは人の笑顔のために戦う剣士である。だから誘拐を見逃せないのだろう。しかし彼女の武器は今は木剣のみ、しかも俺という荷物付きである。俺は体力こそ半年でついたが、魔法の訓練はサボっていた。だから大した魔法は使えず、キールの足手まといになるだろう。
そんな逡巡が顔に出ていたのだろうか、キールは俺の顔をじっと見つめていた。
「ネスト様は幸せになれと仰った。ここで被害を見逃して私は胸を張って後々幸せだと言うことはできない」
「……そう……だな。何かできることはないか……」
「避けろトルバトル!!」
決心がついた所、俺の視界の両端が青く塗りつぶされていた。そして瞬く間にその青色は俺の視界を埋め尽くし、さらに俺を締め上げた。
「なっ?!もがっ!なんだコレ!」
体の軸ごと横にずらされるような感触と共に俺の足は地面に別れを告げた。何がなんだかわからない。だが言葉にするなら大きな手に捕まって連れ去られていると言うことだろう。
俺は無我夢中でもがいた。しかし俺をにぎりしめた手は、大事なものを手放さないようにぎゅっと固く閉じられていた。
「トルバトル!」
妙だ。キールの声が小さい。つまりは俺は手に握られて先ほどいた位置から離れていると言うことだ。キールの名を呼び返したかったが、きつく締め上げられてそれも叶わない。
吐き気を催すほど左右に激しく振られた後、俺はやっとのことで新鮮な空気をまともに吸うことができた。身体中が解放感に満ち満ちていた。
「はぁ……はぁ……何なんだよ……」
これから噂の誘拐の手口だろうか。いきなり手が現れ連れ去られるというのは聞いていたものと一致する。
あたりを見渡す。そうすると薄暗い空間の中に鉄格子が幾つも目に入ってきた。ここは地下牢のような場所らしい。そして俺の眼前には頑丈そうな鉄のパイプが等間隔に立てられている。すなわち俺は完全に捕まったらしい。
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