第47話 新しいうた
「良かったぞトルバトル」
俺が団員の皆とベッドに白いシーツを敷いていると、ふと団長がそう呟いた。
「団長のおかげです。新たな世界の扉を開けました」
「ふむ。それならよかった。精進するのじゃぞ。あと皆んな早く寝るのじゃぞ」
団長は大あくびをしてテントから出ていった。彼の背中が見えなくなった瞬間俺は何者かに手を握られた。アーツリングの団員の一人である。
「すっごいじゃない!団長に褒められるなんて!」
「そ、そんなに珍しいんですか?」
「珍しいのよ?団長は芸術を鑑賞した後はほぼ何も言わないの。いただきますとご馳走様でしたぐらいしか言わないのよ」
そんな団長から「良かったぞ」を引き出せたことが俺は嬉しかった。思わず口元が緩んでいたようで、それを見た他の団員も笑顔になっていた。
笑いは伝播し、その夜は寝られそうになかった。それほどに俺は高揚していたのだ。まるで体が浮き上がるような気持ちだ。
不思議なまでな嬉しさはもちろん数時間前までの絶望の反動もあるだろう。しかし今は詩を歌い、人を喜ばせ、人に褒めてもらえた。更に帰ることのできる目処も立っている。嬉しくて仕方がない。
そんな状態でその夜は寝られるわけもなく、団員の皆と語り合い過ごすこととなった。
翌朝俺は気分こそ晴れやかだったが、体と瞼が重かった。顔を四度洗ってもなお残る重さに俺はため息をついた。
「夜ふかししすぎた……」
「早く寝ろと言ったじゃろう」
「うぅ……すみません」
団長は朝早くからひとっ走りしてきたらしい。動きやすそうな服装で念入りに運動後の体をほぐしていた。彼が運動を始めていた頃には俺はまだぐっすりだったことだろう。
「さて、トルバトル。今日は北方目掛けてかなり歩くぞ。準備をしなさい」
「はい!」
俺は足腰には自信があるのだ。荷物を持ちながら、やたら歩くのが速い師匠について行ったのだから自信はある。
アーツリングの皆は朝早くから思い思いに荷造りをして草原を進む準備をしている。大陸中央草原は夕方あたりからは寒くなる。だから朝早くの温暖なうちに移動するのが合理的なのだ。
テントも畳まれた。テントは建っていたときのことを信じられないほどコンパクトになってしまった。まるで魔法だ。
テントの骨組みや幕は大柄な団員が担いで運ぶという。俺も何か運ぼうと申し出たが、団長は俺の体をジロリと見ると、衣類の入った袋を渡してきた。鍛えてない俺は軽めのものを持っておけと言うことらしい。
草原を踏み、風を切る。アーツリングの一団は果てがないかと思われるほどの草原を一歩一歩進み始める。俺も荷物を持ちながら彼らに続く。彼らが俺の希望だからはぐれるわけにはいかなかった。
「トルバトル」
「はい団長、何でしょう」
「お主に次の課題を言っておこうと思ったのじゃ」
歩きながら俺は口を真一文字に結んだ。前日に新しい技術を身に付けたばかりの俺に更に新技術を身につけることが可能なのだろうか。
「七文字五文字のリズムを使わない詩をやってみなさい」
俺は荷物を落としてしまいそうだった。七文字五文字のリズムで詩を紡ぐのは得意技であり奥義だった。つまるところそれしかやったことがないのだ。七文字五文字を使わないと言うことは俺にとって丸腰の野宿に等しい。
「そ、それは……ずっと七文字五文字しかやってなかったし……師匠からもらった技術ですから捨てるわけには……」
「捨てろとは言っとらん。技術に良し悪しなぞあると思わんからの。だが切れるカードは多くて損はないじゃろ」
「ぐっ……」
俺は確かに今まで一枚のカードで勝負してきた。それで結果を出せたことは出せていた。しかしカードを増やせばそれ以上のことができるかもしれないのだ。ここは覚悟をするしかない。丸腰で新しいカードを掴みに行く覚悟だ。
「わかりました。やってみます」
「今日の夜またテントを立ててキャンプを作るからの。移動中に考えておくと良い」
移動中に考えるということで、俺は時折荷物を持つ手を滑らせてしまいそうだった。しかし人のものを持っていると言う緊張感だけは抜かずに耐えていた。
歩きながら俺は考えを巡らした。七文字五文字を使わないと言うことは散文的な表現をしろということだろうか。そう考えると詩というものが何なのか分からなくなってくる。目が回りそうだった。
「うーん……リズムがあるのか無いのか……」
散文的な表現をしてもリズムを作ることは可能だろう。師匠は散文的な表現の中でも不思議とテンポが良く、耳に入ってきやすい詩を謳っていた。しかしそのメカニズムが全くわからない。なぜテンポがいいのか、なぜ聞きやすいのか。
基本的で根本的なことを考えれば考えるほどにこんがらがる。俺はハァ、と息を吐くことしかできなかった。
「どうしたの?トルバトル!」
俺が俯いていると視界の中に小さな影が飛び込んでくる。
「ヴィー……だっけ?」
「そうだよ。短期間でよく覚えられたね!」
ヴィーは背伸びをして俺の頭をがしがしと撫でた。可愛らしい様子に俺は少し頬が緩んだ。
「ありがとう」
「んでんで?何でため息をついてたの?」
「七文字五文字のリズム以外で詩を作れって言われたんだよ」
改めて言葉にすると無理難題に聞こえる。そんなこともつゆ知らず、ヴィーは草原の何処かから引っこ抜いた長い草を振り回す。
「ふーん。私にはよくわかんない!」
確かにわからないだろう。アーツリングと言えども、見習いの5歳の子に俺は何を相談しているんだ。
「でもねトルバトル!表現は柔らかいものなんだよ!」
「や、柔らかいもの?」
「皆んなが私にそう言うの。私はまだ何の芸術の道をやろうとか……わかんないけど……表現は柔らかーく考えろって皆んなが!」
ヴィーは自らの頬をむにーっと引き伸ばしてみせた。そして頬を離すとそこには引っ張ったが故の赤みが残っていた。
その眩しい笑顔に再び朴が緩くなるところ、俺は氷水に顔をつけたような気持ちになった。
俺は表現に定義づけをしようとしていた。もちろん技巧に名前こそあるが、どう表現しようと一応自由だ。それを俺は無理にこねくり回して、難しく考えてきたのでは無いだろうか。
風の詩人の弟子である竜巻の詩人が何故型に囚われないことを怖がっているのだ。自由にやってみよう。七文字五文字のリズムから離れることは殻を破ることだ。
「……ありがとうヴィー。ちょっと難しく考えすぎてた。柔らかーく、だな」
「うん!そうだよ!」
五時間の移動の間、俺は頭を柔らかくして思考を繰り返していた。視界を広げるだけでなく、奥行きも持たせてものを見る。
疲労が溜まってきたのは長時間の歩行ばかりが理由ではない。慣れないことにチャレンジし、頭の使っていないところを使ってるような気がしたからだろう。
どのように課題をクリアして、どのように皆の心を動かすか。これが問題だ。課題ばかりに目を取られて心を動かすことを忘れていては元も子もない。
しかしヴィーの一言のおかげでだいぶ詩作が進んでいた。新たな世界の扉は半分ぐらいは開いている気がする。
しばらくすると一団の足が止まる。振り向くとアーツリングが歩いてきた草原が踏まれて一本の道を形成していた。この道を見て皆は「だいぶ歩いたな」と言う。ヴィーはすごいすごいと飛び跳ねていた。俺はと言うとそれどころじゃなかった。新たな世界へ一歩踏み出せた感じがしていたのだ。夕食の時の詩の歌唱が楽しみだった。
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