第20話 事件のうた
ネスト様とゲイルさんが数人の主要な使用人を連れて旅立ってから一週間。特段事件が起きることもなく平和な日々を過ごしていた。ネスト様に残された仕事をこなした後は詩人の務めを果たすべく詩作に耽っていた。
「んー……ダメだ!ネタ切れだ!」
この館に来てからいくつも詩を作ってきた。しかしその元となるアイデアたちはこの館の敷地内で手に入れたものと、館に雇われる前の経験からのものだ。つまりここ最近外界からのインプットがないのだ。経験と狭い空間内でのインプットだけでは詩作も頭打ちとなってしまう。
ここは新しいモノを取り入れるしかない。つまりは館の外に出るのだ。グリンの街は魔法で溢れており、面白いモノが沢山ある。それに外界からの商人や戦士が訪れることも多いのでネタ集めに事欠かないのだ。
善は急げということで俺はドアを開けて部屋から出た。手には羊皮紙を一ロール、それとペン、首には銀のチョーカー。最低限の装備で俺は館から出ようとした。一応ネスト様からは仕事としてネタ集めでの外出や自由時間での外出は許可されている。
館の正面玄関のドアに手をかけた時、後ろから声が聞こえてきた。透き通るような美しい声、詩人の俺が内心羨ましいと思っている声。キールの声だ。
「どこにいくんだ?トルバトル」
「ネタ集めだよ。キールは?」
「ゲイルさんの代わりにグリンの街のパトロールだ」
キールは胸当てや剣で武装しており、臨戦態勢という感じだ。彼女は街の秩序を守るネスト様の剣である。だから彼女はパトロールも仕事のうちだという。
俺はふと思った。これはチャンスではなかろうか。キールに同行すればいろんな場所に行けるだろう。俺はまだグリンの街に詳しくないが、キールはここ一週間ゲイルさんの代わりにパトロールしているのだから俺よりも土地勘があるに違いない。
「なぁ、俺もついていっていい?」
「トルバトルも?……パトロールだから危険かもしれないぞ?」
「いざとなったら魔法詩も使えるし。な?行こうぜ!」
「まぁ……それなら」
困り顔のキールを半ば無理やり丸め込んで俺は同行の許可を得た。
二人で街へ繰り出すと、キールはキョロキョロとあたりを見渡し始めた。
「今日はまず居酒屋に行こう」
「なんで居酒屋?」
「居酒屋はいろんな人が集まるらしい。だから反乱分子の溜まり場にもなりやすいんだ。ネスト様は酒場の店主と通じていて、酒場の様子を報告してもらっている」
たしかに俺も師匠の付き添いである街の酒場には入ったことがあるが、そこには性別、年齢、出自が異なるいろいろな人が集まっていた。いろんな思想が持ち込まれるということはそれだけ反乱のリスクも大きくなるということだ。俺はほぉー、と思わず声を漏らした。
「しかしネスト様が不在の今、居酒屋の状況がわからない。だから直接様子はどうか聞きにいくんだ」
「なるほど」
彼女はさも当たり前かのように説明を終えると、スタスタと歩みを早めた。
俺と同行する女性はなんでこうも歩くのが速いのだろうか。師匠もそうだしキールも速い。俺も一生懸命に足を動かして前へ前へと体を運んでいく。だんだんと疲れてくるが、ここ一週間の戦闘訓練のおかげか前よりも体力が保つようになってきている。これは嬉しい変化だ。詩人としてのスキルにはなんの影響ももたらさないが体力がつくのは良いことだ。
しかしそれでも彼女の歩く速度には遠く及ばない。俺が一歩進むと彼女は二歩進んでいる。
「な、なんでそんなに急いでるんだ?」
「別に急いでないが……」
キールはこれが普通の移動速度だという。一般人のジョギングほどに速いが彼女は疲れないのだろうか。そんなことより俺の中には沸々とある思いが込み上げてきていた。
歩く速度で何故か負けたくないのである。キールは兵士で俺は詩人、身体能力の差があるのは分かっているが何故か負けたくない。
俺は歩く速度を一層速めた。そしてキールをいよいよ追い越すかどうかという時、彼女は反応を見せた。
「なんだ、競争か?トルバトルは恩人だが……負けんぞ!」
あろうことかキールもムキになったようで足を動かすスピードを上げ始めたのである。どうやらマジで彼女は先ほどまでは普通の移動速度だったようだ。彼女は今や一般人の全速力ほどのスピードで歩いている。
「ちょ、速……おい……待……」
通行人からしたら15歳にもなる少年少女が街中で競争をしているのだ。俺たちは奇異の目線を向けられていた。しかしそんなことはどうでもよかった。変な意地の発動した俺は足を止める術を持たない。
そんなことをしているから俺は居酒屋に着いた時にはヘトヘトになっていた。地面に手をついて粗い呼吸を繰り返す俺と対照的にキールは息一つついていなかった。
「ここが居酒屋だな……おい大変だぞトルバトル」
「はぁ……はぁ……何が?」
「二十歳からしか入れないらしい」
「えぇ……それは……」
仕事で来たと言えば居酒屋の店主も歓迎してくれそうだが、その前に客に不快な目線を向けられる可能性もある。そんなことを考えているうちにキールが妙なことを言い出した。
「私とトルバトルで年齢を足したら三十になるし……いいか」
暴論も暴論である。そんな暴論を振りがさしてキールは居酒屋のドアを開け放った。
幸い客はおらず、店主の女性ががカウンターの奥から顔をのぞかせた。
「おやおや、若いお二人さん……居酒屋はまだ早いのではなくて?」
「私は領主ネスト様の私兵であるキールと申します、こちらは同じく詩人のトルバトルです」
俺が居酒屋に入るとキールもうすでに俺のことを紹介したので俺はただペコリとお辞儀をした。
居酒屋の店主は最初目を丸くしていたが、目を細めて俺たちの胸についている銀のバッジを見ると納得したように頷いた。
「そのバッジはネスト様の部下の印ね。ネスト様にはいつもご贔屓にしてもらっているわ。キールちゃんにトルバトルくん、今日はどんな御用で?」
「出かけておられるネスト様の代わりに来ました。最近居酒屋の調子はどうか、と」
それを聞くと居酒屋の店主はパチンと指名を鳴らした。そうするや否や居酒屋のドアが閉まり、鍵がかかった。それだけでなく、カーテンも閉まり、部屋の中は薄暗くなった。
彼女はどうやら魔法使いという一面も持っているらしい。
「なんで閉めたんです?」
「トルバトルくん、察してよ。聞かれたくない話があるからに決まっているじゃない」
「聞かれたくない話?」
「ええ、そうよ。ネスト様の館に怪盗が入ろうとしているのよ。怪盗の一味がウチで作戦会議していたのよ」
それを聞くとキールは目を見開いた。驚いたのは彼女ばかりではない。俺は最初店主が冗談を言っているのかと思った。しかし店を閉め切ってまで冗談を言う必要はない。これはマジなのだろう。
「その話、詳しくお願いします」
「えぇ、いいわよ。お優しいネスト様のためですもの……怪盗の一味は五人で一人は随分若く見えたわ。ネスト様の館の中にある倉庫にある食べ物を狙っているらしいわ」
「食べ物?」
キールは首を傾げているが、俺はピンと来た。俺は師匠と共に東の国からここに至るまで長い旅をしてきたので割と知識はある方なのだ。
「東の地の寒冷化により食べ物が取れなくなり、この国に食べ物を求めて流れ着く人々が多いと聞くし……その一派だろう」
「トルバトルくん、よく知っているわね。どうやらそのようよ。作戦決行は明日から明後日だと言っていたわ」
俺とキールは互いに顔を見合わせた。
大変なことになった。早急に館に戻り、家令や他の使用人たちに報告せねばならない。
「ありがとうございました!」
俺とキールは同時に店主へと叫んで、一目散に店から出た。向かうは館。ネスト様の領地が脅かされることはあってはならない。俺館に走る際、ギュッと手を握っていた。
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