第2話 はじめてのうた
歓喜に沸いた聴衆を前に師匠はどんどん詩を披露していった。彼女の言葉一つ一つが着実に聴衆の心を掴んでいるのが目に見えるかのようだった。明らかに彼らの目が最初とは変わっていた。最初の聴衆の目は詩人に興味を持ちつつも少し余所者を見るようなものだった。しかし今はどうだろうか。まるで子供のように目を輝かせ、師匠に熱視線を送っている。
「……これにてミンネの詩を終了とさせていただきます。ありがとう!!」
師匠はリュートを最後にポロンと鳴らす。そうすると聴衆から大きな拍手が巻き起こった。まるで音の波のように押し寄せる拍手を師匠は身に受けて幸せそうな顔をしていた。
やっぱり師匠はすごい。しかし俺は懸念事項があった。ここでの公演が終わり、食べ物や金銭を貰い受けるや否や聴衆は村の人々に戻ってしまう。つまりは詩人を賎民のように見なす人々に戻ってしまうのではないか不安だった。俺が悶々としていると師匠が急に手を挙げた。
「し、師匠?」
急に手を挙げた師匠に驚いたようで聴衆は目も丸くして拍手を鳴り止ませてしまった。
「皆さま、ここにいるトルバトルは私の弟子でございます。彼には私の全てと言ってもいい技術を教えてきました。楽器の方はからっきしですが……どうかこの者にチャンスを与えてくださいませんか?」
突然俺に多くの視線が浴びせられた。汗が全身の毛穴から吹き出すようだった。
師匠は何を言っているんだ。まだぺーぺーの俺に詩をここで発表しろと言っているのか。それにまだ俺は懸念が消えていたわけではなかった。俺が仮に発表を成功させたとて、どうせここにいる人々はそれが終われば俺たちに侮蔑の視線を向けるに決まっている。今日の吟遊詩人に向けられる目線とは宮廷詩人以外そんなものだろう。
俺の想いを汲み取ったのか、師匠は身をかがめて口を耳元に寄せてきた。
「あなたの懸念は手に取るように解ります。しかし……今を大切にしなさい。一生とは刹那の連なりです。一瞬でも彼らを幸せにできるのなら、私は後々彼らに踏まれても殴られてもいいと思いますよ」
「人が良すぎますよ、おとといは嬉々として暴漢を返り討ちにしてたのに」
俺は苦々しげにそう言うが師匠はにこりと笑ってその表情を全然崩さない。つまり師匠は「やれ」と言っているのだ。
「はぁ……」
俺は今にも逃げ出してしまいたかった。懸念事項もそうだが、そもそも俺は人前で発表などしたことがない。師匠について5年、師匠の前でしか詩を歌ったことはないのだ。そして今、聞き手の数が20倍近くになっている。だが師匠の言うことは聞かねばならない。深く息を吐くと俺は師匠の一歩前に出た。
「ご紹介に預かりました詩人見習いのトルバトルと申します。俺からは……」
ここで冷や汗がたらりと流れた。全くもって自分の作ってきた詩が思い出せないのだ。いかんいかん、パニックになっている。そう言い聞かせても自作の詩を頭の中のタンスのどこにしまったかわからない。チラリと横を見ると師匠がリュートを持って俺の歌う詩を待っていた。その表情はとても愉快そうだった。全く弟子の苦労も知らないでこの人は……。
思い出せないのなら即興だ。身近にいる偉大な人物を歌えばいいのだ。
「……やたら強い飄々とした吟遊詩人について歌いたいと思います」
「んん!?」
師匠にいっぱい食わせてやったぞ。さぁ、俺の詩を始める。俺は目を閉じ、体から音を奏でる準備をした。そして隣にいる少し意地悪な尊敬すべき吟遊詩人に想いを馳せた。
「離れない 鉄の匂い
こびりつく 鉄の影
吐き気催す 風のなか
女1人 ただ歌う
風に靡く その髪は
どんな糸より 上質で
風に乗せられ その声は
どんな歌より 和ませる
彼女その歌 響かせて
幾多の傷を 癒したもう
彼女その歌 響かせて
幾多の戦い 止めたもう
戦場の中 ただひとり
平和を願う その女
女の器 海の如く
強き腕は 皆守る」
なぜだが俺の即興詩に見事に合う師匠のリュートに乗せられて俺の言葉は聴衆へと届く。師匠の時ほど笑顔も少ない。俺の発声も言葉遣いも陳腐で拙い。しかしたしかに聴衆は聞き入っている。
しばらくして詩を歌い終えた俺はグッと目を瞑った。靴を投げられても文句は言うまい。だが、たしかにやり切った。俺に出せる全てを初めての人前で出したつもりだ。
「いいぞ兄ちゃん!」
「素敵よ!」
「よく頑張った!」
意外な感想。それが率直な俺の感想だった。聴衆はたしかに笑顔で拍手をしている。
そして聴衆の中から1人の小さな男の子が駆け寄ってきた。その手には銀貨が一枚握られていた。その子供は俺に銀貨を差し出した。
「すごかった!」
一瞬俺は呆然とした。宮廷や城に属さない吟遊詩人は賎民と侮られることもなくは無い。だが今俺の目の前にいるのは俺の詩をすごいと言ってくれる1人の観客だ。目から何か溢れ出しそうになりながら俺は腰を屈めてその子供と目線を合わせた。
「ありがとう」
子供は俺に銀貨を渡すと手を振りながら母親の元へと戻っていった。そこから続々と俺と師匠の元へと食べ物や銀貨を差し出してきた。俺と師匠は何度も頭を下げながらそれらを受け取った。
しばらくしてもらったモノで鞄がいっぱいになった俺たちの周りには誰もいなくなっていた。詩が終わればこんなもんである。しかし俺は満足だった。そんな気持ちが顔にでていたのだろうか。俺の視界にニヤニヤと笑いを浮かべた師匠が飛び込んできた。
「どうですかトルバトル。この瞬間を楽しめましたか?」
「はい……師匠」
たしかにあの瞬間、俺は楽しかった。そして嬉しかった。詩を歌っていたひと時は何ものにも変え難いものだった。侮って下に見られる、なんて心配はするだけ損だったのかもしれない。その瞬間が輝いていればそれでいいのかもしれない。
「トルバトル。これからどんなことがあろうとも、楽しませたり、誰かを勇気づける瞬間を大事にしなさい。それが私個人としての詩人像です」
師匠は拘らないのだ。いつも輝いていようとしない。いつかの瞬間に誰かを勇気づけられれば、楽しませることができればいいのだ。そうすればその前後も自ずと輝くのだろう。
「はい!わかりました師匠」
「それではお別れです、トルバトル」
一瞬で何かが冷めるような気がした。ポトリと銀貨を落としてしまったが、不思議と拾い直す気分にはならなかった。それほどまでに彼女の発言が唐突だったのだ。
「ま、待ってください……お別れ?」
「そうです。伝えるべき技術は伝え、人を楽しませことができると証明した者に師などいらないでしょう」
「そ、そんな……俺はまだまだ」
「詩人とはいいものです。言葉のスペシャリスト……言葉無くしては生活は不便です。その言葉で人を楽しませられるあなたなら……どこへ行っても平気ですよ」
たらりと頬に雫が流れるのを感じた。嫌だ、一緒にいたい。だがそれを言ってしまえば俺はいつまで経っても一人前になれない気がした。ここは気持ちを押し殺さねばならない場面だ。
「……本当に……俺はやっていけるんでしょうか」
「ええ、風の詩人ミンネが保証します」
風の詩人とは師匠がやたら街から街へと移動する速度が早いことから名付けられた異名だ。そして何より彼女の詩には「風」の一言が入ることで知られる。
師匠は言葉を続けた。
「私の羽根つき帽子をあなたに授けます。そしてこれらからは竜巻の詩人を名乗りなさい」
「竜巻……?」
「そうです。なによりも強く、人の思い、武勇を風に乗せて歌いなさい。そして周囲の人々を巻き込むのです。風の詩人の弟子らしいでしょう」
師匠はそういうと俺の足元に落ちた銀貨を拾い上げ、自分の持っていた分と合わせると俺の懐へとしまいこんだ。
「さて……風の詩人はまた風のように吟遊するとしましょう。トルバトル。また会う頃には私の背を抜いていてくださいね」
そういうと、5年間の付き合いをまるで泥団子を崩すかのように簡単に終わらせてしまった。だが師匠は言うだろう。「そんなもんです」と。
去りゆく風の詩人に言いたいことはまだまだあった。だが相変わらずやたら歩くのが早いので彼女の背中はどんどん小さくなっていく。俺は精一杯の感謝を込めて後ろ姿に叫んだ。
「師匠!ありがとうございました!!」
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